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2011年4月

2011年4月23日 (土)

母性社会と女性性

この国は、女性らしい男性が多いとよく聴く。これは、社会的(客観的)なジェンダー※のことであって、現象学的(主観的)なジェンダーのことではない。(トランスジェンダーは、後者に起因する。) 私は最近まで、この国の男性原理にかなり腹が立っていたので、少し疑問を感じた。母性社会と男性社会の関係とはいかなるものなのか? 2chで話題の〝母性社会〟について、やや混乱ぎみの主張を論考してみたいと思う。

※ 実際は母性原理に埋め込まれた男性なのでジェンダーではない。

結論から言うと、この国は、男性社会である。最大の過ちは、母性原理と女性性、父性原理と男性性を混同していることにある。考えてほしい。この国の一体どこに女性らしさがあると言うのだろう? 女性らしさとは、競争より協力し、関係する喜び、個性を尊重することで他者と特別なものを創る意志などと言っていい。わが国の、妬み、足のひっぱり合い、いじめ等は女性らしさの表れではない。関係も尊重も無いからだ。そう。女性らしさとは、個の上に築かれるものなのである。

女性性、男性性とはジェンダーである。ジェンダーが理解されなかった昔の時代でも、国々では独自の文化があった。その国々に住む人々は、自分は男性でも女性でもなく、まずメンバーだった。その国々の文化を研究して比較した現代人が、これらをこう呼んだ。〝母性社会〟〝父性社会〟

日本は島国である。おまけに母性社会は稀である。世界から母性社会として忘れられている。ゆえに、〝母性社会〟のこの国に対しての論文(書物)が少なすぎる。この中途半端さが〝母性社会〟のさらなる誤解を生む。

これらはあくまで、〝昔の風習(なごり)〟であり、現代のことをそのまま言っているわけではない。歴史的、系譜学的視点であり、民族意識の話である。つまり、母性社会と女性性は直接関係が無い。母性社会と男性性も直接関係が無い。

そして、現代の(特に先進国での)最大の課題は、女性性を開放し、成熟させ、男性性と統合させることである。(フェミニズムなどを見る限り、ブームだが決してうまくも行っていないことが分かる。) 映画等で、東京は寂しい街 等の視点が主流だが、私は、女性性の未開こそが最大の原因と見ている。資本主義は競争を生み、人を冷酷にし、生きる気力をそぎ、関係をないがしろにする。もうお気付きだと思うが 資本主義は男性性が強い社会構造である。(男性社会と呼ぶことにする。) 元々 男性社会の基盤(父性社会)のあった西欧諸国の文化の産物である。日本は、表面的には成功したが、内面的には引き裂かれたのだ。

父性原理と母性原理(社会の原動力?) は、両立不可能である。(混ぜることはできるが。) これらの原理と、男性原理(男性性)、女性原理(女性性)は両立可である。最後2つも両立可である。独自の文化に対し、ジェンダーは普遍的だからである。世界中心的ゆえに、個を確立する必要がある。(最初2つは、赤ちゃんでも享受される。)

女性性を母性原理に還元するのは、ジェンダー(心圏)を性別[セックス](生物圏)に還元することに等しい。女性優遇のセールスは、女性性[ジェンダー]を優遇しているのではない。人を物に還元する男性原理の資本主義が、母性原理[セックス]を優遇しているのである。(母性社会と男性―資本主義社会の両立。)

母性社会が女性性の開花を妨げ、それが男性性のバランス(成長)を壊し、この国のような不幸ができあがる。格差社会、偏見、これらは女性性と何の関係も無い。母性社会という黒幕が男性社会を病的にして引き起こさせている産物だと言える。(実力社会の理不尽な部分だけが正当化されている。)

国民主権と言うよりも、国民が母権構造の一部に成り下がっている確信犯的国家なのだ。(外国人が 日本に住みにくいのが 何よりの証拠。)

母性原理が悪く働く原因は 集団(原理)主義(宗教)である。今、国がうまく行っていないことや、先進国にしては内面の発達が不十分ということも示している。

男性性は外面、女性性は内面に向かう傾向がある。現代日本は外面の集団主義である。男性社会と母性社会の悪い部分が合わさっているのだ。(女性性ではない!)

もし女性社会が確立されたなら、多忙な日々から解放され、ゆったりと、ひらめき・洞察から人生を関係で色彩る日々が待っているだろう。文頭で言ったが、むしろ現代は、男のような女が多い。身体的に魅力の無い人々である。(FtMのトランスジェンダーの人は、健全であれば女性らしい身体とたくましい心が矛盾なく育つので、彼女とは全くちがう。) 女性らしい男性という言いまわしも同様で、女性性を持ちあわせてすらいない(ぐじゅぐじゅ言うだけの人) 母性に埋め込まれた男が多いだけである。

父性社会は男性性、母性社会は女性性を育みやすい傾向があるが、男性原理がむりやりねじ込まれたこの国では、この視点は適合できない。

男性性と女性性の社会での理想としては、男性性は 必要最小限で楽に効率的な仕事を、女性性は、たくさん 笑って、話して、関係して 気付いて、スペースフルな日常を。OSやソフトだって 無意味に重いものはボツだろう。私達男女だって ボツになりたくはない。2つの性が互いに社会を創っていったら、やがて暗い日々は国ごと変わる。大切であるはずの女性性が母性原理なのだと取り違えると、永遠に女性性を嫌悪したままだ。日本が先進国である以上、自力で何とかするしかない。それとも、母性社会として成功した近隣の国を見習うようになるのだろうか?

大切なのは、女性性への感受性を高めておくことだ。女性[セックス]であること(立場)を強要するのは母性社会の特徴であり、女性性[ジェンダー]を殺すことである。これを女性性と取り違えることを止めることから、本当の女性性への扉を開くことになるのではなかろうか。母性社会の内部に男性原理(普遍的な資本主義)が存在する。男性原理自体は母性社会の外(父性社会やその他の社会)にも普遍的に創発、存在する。従って、母性原理は女性原理ではない!

(日本にもアメリカにも存在するので資本主義は母性原理でも父性原理でもないことが分かる。)

結婚が不幸で恋愛が幸福なのは、、まだ女性原理が創発していないから、と言えるのではなかろうか?

~社会の神経質なところ~ (4・23)

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【インテグラル】 参考文献♡

  • インテグラル理論 (AQAL)      統合的実践 (ILP)
    「インテグラル・スピリチュアリティ」
    ケン・ウィルバー 著

    「実践インテグラル・ライフ ― 自己成長の設計図」
    ケン・ウィルバー 監修