ウィルバー5と永遠の哲学 ~魂は真の統合へ!!~
ケン・ウィルバーは、著書「インテグラル・スピリチュアリティ」で、極めて衝撃的なことを言った。
〝トランスパーソナルの段階は、誰でも獲得可能な状態だ〟
前者の〝段階〟とは、そう見なしていたもの
後者の〝状態〟とは、これからそう見なせるもの、である。
ウィルバーは、23歳の時に、処女作「意識のスペクトル」を発表して以来
自分の書いたものに対して、無駄な議論をしない道を歩んできたという。
そうして、「進化の構造」が書かれた。
この著作は、恋人の死、つまり、海よりも深い愛から来たものでもあることは、多くの人が知っている。
彼の著作の良いところは
〝女性性〟〝恋や愛〟〝やさしさ〟〝少数派の意見を尊重するところ〟〝知識は体験的〟〝いいとこどりの統合的実践〟
様々な、私も親しめる〝ユニークな〟視点にある!!
私は、そんな彼の哲学にちなんで、トランスパーソナルという定義を〝リンキングサイエンス〟とした。
ウィルバー哲学の根底そのものだ。
「進化の構造」のまずいところは、それがあまりにも〝包括的〟すぎて、読まない人と、まぁ読んだ人に、きっぱり分かれてしまったこと。
彼の故郷のアメリカでは〝800ページもの本を(笑)〟と「ワン・テイスト」で触れられている。
で、読まない人は、読めば真理が分かるのだろうと期待し、読んだ人は、あまり理解できない潜在的な部分が意識を支配し〝これは魂についてのおっかな正しい本だ!〟と、ひとまず鵜呑みにしてしまう。
だがしかし、彼は、全くミスでないという意味で〝一つのミス〟を犯したことになる。
ウィルバーは、何度も言っている。
〝究極的には[嘘]である!〟と(笑)
読まない人は、その程度か・・・ と思わせる意味にしかならず
読んだ人は、え???・・・ と思わせてしまうややこしいメッセージだが
その理由は、ウィルバー哲学が〝リンキング〟を使っているからなのだ。
現代では〝コンテキスト理論〟たるものがあり〝リアリティはあらかじめ与えられているのではなく、我々が随時解釈している。間主観的・社会的な対話の文脈の中にこそ、滑走する意味を見いだせる!〟ことを立証してみせた。
これは〝リンキング〟の基礎である。
リンキングとは、異なる様々な意見や理論を、志向的一般化、つまり統合的抽象化とでもいうべき視点化することで、その最大数を折り合わせる。「統合心理学への道」序文に説明がある♪
そう。我々は〝ウィルバー哲学〟を〝理解〟せねばならないのだ。
解釈こそ、我々から生まれる〝真実〟であり、彼が本当に望む〝スピリットの前での嘘〟という名の奇跡なのである。
この真意に気付いた時、ウィルバー哲学は、我々にとてつもない洞察をもたらしてくれることだろう。
話を戻そう。
「進化の構造」以降、我々は、政治・経済・社会学・心理学・その他もろもろの上に、高次で崇高な〝魂〟がいると思っていた。
ところが、実際私たちができるのは、ふしぎな体験に対して〝成長度を測る〟という試験だけだった。
ふしぎな体験は、何をもたらしてくれるのか??
人によっては、その体験のみを追い求めるため、芸術活動や恋愛に没頭することもあっただろう。
構造的成長と、それを取り巻く〝聖なる高鳴り〟は、必ずしも、満足のいく位置に来てはいなかったのだ。
そして、ウィルバーは「インテグラル・スピリチュアリティ」を発表する。
それを緻密に具体的体系化した本「実践インテグラル・ライフ」は、特におすすめの本である。
理由は、今まで、男性的象徴である理論体系化という〝マインド〟にとどまっていた〝ウィルバー世界〟が、待望の〝女性向け〟となって、ここに降りてきたからだ。
実際、そのインテグラル実践(ILP)をウィルバーとともに洗練させた仲間は男性だけでなく、女性なくして成り立たなかった。
ウィルバーは、男性的な側面を〝感覚〟女性的な側面を〝神〟としばしば呼んで、ある本を書いた。
〝感覚と神の統合〟通称「科学と宗教の統合」である!!
「科学と宗教の統合」は、統合的スピリチュアリティ、ウィルバー5モデルを創出するための直接の〝鍵〟であったが、それを理解するものは、多くない・・・と思う。
第一に、この本は、一般の科学者、宗教にいそしむ人に向けて書かれているからであり、コアなファンとの相性は「進化の構造」「万物の歴史」の反復になる為、イマイチ、という印象が大半だろう。もちろん、ちゃんと読んだ人は、絶賛する名著である。後半が特に面白い。
この著作で、彼はあることに気付いた。
一般科学とは、知恵の伝統・本物の宗教の〝部分〟ではなく〝外面〟なのだ・・・、と。
これは、本書の読者に多くをもたらす。
実は、ウィルバーは「進化の構造」で外面にそこまでの〝知性〟を認めていない。表面!だからだ。
例えば〝インターネット〟は、使う者次第で、差別・イデオロギーに使われる。
が、「進化の構造」からほどなくして、確かに彼は〝自動車にはそれに見合った技術者の心(深度)が反映されている〟などと認めるようになった。彼自身が、このモデルをまだ持て余していた。分かち合う者がいなかったのだ!
もし、一般科学が、かけがえのないコスモスの〝外面〟を担っているのだとすると、同じく、スパイラルダイナミクス等の構造主義は〝内面〟を担っていることになる。そして、両者は〝2つ編み〟になって、ホロン階層、ホラーキーをなしていることになる。
ウィルバーは言う。「物理学等は、いつもやることをやっているだけだ♪」
そう。「科学と宗教の統合」では、〝永遠の哲学〟という存在の大いなる連鎖の別名〝存在の大いなる入れ子〟と一般の科学の統合を試みていた!
が、これが、事態を急変させる!!
永遠の哲学は、物質・生命・心・魂・スピリット という入れ子階層を主張するが
実際のところ、物質は心の下位部分だと言っている。科学は宗教の部分ではない!ことを、さっき見た。
というわけで、物質圏、生物圏、心圏、神圏 には、いくつかの定義が存在することになる。
そして、もっともポピュラーなのは、〝視点化〟するというものだ。
特に、肉の眼で世界を見渡すと、最良の場合、上記、進化の構造モデルになる。経験主義の神秘家がいれば、そう思うのではないだろうか??
理知の眼で見ると、物質圏、生物圏、心圏、3つの世界が、平等に外面・内面・個体・社会・文化などを担って、コスモスを構造的に構成していることが分かる。
そうすると、「進化の構造」は、一般の科学者に合わせて書かれた傾向を見て取れる。私もウィルバーも、元はこういった方向から入ったので、その意味でベストな本である。
では、観想の眼は? 神圏とはどこなのか?
ここまで来て、「科学と宗教の統合」は新たな錬金の沸点という、まさに新淵に立った。
神圏(テオスフィア)とは、 物質圏、生物圏、心圏、すべてに浸透しているものなのだ!! と。
勿論(笑) 永遠の哲学は、最初からそう主張していた。
私は知恵の伝統と一緒に論じることが多いが、たとえそれが〝心の眼〟による形而上学でも、直接体験の〝神秘主義〟でも、概ね同じである。
〝心(理知)の眼〟で、外面と内面は2つ編みであることを見れたのだから
残る〝スピリチュアリティ〟は、外面でも内面でも持っている単純な位置を持っていない!
そう。ウィルバーは、戻った。洗練という形で。
・〝肉の眼〟〝心の眼〟〝スピリットの眼〟
通常、ものを見るためには、3種類の色眼鏡が必要である。
肉の眼は外面、心の眼(〝理知の眼〟とも呼ぶ) は内面、観想(スピリット)の眼は神秘主義が主張するバラエティ豊かな領域。
そして、はじめ、永遠の哲学は〝観想の眼〟でしか見れないことを語っており、ウィルバーはずっと知っていた。
が、形而上学というものがあまりにも〝心の眼〟で観想領域(神圏)を見ようとしたので、ウィルバーも、研究を重ねるうち、僅かながらも〝永遠の哲学の構造的性質〟に引き寄せられてしまった。
実際のところ、この〝存在の大いなる入れ子〟は、構造を語っており、しかも、コンテキスト理論が使われていないので、脱構築したくてしょうがなくなる(笑)
それをちゃんと行った後、ついに出てきたのが
永遠の哲学、存在の大いなる入れ子とは〝観想の眼〟で見なければならず、その上、微妙に〝構造主義〟が隠れ住んでいる!!
この〝構造主義〟は当然〝肉の眼〟と〝理知の眼〟で見るべきものであって
物質と霊を結び付けたから、という安易なニューサイエンティストの主張(空像としての世界でウィルバーが批判している。もちろん、みな超優秀で部分的だった) のように、永遠の哲学も、〝物質から身体・心〟という部分については〝構造主義〟(しかもコンテキスト理論を通していないので不完全) で、神圏の観想と結び付けたから♪ の完結になってしまっていた。
「科学と宗教の統合」の後、彼は無事、この結論にたどり着くことになる。
・進化の構造で示した外面と内面の構造モデルは〝肉の眼〟と〝心の眼〟で協力して見る。
・本来の永遠の哲学は、上記を引いた〝観想の眼〟で見る。上記に浸透している!
・心圏⊃生物圏⊃物質圏 か!? ~いくつかの視点~
永遠の哲学を尊重するなら、進化の構造モデルこそ最適である。
神圏だけは、上記3つに浸透している、という補正が必要だが。
ではなぜ、心圏=生物圏=物質圏 とならないのだろうか!?
「科学と宗教の統合」では、生物学、心理学、物理学、神学・・・あらゆる学問をどうにかして〝平等化〟しようとしていたのだから。
以下の図を見てほしい。
| 物| 命| 心| 魂| 霊|
1|1 | | | | |
2|2 |1 | | | |
3|3 |2 |1 | | |
4|4 |3 |2 |1 | |
5|5 |4 |3 |2 |1 |
これは、至高体験の安定度と悟りの器をレベル化した左端列から、存在の大いなる入れ子の浸透をイメージ化したものである。
左端列は、構造ではなく、観想の眼に関係するファクターである。(数値は意識レベルと相関するが関係はない。)
まず、構造的成長は、ある程度〝観想の眼〟を使いこなす条件になる。(例;慣習段階で神聖神秘主義が流行る。)
次に、低位と見られる左の方(物質寄り)が、粗く広く、高位と見られる右の方(霊寄り)が、深く精妙に、至高体験でき、スピリットが流入する順序や質に関係している。(物質を中心に、入れ子状に波紋が広がっていくイメージで、観想の眼的には、物質は何やら小さいもの、スピリットは何やら広大なもの、という風に概ね経験できる。身体表現が緻密な動作を必要とするのに対してインスピレーションは無限に広がっている、という風な視野観が一例としてよい? 要は、肉の眼と逆のようなスパン(幅)になる。有形と無形の神秘哲学。)
例えば赤ん坊でも至高体験できるが、観想の眼は物理身体を通じて、物質的な領域にのみ安定してのアクセス・エナジーチャージが有効、ということ。ここでのエナジーは、物理的なものではなく、観想的伝統が言う〝低次のチャクラ〟にあたるもの。
身体の方が、強烈にエネルギーを具体化し、精神の方が、精妙化する。
状態‐段階である、観想の眼の発達により、例えば、レベル1の赤ん坊が経験した〝身体活性〟を、より、腹が熱くなる的な〝バイオフィードバック〟等として、レベル5の熟達者が経験可能。
遍在する〝一者〟により近いものほど〝ただありのまま〟で、物質に近いほど〝有形・変化に強烈〟という、上昇と下降を表す、ダイナミックなスピリットの経験として、観想の眼で感じられるこれが、純粋な〝永遠の哲学〟である!
なお
抑圧・・・ レベル>魂 至高体験・・・ レベル<魂
として、成長構造と観想的状態‐段階の相関はある程度独立的になる。
観想の眼で連鎖・入れ子に見える・感じるものは、肉の眼・理知の眼と一緒に見れば、おおよそ、進化の構造的に見える。
〝観想の眼〟は 心圏=生物圏=物質圏 に遍在するスピリットを補足可能!
〝3つの眼を同時に使用した場合は 心圏⊃生物圏⊃物質圏 の形でスピリットを直観!
(包含⊃は、遍在するスピリットの運動を表す記号となる。)
・象限×方向×領域(ドメイン) のヴァリエーション
① グラフの視点化
統合数学と呼ばれるそれは、ウィルバーが上記の形で「インテグラル・スピリチュアリティ」内で紹介している。
あらゆる関数グラフは、たとえ2次、3次関数であろうとも〝2次元グラフ〟と見なせる。(世界線ないし世界総体積と捉えるなら4次元グラフとも言える。)
まず、3次元空間の現象の概念化を行う。(落下式のストロボスコープの映像など)
次に、それに方向を持たせる。(主に時間軸t )
これを〝方向×領域〟として表すことが出来る。
上記をグラフ化したら、現実に〝論理図として書く〟出力行為になるので
〝象限〟と記述する。コスモスの活動・経験のことである。
合わせると〝象限×方向×領域〟と書ける。
尚、それをさらに概念化してグラフを書くと、上記を領域化して、繰り返すことが可能。コンテキスト理論でおなじみである。
② 総領域(メインドメイン)[n]=象限×方向×履歴領域(サブドメイン)[n-1]
前回の視点を、変数で表したもの。
n=a n=a+1 の2つを入れてみると、メインドメインがサブドメインになって、視点が滑走するのが分かる♪
③ 現実×時間×記憶
何やら、よく分からない式ばかり出して(笑)申し訳ないが、ウィルバー5は、統合数学と呼ばれる〝視点化〟を、今までの洞察の集大成としている。
本人は、5つに自分の仕事の時期を分けていて
1・・・ロマン期 ・赤ちゃんは聖人
2・・・レベル+悟り期 ・赤ちゃんは無知
3・・・レベル&ライン&タイプ+悟り期 ・意外と知られていないが発達領域は、著作が日本で手に入りにくいこの時期に展開。
4・・・レベル&象限&ライン&タイプ+悟り期 ・日本では、実質、象限が進化の構造の3、ラインを組み込んだ統合心理学への道等が4、という知られ方だと思う。正しくは、象限がウィルバー4。
5・・・AQAL ・レベル・象限・ライン・タイプ・状態。この状態こそ、紛れもなく、科学と宗教の統合で気づいた、永遠の哲学の観想の眼による統合的差異化。統合的実践により本当の統合(インテグラル・ヴィジョン)を主張!!
ウィルバー5は、悟ろうという強迫観念が無くなっており、よりワンテイスト、より悟りに興味のない人が〝常に既に〟悟れる余地を体現している。
その理由は、前に見たとおりである。
そして、この〝統合〟を成し遂げたものこそ〝ウィルバー哲学〟であり、リンキングフィロソフィー〝視点化=リンキング〟によって成り立っていることの最終的な表現〝統合数学〟というわけである。
血と汗と涙の、ウィルバー哲学、記念すべき完成形態、なのである。
なお、私は、ポテンシャル(多世界を通じた人権)と並行世界の構造を付け加えたモデルを、必要に応じて追加している。
決して、完成系というわけではないウィルバー5だとしても、進化の構造時に宣言した続編である〝第2巻〟と〝第3巻〟を超えて完成している、超体系である!
多世界解釈すると、本来、第2巻と第3巻が書かれる運命だったが、時代が創発して、この世界線では、ウィルバーは、リアルアップデートワールド曰くの〝インテグラル・スピリチュアリティ〟を書いた。
進化の構造とさほど時期の変わらない「ワン・テイスト」では〝優秀な書き手があと数人現れたら仕事を降りよう♪〟と言っている。本人もまた、運命に感受性が高く、流動的なのだ。
その理由は、愛するトレヤとの出会いや幾度の試練から生じた、共時性である。私が体験したことのない〝思考感情の共有〟まで体験しているので、パラレルワールドよりある種不思議な現象に既に彼は触れていると言える。
ちなみに、統合数学を使って、ウィルバー哲学そのものを見立てた視点化をすることが出来る。スピリットへ向かうスピリットを方向にして考える。興味のある方は是非(笑)
という風に、横道展開するのだが
今回の〝現実×時間×記憶〟とは
パラレルワールドの考察に便利なものである。
ケン・ウィルバーは「空像としての世界」で、多世界解釈を仮説候補として出し、ホログラフィックパラダイムという〝私たちはコスモスの周波数を解釈して世界を知覚している〟現代物理学・不確定性原理の洞察を、精妙に批判しながら統合的モデルに組み込もうとしていた。
私が言いたいのは、神秘家であった物理学者たちの提唱することになった、誰でも理解可能な専門科学という名の〝ニューサイエンス〟(素晴らしい試み) 自体は、ウィルバー3モデルで解釈された〝内面の象限絶対化傾向のある並行世界を仮説として含む物質志向の宇宙観〟だったのであり、現在のニセのパラダイム・ニセの芸術作品の多くに浸透してしまった、ということである。
その意味するところが、バーチャルパラレルワールド(分岐世界)であり、ウィルバーは、時代的に、多世界解釈を考えなかったので、並行世界ではなく分岐世界のモデルで多世界解釈やタイムマシンを解釈する。
要は、主観的に、世界を改変でき、なおかつ、心は物質の部分、という風なおそろしく還元的で暴力的な風潮である(笑)
これが存在したなら、進化の構造程の精密でデリケートな創発は現実に描けないだろう(笑)
ポイントは、ウィルバー5でないと、当時では、より高度文明にこのタイプの多世界解釈を持ち込むことは、不可能と言えた。
ウィルバー本人が内的な領域にしか最終的に理論を展開できない以上、存在の大いなる入れ子と構造主義の混同(共に現象学的)からでは、マクロなタイムトラベルとミクロなそれも仮定できない。
タイムマシンのタイムとは、時代という意味である。
〝現実×時間×記憶〟の3項目
記憶、これは、当然4象限で考えねばならず
ウィルバーが自分の哲学を発展させる運命と自由意思にも、当然この4象限の影響がかかわってくる。
もし、記憶まで改変されるならば、改変者の記憶もなくなるのだから、改変は不可能。(並行モデルでないと世界は改変可能な遂行矛盾過程を背負う)
2項目の時間は、どの時代に飛ぼうとも、すべての存在が、スピリットがスピリットへ向かう、という運動である〝時間〟を共有できる。そうでなければ、我々の運動は停止する。
そもそも、分子運動や熱が我々の世界や思考にどれほど大きな影響を与えているか…。これらが時間の矢として逆流すると、物理現象自体がおかしくなってしまう。たとえ時間を戻せても、微視的に、似た時代に無限にフレーム戻しする方法になる。
こうして、2項3項を矛盾なく入力すると、1項の〝現実〟が出てくる。
実際行ける多世界とは、予知夢やデジャヴ、ウィルバーの経験した共時的導き、巨視的なタイムトラベル、等、ホログラフィックに世界を解釈した結果規定されるものである。
なお、ここでのホログラフィ的とは、コンテキスト理論と同じ意味で使える。
ちなみに、シュレディンガーの猫はちゃんと遂行矛盾している。いずれ語ることになると思う。
統合数学(統合的視点)は、ウィルバー理論の〝要約〟そのもの。
多世界解釈は統合数学(ウィルバー5)と相性が良い!
☆結論☆ 「インテグラル・スピリチュアリティ」が明快でないワケ
逆に〝明快〟。
ウィルバーは、スピリットについて語る時等に、肯定的(+)、否定的(-)、かのように(詩的)の3つを挙げている。
今回は、2つ目の(-)を使っているのだと思われる。
なんせ、タイトルが〝インテグラル・スピリチュアリティ〟だから(笑)
では、進化の構造を読みほどくことは、もう無意味なのだろうか?? 他の著作は?????
これについては、読みたくなる人は、読むしかない(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)
要は、ウィルバー5とは〝ウィルバー1~4の統合〟なのである!!
1~4から、実は5を導くことが出来る。
とは言え、これは、ウィルバー哲学という〝創発を指摘する〟反則並のものだからできたことであって
本来、ウィルバー5は〝創発した〟と言わねばならない。
要点は単純で、すべてを視点化、統合的抽象化していくことによって、いずれ、意識に深みが増し、より正しいことを組み込むことが出来、それを結論化したのが〝統合数学〟である、ということだ。
逆に、意識のスペクトルですら、この〝統合数学〟は理解に使えるのだから
すべての著作は、ありのままに〝最高のごちそう〟であろう♪
私的に不満なのは、ウィルバーでなければ、あれだけの学術論に高度な見解を示しがたいし、統合数学という出力帰結を 論理的直観とはいえ、誰もが出来そうにないことをやってのけるあたり、彼がいなくなってしまったら、我々は路頭に迷うのではないか、ということだ。
そして、これこそ公案であり、そして逆説であり
ウィルバーがやったことは何一つとして〝奇抜なこと〟ではなく、世界一丁寧な〝統合的リンキング〟だったというだけの話なのである。
もう一度思い出してみよう。
冒頭のあの言葉を。
そう。
スピリットの前では、すべてが抱擁される。
究極的に、すべては真実の前の〝嘘〟であり
空だけがある。
それは、たとえ どこの次元に揺らいでいても、変わらない ―――
~内在する〝ケン・ウィルバー〟と向き合う日の〝まとめ論〟~ (2015 01 20)
[この議論よりさらに詳しく説明を求む方は、概ね〝統合数学論考〟以降の記事を参照してほしい。ここで省略されている視点・根拠の多くが提示されているので、組み合わせてより良く理解できると思う。なお、この議論のウィルバー史に関しては、私的でやや強引な〝解釈〟を有するかもしれない。科学と宗教の統合の背景等、情報不足ゆえ多少脚色している可能性があるので、不安な方はお調べいただきたい。ケン・ウィルバーを知らない・興味のない方でも、新しく興味を持ってもらえる意図で記述したしだいである。]
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