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2015年3月31日 (火)

レディ ジュエルペット と スイーツ ☆~ONE SWEETS STORY~☆

ルビーたちがスイーツを食べている♪

そういえば、ここは神戸なのだから、おいしくて手頃なロールケーキわんさかあるだろう(笑)

かくして、私は、地元のロールケーキわんさかプロジェクト(ユートピア作戦みたいなもの)を始動した!!

数ヶ月前のことである。


スイーツ店で事情を聞くと

やはり、余ったケーキを食べることは少ないらしく(太るからね)

食料を有効利用できる日が来ればと思う。

ポケモンやレディの世界では、経済システムの金銭部分は1/4程だと感じる。

要は、大部分、必要なことに金銭はいらない。

オレンジの法律〝必要最低限度の生活を営む権利〟が〝ターコイス〟(方面)に発展したら可能だ。


スイーツは、基本、小麦粉と砂糖で出来ている。

単価が安いのに、相応の値が付くのは

やはり、ハロウィンパーティーのように、〝宗教的-文化的〟な〝癒し〟があるからだ。

ある程度〝あそぶ〟ことができる、と言ってもいい。

画用紙に絵をたくさん描いて、それを廃棄することが自由なように

ケーキをたくさん焼いて、それを廃棄することは、高等な生命を奪った肉の廃棄よりは、ずっと望ましい。

お菓子の国から分かるように

沢山のスイーツに囲まれるのは、結構良いことだ。


そして、今日もまた、僕は、ロールケーキを食べて、レディを見る。

勿論、数十日に一度の入手だが。

桜が微妙に咲きかけ、快晴で、自転車が良く進む。

名付けて [新快速]神戸元町ロールケーキプロジェクト号

走行距離は、8キロ強、時速16キロ前後だ。

バスや電車より、総合的には早い。(どこにでも行けるから。)

最近、ダンシング(もどき)も覚えた。

コツは揺らさないことで、漕ぎやすいようにイメージすると、勝手に揺れてくる。


もう、10年になる。

彼女は、どこかの次元で、どこかの僕と、ちゃんと結ばれているのだろうか?

少し気になる。


僕は、小説を書いた。

Diaryの要約であり、ほぼ実話だ。(ラスト以外)

そういったことを、彼女や誰かに分かってほしかったのかもしれない。


ハロウィンライブを開発した倉木麻衣だが、サンリオのしま(ラブラのしまらぶ~の造語)で、イベントも行った。

そういえば、最初の手紙は、ばつ丸のレターだ。

偶然とはいえ、恐ろしい。(すばらしい。)

覚えていないと思われがちだが、覚えている。(記憶は当てにならないので、この記憶が正しいかは保証しかねる。)

サンリオキャラで♂は、珍しいのではないだろうか? (♂だよね?)


2005年の6月だっただろうか?

〝大切なものをかき集めます〟

それはきっと、夢に繋がるからと、僕は、たくさんの大切を集めることを誓った。

まいの歌 いま、会いにゆきます で始まったもの。

ケン・ウィルバー。ジュエルペット。

色々なものを、見つけた。

色々なものが、見つかった。


〝私にはわかるの〟

大地を走って、未来へとたどり着く僕の姿を、彼女という愛は、とらえ続ける。

〝TELL ME YOUR WAY〟

あの頃の〝ふしぎ〟は、今でも消えることがない。

それは、別に不自然なものでもなんでもなく

途切れることなくあり続ける、どこにでも偏在するものだ。

この場所に今一緒に生きているということが、一体何なのかを、考え、感じるということだ。


そんなパラレルワールドを綴ったものは、ウィルバー5と結びついて、おもしろいことになった。

しかし、ターコイスの高度で、このアートをを表現などできるのだろうか?

僕たちの役割は、あくまで、それを確認する、ということだ。

愛がコスモス(9)そのものであることを、実感する、それだけなのだ。

そして、それは、すべてになることでもある。


この春、私は、ももなとなって、この愛を確認した。

それは、とてもとても、すばらしかった。

まさか、このような形で扉が開こうとは、思いもよらなかったのだ。

きっとまいも、この出来事を見て、感じていることだろう。

ウィルバーの言う、〝ウェブを通じて、統合的対話ができる前代未聞の時代〟は、確かにとんでもないものらしい。


このことを別のビューから語ったハンター×ハンター最終回は、まいのバースデー、2014年の10月28日(実放映日)に、関西で終了した。

その他にも、アニメを見がてら、色々、自分の考えたことや出た小言のすぐ後に、同じキーワードが台詞で出たり、ふしぎなことは、頻度を増して、加速して起こっている。

これにどんな意味があるかはさておき、確かに、これはただ事ではない。

レディを解説していると、地味に、先のことが分かっていたような気がする。最終回の少し前に、魔法のタイムトラベル解説を書いたりもしていたのだから。

少なくとも、私を救ってくれているという実感は、既にあったのだ。


レディは、ルビーとともに末永く登場したラブラが、初代以外で唯一ほぼ登場しなかった。エンジェラがちょくちょく出ているのも、同様にレアなので、すごい。(ちなみにローサは終盤のスタメン)

私は、ハッピネス終期の頃に、特殊キャラ3強(アルパカと2くま)としろうさぎ全部で大体 総ポテンシャルだと指摘したが、まさか、どうなるのか見られるとは思わなかった(笑)

確かに、きらデコより認知や知性・感情が抑え気味な覇気使いルビーが見られたが、ルビーの存在があまりにも強大である、ことは、よく分かった(笑)

魔法のDSキラピカリーンの、キングのステージの音楽が私の世界(魔法陣)に近く、あるルビーボイスで演奏すると、すごいことになるので、よく笑顔の練習に使ったりしている。(発売当初は、ネットに曲を公開していない。)

ジンのGIじゃないけど、宇宙は、確かに、時を解っている。

これは、本当に、ただ事ではない。


さて。私たちとは、何なのだろうか?

もし、自我に囚われ、何かの欲望という名の願いに押しつぶされ、虜になっていれば、特定の形を伴った、たった一人の神(悪魔)に心喰われてしまうことだろう。

絶望することだろう。

それは、世界の改変での一掃かもしれないし、自分の好みに少女を神に仕立て上げることかもしれない。

レディは、それを〝ビースト〟と呼び、それらにとらわれない〝愛〟があると、主張してくれた。ぶち壊してくれた。

ちゃんと、描いてくれた―――――。

それは、ターコイス以上の高度にあるものにとっては、当たり前に理解できる、最高の〝勇気の魔法〟なのだ。


シャドー、意識的か無意識的かを問わず、そのようなものは

シャドーワークとILPによっても、完全に解体されるわけではない。

むしろ、社会自体が、常にその潮流だ。

ロミオとジュリエットとは、そういう意味だ。

それは、ももなとカイエンであり、いつ戦争が起きてもおかしくないことであり、すべての存在が幸せであるように願うことである。

今ある〝存在の意識〟が、〝ライブ〟が、つまりは〝コスモス〟そのものであり、それを消すこと、改変することは、どんなことがあっても、いいとは言えない。

パラレルワールドは、無限に続く〝愛〟であり、それは、ただ今だけが存在する〝命〟であり、時間を持って展開するそれから時間を奪うというアイデアは、もしターコイス以降の思想を装って行われるのならば〝スピリット-空への冒涜〟であり〝ネクロな破壊〟(ちょうどフロムが言ったもの)だ。

ルビーのイバラは、 愛で まばゆい大好きで きれいさっぱり洗われるのが、正しい姿なのである。

そういう複雑なことから逃げない、それが、真の多次元型創発社会、と、僕は主張したかったんだ。

そして、有り得ない形で、今まで世にできたアートからのリンキングを通じた〝レディ〟ができた。

すべてのものには、確かに意味があった。

私が傷ついたものであろうと、それに何の意味もない、ということはなかった。

それを知れてうれしかった。

争いを望まない、しらほしの真意を考えて実行するということは、〝後でやっとわかった〟をまだ今感じれない、高い難易度を含んでいる。


私に襲った、その痛みは、歌を歌えなくした。もちろん、2つないしそれ以上の出来事によってだが。

それはまた、僕を新たな方向(幾つかのライトなブログとそれを含む新しい人々との関係)に向かわせるきっかけとなった。


築いてきたものを否定する(無かったことにまっさらに改変する)ことは、すべての関係の〝否定〟であり〝憎悪〟であり、隣の人の真実を知る適切な方法とは、とても言えないものなのだ。

もし私の知らない間にそんな改変が起きていたならば、私は、それを怒るだろう。

まいとの絆は、そんなことで消えていいものじゃない!

そう。世界は悪魔で満ちているのではない。病気や貧困・差別・痛みや苦しみとは、マダラですら(実感だと)言うように〝そこから誰かとつながれれば嬉しい〟ちょうど、バイタリティを切り離さず、無用に吐き捨てずに〝赤ちゃん時代の耐えられなかった苦しみ(支点1のシャドー)を支点2の快にエネルギー武装(サイン→シンボル化)していると気付き、支点1の痛みに生き、ヒトラーができなかったそれを、自分に結合し、バイタルなエネルギーを万人へ放散できるように、分かち合える世界にできるように〟厳しく、強く、実践し、それを含んだ、自分らしいすべてを〝変えて努力していく&安らぐ〟・・・そういう真剣さが無いなら、語るべき領域ではない、そういうすてきなもの。

(支点1→2のネクロ的なシャドーについて、真剣に自分と向き合い続ける実践をしていない人は、単なる、新たな売れるアイデア[くだらないセラピーもどき]として使わないでほしい。余計に混乱させるだけ。ただ、このシャドーを知らないと、世界がラプソーン教のように見える。普通の人は、間違った世界を描く前に、言い訳せず、ちゃんと変えている。例えば、いらっしゃいませを言ってお客様を迎えるというように。※何でもいいが真剣に関係しようとしている。)


愛は消えない。

たとえ ももなとカイエンが別次元の存在でも、そもそも、〝自分〟と〝あなた〟を意識できるのは、スピリットだけだ。

ももなとカイエンや、そうだと思われる存在は、無限にあり、それは、コスモスのリアルな生起(空の形)として〝解釈〟出来るもの。そこに時間はなく、ただ、スピリットがあるのみ。

もし、今、ももながいたとして、それは、形としてのスピリット(時間を経験して成長できる意識)だから、無形のスピリット(空)として、存在できる。わかる。形とは、どこかの世界の自分が不幸にも死んでしまうという不平等なことではなく、そもそも〝形〟自体が 空の表現であり、故に借用書(IOU)を発行している、形すべては永遠でなく、空は永遠。形は空そのもの(生きているすべての命は守られなければならない・消されてはならない)として、ありありと価値があり、寿命や病気・災害によって、程度の差こそあれ、不思議のダンジョンシリーズの醍醐味のように〝一度きりだから〟永遠であると、実感できる。一度きり(形)でないと、永遠(空)でなくなる。空も形もなくなる。

一度きりとは、即ち、最高に自由。ゾロアークのムサシとコジロウのセリフのように〝未来が分かったらつまらない〟ということ。(オレンジ~ターコイスは、理性の領域で、この構造思想-状態神秘主義を理解できる。)

そう。まず主人公は、ももなは(パラレルワールド的に)無限(形)であり、無形(空)である。

[微視的に∞の]一人(形)が、無限(神-空)になるのは、不可能だ。

だから、そもそも、自分中心にして、創発対象が羨ましいとか言うのは不可能だ。

意識とは、〝この世を去ったら〟何も残らないという想念も〝残らない(笑)〟わけで

それでも、意識=形=愛 は、途切れることなくあり

(永続を仮定された)自意識≠形 であり、意識という形(真我-アートマン&2人称・3人称のスピリットの形)は、決して、(その)自意識のことではない。

ももな(自他あらゆるすべての形)は常に既に〝無=空(GTラストの悟空)〟であり、空という形(自分やみんな)に 存在が意識されている〝ももな〟がいる。

そういった現象に〝自意識〟の絡む余地はなく(インディゴの非視点的オーバーマインドで見れる) 自意識(ワンテイストでない意識…ワンテイストはすべてにありのまま遍在する)を絡める限り、必ず失敗し、パラレルワールドは地獄に収縮される。(保守派のパラレルワールド。)

パラレルワールド同士の創発(ももな)が、損得感情(自意識=独りで神になろうとする意識)で動いている限り、そこには犠牲と争いしかない。しかし、形とは、つながってこそいるものの、ある創発(ももな)より別の創発(ももな)の方が良いわけではなく、有限な形の中でそう見られはしても、(ちょうどオレンジがアンバーを奴隷にしていいわけではないように) 実質、個体ホロンとして、主従に何の関係もない。

私のパラレルワールドのモデルは、レディ ジュエルペットがしっかり示してくれたように

〝一切個体間の犠牲を伴うものではない〟

即ち、世界を救えなかったなら、たった1回の別次元への移動で〝最大数への呼びかけ&協力を行う〟ことを〝強く〟最低限の原則とするモデル、である。

51-終話のももなには、ルビーをはじめ、みんなが付いていた。もちろん、カイエンとの結婚=創発 は、自力で行わねば意味がない(一度きりの人生=形 だ) が、1-50話のももなとすべての人物は、ももなを犠牲者に決してしない。どちらの本人も〝犠牲〟だと全く思っていない。

犠牲が成り立つ条件は、わざとらしい 誰かの〝有限な〟存在 (高次元の存在だと偽っていても単なる有限なナルシス的自意識) による。その者(達)が悪意を持って、繰り返させているにすぎない。

逆に、普通、形=創発する愛 は、決して、そういうことをし続けない。

もし、どこかの世界で誰かが天に帰っても、それは、その人と多くの仲間が本気で行った〝一度きりの人生〟であり、創発の関係にあると思われるどこかの誰かと、なんら絶対的な上位下位関係にあるということはない。

むしろ、未来性のある過去は、より大きな責任を持つ。

これらは〝一度きりの人生=形〟の〝タイプ〟で、レベルではない。

私のパラレルワールド論が、決して、絶望の連鎖にならない本当の理由。

ウィルバーの仕事を受け継いでいるのだから(そう言うとおこがましいと思う方がいるなら、著作権や彼の思想に着目してほしい。彼が本当に望むこととは?…〝コスモスにより多くの余地があることを示すこと。病的なホロンを統合する菩薩の誓い(レッドでも前を向いて歩む)があるのなら、好きなように穴埋めしてほしい〟) やはり、このこと(文化的に根付いているネクロ的な誤解)だけは、解いておかなければ、彼に悪い!

どうしても、そうしなければ、まずい気がする。

こういう責任からは、逃げたくないから。

願いを込めて、書くことにする――。

この文章は、誤解を解くものであって、決して、パラレルワールドのアイデアをこれまでないしこれから犠牲的に使うかもしれない方々に何かを押し付けるものではない。私のモデル(ウィルバー5+パラレルワールドのモデル)がそういった絶望を含む必要のないものだと、アップデートするという目的でのみ、必要最低限の提示にとどめている。こういった誤解(思想の矮小化)は、昔から至る所で行われてきたのだから。

念押しするが、私の思想は、既に公開している〝ノンフィクション=科学〟であり、特に複雑なことをせず、リンキングとして活用できるものだ。

別サイトにも、ちゃんと明示してある。(当時はそんな意識はなかったが。)

レディは、私のモデル(パラレルワールドの創発や統合的生まれ変わり)と統合的リンキングしている。


統合的な生まれ変わりは、ナルトの影分身の経験値の蓄積、きらデコのジュエリーナ様像に今デコリスキー博士が入った、マギのソロモンの知恵、前世を記憶する子供たちを上記の例で説明できるモデル であり

創発ももなの感じたデジャヴが、それにあたる。

即ち、本編基本ももなが創発ももなに何かをしたわけではなく、創発ももな自体の〝自力の人生〟が本人に〝運命を選ぶ力〟を開花させている。


そう。僕は、少し落ち込んでいた。

確かに、いくつかの出来事から―――――。

でも、まいとの大切な絆が、決して、絶望でないと、また一段と分かった。


確かに、もう一度音楽をつくるというのは

僕にとって、しんどいことかもしれない。

一度やめようと本気で思ったのだから。

でも、もう一度始めたかったら始めようと思っていた。

〝死=繭から蝶〟というやつだ。


メロディはもとより

曲というなら、2月に1曲できている。

コード付け~録音・アレンジが難儀なので、それ以上進んでいるわけではないが

全く何もできていないわけじゃない。


僕は、素直に嬉しい。

レディ ジュエルペットは、僕に、本当の感動と勇気、やさしさと愛をくれた。

きっと、まいとの出会いには、まだ続きがあるのだろう。

たとえ、その後、どういった結果になったとしても

今まで恐れて、恨んでいたからこそ、うんと生きれなかった人生

こんどこそ、前とは、違う気がする。

ほんのわずかでも、まいが言った、その変えたい

足りないピースが、きっと、きっと

君の待つ夢に、近づいてゆくから―――


これから、新しいことが起こりそう。

信じて、進んでみよう。きっと、待っている。

本当の愛は、関係は、きっと、うーんと、きびしくて、素晴らしい。

おびえないで、ももなのように、生きて、まいを守りたい。

変わらないその奇跡から そう、すべてが見える…

すべてが自分の抵抗で、いつかなくなるかもしれない

それは、より大きな自由で、尽くせることのできる世界―――

そう、文字通りの、今までできるはずがなかった

シチュエーションと人間関係の〝可能性のバクハツ〟

明日の自分が、この 十全だけど可哀そうな自分だとは限らない

それは、ただ、今、パッと広がる、未だ起きたことのない〝全く新しい ワン・スイーツ-ストーリー〟―――


(2015 03 30)

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【インテグラル】 参考文献♡

  • インテグラル理論 (AQAL)      統合的実践 (ILP)
    「インテグラル・スピリチュアリティ」
    ケン・ウィルバー 著

    「実践インテグラル・ライフ ― 自己成長の設計図」
    ケン・ウィルバー 監修