« 2011年4月 | トップページ | 2013年9月 »

2013年1月

2013年1月12日 (土)

今日のダイアリー

そういえばここ数年、毎日のようにつけるタイプのDiaryは書いてない。アップデート専用になっている。理由は、皆に読みやすく、私が書きやすいからだ。なるべく普遍性を大切にしたいと思っている。

それにしても、アルバムのリメイクはかなり大変だった。ポテンシャルを使い切ってしまった。自分の作品を、あくまでアレンジの視点で行う、加工であるため、芸術ではなく技術。1億円で依頼してしまった!!私に依頼してしまった。私は1億円を稼いでしまった!現在の財産は特になし。自分で自分に依頼するという、この思考実験は、1円でも1兆円でもいい。

同様に自転車。最近全くと言っていいほど乗っていない。昔、片道60km走って往復してくることで、関東から九州まで行ける話をした。有馬温泉にも言えることだが、近くであればあるほど、乗り換え回数が、他社を通してあればあるほど、電車賃は極端に高くなる。いい例が地下鉄で、3km程の往復を自転車でするだけで、18きっぷが1/5回(約4~5時間)使える。ちょっとそこまで自転車運転して、神戸―敦賀を直通新快速で走ってる自分を想像して微笑ましくなったり。視点のセラピーはおもしろい。エネルギー問題に通じるものもある。1km10円としても、やはりクリーンな乗りものだ。

この間の日記ですばらしいのは、多くのユニークな論文的アップデートがされていることだ。私の目標としては、最初から最後まで読んだとき、一冊の本として読める、前後の章の内容のリンクが自然に成されてゆくこと。今回も、基本的に書きおろしで、人が自然に創造性を発揮するには一番良いスタイルだとあらためて感じた。メモもしたが、いざ書くとすれば、書きたいことを、内面にあるイメージを表現するようにして、メモにたよらず書く。そうすることで書きおろしでもすじが通る。また、長い作品だと、だんだん脱線したり、論理崩壊しかけていたりするので、手が止まったら読み返して、先を書く。手おくれなら、注をつけたり。今もそうだが、もはや、気持ちをそのまま文にしている。旅日記の場合、読み返してみて、自分ながらよくそんなに旅しているときみたいに書けるなぁ、と思ったものだが、まず、文章という形で、できごとを表現するのだから、まだ内側に思いがあるうちに書けばいつでもポテンシャルを引き出せるのだな、と思った。現に、過去の旅日記はかなりの量である。文体自体は、いわゆる経験で成り、流れているんだな、と思う。

ジュエルペットに出会ったのは かなり利いた。もう2013年!年始に、あのエンジェラバイクが登場してテンション最強になったりしながら、これからも歌と哲学は続けていきたいと思った。maiとも交流し続けていけたらいいな。

エピローグ(2013・1・12)

ポテンシャルの流動性[ストリーム] ~ポテンシャルエネルギーのアップデート~

ウィルバーは、モデル4あたりで、意識構造には流れ[ストリーム]があるというような概念を提唱していた。波である意識が構造に同一化する と。今回は、流動する意識深度を、ポテンシャルの面から考えてみたい。

・統合芸術とポテンシャル

偉大なピアニストは、その空間に、高次の構造を創発させる。ひさしぶりにギターを弾いた人は、濃いプレイをする。長年離れ離れだった恋人は、お互い愛に満ちた濃密な世界を創る。これらに共通するのは、ある特定の時間のみ、いつもとはちがう特別なことをする、ということだ。その代表は芸術で、形の残るものや残らないもの、多種多様だが、そこには微細に、創発と補充(休息)が行われ続けている。

補充で得られるエネルギー(創造性)は、ポテンシャルエネルギーの外在化したものだ。(右側象限の微細なエネルギー。) これは、魂の、内在価値が心圏の生(人間)に還元(変換)されるとき、環境によって、多かれ少なかれ出てくる。潜在性(魂)を変換(昇華)するとは、外在性(存在性,エネルギー)を伴わせるということなのだ! 潜在性→深度+愛だから、微細な、ポテンシャルエネルギーは、高次の構造的作風(作品)と、熱い活力になる。ギターの例は、まさにそれにぴったりで、時間を経てたまった創造ポテンシャルが、コード等の構造的(外在的)要素、志向性(ひさしぶり!)が 状態的(内在的)要素を思わせる。これが外在化を伴った、意識の流動的側面である。

・作品に込められる深度

要は、潜在性[ポテンシャル]を変換するとき、彼の意識は構造的になったように見える。これは深度[レベル]と呼ばれる。また、ラインについても、別々にポテンシャルエネルギーがたまる。ゲームのポイントのふり分けのように、生に還元されるポテンシャルを、魂(深い心霊[ディーパーサイキック])もしくは自分(意志)が、特定の必要な、お気に入りのライン中心に、自由にふり分けている。同じパラレルワールドの人間でも、成長が異なるのはそのためである。(現実には観測されていないが。発達心理学的に、同じ魂を持ったクローン現実にはない指示対象であることに注意】と考えれば思考実験レベルで分かる。) あなたは今日何をしようか迷う。音楽か、本か、旅行か。その選択によって、創造に使われるエネルギーの向かう先は大きくちがい、どれを行っても、時空間的に、他のことはもう行えない。休息が必要である。しかし、そうした経験は深い心霊に上書きされ、内化する。深度の正体は経験的意識(魂のもの含む)の流れだったので、このような緻密な(マイナーな?)経験でさえも、深度に関係してしまう。そもそも、経験主義的(ミーム論とか)には、差異化の時点ですでに成長していても、統合後でしか、そのふるまいを観測できない。レベルと言っても、そこまで大きな仕切りはない!(ウィルバーが再三言っている。) 行うすべてが変容と言える。(正しく行えば。)

それをふまえて芸術作品を見てみる。作品は見るだけで一定のレベル(ミーム)の人を引きつけてしまう性質、つまりレベル(構造的熟達性)を持っている。技術と同じく人々を豊かにする、文化となり得るため、それ自体が深度を持っていると言ってほぼ間違いない!(ただし、個人とちがい、外側からのみ観測されるが。) つまり、私達のポテンシャルエネルギーは、作品として後世にまで結晶化できるのである。作品には深度を込められる。自分の好きなラインへ、そして、その分野の領域に、流動させて、作品と経験として出力される。一生で100作品創った人は、その分のポテンシャルエネルギーは使われてしまった。そして、経験(作品)として深度化している。これを深い心霊は引き継がせる。転生した人もまた、100作品創るだけのポテンシャルエネルギーを持つ。

私達は心身体なので、ポテンシャルをこの世界で発揮できるように外在化するためには、それだけ時間を生きねばならない。また、生きてゆけば、エネルギーがたまり、経験(作品)は、来世でも経験として使える。それはストリームだから、深度でもある。道徳段階は結果であり、そうなるように支えているこれら諸要素の方がはるかに重要である、と思う今日この頃である。

エネルギーが大きければ大きいほど、それを経験で深く圧縮することができれば、より統合的な作品ができる。より大きな経験になる。時間を無駄にするな!は、エネルギーのことであり、潜在力の開花である。逆に量多くつくれば、深度は減り、経験に還元(深化)される価値も薄くなる。あと たぶん、ゲームばっかりやってても創造性は減らない。不安なら、発揮した後の一定期間めたばまりすれば良い。

マズローの言っていた、自己実現的な人々、とは、このように、与えられた創造性[ポテンシャルエネルギー]をうまく使った人たちなのだ。また彼らは愛にあふれていたとも言っていた。それがこれから述べる、深度のとなりにある、あの、〝愛〟である。これは、構造[ロジック]的色合いが濃い深度に対して、より共感的[エモ-ショナル]な状態的なものだ。

・ワールドソウルをかけめぐってゆく成長愛

電車が止まるとき、電線に電力が還元される。そんな風に、僕らのポテンシャルが、互いのコミュ二オンで、愛に変わるとき、それは私達の世界、このワールドソウルに流入する!!

もちろん、この愛の経験も、深度同様有効である。外在化する変わりに、世界内在化するのだ。それは私達を魂規模で活性化させる。偉大なステージを見たとき、あなたと愛の交流をしたとき、聖人や少女でさえも、この営みには全くプロでいることができる!

特に、深度が小さいうちは、魂はこの愛の力で存在を発揮する。よく本で、10歳で死んだ子どもが、われわれ以上に深いものを持っていたと語られたりするが、これも愛への創造ポテンシャルの成せる業だ。病気は、内なる時間を加速させ、変換できるポテンシャルの量を多くする。たった10年で数十年分の潜在力[パワー]を発揮したその子は、私達以上に偉大と言えるのではなかろうか!それは今も、の力となり、私達の愛の活力となっているのである。

・流れ、深度、愛、創造性

魂の潜在エネルギーは、愛になる。それは僕を道徳的にし、芸術や論理の経験を増大させる。そうやって流れて、あなたは僕を見て、統合的だと言ってくれる。流れは、構造的な経験を通じて、あなたに観察される。すべては流れだ。深度も愛も、これらすべては経験によって理解され、創造によって共感される、そう魂の存在のつながりの流れだったんだ。

~ポテンシャルエネルギーのアップデート~ (1・12)

2013年1月11日 (金)

深度とポテンシャル ~ジュエルペットはなぜおもしろいのか~

女性は美しい。 僕らをLOVELYにする力がある。それは特に少女マンガに表れている。

ONE PIECEのような形式的で万人向けのアニメは、少年マンガの枠にとらわれていない。比べて、少女マンガは、具体的で、大人向け・万人向けの少女マンガにはなかなかなれない。だがこれは男性社会学的視点であり、少女マンガは、成長(深度)を基にする少年マンガに比べて、存在性・内在性・潜在性を基にする。ストーリーが表層構造・万人性(形式性)が深層構造である少年マンガに対して、ストーリーが深層構造である少女マンガは、表層構造を自由に彩ることができる。ゆえに、形式的に見ると、少女マンガは具体的に見える。そしてここには発想(男性的なヴィジョン・ロジック的なものまでも)を取り入れることができる。少女マンガは、ストーリー(少年マンガは表層構造だから。) にとらわれず、より自由に存在性を表現することができるのだ!!


☆ 光輝くキャラクター

ジュエルペットを見ていると、キャラの描写が美しく、高度すぎて惚れて こおりついてしまった。少年マンガでは気を配ることのない、背景のすみずみから、アイテム、時計、耳の形や変化、表情、その他一切に見入ってしまう。ストーリーよりも、その変化が重要で、何回でも見ることのできる仕掛けがほどこされている。今の結果重視の男性社会では未だ扱われぬ能力であるが、可能性についてはずっと前から叫ばれている。女性の自己実現は重要だ。それを創発できる社会へ!と。

それが女性の(根元的)魅力である。ラブラ、エンジェラは、L/3,L/4あたりから行動しているが、なにか悟っている。ルビーは、ドジなところが逆に可能性についての大きな魅力になっている。 成長も重要なファクターだが それ以上に 存在性の方に美がある。 成長に匹敵するこの力を今日は新しくアップデートする!!


☆ 新しい内在価値、潜在性[ポテンシャル]

赤ちゃんには人権がある。老人より、潜在価値がある。 ルビーのパッションは、成長し切った今の大人社会にはもったいないくらいのまぶしいムード。 私のパラレルワールドでは、未来の過去は、より大きな潜在価値を持っている。 ケン・ウィルバーは、女性は男性とは異なる、階層性を否定するような方法・視点で、(階層的に) 成長していくことを主張している。


☆ 生物圏のポテンシャル、魂の価値の増大

ジュエルペットきら✰デコッ!は、私が好きな 特にオススメの作品である。 社会が少女のポテンシャルを抑えている以上、研究材料として見てもすごい!今日は、この作品から、さんまの話を挙げる。

キラキラ大好きルビー(瞳がルビーの、心圏にアクセスできるうさぎ。) の前に現れたさんま村。御神体に守られている中ではさんまは話すことができ、ルビー達においしく食べられてもらえることを何より喜んでいる。一見、L/6くらいからしてみれば、命がかわいそう!人間(ジュエルペット含む)のためにいるのでは無い!との怒りが聴こえてきそうだ。非道徳的だと。私もちょっと真剣に考えてみたりしてた。が、別にこれは、L/3やらL/5の考え方ではなく、むしろ、さんまの魂(ポテンシャル)をも視点にくみ込み、尊重した新しい考え方なのだと思う。

ポテンシャル(潜在性)には いくつかの定義がある。その一つが今回の例。

まず、さんまが腐ってしまったとき、その前にみんなに食べてもらおう!とさんま達はこぞって焼きさんまになろうとするが、これは、食べ物をそまつにしてはいけないというメッセージであり、合理的(L/5)である。次に、御神体が消滅したとき、彼らは消えてしまうのであるが、これは、彼ら(さんま)が心圏を通じて理性でスピリットを語っているのではなく、スピリットが(生物圏の)さんまを通じて、語っていることをまた意味する。本来、生物圏には無いはずの深度(心圏の深度)を、仮に彼らに心が宿ったらと考える視点もまた、ポテンシャルの視点にでき、生物圏の心圏への潜在価値を見る、女性的な視点と言えるのだ。このように、深度に変換できないに、可能性を見るのは、神秘主義に通じるものがある。がこれは、状態ではなく構造(レベル)なのである。


☆ 女性の芸術、自己実現を超えて

男性はマンガ、女性はアニメに向いている。 少年マンガは紙、少女マンガはメディアと 相性が よいのかも。(少女マンガは少年マンガほど週間連載しない。) ジュエルペットもアニメオリジナル。というか、あのしぐさは紙では無理。 女性が本当に自己実現するには、(男性が当然手をかすというのもあるが、) 男性-形式的な方法を押しつけてはならないのだ。女性-形式的(合理的)[男性は具体的にしか見えない]な方法があるのだ。最近のジュエルペットが特におもしろいのは、こういった、少女にも社会にも、新しい希望の光が見えるからだと思う。 また、女性が統合作品を創ろうとすると、表層構造が豊かで自由のため、色々引用したくなるのだと思う。 このような インテグラルな想いに支えられたリンキングは 文化としての引用権でむしろやることを奨励されるべきだ。 少年マンガは独立したストーリー、少女マンガはそれを結びつける。 前者だけなら芸術としては良いが、文化としてはさびしい。 私は、〝タイムマシンとパラレルワールド〟で、アニメ・コミックを科学と結びつけたが、高度な女性は、それを文化・スピリットの領域に結びあわせることができるだろう。


~女性とポテンシャル、自己実現と未来へ~(2013・1・11)


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


[補足 脚注]

このページの「生まれ変わり」視点は 「魂は個性 ~個の生まれ変わりの脱構築~」にて さらにアップデートされています。


・新しい内在価値、潜在性[ポテンシャル]

トランスパーソナルとは魂である。ウィルバー5モデルでは、それは状態(神秘主義)と呼ばれている。グロフは、支点0[L/0]の出生外傷は魂[トランスパーソナル]にとって大きな傷になるとしている。魂は、心身(理性)とちがい、身体の死ではなく、輪廻転生の終了まで、生まれ変わって成長する、魂の価値は、理性(深度)の価値とは分けて考えるべきだ。魂の深度は、身体の死から次の身体の誕生の間で特に変わりはしない。つまり、赤ちゃんは、L/1の深度に加えて、魂の内在価値を持っている。過去生を記憶した子ども達が大人になってゆくにつれて、魂のみの純粋な記憶が失われることを考えると、魂の深度(ポテンシャル)は、成長するにつれて、深度(レベル)に変換されていると考えてよい。つまり、魂のポテンシャル(潜在力)と内在価値(深度)を足した合計内在価値(潜在力+深度)は何歳になっても一緒だと考えることができるのだ!!


・レベル、ライン、タイプ、象限、状態[ステート]、潜在性[ポテンシャル]

AQALモデルで、潜在性を加えると良い。以上から内在価値を定義し直すと、内在価値とは、魂の価値である。と言える。基底価値と異なるのは、草も動物も、原子も太陽も、あらゆるものが唯一無二のスピリット(無境界)であるのに対して、人の魂は、草や太陽より良い。また、内在価値は(進化の構造が明らかにしたように) 創発(成長)している。右側象限で言えば、パラレルワールドについても、同様である。私は、パラレルワールドを考えていて、潜在性の概念に気付いた。これは、女性が使っているヴィジョン・ロジックなのではないかと今日[こんにち]思った。そうなると、L/9は、L/7・L/8の男性性と女性性の理性[ヴィジョン・ロジック]の統合であると言えそうだ。

ウィルバー1モデルは、赤子の魂を非二元にし、ウィルバー2でレベル1にした。(前者は状態、後者はレベルである。) ウィルバー5で、レベルと状態を差異化。これで、赤子が非二元状態でL/1であることができるようになったと本人も言っている。とりあえず、あの神話を捨てた理性のように、彼も、赤子の潜在性を(ウィルバー2で)捨ててしまったと言えるのではなかろうか? 心圏が魂に定着したと考える時期が、魂を赤ちゃんの内在価値として認める時期であり、中絶と殺人を分ける時期となる。女性が男性に比べ中絶に罪の意識を深く抱くのは、女性が (道徳レベルが高いほど) より潜在性にそった考え方、感じ方をするからだと思われる。 これは、女性は潜在性に重きを置いて、深度(レベル)を高める、と言え、第2層の女性(L/7,L/8)は、赤ちゃんが私よりも深度が低く、潜在性が高いことを分かっていることを意味する。(深度と潜在性は差異化されている。) しかし、男性とは、赤ちゃんのありのままの価値を認めてもらえないことで争うことになる(?)。第3層(L/9)においてこれらは統合され、魚のいない世界よりいる世界の方が潜在価値が高い(パラレルワールド的に考える。) と、男性も思考できるようになる。もう一度おさらいしておくと、内在価値は、深度の価値+潜在価値である。内在価値とは魂の価値である。(パラレルワールドを考えると、9才のケン・ウィルバーもまた、60才の彼に見合うポテンシャルを持つ、ということなのだ。) 以上をふまえて先に進もう。(なお、過去の私の文に出てくるポテンシャルには今回に近いものもあるし、そうとも言えないものもあるので、新しい考え方、用語としてほしいことをことわっておく。)


・生物圏のポテンシャル、魂の価値の増大

魂の現世での成長をポテンシャルの面を考慮して見てみよう。そのために、生で最もやっかいな病気を使う。

病気はある日突然おそってきて私達を苦しめる。あるいは、生まれてからずっと何らかの障害器質がある。つまりは、魂のポテンシャルは、この病気によって、苦しみによって増大してゆく。 じゃあ、重い病気の僕は、来世の誰かのために、これを負わされてるのか…と言われそうだが、それは、深度と解放の視点を見落としている。 まず、病気になったあなたのポテンシャルは、今すぐにでも深度にできる。いや、少女マンガ的にはむしろそのままのほうがいいかもしれない。愛と感受性が100倍になり、しかも、来世でも、この魂はきっと世界をよくしてゆく。それが気にくわないなら、輪廻から解放する聖人の道もいいかもしれない。どちらにしても、この文を書いてる私も、世界を走るあなたも、過去の身体で多数の病気を経験しているだろう。だからこそ、何やら自己実現やダイモンが現れてる。

つまり、成長には、深度を上げる方法と、ポテンシャルを上げる方法がある。ウィルバーも実は分かっていて、瞑想が後者にあたる。瞑想が成長を加速させる、とは、つまり、ポテンシャルの増強→深度に変換ということであり、結局、状態と構造は異なるが、状態-段階をきたえることが構造的な成長に結びつく、というところは全く正しい。ヴィジョン・ロジック(L/8)の人がさらに瞑想すると、(L/8)+ポテンシャル(微細・元因)となり、進化の構造の視点になる(この辺は別にかしこまって説明しなくてもいいだろう。) また、過去の偉人は、深度よりポテンシャル過多だったろう。

ポイントは、深度は、今世でポテンシャルから導かれるが、潜在力自体は、輪廻をくり返すことでしか増大しないのではないかと思う。解放は、ポテンシャルの増強とは少し別で、正しく深度を生きることで、転生時にポテンシャルに還元されると思う。深度やポテンシャル(内在価値)と解放は関係ないかもしれない。


・正しく生きることの大切さ

大人は赤ちゃんより良い。かしはどんぐりより良い、と思ってきたが、どうもちがう。 むしろ昔よりも正しくない気もした。 たぶん、多くの女性は そう考えない。(階層性を否定する、とはこのことあたり。) そしてポテンシャルの考え方が出た。 さて。聖人たちは、輪廻によって、深度にし切れなかったポテンシャルをひきつげるのか?という疑問が出た。ここで登場するのがスピリチュアルな態度つまり、より善く、正しく生きるということだ。(ちなみに、どんぐりが遺伝子や環境の異常で かしにならなくなったら、かしを殺さないようにするしかない。 老人を生かし続けて1000才にしても、0才の子どもはやっぱり恋しくなる。 パラレルワールドでA⊃B,A⊂Bの考え方は もはやどこにも適応できる。 社会・文化・環境・創発も含めて、どんぐりを考える。)

天才的な犯罪者というか、別に、深度が高くても、人は抹消できる。 アンバーがティールより道徳的なことも実はある。(聖テレサは極端な例としても、そんな感じ。)

つまり、ポテンシャル→レベル+愛 と言えば良い。 愛は善でもいい。 聖人は、ポテンシャル→愛が多く、解放は愛が極大になったとき、そして、レベルが大きい程、元ポテンシャルや意識は高くなるが、それが愛の根拠になるとは必ずしも言えず、ILPも、バランスの良い成長が善い、と言っているように、愛のために成長するという視点こそ、成長志向の男性や社会には必要である。 女性性(ポテンシャル)は この意味で、存在を、肯定して愛をはぐくむ救世主と言えてしまう。 女性は、階層そのものよりも、頂点に登りつめていい気になった(生きることをやめている)人や態度にきびしいんだなぁと思った。


・女性のエロス・アガペー

男性的・深度的には、エロスは成長、アガペーは、それを他者に発揮すること、だと思うが、女性的・潜在的にも、エロスとアガペーは定義できると思う。

先ほどの愛の話を考えると、内在価値=深度++潜在性ということになる。(書きながらアップデートばかりしてゴメンなさい。) 愛は、転生で潜在力[ポテンシャル]の対象になる潜在性。ポテンシャルでもレベルでもある。(ただしそれは、構造ではなく、状態-段階として表れる。) [状態-段階]⇆構造 かもしれない。 思うとすれば、愛は階層にすると、男性的な誤解をまねきやすいので、愛を態度にする方がいい。 ただし、強い微細、強い元因にどんどんヒットしやすくなる、確かな状態として。

そして、その愛を、にあてはめてみると、女性のエロスとは、愛を高めること。女性のアガペーとは愛を与えること。そう書くと、普通すぎるが、論文調自体が男性-深度的文体で、女性は普通このような文を書かず、この愛をもっと具体的に体現する。(例えばジュエルペット。) ウィルバーが潜在性をあまり発展させなかったのはそもそも芸術論文(彼の作風)向きではなかったからだろう。 ちなみに、ILPの統合的倫理には、赤ちゃんの潜在性と老人の深度、のような考え方が成されていたように思うが、女性(特に第2層)は、直観でこれを倫理にできているようだ。皆同じ命、とは、女性の偉大なエロスとアガペーの成せる業だったのだ。 私達は、これを見習い、社会に女性性を組み込まねばならない!

[注] 病気等で増大した潜在性は、深度か愛に変容させる必要がある。そうし切れなかった潜在性は輪廻で受け継がれない。が、生まれながら持っていた潜在性の未消化部分は引き継がれる。


« 2011年4月 | トップページ | 2013年9月 »

無料ブログはココログ

【インテグラル】 参考文献♡

  • インテグラル理論 (AQAL)      統合的実践 (ILP)
    「インテグラル・スピリチュアリティ」
    ケン・ウィルバー 著

    「実践インテグラル・ライフ ― 自己成長の設計図」
    ケン・ウィルバー 監修