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2019年8月

2019年8月 5日 (月)

僕の 365 days ☆彡 ~虹と ゆうきの すてきロード!~

つゆの季節もすぎ、今年に ほとんど活用していなかった 緑のシティ号(グリーンシティライナー)を引っ張り出す。

ライドに必要な装備・システムが 去年の秋ごろから充実し、日の長い今年春より、ロングライドに重点を置き、まだ走ったことのない道を中心にして、まほうのホウキ号(ルビーエンジェラバイク)で フル冒険する目的に至った。

年末ごろに 少しヘビーな心持ちにもなる近況の後、ライドを慎重に続け、春へと受け継ぐことになる。

西側は姫路市の山側まで、かぼす もとい〝すだち〟ダムまで走ったという。 (※ すごう ダム、のこと。・・・読みが欠けてて、勘違いしたらしい。) 

色んなエリアに行った。 もう 数ヶ月でこれほどの冒険をすることは、ないと思えるほどに。

北側は、るり渓へ行ったおなじみのライドをはじめ、まだまだ バリエーションがある。

大阪方面は、平城京・木津川エリアをはじめ、大和川・南エリア、そして 京都・嵐山で ロングライドをファイナルする。 最大の3回の往復。

距離が長くなるにつれて、ふしぎな感覚になる。 そのエリアに長くとどまり続けながら、走り続けているという どの旅でも経験したことのないタイプの 時間的な内在感覚。

早い夕食に、朝かなり早く起きることに慣らすことから、春のロングライドシーズンは始まる。

そうして、真夏がやってきた。

 

緑のシティ号で、有馬温泉に行こう!―― と思ったきっかけは、まいの「春夏秋冬」とも関係する。 ロングライドを目的とした達成には 反動もあり、自動車についてあれこれ書きながら、落ち込み始めたタイミング。

実は、今年も「嵐山まいまい食べ歩きライナー(2019)」を走らせている。 古都芋本舗で おいしいおいしい 抹茶ソフトを食べながら、線路を見て、嵐山の風情あるエリアまで リヤカーとまざって ゆっくり走って楽しむ。

この1回のみが、観光グルメライドで、ロングライド・トライアルの〝重心内容〟をものがたっている。

私の経済状況は、「お玉」を しのぐかもしれない(爆)

今回の報告の目的の一つは、「最低限の資金であっても 時間と根気さえあれば 高価な企画単体よりも 代えの効かないカスタマイズ・ライフができる」ということ。

嵐山では、キティとマイメロの着物姿の ぬいぐるみが かわいかった。 けん玉とか、文化的なおもちゃや金平糖も並んでる。

嵐山と有馬は、似ている。

両方とも自転車で行った人は、自転車を使いこなしていると思う。

僕の観光グルメライドが 絶滅危惧種並みに少なくなっているので、観光グルメゲージを補おうという作戦である。

自転車で、神戸市から神戸市内を走る、シンプルなライドである。

もちろん、自動車が多い道は、基本全て迂回する。

緑のシティ号で行く。

二館券が便利なので、半額デーを狙っても良いが、余るかもしれないけど、ふつうの日に行く。

思い立ったが吉。

ふつうのシティライドと違う点は、坂が多すぎる。

シティライドで有馬温泉まで海側エリアから行くのは〝裏技〟である。

昔から、経験しているので、道の概要は分かっている。

新しく 拡張された区間もあり、以前より格段に選択肢が増えた。

まほうのホウキ号とも やや違うルートを取る。

コツの一つは、国道の旧道を流用すること。

鉄道沿いも使える。

有馬口から有馬温泉までの区間は、基本的に迂回不可能で、それほどの頻度で通らないとはいえ 前後の行程上の経由でも通過するルートに入れるべき 関所。 特に行きの登りは、もちろん帰りも、自動車用道路に見えるかもしれないが ふつうに 歩行者・自転車の為の道を兼ねているので 通過する自動車は 制限速度で走ってもいいのかもしれなくとも すぐに止まれるように走ること。

そうして、いつものように、有馬せんべいのかけらを買って、ゆっくり過ごす温泉の入り方を駆使して金泉を楽しみ、有馬サイダーとアイスを堪能する。

有馬せんべいのかけらは、金泉より坂を上った三ツ森のレアな「タンサンせんべの子」と 平野屋本舗が 特にオススメ。

確かに、真夏にシティライドで有馬に行くのは、少し変な気もする。

意外に、僕との歴史は深く、真夏に行った経験は最近のことではない。

最近は年間1回だけど、湯治で20往復位 しているんじゃないかな。

真夏は、ライド自体が困難なため、日中に休憩のバリエーションが広がる〝観光ライド〟が 高地中心に 生きてくる。

そして、嵐山と重ねる。

どちらも自走しているわけだから。

僕の夏が 今年も始まる。

 

緑のシティ号は、1km30円から大きく離れることのない運用だけど、まほうのホウキ号は 既に1万5千キロほど走行して、ひとつの節目を迎えている。 1km10円を切っているので、両者を合わせて、1km10円ほどに収まると思う。

そして、緑のシティ号で、今年も、午前発計画で 花火を見に出かける。

かなり久しぶりに、鉄道を眺めて センター街をぶらぶらしたり、実は思い出が長いエリアだと思う。

思い立ったが吉なので、中華街へ行き、ぶたまんとソフトクリーム、横浜の中華街でハマった 焼きシャオロンポウを食べて、雰囲気と楽しむ。

最近は直行直帰できるエリアを限定しているので、ここに来たのも1年前の夏以来だろう。

そして、お気に入りの場所へ。

――――――――

 

去年の末ごろ、てぃんくる☆彡のBD関連の検索で ツイッターの一言を見たことで、僕の人生が大きく変わった!

・・・のかも。

 

言わずと ファン(^_-)-☆の間では知れた 僕の「おはよう!」は、ZARDの坂井泉水さんに宛て・寄り添って作った曲だけど、気付いたときにまた、大切な人が 虹の向こうに行ってしまったようだ。

ふしぎなもので、その結果、余計にそばに感じる気がする。

年末に このことを知ってから、てぃんくる☆彡の本当の意味・成り立ちを理解しつつあった僕は、かなり動揺しながら ライドを的確に続ける。

この頃、僕は、症状が原型化した怒りを、自転車に表現することで、新システムと共に コントロールできないシチュエーションを緩める方向に向いていた。

今年は、そうして始まったと思う。

 

僕は、「ゆうきのうた」を そのツイッターを書いた ゆきちゃんに 贈った

まいの 「OVER THE RAINBOW」 (2012 01 11) は、彼女に宛てられ、「春夏秋冬」を この夏に 初めて聴いたとき、全く同じことを考えていたんだなと思った。

「明日へ進もう」の 1番の頭のフレーズは、「freedom」のメロディができていた2015年ないし2016年に既に 存在しており、ずいぶん長い時を歌っている気がした。

 

「BE KOBE」

アルティメットな けんちゃんパーク(・∀・)にて。

 

彼女の ある意味 最初の ニックネームは、「ベッキー」だろう。

同じことを言われると思うが、最近、共時性が 一体何なのか分からなくなるくらいに、今までの想定では理解できない「メッセージ」を魅せている。

実現の流れに乗る先に、運命を見ている本当の構造的何者かが、他ならぬ自分たちの始めた 光のRPG で あったことに 確かに、気付くことができる日は、人類全体として、来る。

運命の次元を超えた構造的正体を理解するための「言語」はある。 源流としての夢のイメージだけが言葉なのではなく、その アルティメット・テキスト、深い成熟によって洗練されるバージョンがある、運命のRPGの発達ラインが ゾーン3を重心に存在するということ。

 

私が 家族を つくっても、うまくいくかは わからない。 今の生活から、自分の外在価値を どうやって見いだすのか、その方法に見当もつかない。

つまり、誰とも結婚できる気がしない。

 

少し心配なのは、アニメが 健全で深い翻訳を 破壊するムードに呑まれることだ。

健全さの潜在的翻訳=作者の意図と深さ が成り立つようになるにつれて、成長を拒絶する 慰め翻訳原理主義者 (の過激派) が そのすべてを破滅させようとするのは、容易に想像できる。

アニメを ただいっしょくた にする風潮を 何らかの方法で加速させれば、アニメすべてが いかがわしくなってしまう 流れを決定してしまうだろう。 誰が、てぃんくる☆彡に 根源的な解釈を付与してくれるのかな。

 

ゆきちゃんは、次世代の漫画家とアニメーターのことを 強く心配している、すてきな人だ。

僕も、そう思う。

 

アニメの分野にだけ閉じこもる人たちと その先の領域へ繋がる人たちとの差は、歴然だ。

仮に アニメを 慰めの為のブラックボックスに主張しても、ポップス、舞台、絵画、ドラマ、種々芸術が この慰めの共通項に定立などできるだろうか?

 

まいとテレビ東京の関係は 実は僕もよく分かっていないのだけれど、近くなるのは かなりいいことだ。

最近、人との距離感が、まずます よくわからなくなってきた、ような気は 僕はする。

――――――――――

 

自作のサンドイッチと 冷たいお茶で、時を待つ。

海上から、懐かしい音がする。

虹が、夏の花で彩る。

この光景を見るために、確かに、来る日も走っていた。

「make new history」を 何度も何度も聴き返すように、僕がなぜここに来て、こうしているのか、もう一度、考えてみる。

よく見てみれば、僕がやっていることは、節約して自転車に乗り、思想を綴っていること くらいだ。

つまり、華やかすぎることは 何一つ できないわけだ。

だけど、それらしか していないのに、結局は、ふしぎなことは 起き続ける。

忘れていても、特別なことが無いように想定する 全ての時が、例外なく特別である という確信が、根拠を伴ってくる。

ただ、それを証明するために、花火を見に行くという方法は アリだ。

そのために、有馬に立ち寄ってくるというのは 大アリだ。

その結果、思い出されるのは、自転車で巡り、或いは準備し、休憩し、その日々の背景にある、もっとたくさんの、あまり意識しないインターバルだ。

ということで、時々 色濃く起こるような気がする 時を越えるような 「偶然なんてない照明」 は、やはり、どんな時でも定立できる。

これにもし構造的に確信できれば、命の不安に意味が無くなる。

単なる 思い込みの問題ではないのだ。

つまり、この なにげない全ては、狭い範囲ではない意味で、実践になっている。

僕は、自転車に乗ることで、結婚しているわけだ。

そのときの、ふとした洞察も、たしかに、心に残る。

 

「365日」と重ねる、フィナーレに、僕は、時のふしぎさに、言葉を失った。

2つほど分かるのは、この夏へと贈られた「春夏秋冬」に、みんなの夢と虹の「365D’s」感動のニュー・ロード。

僕の仲間たちは、このことを失うどころか、未来まで含んで、さらに離れることのない力強さを生きるようになった。

分かる人には、あきらかすぎることだと、そう分かる。

 

少し、孤高の旅が長かった。

今日は、みんな、一緒にいてくれて、ありがとうと言おう。

シティでは、人が身近であるのは 当たり前の光景だけど、今年の僕は、それが まぼろしである気がするほどの世界に居たと思う。

自由の行きつく先は、大衆と独特な距離で結ぶ。

それらは、決して減らない関係で、積み上がっていく。

 

センター街の氷のアートを さわる人々に つられる僕と、今日のトレンドを探そうとする意識。

常に音楽とありたいと感じながら、自分の世界を静かに強く持つための しつこいまでの工夫と情熱。

それを理解する仲間と、確かめ合うことのできる ふしぎな時間。

この日記を書き、あなたの心に届くまでの 言葉では表記できない 時刻ダイア。

 

僕のまだ知らないマイ・ロード、その真実は 今にあるのか?

全ては、どこに汲むものなのか。

直観的非判断と、悩んで答えを出す必然性の境界は?

すれ違いと意味の 多次元の完成系とは。

 

僕は、確かに、日々の色を失いつつあった、と思ってもいた。

目的が距離と量に帰結しがちなほどに、虹は そばに無く、結果的に焦りが生まれる。

それでも、何かを恐れて、その中に大切な人がいて、受け入れることが勇気なら、きっと、進むために、今日はある。

そこに、すてきすぎる 生きている が あるのなら、自然な流れは、生じる。

選ぶだろう。

 

昨日できなかったことは、今更 今日に選ばない。 明日も選ばないだろう。

今日選びたいものは、今日選ぶだろう。

明日の意味は、時空を超えていくだろう。

 

その心は、きっと、僕たちの 「365 days」 ☆彡

 

 

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【インテグラル】 参考文献♡

  • インテグラル理論 (AQAL)      統合的実践 (ILP)
    「インテグラル・スピリチュアリティ」
    ケン・ウィルバー 著

    「実践インテグラル・ライフ ― 自己成長の設計図」
    ケン・ウィルバー 監修