« 北海道&東日本旅行 2013 | トップページ | パラレルワールドに行ける方法 ~並行世界の種類~ »

2013年9月26日 (木)

魂は個性 ~個の生まれ変わりの脱構築~

♢ 私達は 人にのみ生まれ変わるのだろうか? ~生まれ変わりの現象・論理的仮説~

私達は生まれ変わるのだろうか? 生まれ変わりとは何なのだろうか?

犬や猫だった人は? 牛や馬になる人は?

考えてみれば、この世は不思議である。生命だらけなのだ。

微生物から、昆虫、鳥や動物まで、生物界には様々な生物がいる。

エコロジー哲学の極端な考え方のひとつに、すべての命は(ウィルスさえも?)完全に平等というものがある。

つまり、彼らが生まれ変わりを想定すると、人は何にでも生まれ変わることになってしまう。

一般には、哺乳類程度に限定されている。彼らには、私達の原初の共通の感覚・感情があるからだ。

だが、同時に、生まれ変わりは、人にしか起こらない、少なくとも人に生まれた後の魂は人にしか生まれ変わらないという考え方が、主流のように思う。

今日は、生まれ変わり自体を、新しい角度からとらえてみようと思う。


・生まれ変わりの魂の記憶と深い心霊の集合的つながり

霊性(スピリチュアリティ)の定義はいくつかある。主に4つのうちのひとつに、霊性は、ライン(発達領域・発達ライン)とするものがあり、独立して発達する。一般には、究極の関心のラインということになっているが、深い心霊(ディーパーサイキック)として定義することもできる。(参考;ケン・ウィルバー ワンテイスト)

これら2つは、同じものととらえてもよいが、今回はあえて別物とする。(同じものとしても議論には全くさしつかえない)

深い心霊は、生まれてきた赤ん坊においても、比較的初期から発達しているという推測がある。生まれ変わりを肯定するためである。

前世を記憶する子どもたち という本などで、こういう証拠が上がっており、チベット仏教では、古くから、生まれ変わりのバルド領域を通るという、内化の現象哲学がある。

これをポストモダンに照らし合わせると、バルド領域自体が、文化的に構築された概念である可能性もあるので、ここでは正しいとはしない。ただ、そういう記憶がある場合があるということは肯定できる。

さて。生まれ変わりにおける記憶が意味するものとは何なのだろうか?

人は、基本的に、ひとつの前世しか記憶しない。思い出さないのである。

退行療法、主に前世療法を行った人々は、前世の人物・記憶と同一化する。またこれは、精神病患者にも見られるもので、私はキリストだなどという取り付きもこれに含まれる可能性がある。

いくつかの事実をたどっていくと、これら記憶についてもあいまいな点が多い。

まず、前世の記憶は、自我が芽生えると、うすれていく。これは、生まれ変わった時間から、隔っていくから、と考えられるが、それだと、後者の、取り付きの例の説明が不十分だ。彼は、精神病により弱い自我によって、これを経験する。つまり、生まれ変わりの記憶は、時間ではなく、自我との関連性であるという説も浮上する。

私は、自我の発達により、魂との親和性が高まり、前世の記憶にたよらなくても、健全で高度なパフォーマンスが発揮できると考える。

前世の記憶は、成熟した自我ほど、原初的な意味を持たず、魂は、より自我構造に従った、自己実現的な意味を与えるという風に。

自己実現的な人は、サトルボディ、考え方、態度など、色々と総合的にエネルギッシュである。魂のエネルギーが成長と親和・熟練してあふれているのだ。

つまり、魂とは、本質的には今世的なもので、前世はあまり考慮する必要が無い。自己実現的な人にとっては。

次章は、この、魂が自己実現の動機、根拠になるのかということについて、集合的な象限から考えてみる。


・深い心霊は構造である

霊性の定義のひとつを思い出していただきたい。深い心霊とは発達ラインである。

ラインである以上、これは自我構造なので、4象限を持つ。ゆえに、われわれの魂、左下の、文化・集合的な象限の存在が浮かび上がってくる。

つまり、バルド領域を、ポストモダニズムの文化視点に置き換えることができる、ということだ。

これはかなりの驚きではないだろうか?

バルド領域を通るという魂の正体は、実は、私達の集合的霊(スピリット・ソウル)であるかもしれないのだ。

ここで注意だが、4象限は互いに還元してはいけないので、左下(集合)は、左上(個)を保存することを覚えておこう。

アウトラインはこうだ。

私達は、昔から今まで、原子から、動物、類人猿から現代まで、多くの生まれ変わりを経験して、その集合的記憶を魂の遺伝子とも呼べるような形で記憶してきた。同時多発的な創発もこの例が説明する。

特に、生命体となってからは、魂は、生と死をくり返して、その記憶を刻んだ。生まれ変わりとして。

ライオンに食べられたこと、戦争したこと、あらゆる生と死のドラマが、魂に記憶されていく。

個人は後悔する。もっと恋人を愛せばよかった。もっと、広い世界に金銭を使いたかった。夢を叶えたかった。真実を知りたかった。

色々な夢・欲望は、集合的意識を通じて、かき集められ、たばねられる。

ここで4象限を再度おさらいしておきたい。個的意識が存在するということは、そのまわりに、集合的意識も存在しなければならない。個人が生まれかわるのなら、その記憶を宿すための集合的な図書館のコミュニティーのようなものがあるべきだと考える。それなしでは、記憶は記憶として存在し得ないだろう。

魂には不思議な力があって、個を保存しながらも、集合体となって生まれ変わりに寄与する。

そして、生まれ変わる。

ここからがポイント。

今までなら、命に魂がつくと考えていた。

しかしいつからなのか?

受精卵? 生後3ヵ月?

自己実現の話を思い出せば、魂が真に意識と親和するのは もっと後である。

この例によれば、魂は、まだ大した存在感ではない。

魂の定義、これが てっていてきに重要である。

集合的側面を考えると、魂は、私達の内部に常に存在する私達とはスピリットである。それは、赤ん坊の小さな前自我にではない。

赤ん坊が認識できるようになるはずの魂とは、もっと深い所にある。赤ん坊が深い心霊を発達させることによって、その魂は、個的な魂として感ぜられ、以後発達してゆく。

ここで、再び、深い心霊の初期の発達にふれたい。

今までは、生まれ変わりを説明するために、深い心霊、つまり、前世の記憶を運ぶために存在するラインに、初期の発達を仮定した。しかし、ここで明らかなように、集合的魂を考慮すれば、それは不要となる。幼児が発達することで、深い心霊も発達し、やがて、集合的魂と接触できるようになる。

スピリットは、個人として現前し、認識することを思い出そう。

魂もまた、前世の記憶をひっぱり出すにしても、自我は、ひとつの意識にしか同一化できないので子どもは、ひとつの自我から、ひとつの前世の記憶を集合的魂から認識し、その記憶を語るのだ。

つまり、犬も猫も赤ん坊も、別にひとつの魂を持っているわけではなく、深い心霊の成長によって、その子に合った魂の記憶が現前する、というわけ。

これで、魂の殺人という言葉はふさわしくなくなる。

母の愛。みんなの愛。

赤ん坊に愛情をそそがないと死んでしまうというのは、有名な話だろう。

つまり、そうやって、サトルな魂と交流し、集合的魂にひたり、夢を見て、赤ん坊は、深い心霊を発達させていく

もっと簡単に言うと、すべては一なるスピリット、魂は、それよりは、地球的、意志的、個性的に感じられる事象なので、要は、私達地球人のスピリット、ということだ。

さて。これで、アウトラインは分かった。

では次章で、宇宙人やパラレルワールド、生まれ変わりの、現代・近未来的な意識構造の変化についてのアップデートをしたい。


・生まれ変わりのアップデート

もし生まれ変わりがあるのなら、私達は、宇宙人に生まれ変わるのではないだろうか?

原始の時代差の世界線にタイムトラベルした場合、原始の魂が赤ん坊に宿るのか? 深い心霊はどうなるのか??

これらどちらとも、もう深い心霊の先行発達も、魂の記憶の個体的継承も、仮定する必要が無くなったことがお分かりだと思う。

後者については、パラレルワールド自体が、現代物理学で言う、宇宙は10次元 そのものだとすると、べつに、どこの世界に、どういう魂が宿ってもおかしくない。創発の法則は働くだろうから、原始の世界においては、故郷の集合的魂が宿るのではないだろうか。たとえ宿らなかったとしても、基本的に魂はまっさらなので、正しい愛情と教育で、自我とともに成長してゆくと思われる。

別の視点をとると、集合的なサトル(バルド)領域には、未練など、個的な記憶も宿るのだと言え、それは主に、同次元の宇宙の同惑星の同文化のいわゆる故郷に向かうのだと。

それでも、基本、魂は、決してひとりぼっちの個的なものではなく、個人を通じてそうとも認識され、前世の記憶と感じられる、ということだ。


・魂の記憶は多元的に取り込まれ 成長する

とは言え、偉大な魂は解放されるもので、最初から何らかの霊的ゲージがたまっている場合があると、知恵の伝統は回答している。例えば、赤ん坊のクリシュナムルティに、聖者は、〝あぁ、なんという霊性だ〟などと言ったらしい。

まぁ、これは、特殊な例だけれども、べつだん、状態は構造のように濃密になることを考えると、聖者の魂意識成分が、たまたまクリシュナムルティに色濃く宿ったとしてもおかしくはない。聖者の魂意識は、ときどき、ある個体に、偶然に早期の霊性に対する感受、変容、その他のラインの変容をも促すことがあるのかもしれない。彼は、結局、真理の種子を強調し、生まれ変わりや、偉大なヨーギ的なものについては、考えすぎないようにと教えている。

要は、赤ん坊でも至高体験を持つ。至高体験(状態)といえども、濃密な状態(状態-段階)としての至高体験もありうる、ということだ。

至高体験がなぜ起こるのかについては、あまりわかっていない。ただ、昔から、偉大な霊との交流 と言われていたように、集合的魂がかかわっているのだと言える。

ケン・ウィルバー「グレース&グリット」の夫婦の意識の共有など、誰でも、集合的魂(サトル領域)を通じて、意識を交換しているのだという。また、至高体験についての感受も体質などがあるらしい。サトルエネルギー(右側・外面)の感受に たけたタイプ(水平的な区分)があるということだ。

さあ!では、深い心霊の発達心理学 (&現象学) に移ろう。

子どもは、深い心霊を発達させ、ときには前世の記憶を語る。とはいえ、一定の自我構造に達すると、そういう記憶も薄れる。ロマン主義者は、これを喪失だと考えるが、こういうできごとは、たいてい良い方向(創発)として考えた方がうまくいく。

つまり、自我(基本的には深い心霊)が発達すると、他の魂の意識にも敏感になる、他の魂の立場(他者)につくこともできるようになる。そうして、多者としてたくさんの魂の立場に立てるようになると、魂は構造的に透明度を増してくる。至高体験が増大し、ダイモン(守護霊)も下りてくる。〝僕は歌手になりたい〟そういう直感がおりてくる。これは、宇宙意識(集合的魂)の中から、自我(全ライン・タイプ含むAQAL的な)に適切な霊感(魂)を深い心霊が探し当てているということで、最初から運命が決まっていたわけでも、その逆でもない。まぁ、魂は、自己実現には協力的だ。ロロ・メイ「愛と意志」などが、参考になる。

結論は、子どもは、やがて、ひとつではなく、多くの人の生まれ変わりを、成長時に経験し続ける。同時に他者の立場に立てるので、自分は○○だ などとは言わなくなる。

そう考えると、前世を語る子どもたちは、支点3、ライン/深い心霊 であり、ちょうど言葉を覚える。それ以降、支点4で、他者、支点5で多者、支点6~8で、実存的なダイモンが目覚める、ということだ。

ケンウィルバーが、状態を実存構造の上に積み上げたのもこういう洞察のおかげと言え、それが誤りだと分かったのは、彼の理論(左上)よりも、当時ほとんどの人は彼に耳を傾けなかった(左下)の方に原因があると言えるのではないだろうか。(彼は、状態と構造、ラインとタイプの区別を、1980年代前半ですでに分かっていた。進化の構造以降、きちんと議論していけば、やがて分かることだったはずだ。)


・きっと 生まれ変わりはすばらしい

もう、古い考えに、地獄に堕ちるなどがあるが、そういう当時の文化・イデオロギー的な因習にとらわれなくとも、生まれ変わり自体は、たくさんの魂が、スピリットとともに、スピリットとして、私達の前にいつも現前し、ときには創発を助け、暖かく世界を包んでいる。 つまり、生まれ変わりは、実際に生まれ変わるのではなく、これまでのすべての魂の、深い心霊で関係できる、あらゆる英知を、感じ、同一化し、現世で使用できる、ということである。

そこにマイナスなことは何ひとつない。

ソウルメイトは、遠い個体でも、魂でつながっている、ということを示す。

前世よりも何よりも、そういうツインソウル的な記憶を現前させたカップルは、引き合う不思議な力を持つ、ということなのだ。

私には、そういう記憶はないが、ソウルメイトの前世記憶は ねつ造でなく、実際の生まれ変わりでもなく、その生まれ変わりという偉大な集合スピリットのダンスなのだ。

現に、大恋愛に過去世は関係ない。だが、前世に存在した二つの偉大な魂が、互いに引き合うことの大切さを伝えたのだと分かると、嫉妬することも無く、ソウルメイトが私達の偉大な遺産であることが分かる。

魂は苦しむのか? 動物には魂があるのか?

魂自体が、私達が慣習的に創りだした概念であり、偉大な賢者が、スピリットのみ!と言っている。

そう。私達は、魂が有限で、世界を憂鬱にするものであってはならないと考える。魂がゆがむというのも いささか違う。実態のないものに怯える日々。それはもう終わった。

あるよりない方がいいものは排他性であり、それが慣習的魂の概念なら、私達はそれを放棄しよう。 そのかわり、偉大なスピリット、エロスとアガペーに 乗ると誓おう。 私達が魂だ! だがそれは、そう認識するだけの 愛の実践を必要とする。でも心配しないで。愛はいつもここにある。そう。あなたの前に。ずっと…。


[補足1] 倫理と魂の関係

魂は、左下から胎児に現前して、左上として表れていく。

自我構造が強くないうちは、まだ、彼に、左上としての構築力はない

また、強いディーパーサイキック(ライン)は、サトルボディを活性化し、より多くのサトルエネルギー(チャクラ・右上)を活性化するに至るだろう。スポーツ選手などは、そういう、精力にあふれた社会(右下)を構築する。教会なども同様。

さて。 アニメ・コミックにまで 度々登場する あの〝クローン〟について、魂と倫理の側面から話を進めてみる。

クローンは、身体(脳)の発達、認知構造の発達、という2つの先行ライン(必要だが十分でないの必要部分の2つ)のみの急速成長と なりがちであり、クローンは短命だという印象まである。

私が言いたいのは、この時点で、クローンの人権が侵されている、ということである。人権が認められない、すなわち奴隷であり、これは、農耕以前のどの文化でも、存在した。つまり、問題は、魂の殺人、ということになる。

同様に、大脳新皮質を猫や豚に移植して、上記の急速成長が成功すれば、つまりは、大量の魂が、後からつぎ足されるのか?ということになる。どちらにしても、今回の結論において、仮に、動物が、魂を現前させても、最初からあったということにはならない。

結局、魂は、自らが引き寄せる霊感(深い心霊の構造に依存)であり、魂が宿る、と考えるべきだ。

この考え方なら、もしかすると、ドラえもんのように、ロボットでありながら、霊感を持つことのできる存在もあり得るかもしれない。

私としては、魂の殺人という概念はなく、魂との交流、魂との結びつき、だと思う。

その方が平等だし、あってないような心配をすることはない。

現に、ここ数百年の産業化、科学技術の進歩がつきつけているのは、魂がどうのではなく、人権だとか、自由だとか、権利だとか、兵器保持の危険性だとか。

どう考えても、合理的な世界空間の内部で起こっていることについて、統合的な解決策が求められている。私は、魂は、それをよりそって行える中核を成すものだと思う。

すべてはスピリットとひとつ。考えることは他にも山ほどある。


[補足2] ポテンシャルと魂の関係

深度とポテンシャルで議論したアップデートだが、ポテンシャルは、魂に付属するが前回の結論だった。

全く結論が逆になったようにも思えるが、ポテンシャル自体は、パラレルワールドを根拠にできる。

例えば、クリシュナムルティが生まれる、ここと、歴史の変わらぬ未来の過去(世界線)に訪れ、彼を殺害したとする。すると、その世界線の損失ははなはだしく大きい。

彼にはポテンシャルがあるからだ。世界を変えていく見込みという。

このポテンシャルは、とかく、4象限を必要とする。左下(文化)、右下(社会)は特に重要で、歴史を変えなければ、それが彼をつくる母体になる。(別の世界線に彼を連れていけば、ポテンシャルは、変化する。)

一般に、自由権などと同じく、未来の平等権を拡張して考えると、偶発事象である(右側)だけでなく、意識(左側)も当然保証されるという意味で、誰もが、同ポテンシャル(潜在力)を持つことになる。

というわけで、以前の結論は変わらないが、魂の殺人は考慮に入れる必要が無くなった。以上。

大切なのは、人権自体を保障すること。


[補足3] 教育における魂の概要

教育にも適用できる。

教育(左下→左上+右側)は、子どもの魂を個性として成長できる。この、個性として、が最も重要である。

今までなら、放任主義というか、独自のその子の魂を尊重…などと、パンダみたいなことを言っていた親も多かったわけだが、現在のポストモダンの教育経験と学術(社会・文化がその子をつくる)に集中してゆくと、やはり、魂は個性と見るべきだろう。前者はあってないようなもので、個性すら否定する今までの日本の風潮を考えると、魂はもはや、放任主義に言いわけにしかなっていない。

事態は逆である。

音楽がしたい。歌いたい。作りたい。習いたい…。

まず、養育者が、彼のきっかけを提供し、選びとっていく中で芽生えた個性(霊感)を大切にしてあげる、ということ。

結局、深い心霊も、他の発達ライン同様、時系列的に成長していく、魂の感能性の発達ライン、というわけだ。


今回の一連の議論の目的は、あまりあっても意味が無く、マイナスにすらなっているだけの、魂についての排他性を認識し、必要ないなら取っていこうという趣旨を、現象学的、論理的に体系化したものである、と とらえてほしい。

« 北海道&東日本旅行 2013 | トップページ | パラレルワールドに行ける方法 ~並行世界の種類~ »

統合心理学 [ケン・ウィルバー]」カテゴリの記事

無料ブログはココログ

【インテグラル】 参考文献♡

  • インテグラル理論 (AQAL)      統合的実践 (ILP)
    「インテグラル・スピリチュアリティ」
    ケン・ウィルバー 著

    「実践インテグラル・ライフ ― 自己成長の設計図」
    ケン・ウィルバー 監修