文化・芸術

2024年1月 7日 (日)

〝直観〟は〝タイプ論〟! ~アニメで見ようね 🎵~


最近、何か、変わったことは、ありましたか?

特記することは、色々あるような、ないような・・・。


活動… という切り口では、2023年の後半に、できることを、わずかに やりました。

イベントには、多少、行きました。


さて。


インテグラル理論 〔自我と無我 → 進化の構造 、で、2006年 の出会い〕 も、私の中で、かなり長く接しております。


最近、〝タイプ論〟を、学びました。

これまで、本格的に、読んだことがない、AQALの要素〝タイプ〟です。


AQALは、全象限 全レベル アプローチ のことで、象限、レベル、ライン、ステート、タイプ、のメタ5要素。

私的には、未生の〝潜在価値=ポテンシャル〟を、深度を補う形で 加えて、メタ6要素!


タイプ論には、AQALが よく取り上げると思われるもので、ユング式 〔その発展のひとつは MBTI〕、エニアグラム 〔叡智の伝統が系譜〕 があります。


ケン・ウィルバー〔インテグラル心理学〕では、心理学がいつ始まったのか? という問いで、序章がスタートし、ボールドウィンの〝構造主義的手法〟ゾーン2 と ゾーン4 で展開する〝外側からの発達論的眺め〟が、そのカギであると、〝インテグラル スピリチュアリティ〟も含めて、わかります。


この〝心理学〟というのは、〝直観の現象学 から〟という、視点らしいのです。

現象学〔Q/1〕は、内観、内省、主観、などの、ゾーン1の領域です。

みんなの内観〔Q/2〕、は、ゾーン3 です。


つまり、ユングのタイプ論 とは、ボールドウィンに強い源流〔のひとつ〕がある〝心理学〟を〝実践する形で〟展開したものだと、ひらめきませんか?


と、いうことは、現在、心理学的ジャンルとして、多くの研究に支えられて、世によく知られた 〔タイプ論〕 は、〝直観の現象学 から〟〝直観の研究 へ〟ということに、なるのです。


現代社会では、直観〔N〕というものは、世論的にも、常識的にも、抑圧され、周辺化されていると感じます。

例えば、直観は、最近の〝やっかいごと〟と、どう関係するのでしょうか? という問いに、私たちは、どう答えることが、できるでしょうか。


クリシュナムルティは、基底に採用された〝洞察〟と言いそうです。


また、どの馬が勝つのか? 公営競技との関係は? テレビゲームに共時性は起きるのですか? など、挙げると きりがないのですよね。


タイプ論をはじめとする、心理学の研究に、無くてはならない要素として〝正直であること〟が、あります。

例えば、直観は、〝真実に誠実〟であることで、実用的・実践的となるのではないか? と、問えるのです。


そうやって、ユングをはじめとした、心理学者は、トランスパーソナル心理学 というジャンルを含めて、〝正直であることによる 直観とは何か?〟のテーマ、希望に ハートを寄せて、情熱を持ち、幾多もの研究を、みんなと、行ってきたのです。


そんな〝奮闘史〟のある 学術・研究が〝タイプ論〟であり、〝直観の近未来常識〟とも、言えるように、なりそうですよね。

私が最近思うのは、―― 直観というものは、あいまいだから、気味が悪くて、起こっていることを、誰かのせいにしてしまえるだろう ――、と、世間で、不合理な空気〔転嫁〕になっているのではないか? ということです。


少し、視点をシフトしますが、タイプ論を、私が、これまで、学んでこなかったのは、オーソドックスな〝男性性・女性性 のタイプも 自分なりのタイプ論も、タイプ論だから〟でもありますが、やはり、私が〝決められてしまう〟気がしたからです。

その年月を経て、優れたタイプ論というのが〝直観の真実を 構成する研究〟だと、私が思うようになったのは、ケン・ウィルバーの〔インテグラル心理学〕を 読んだからでもありますが、他に、〝直観は 私の生活 そして 興味の かなりコアなところにあったんだ〟と 気づいたからです。


つまり、タイプ論は、〝直観〟のことなのです。


と、いうわけで、AQALの〝レベル・ライン・象限・ステート〟は〝直観の成長を説明しうるメタ要素〟ではありますが〝直観の正体〟に 直接迫れるものでは、ないかもしれないです。

ライン〔ストリーム〕を〝時間と空間のライン〟で読み込むと、近い視点が得られますし、ステートを〝微細・元因〟という風に 精妙にしていっても 時間を越えそうですけど、やはり〝近いところ〟と、なるでしょう。


タイプ論は、ある意味、安易に思え、その普及の仕方が〝商業的なのではないか?〟と、疑えてしまえる点でも、誰にでも当てはまるわけではないし、信頼に足るのだろうか? と、後に回したのは、私です。


それは、逆に、直観というジャンルへの〝常識的な抵抗〟を 受けずに〝かなり広範囲に 受け入れられた理論・実践〟として、成功したのだ、とも、見れます。

つまり、私は、機が熟したなら、聞く耳を 広く持ちなさい、と 言われちゃった 流れです。


アニメ、も、優れていれば、この〝広範囲に受け入れられた〟ジャンルですよね。

特に、ポテンシャルの要素で〝子ども〟に!


さて。


直観というものが、ビッグバンを起こし、電話を発明し、戦争をやめさせて 近未来に超えていく流れならば、それは、わたしたちが、知っておいた方が、いいでしょう。

私は、インテグラル理論家 なので、〝AQALを もって、直観〔N〕と読み込む〟とは、言います。

それでも、タイプ論を注目して見ることと、それに インテグラル理論の要素を 加えて見てみる、2つの視点を順に展開しても、とても 有益だと思います。


AQALを知ること、それに波乗りすることは、長い目で見て、タイプ論を学ぶことだと、言えます。

タイプ論は、心理学としての〝広義のAQALを見たもの〟だからです!


そして、わたしは、タイプ論を 自分なりに シーズンに 熟考しながら、その経緯と近況に、まとめました。


エニアグラム♡ 【 応用編 ♪ 】 ☆ タイプのホロンと インテグラル ☆


思うのは、タイプ論を中途半端に学んで 後悔した人、は、直観についても 同じ道筋を通ります。

先ほども 言いましたように、同じものだからです。


芸術の場合ならば、〝お金を稼ぐこと〟を〝意味がなくても 稼げればよいこと〟だとすると、〝読者反応理論は 芸術が無価値だと 結論させること〟で、タイプ論を 否定します。

政治でも、国際外交でも、通貨・金融でも、様々な仕事・会社でも、経済や金融商品でも、あらゆるジャンルで、同じです。

心圏の通らない、人間の活動、というのは、無いからです。


直観を、〝ないはずのもの〟〝あってはならない!ことに しなければならないもの〟にする人は、まず、手順を、おろそかにしています。

これは、自転車の乗り方で分かるような〝手順〟です。


私たちが生きていく基本であり、王道であるはずのものが〝直観である〟と、タイプ論は、長い目で見て、主張します。

それが、現代の営みを〝意味のある形〟で 発展させた運動だからです。


基底の運動、ですよね!


タイプ論を 機が熟すとともに 正しく学んでいく手順、それが、広義には〝生きる基本〟なのです。


この流れをふまえて、今、私ができる〝おもしろいこと〟は、さきほどの〝私のタイプ論のまとめ〟の他に、アニメのことかなぁ、と思います。

現在、私は、まだ、アニメを愛でる 機会が ありますので。


そして、アニメは、ここ数十年の日本で、信頼されてきた〝直観としてのタイプ論の 系譜としての 芸術〟です。


 


エニアグラム で見る〝アニメのキャラクター〟


 

以下に、さらっと 書いちゃうのは、アニメの登場人物の関連 です。

タイプ論のアルファベットは、ユング式〔MBTI〕のものや、エニアグラム〔9つのタイプ・サブタイプのウィングで18の・例外あり〕の記述です。

私は、エニアグラムは〝心圏〔ハート〕の能力〟と見ているため、それぞれのキャラクターや視点は〝あてはまるか?〟ではなく〝発揮するスキルの ヒントになりそうか?〟という 発想です。

色々な解釈が、深さの根拠も 文脈も 持って、あるでしょう。

私が、アニメによって、タイプ論で見るのは、直観が描きやすい 現代に独特だから、と、子ども含めて 多くの人に 分かりやすいから です。

なので、子どもの視点から外れた マイナーなものは、その範疇にならない意味でも、記述することは、ありません。

そして、私的な近況も含めて、数作品中心に、なるべく、勢力中立的に、主人公も含めて、記述します。

エニアグラムのタイプを中心にして、代表的な方々を、順に、その後、私の視点として、より多くのキャラクターを。

このコーナーを書こうと思ったのは、〝直観について タイプ論について 優れたアニメの仕事が偉大であると言えることについて 分かってほしいと思ったから〟です!

どうしてこうなったのですか? という問いの答えは〝いま 私が直観的に こうしておいた方が 決定的にいい ! と思ったから〟と、答えさせてください♪



〔タイプ 1〕

ゼニガタの〝とっつぁん〟


〔タイプ 2〕

ジゲン ・ ゴン=フリークス ・ とおる


〔タイプ 3〕

鳴子くん ・ くるりんちゃん (ハムちゃん なの〜!)


〔タイプ 4〕

坂道 ・ 名探偵コナンくん


〔タイプ 5〕

ゴエモン ・ キルア ・ 翔くん ・ はなちゃん


〔タイプ 6〕

手嶋さん


〔タイプ 7〕

ルパン ・ 真波くん


〔タイプ 8〕

しろくま さん ・ うおちゃん


〔タイプ 9〕

ゆめちゃん ・ みね ふじこちゃん


〔タイプ1 : CCさくらちゃん (〔E / F‐N〕・ W ウィング) ・ コトコちゃん ・ 夢の女王様 (姉) ・ ビーンズ (1‐2) ・ 今泉くん ・ 小五郎の妻 ・ 高木けーじ の花嫁 ――― タイプ2 : ゴン (〔E / F‐S〕・ 2‐3) ・ トオル (〔I / N‐F〕・ 2‐3) ・ ポニーテールちゃん ・〝ラン〟ねぇちゃん ・ パームさん (2‐1) ・ コムギ (2‐1) ・ センリツ (2‐1) ・ ピトー (2‐1) ・ チードル (2‐1) ――― タイプ3 : ミリア ・ 小五郎のおっちゃん ・ レオリオ ・ モラウさん (3‐4) ・ ネオン 〔E / N‐F〕 ・ パリストン (〔E / F‐S〕・ 3‐2) ――― タイプ4 : あかりちゃん ・ 坂道 (4‐5) ・ パンダくん (4‐3) ・ コナンくん (4‐5) ・ キョウくん (4‐3) ・ ナックル (4‐3) ・ シュート (4‐5) ・ コルト ――― タイプ5 : サラ (5‐6) ・ ペンギンさん (5‐6) ・ はなちゃん (〔I / F‐N〕・ 5‐6) ・ 翔くん (5‐6) ・ キルア 〔E / T‐N〕 ・ プフ (5‐4) ―― タイプ6 : 手嶋さん (6‐7) ・ クラピカ ・ コアラさん (アント) ・ ウェルフィン ・ しぐれ ・ リツ ――― タイプ7 : ハム太郎 (7‐6) ・ みゅーちゃん (7‐6) ・ 夢の女王様 (妹) ・ ラマさん (〔I / N‐T〕・ 7‐6) ・ ナマケモノくん (ディーパー) ・ 真波くん (7‐6) ・ 高木 けーじ ・ ルパン (W ウイング ・ ディーパー4) ・ ジン=フリークス ( フロンタル4 ) ・ バショウ (7‐8) ――― タイプ8 : うおちゃん (8‐7) ・ しろくまさん (8‐9) ・ グリズリーさん (8‐7) ・ ユピー (〔E / N‐T〕・ 8‐7) ――― タイプ9 : ゆめちゃん (〔E / N‐F〕・ 9‐1) ・ ゆきくん (〔E / T‐N〕・ 9‐8) ・ みね ふじこちゃん (W ウイング) ・ ロコちゃん ・ 青八木さん (9‐8) ・ ネテロ (9‐1) ・ ヒソカ (9‐8) ・ メルエム ・ ヒナ (キメラ) 〕




と、いうわけで、こういう タイプ論も、おもしろいでしょ?

活用・考察・発想は、おまかせします。


キャラは、主人公クラス (〔〕内の タイプ4 は 4名とも そっちですが分かれば、誰だか、判別つくと思いますが、マイナーなキャラは、該当の作品に 詳しくないと、誰だか わからないと思います。


タイプ論を学んだあと、〝直観〟を、私なりに提示するにあたって、こんな方法が、良いんじゃないかなぁ…と、思ったのです。



 

 

 

 

2023年8月20日 (日)

ジョイボーイ! ~ 楽しむこと(≧▽≦)🎵 暮らすこと🍎💕 ~


神戸近郊・緑が丘 (st.) の〝花火〟を見て、誕生日を迎えて、新たな音楽(ミスチル、まい)を聴いて、半額の パンとスイーツを いっぱい食べて、色々、掛け合わさってきたので、秋以降に見ようと、夏には見る予定の無かった、ジンベエVSフーズフー以降の、ワンピースを、一気見 しました。

成り行きで、この夏は、クーラーを 自主的に、使わないことになっているので、レコーダー(パナさんのディーガ)のHDDに、負担をかけまくりながら、保冷剤を乗っけて、面倒なCMカット (これが嫌で 最近 ほとんどのアニメを見なくなり・・・) を 一気にやります。 (BDに移すと ドライブが壊れやすくなるので 旧式のバトルフランキー? BF-200 とも合わせて、1話見たら、2台で1話×3ファイルを、同じように編集、カットのミスや面倒な苦労を考えると、予備のファイルも、後でやらない方がいいです。 ―― 余談ですが、ミュークルドリーミーみっくす!は、かなり苦労して、短いVIP、長めの楽しいメインシーン、ユニたちも登場する夢シンクロの問題解決シーン、と 3つに分けて、解釈的な 内容は、劇的に変わりした。 ※春の話。 アーティストたちは、私が、こうするとわかって、つくってますから。 フルにあるファイルは消しました。 Wチューナー等を うまく活用すれば、こういうことが、できます。)



ワンピースは、ついに、ワノ国編、もう少しですね。

うっとおしい、クイーン、ついに、ぶっ飛びましたね。



ルフィが、ギア5で、楽しんでいるので、私も、楽しもう、ということで。

時が来たので、郊外の花火を見に、冒険をします。


先の、三木の花火は、総合防災公園で行う、都市規格の花火でした。

郊外のクルマ社会のため、山しかない防災公園・神戸の中央区と北区(有馬街道)の山の裏側から来る クルマたちで、駐車場は満車、2車線あっても、道は大渋滞、おもしろすぎるほど、珍光景と思いますけど、立地的に、防災公園を経由したことがなく、初めてです。

防災公園は、広くて、花火を挙げるには、とても良いところですけど、かなり郊外の花火よりは、駅をメインにしている分、遠くて、山は、再度三・六甲山が そうなように、他に何もなくて、1本道なことが多いですから、まあ、こうなるわけです。



そのエピソードは、まず、7月の佳境に、小野へ向かい、次の花火のリハーサルをする、ということです。

そして、その時、できないであろう、グルメイベントを、堪能しておきます。



停める気がないので、クロスバイクで入ることができなかった、ひまわりの丘公園の 時計塔の辺りが、どうなっているのか、かなり興味があったので、ままちゃり (グリーンシティライナー1号) で、初上陸です。

そこから、歩行者です!!


これが、おもしろくて、いつものように、歩き回って いくわけですよ!


花が かなりきれいで、今回 わたぼうみたいな すまぼうのコスモスの丘には ひまわりがないので たぶん・・・。


公園内の花々が、ジュエルみたいに、雄大で、とてもきれいでした。

牧場付近の池とか、階段とか、にわか歩行者では 行かないところですよね!



晴天すぎるので、適当なタイミングで、退避します。

これが、ママチャリ旅行の、絶大なメリット!

技ですね。


キュウリを食べて、メロンとバニラモナカを買って、そのまま、パクついて、牧場で、濃厚なヨーグルトを食べて (この場合ソフトクリームは、先の方がいいかも。) ひんやりしたところで、先へ。

朝入手した、お徳用のおいしいパンの耳は、ポカリのペットボトル入り保冷バッグ内です。 夜まで、溶けません!



ラーメン食いに、出かけよう(≧▽≦)!!


タマゴを乗せて、チャーシュー2枚、播州ラーメンを、食べました♪

甘いもの食べたら、ね。


キャラメルを口に入れて、移動。

プリンもイートインして、さて、定番の温泉へ向かいますよ!!



日差しと気温は とんでもないことになっているので、短い移動と、涼むことを、繰り返します。

ままちゃり、停め放題です。

車よりも、スリムですし。


余談ですけど、わたしは、1.0車線走行という、速度以外はクルマと同じ、方式の運転を メインで行ってます。

つまり、一般車両、クルマ扱いで、走ってます。

つまり、基本的に、追い越しが発生しない広めの車道を、走ります。


そして、車なのに、クルマでは できないことが できる ので、自転車は クルマの上位互換です。

満車だけでも、分かりますよね。 そのスペースもしかり。



というわけで、日中の日差しを 避けていくことで、クロスバイクでは、あり得なかった、日中に くつろぐライドが 叶いました。

温泉に入って、日が落ちてきたら、パンが 持つようになるので、いよいよ、美嚢川・淡河川沿いの平坦・裏道で、防災公園へ!!

くるみパンを、しっかり入手!! クリームパンも!!


今回は、ラストオーダー的な感じで、夜寄りに開いている、いきつけのパン屋に寄れます。



めりけんぱあく、の花火は、数年、30分規模で 見ていないので、神戸の人は、みーんな、緑が丘 (st.) に、集まってきましたよ。

わたしは、メインというか、裏側からですけど、もはや、押し歩きですね。



そして、とても、都会的な花火を 見れました。

これが、ハートに残って、三木の花火は、初めてでしたが、誕生日に向けて、ミスチルとまいを、聴くことに、つながっていきますよ。


☆彡


ということで、ワンピースを一気見した後、アニメのストーリーとしての、今年のタイムラインに、驚きながら、1の羅列も、洒落ではないのだろう、と思い、ギア5を、眺めてました。


そして、ついに、その時がやってきます。

8月の、郊外・花火大会!!



三木の時点でも、郊外ですけど、新潟県・長岡の花火を、2006年に、18きっぷも駆使して、川沿いで見た感じ。

昨年、深夜大雨の中、唯一開かれた、小野の花火を 川沿いで見た時に、特に、郊外の花火の良さを、思い出しました。

ただし、今回は、人につられて推し歩き、なんと、メイン会場で見ます!!



郊外の花火は、静かなところで見る、ということで、その時の曲を、用意しておいたりするわけですね。

それは、雨の中の・・・。 昨年の雰囲気を 参考にしてはいて、でも、メイン会場ですから、人が多くて、昨年とのギャップが、凄かったです。 雨の時は、夜の川沿いは、誰もいませんでしたから。


ままちゃりで、神戸の海側から 小野は、もはや 大冒険のレベルで、やってみるとわかりますが、クロスバイクのライドと、別物です。

輪行が できないからでも ありますね。


しかし、メリットが絶大なので、あまり短い距離を走らず 温存し、ピンポイントで、走ります。



つまり、去年、クロスバイクでの 大雨に遭う 例のライドが、リハーサルに なっていました。

メイン会場の方がいい、ということと、雨でなければ、ままちゃりで行けそう、という。


実際、7月の、大渋滞の、緑が丘まで、道を調べていなかったので、結局、小野から夜に帰るのと、それほど、差はなかったです!!


三木中心部から、神戸側に抜けるときに、一番、山が、多いですからね。

北区~海側 ほどではありませんが。



まず、ぐっぐり眠れたので、ある程度補給して、7時ごろ 出ます。

前回は、さらに早かったですよ。


幸運にも、日差しが少なく、その後、晴れます。

いつもの、行き平たんルートで、海側、舞子公園直通から、玉津経由です。

帰りは車道に出れないので、2号は、通りたくないし、電燈の関係から、帰ったことがないので、帰りは、今回も、神戸の郊外山側経由。

郊外経由だと、ずっと、田舎風景で、逆光が少なく、明るくないので、風情が持続します。

メインストリートでも、広めの歩道と、片側2車線あるのに、電燈ナシ、という、道です!!

 

それはさておき、いつもの、377の歩道ヒルクライムさえ何とかすれば、いい感じの裏道で、稲美エリアをスポーンと抜けて、ちょっとした、一昔前の工業的な丘も越えて、三木鉄道沿いの、石野側へ!

三木中心部に寄れないですけど、これが、小野市への平坦での、最短ルートでしょう。

もうすこし、平坦で西経由でもいいですけど。


そして、定番の温泉で、今回は、長く、過ごすというプランです。

先の2回は、短めの行程に なりましたからね。


そして、晴れてきたので、日が落ちてくるまで、色々考えながら、上がった後は、オレンジとマンゴーのジュース、ペプシコーラ、濃いめのコーヒー、どれも100円弱で、氷入りの自販機で、入手。


持参のサンドイッチと、前日買っておいた2割引きの菓子パンも、補給しながら、ひといき!!

この先、落ち着いて食べられないこと 想定。



いよいよ、北!!


今回、私が通っているのは、クロスバイクで、昨年に開発した、いわゆる〝高架~アイガー・ルート〟!


アイガーは、パン屋さんです。 今回は 時間が遅かったです。

人がめっちゃ多い中、スーパーで、菓子パンとドリンクを、入手しました。

まだ、保冷バッグは生きております。


〝高架~アイガー・ルート〟は、いつもの〝加古川のリバー沿いの、帰りでの、粟生~小野町 (st.) まで 右岸の加西市寄り、その後橋を渡って左岸沿い〟というコースではなく、行きでの、温泉、市場 (st.) エリアから、直接、小野中心部、小野 (st.) のある商店街の辺りへ出てしまおう、あるいは花火大会のメイン会場や 牧場貫通を しよう、という発想で、生まれました。


基本、裏道で、今回は、帰りに、夜も走る作戦です。

意外と、明るいです。


このルートは、神戸電鉄粟生線の〝高架下〟をくくり、小野中心部のパン屋さんエリア、つまり、花火大会のメイン会場まで、市場エリアから 加古川リバーを見ずに、東寄りを貫通!


土地勘が芽生えてくると、できます。

小野駅は、通りません。


このルート、かなり重宝して、縁がなかった、粟生駅より東側の丘の繁華街に、詳しくなりました。

きらら通りの辺りの、東側の裏道、を通る機会が出来ました。

花火大会の時は、打ち上げ場所になりますから、その手前、メイン会場が 今回の到達地点。

手前に、ままちゃりを停めたら、完全、徒歩です。

というより、一度押し歩いて、引き返しました(笑)



夜のダンスステージも 向こうに 観れました。

その後は、お気に入りを聴きながら、花火です。


真正面でした!!

東側の、きらら通りより 南側が、打ち上げ場所ですね?



この花火は、都市規格の花火より、丁寧に、大切に、花火を打ち上げていきます。

単純に、バコバコ打ちあがるのに慣れている、阪神・神戸・三木エリアの人たちは、マンネリと感じることもあるかもしれませんが、わたしは、好きです。


大きなものも、ひとつひとつ、見れました。



きらきら、とにかく、きらきら、しまくっている花火が多くて、地味に、見たことがない気がします。


きらきらしている時間が長いです。


凝った花火が多くて、人が多いけれど、川沿いで、数十人と見ている感じ、でもありました。

ただし、迫力は、そうとう、あります。

10分の神戸の花火よりも。


きらら通りがあるから、きらきらしているのか、きらきらするから、きらら通りになったのか…。

後者だと、思いますけど。


ひまわりっぽい花火が多いですよね。

ラストは、三木で見た規模の、あれ、でした。

そして、丁寧に、ものすごいフィナーレで、やっぱり、色とりどりもあり、で、きらきらしてました。


途中に何度か挙がった、食べられそうな、色々な色が ちりばめられている 花火が、特に好きです。

よく工夫された花火が多くて、とても大きいわけですけど、感じは、スーパーで買ってくる花火を やっている、ところを、兼ね備えているような。


そういえば、地元で歩いていると、最近、スーパーで売っている系の、定番の花火を、みんな、してますね。

神戸、花火 夏にやらないから(笑)



というわけで、8月、広義の地元エリア、唯一の花火でした。

8月の花火は、元々、めりけんぱあく、の花火でしたけど、時期的には、三木ですから、めりけんぱぁくは、秋で〝も〟いいです。


暑いしΣ(゚Д゚)|||||。。



ライトを付けるのに 少々手間取りますが・・・。


前回の緑が丘 (st.) では、さすがに電池を入れっぱなしにしていたこともあってか、貴重なヘッドライトのひとつが、接触不良で、不調。

ヘッドライトは、高価で、2つしか持っていないので、小野の花火大会から帰ってくるときは、2つ欲しいところ。


なんとか、前日、端子を磨いて、点くまでにしました。

オンオフしがたいので、逆光の時は、手前で ちょっとの間、片側を手でふさいで、離合します。

(場合によっては、停まって、ハンドルを左寄りに傾けます。)


対向がない作戦の、三木鉄道エリア北の裏道、石野エリア~三木鉄道記念公園 の手前までが、ライト2つ必須区間。

昨年は大雨に当たりながら、クロスバイクで帰ってきました。

寒くないのが、唯一の救い。



そして、三木鉄道記念公園で、定番の休憩をして、補給。

バッグ・カゴを軽くして、山々を越えて帰ります。


この時点で22時半。

そこから、終電新快速の時間で、〝ホーム〟へ。


無事、着いたーーーー\(◎o◎)/!!!!!



あいかわらず、よく、帰ってこれるな、と思いました。


帰れないと、困るんですけど(笑)



つまりは、自転車で、貫通する、って発想が、普通は ないですから、選択肢に のぼらない。

ままちゃりを、クルマのように扱うには、信頼も、ルート開発も、ダイエットも、インテグラルも 必要で、特に、インテグラルを嫌っている、そこのあなた!

それでは、物価上昇の、この時代には、勝てませんよ?


わかってる??



というわけで、アフター・コロナまで含めて、最近、仕掛けられているなと思うことは、ちょっとした独り言を言うだけで、まわりから、怒られている、地元は、生きにくい時代になった、ということです。


私の独り言は、確かに、ある種の魔術、クロウカードですから、わたしに、唯一効く〝魔術の対象〟かもしれません。

実際は、理性で、範囲を絞って、しゃべっていますけど。


あるいは、生理現象です。

止められないわけです。

周りにしゃべる人、いませんからね。

声の健康上、声は、出さないと。



怒られるというのは、意味不明の 咳払いとかを、やってくるということです。


ここで言っときますけど、クルマのクラクションは、道交法上の対象に、合理的な範囲で使っていかないと、そのうち、大変なことに。

信号無視と変わらない。

もし勘違いされでもしたら、何が起こるか…。


時折、これについて考えますけど、私が歩行者に対してベルを鳴らすのは、別の理由です。

私が歩行者生活にシフトして、生きにくいと感じつつ、最もうっとおしいことのひとつは、自転車の接近が分からないこと。

だから、歩行者には、自転車の接近を 知る 権利があるため、判断で、ベルを鳴らしてます。

つまり、ここで、不意に、右に左に歩かれるならば、鳴らしてはいけないわけで、そうならないことを、織り込んで、安全を開発します。


そう単純ではないです。

クルマのクラクションでは、まずできないでしょう。



つまり、ベル+徐行 ができなければ、それで、ベルを鳴らす意味が ありません。

危険運転をしていないことが、歩行者に分からないと いけないからです。


クルマは、徐行しないですから、そもそも、条件を満たしませんよね。

考えたことすら、無いでしょう。

例の停止線で、停まらないし。



ちょっと、思いついたので、問題解決の発想として、乗せます。


体の垢を、全身、片っ端から、擦ってくとします。

昔話でもいいです。


どれだけ擦って、ゴミを出しても、体が こすれていくだけです。

どうせ、自然に、出ますし。


やがて、賢い人は、気づきます。

擦り続けながら、どれだけ擦って、全部 垢を出しても、体が腫れるだけで、いいことはない。


つまり、垢を擦り続けていくことが、現代の営み そのもので、ゴミ問題から、特別警報、物価の上昇まで言えます。

丁寧に花火を挙げることも、そう言われないためには、牛耳る何者かを〝生み出さない〟ことが 必要です。



郊外は特にそうですが、インテグラルや、普遍的な国際化に開くのに、ハードルがあって・・・。 子どもが親と仕事の関係で外国に行く。 子どもは日本にいたいと言う、というような 親の都合 とも似ているでしょうか。

神戸は国際都市ですが、最近は、空気が狭くなった気がします。

生活圏で、例の騒音がひどいからです。


そういう理由で、郊外のアイデンティティも、保存して、進化させている私 ですけど、話を戻しましょう。


垢の話は、それに〝気づくこと〟が、〝ハイパー変数〟ともいえる、〝時間に絡み取られた脳の外側に立つこと〟で、そこから、問題解決能力が、閃光のように到来する、そんなチャンスを 産むわけです。


垢を取るかどうかではなく、〝気づくこと〟で〝その時に、即座の変化が起きて、垢と自分の関係が変わっている〟点が重要ですね。


権力者は、垢を擦り続けているわけです。

繰り返し、繰り返し、やめない。



そういえば、白雲谷♨の 池のほとりの露天風呂に入りながら、ふしぎな雲を見ました。

なんか、この日は、へんてこな雲が、多かったです。


とりあえず、炎を わっか状にまとった、ラーミアが、居ました!

次第に、異次元に移ってました。



世界は、つながっている、らしいですね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年10月23日 (日)

KOBE 海上花火大会 2022 ☀♡♪ ~はじまり。~

自転車を、もう乗らないと決めて、夏が来ました。

開かれるイベント、花火大会を きっかけにして、グリーンシティライナー (ままちゃり) を、数か月ぶりに 引っ張り出してきて、ビーナスブリッジに向かったことが きっかけで、もう一周期、自転車に 挑戦してみようと思い、今まで行ったことのなかった、未知の角度から、ルビーエンジェラバイク (まほうのホウキ号・・・クロスバイク) で、やり残した ロングライドを含めて、パン屋巡りを しました。


そういえば、まほうのホウキ号に 出会ったのは、2016年の秋で、夏ごろから、ギターを弾こうかなと思いながら、やることがなくて、なぜか、自転車に興味を持ち、赤(RED)色の ルビーエンジェラバイクに、乗ることになったのです。

オレンジが似合う私ですが、夏に、その、お目当てのバイクが売れて、紅なる、REDの車両を、秋に またがったわけですよ。


私は、ちょうど、3年周期で、メインの経験(表層構造)を極め、次の3年で、新たな経験(次の表層構造)を見出し、それが続いていくようです

そして、メインの経験は、前半と後半の、6年続き、その後は、ベース(深層構造)になって、保存されます。


音楽は、2007年の夏~2010年を経て、2013年秋まで、本格的に行っていたと思います。

インテグラルな芸術家として、自分の道を行くと 決めたのは、2004年の夏を きっかけとして、2010年まで、修行期間のように とらえて、暮らしていました。


そして、アーティストとして、音楽作品を、セルフで広げたのは、2010年~2013年を経て、―― 普遍性としての、インターネットでの活動、2014年 初頭 ~2019年 始め頃まで ―― につなぐ形で、配信として、2016年には、基礎ができていたと思います。


自転車は、2016年の夏に、突如現れ、続いていきます。

実際は、グリーンシティライナー初代0号 (いたずらで籠を斬られ、サドルも 諸事情により、ことごとく取られた時代でしたね。 1万2千円くらいで、6段変速、オートライトが特徴的でした。) のクランクが、寿命を全うしつつあったことで、有馬温泉までの道が、険しく、坂が上れる 新型が欲しい、と、弱虫ペダルを見ながら、思い始めていたとか、いなかったとかω

そして、実際に探してみると、今まで扱ったことのない軽さで、ロードバイク扱いで 乗るようになってしまったので、別の目的、地平が広がった、ということになりますね。


で、どうして、自転車を極めることで、メリットができたのかというと、免許持ちのあなたが考える通り(より真逆)の事実です。

社会は、大混乱していると、クリシュナムルティは、根源的に主張し続けましたが、自転車で、不可能と言われ続けてきた (※本当は誰も そんなことは 言っていないんですけどω) 停止線で止まって信号待ちする類の、クルマと同じルール・規格で運転する〝自転車走行〟を行っていくことで、〝正しい社会を発見できる〟と、私は、気づきます。

クルマだけでは、難しいです。

ルールを守らない自転車の気持ちは、自転車に乗り続けないと、分からないからです。


私は、当時、路上駐車が邪魔なことから、バイクの間違った運転、すり抜けを まねて、結果、クルマに幅寄せされて、ボロクソ言われたことが トラウマになり、ルールを守れる運転を 開発すると 決めました。

そこで、初めて、インターネットがあるので、クルマも知らないような、細かいルールも含めて、標識や通行のルールを、覚えていきます。

ルビーエンジェラバイクが ありますから、クルマばかりの郊外 (裏道) で、同じように運転して、実践していきます。

自転車とクルマの違いは、実際、速度だけ で、その程度の差異でも、都市部で あまりに走行が違う (自転車は皆歩道を走るか、すり抜けする、信号無視をする) のは、クルマが、1.5メートル以上開けて追い越せず、自転車に 脅威を与えるからです。


クルマが、バイクを車列に入れない、路上駐車で、二輪に不利な状況を作る、こういった伝統の累積から、バイクのすり抜けが横行し、自転車が間違ったルールを覚え、歩行者が逆ギレして 信号を無視するまでに至り・・・。

今、クルマが発車してから 安全確認をして 青信号を直進しようとするときに 突如歩行者が横断してくるという状況に 直面している、自転車走行の、私が、居ます。

(このタイミングを、ほとんどの歩行者自転車が、想定できていないです。 音が無いから。 ―― つまり、他の自転車はルールを守っていないのです。)


すこし、自転車の話が長くなりましたが、私が、もう、自転車には乗らない、と、決めた理由が、お判りいただけたのではないでしょうか?

乗れるけど、乗れない、そして、乗らない、ということです。

しかし、7月から状況が変わって、グリーンシティライナー(ままちゃり)で、時々運用することになる、ような… 気がします。


少しだけ、ルビーエンジェラバイクでの近況を、述べておくと、ハイパー早出、長岡京市を 淀川から入って、逢坂峠 (Osaka Pass)、清阪峠、忍頂寺、安威川、淀川、さらに、酒蔵(さかぐら)通り~芦屋沿い(ローゲンマイヤーがあるところ) を、ラッシュの夕方6時台に貫通、という、秋のファイナルを修めてきました。

夏から体力が戻ったこともあって、ここまでやりましたが、阪神の道路に嫌気がさし、春に断念したコースです。


酒蔵通り(芦屋含む)は、往復2回、運用しましたが、(1回目は 周回で安威川・箕面・初の猪名川CR) ―― 海上ルートは歩道のアップダウンでしんどいし、2号や43号は、自転車をクルマ規格で走るのが不可能なことを、2016年~2017年で、証明したので、海上ルート以外を通るなら、選択肢は、出来るかどうかとして、見えてきます。 (つまり、クルマばかりが 入り乱れる道は、逆に、クルマ規格で 自転車が走行できない。)

酒蔵通り(芦屋含む)は、かなり早朝に走ると、どういう道か分かって、楽しいのですが、阪神の激辛の難易度を感じるならば、帰りのラッシュに、慎重に、クルマ規格(速度以外)で、走ってみればいいです。

片側1車線の破線なので、クルマに追い越される時など、クルマがいるとき、以外は、歩行者自転車の位置を把握して、気をつけて運転します。

歩道に行きたくないので、信号待ちの時、車道を、貫通するには、車列に入って、すり抜けのバイクに注意を払うか、より後方に待機するか、いくつか、経験により、選択する必要があります。

基本は、西ルートの、瀬戸川~加古川・高砂~姫路 の応用ですが、郊外の山側の クルマ社会のエリアを 数多く走った経験も 生かせます。

私は、基本、信号待ちで 車列に入らず、先頭の停止線か、後方で待機するので (ままちゃりでも)、交通量の少ない道と比べて、酒蔵通りの難易度は、跳ね上がります。

(後方なら、原付をブロックできるけど、車列なら、発車したタイミングで左に寄ったときに、非常に危ないです。 端に寄らずに 信号を貫通しようとしても、後続や対向右折などが迫って 左端に寄る必要が出てくることが多いので。)

めったに使いたくない 酒蔵通りのラッシュですが、東側のヒルクライムの後に、楽に帰れるので、重宝しました。

6年で、3万キロくらい、ルビーエンジェラバイクで走り修めると、車道を継続して貫通する方が、歩道を挟む走行の10倍楽です。 (もちろん、すり抜けなしです。)

簡単な状況把握で、前後左右、対策できるからです。

対応できるということは、スピードを出せる条件が 整ってくるということです。

都市部では、クルマどころか、自転車でも、満足に加速できません。

自転車で十分です。

ただし、車道規格で。


ここまで、読み飛ばしてください、とは書いていませんから、何の内容やねん、と思いますよね。

今回は、神戸と、花火大会の内容 なんですが…ω

 

❀ 夜空を彩る4日間!! 私のサイクルダイヤ!


18(火)・・・ [新快速] KOBE海上花火大会1号 [メリケンパーク行]

19(水)・・・ [特別快速] KOBE海上花火大会2号 [ビーナスブリッジ ✧SOUTH EREA✧ 行]

20(木)・・・ [特別快速] KOBE海上花火大会3号 [神戸大橋直通・ポートアイランド しおさい公園行]

21(金)・・・ [新快速] KOBE海上花火大会✧FINAL✧4号 [メリケンパーク行]


公共交通機関を一切使わないので、近況としての、分散型の花火大会でも、無理なく ダイヤに組めます。

去年に開催されていた場合、ライドスケジュールから、ワクチンを打てていなかったので、強気なプランは、組めなかったのです。

ファイナル以外は、ホームで、てぃんくる☆を見て、ゆっくりお茶して、夕方に、直行直帰です。

メリケンパーク以外は、余裕で、空いていました。

 

❀ 3年ぶり KOBE花火の〝3日間〟 [ホーム・1号・2号]


2020年、2021年は、開催されず、今年、芦屋の花火を ビーナスブリッジで小野の花火を 川沿い・ルビーエンジェラバイクで、見て、私の誕生日ライドは、マイナポイントと、パン屋巡りを含んで、この秋まで続いたと言えます。


1日目、月曜日は、ほぼ、家で、レコーダー内のフルーツバスケットを、カットしていました。 (さらに下記を参照。)

夏のあの日に、小野の花火でも 縁があった、雨。 夕方になっても、雨。 花火は、ちゃっっかり見れていて、確かに、3年ぶりに、10分間、きれいな花火が上がっていて、これは、見に行く方がいいな、1回でいいかな、ビーナスブリッジにも 行く方がいいかな… と、中央区までの移動が、億劫な私。


2日目、火曜日は ――― 緩やかな糖質・脂質制限 (基礎代謝分食べる) と、16時間ダイエットを、ラフに続ける日々の中 ――― お気に入りのパン屋のパン (食パン・バケット系) をカットして 冷凍保存したものを 焼いて、いつものように、ホットコーヒーと。

ワンコインレベルのものが、てぃんくる☆を見ながら、こうした形で、安く いただけるのは、インドアならでは♡

コーヒーが 高くなっているとはいえ、食べたいものを 食べる 工夫をすることで、まだ、我慢する段階じゃないです。


最近は、食べたいものしか食べてません。

小麦粉と卵と冷やした紅茶を混ぜて、砂糖と脂質を抑え、効率微妙なるも 小麦粉の たんぱく質をも 取る作戦。

イチョウ型に、フライパン、そして、カリッと1000Wトースターで焼くも、焦げる部分を食べてしまっていることがあり、そこだけは、何とかしなくてはね。

プレーンに飽きたら、まとめて作って冷凍してある、豆腐ハンバーグに、ケチャップとソース、あるいは、とろけるハヤシ0.5皿分のルウを溶かして+ケチャップ、に、カリッとした上記のホットケーキベースの焼き立てパンで、いただく。

今回は、ハンバーグの前に、ポテトフライ形に切って、素焼きした、皮つきサツマイモと、ホットケーキベースのプレーンで、おいしく。

後発組のプレーンには、スライスチーズを 分散して乗せると、味が一変して、さらに おいしいのです。

他にも、8枚切りくらいの 少し焼いた食パンに、マーガリンを溶かして 砂糖と混ぜ、ピーナッツクリームを少量塗って焼く、アーモンドトースト。 焼き立てバケットに、少量のチョコクリームを塗った、チョコフランス。

いろいろ、できるのです。

キャベツは重宝して、おなかが空いている朝に、おいしく感じるうちに、適量食べます。

芯も食べちゃいます。

にぼしも、余計な脂質とかが入っていない たんぱく源なので、重宝します。


そうこうしているうちに、時間が来たので、メリケンパークへ。

さすがに、まだ、定着していないイベントという感じで、大量の自転車がいる ということもなく、すんなり、いつものエリアに停めて、奥へ向かいます。

わりとすぐに、夜になり、花火が、空いっぱいに 広がります。


ああ・・・。

この近さ。

これを、2019年も、見ていたんだな…。 と思いました。


もう、見れないんじゃないかな、と思っていた、メリケンパークの、花火。

自然に、簡単に、日常的に、こうして、特大のロケーションで、花火を見れていることに、驚きよりも、ふわっと、軽く、時が流れていく感じ。 それは、私に、私たちに、何かをもたらしたでしょう。


何より、こうして、みんなで、この雰囲気で、花火を見ることが、懐かしかった。

まわりには、多くの子どもたちがいて、気温もよくて、家でも ゆっくりできて、帰りも 割と早くて、この3年、闘ってきたなって、道中楽しむことも 試みて来たな、って。


10分間とはいえ、3年ぶりに見た、なつかしい、特別な思いのある、メリケンパークの花火は、30分を越える 時間にも 感じました。

もはや、恋人ですね。


そして、水曜日。

連日自転車を 走らせる気はなく、もう一度、メリケンパークに行きたいけど、ビーナスブリッジへ行ける 絶好の機会なので、夕方でいいから、出発しよう、と、決めます。

夏以降、ハイパー早起きを 自転車と組み合わせ、当日まで、予定を決めない、という方式を とってきたので、今日も、そのノリで。

朝に、冷凍用の、おいしいパン(食パン・バケット系)を、お気に入りのパン屋へ、グリーンシティライナー(ままちゃり)で、買いに行きます。

昼は、家でゆっくりして、夕方前に出発。

明るいうちに、ビーナスブリッジまで、中継点から 徒歩電源に切り替えて、到達。

ビーナスブリッジ、入れるのかな?

そうこう思っていると、工事で ブリッジへの道が 閉鎖。

な・・・るほど。

無心で、奥に回って、展望広場まで 行くと、見れそう。

大型の海上花火大会の場合、車道は 規制されていると 聞いた気がするけど、今回は、そういうのはなかった、ってことかな?

5日間も広がるという点で、動員数は 多くなると思うけど、色々な場所で見れるから、メリケンパークエリアでの交通整理とかは、大型の花火大会より、楽だろうな。

昨日も、そんなに、地面とか、散らかってなかったし。


そして。


ちょうどよい大きさで、花火が上がり始めます。

ちょっと肌寒い、10月の今日。

芦屋の花火を見たブリッジエリアは、今回は 立ち入れないけど、用は、なし。

展望エリア、三脚の立たない場所で、クルマに乗ってきたのかな?子どもも含む 10人程度と一緒に、まるで日常風景の花火を、楽しむ 私。

すでに、3日目だからね。


この前まで、ビーナスブリッジの夜景は 見たことがなくて、花火が上がるという モチベーションで、2回も観れたよ。

 

❀ KOBEの〝すてき〟な Kosmos 彩る 4TH DAY! ✧キラキラ✧


今日は、少し日も高くなった朝。

少し強気に、炭水化物で満たして、さらに、お気に入りのパン屋へ。

夏からのライド、パン屋巡りで、お気に入りの、地元のパン屋を、最近、見つけています。

つまり、ルビーエンジェラバイクでの 郊外のパン屋巡りよりも 遠い場所に、グリーンシティライナーでの、地元の良きパン屋 は あるのです。 (※地元です。)

昨日まだ 焼きあがっていなかったバケットと、まだ食べていなかった 菓子パン2つを買って、おいしいコーヒーを いただき、そして、ちょっとした山を 越え 登っていきます。


火曜日から、連日晴れて、特に昨日の水曜日は、パン屋への お出かけだけでなく、本来やりたかった、山ライド。

グリーンシティライナーで、今日、やります。


本日は、五月晴れの大快晴。

申し分のない気温で、去年に初訪問した、コスモスの丘。

地元です。


晴天の中、色とりどりの コスモスを見て、癒されます。


実は、結構 疲れていて、以前も言いましたように、ここ3年程、見えない感情的な疲労が、私をむしばみ、ちょっとした花火を 見るくらいでは、とても、心は、晴れない気がしています。

でも、メリケンパークで、みんなと見た花火。

あの雰囲気は、確かに、私を癒していく兆候が ありました。


自我の区別、他者というものが 幻想である以上、自意識によって 生きていかねばならない この3年、私たちが 幸せなはずがありません。

見えない〝奴ら〟が、どこから来たかは、ひとまず置いとくとして、その手のニュースを 必死に見ないようにしたりと、長い時を、自転車とともに、インドアとともに、重ねてきたと思います。

花火を見ていると、他者との区別が 無くなる気がして、幸せなのです。


というわけで、さすがに、ちょっと、疲れている私は、今日あたりから、底をついた資金を緩め、グルメライドを試みます。


コスモスの丘には、お昼を ひとまわり過ぎた、ある意味 いい時間に 着いており、滞在は、1時間限度でしょうか。

平日ですし、ハウル気分で、階段の端に座り、少し、瞑想モードで、静かにすることにしました。


この、中央区っぽくない感じが、いいんですよね。

特に、座りながらは。


距離は伸びますが、阪神の激辛区間から、一度、ルートを外すと、モチベーションが 復活しやすいのです。

そして、コスモスって、いい匂いが、しますね。



コスモスの丘~メリケンパーク まで、移動します。

どういう組み合わせでも、コスモスと花火を 1日で見ると、片道で この距離を 走ることになるのです。


生野~奈良、という風なノリですが、途中にカフェではなく、ホームを持ってくることで、終点ではなく、中継扱いにできます。

もう一度、急ぎですが、甘みも入れた紅茶で、補給をして、再び、出発です。


そして、メリケンパークの辺りへ行くと、すでに、暗くなりつつあり、人が多く、すべての人が、南に向かっている気がします。

なんか、迷った空気感を 感じる私は、強引に、東へ、予定通り、迂回します。

そのまま、神戸大橋を通り、1度くらいしか 行ったことのない、ポートアイランドへ。

そのまま、自転車を押す区間を経て、直進。


あれ?


ちょっと、話を戻しますが、高速道路なのに、一部 歩行者専用通路があって 車が通れない区間が あったら、不自然ですよね?

この たとえ は 分かりにくいので、(存在しないだろうから・・・。) クルマが、目的地までのルートを読み込んで、そこを通る必要があるのに、通ることのできない道があったら…。


何が言いたいかというと、〝自転車〟という 立場で、神戸大橋の先を、一部、通ることができないというのは、自転車で貫通して通れる道が、ない、ということです。

これは、自転車を排除しているとしか思えず、自転車で貫通して通れる道を 用意すべきと感じました。

これをしないことは、高速道路の一部が 歩行者用通路になって 通行止めとなっている クルマ走行での高速道路、と、大差ないでしょう。


と言おうと 思いましたが、神戸大橋は、自転車、歩道なので、高速走行をしてはいけません!

それは前提です。


今回、言いたいのは、つまり、自転車を押す指定の区間に、信号を設け、自転車が乗って走れる時間を、作ればいいのです。


① 信号を作って運用するコスト...。

② 階段のスローブで劇坂だと思えば どうせ押すでしょう!」


これらから、信号待ちより、押した方が早い と思いました。


つまり、一部押し歩きは、〝たとえクルマのせいで 走れる道路が 奪われているとしても〟十分譲歩できる、と言えます。

歩行者は自転車の上位互換、徒歩は自転車走行を含む、この意味が、真に分かる ひとつの例です。

(どんな道でも、我が物顔で 走行権利を主張する、クルマには、得難い体験ですよね。)


自転車走行でも、歩行者並みに、それ以上に、周りにやさしい移動ができれば、こういったスローブこそ、望んで押せる気がします。

下りでは、後ろに 気をつけなければなりませんが。


そして、ポートアイランドを、歩道沿いに、南へ向かって、公園の端まで行っている つもりになると…。


いつのまにか、橋を いくつも渡っていることに 気づきます。

既に夜なので、直進を 意識しすぎました。


実は、最初の押し歩き区間の後、ダートエリアを、平たん左の方に 直進して抜けて、東西に走る道路に出る、ここが、正しい、公園の終点でした。


あまりにも 行き過ぎていたので、すこし、西側の道を、北へリターンして、海側へ行けそうな道を、探します。

確か、西に向かう中で、両方とも、大きな道が交差する、交差点を、2つ経るんだけどな…。


なんとか、正しい場所で、左折できたらしく、ピンポイントで公園へ。

奥へ行って、そのまま、そう待たずに、きれいな花火が上がります。


間に合ってよかった。


急ぐ気はありませんが、未知のエリアに来た感じが、よかったのです。

今日は、少しゆっくりします。

花火大会直後の、メリケンパーク周辺の歩道は 地獄なので、ちょっと時間を置いてから、車道メインで走れば、楽なのです。


きれいな景色に、観覧車の光。

ビーナスブリッジと対照的に、六甲山方面へ向けて、景色を見る 夜景は、また、レアな感じがして、新鮮でした。

元々は 海だったのだから、船に乗らないと、見えない景色だったんですよね。

 

❀ スイーツに中華街! KOBE花火 ✧FINAL✧ の奇跡♡


いろいろ、意見はあると思いますけど。

でも、去年、開こうとして 開けなかったのだから、今年、こうして、たくさんの人と、花火大会を 成功させることができるのは、奇跡でしょう!


私の誕生日のシーズン、8月上旬に、10年以上、1日の特別な日として、花火を見てきた私。

そういう気持ちで、音楽や芸術を やれればいいな。

例えば、ライブをやったり、見たり、ね。

KOBEは、そういうところだ、と 感じて、私は、花火を見てきたのです。


今日は、1日だけの、特別な日にしたい。

というわけで、グルメを取り入れて、花火大会を 迎えます。


すでに、みんな、同じことを 感じているというか、明日と一緒に 連休にできるというか、人が多いです。

火曜日とは 比較にならないほど。


木曜日の ポートアイランドに向かうときの、メリケンパークへ行く人も、多かった気がします。


火曜日に見た花火が、とてもよかったので、もう一度見たい、と思った人は、半数以上でしょう。

花火が好きで、来ているわけですからね。


月曜日の時点では、ホントに上がるのかな? どんな感じのなのかな? 去年は 開かれなかったしなぁ、と思っていて、火曜日に見て、この流れだと、金曜日のファイナルに、倍以上、人が来ることは、さすがの私も、あり得るとは、思っていました。


意外と 空いていたと 情報が巡れば、有料席メインだった芦屋の花火をはじめ、三木や小野、明石や西宮、北区や西区、いろいろなところから、人が集まるのは、必然でしょう。

神戸の花火、メリケンパーク5日間は、〝ぜひ お越しになっては いかがでしょうか?〟という風なフレーズが 印象に残りました。

これは、直観的に、半径40キロくらいの来訪者 (例えば 北区の道場エリア) を想定している風に 思えます。

同じ半径40キロなら、小野や、加古川、大阪の塚本辺りでしょうか。


そして、確かに、ファイナルは、通常の大型花火大会と、変わらない雰囲気に 満たされていたのです。


去年に、見たかったと 思っていた人たちが、集まってきたのならば、今年にこそ開かれて、大成功でしょう。

動員数と規模によって、この事実を見るなら、ベストのタイミングです。


私も、最初は、人数を減らす目的で開催するために、分散するのかと 思っていましたが、スムーズに入退場したい人が 行き来できれば、問題ないところまで、ワクチン接種は 広がっており、公共交通機関を日々使っている神戸の人たちにとっては、このくらいは日常です。

いまさら、厳格な制限をしても、イベントコストが無駄です。


神戸は、そういう非効率なことを やらない街なので、好きです。

去年の分の花火も、状況を見て、今年に上げればよいので、応用が利きます。


この花火大会は、都会でしか、できないので、条件が揃えば、郊外からも 来てほしい そんなイベントです。

そして、平日ならではの、スイーツや、様々なグルメ、観光も 楽しんでいってほしいのです。


お昼ごろに、メリケンパークに。

修学旅行を思わせる学生と、遠足と思われる、かわいい制服の 小さな子どもたち。

すでに、手加減なく、メリケンパークは、にぎわいまくっています。

そして、ほとんどの人は、中央区の外から来ていて、公共交通機関を使っています。


ライドのモチベーションを兼ねて、新たに見つけた、おいしいケーキの店が、午前中に ある程度 売り切れるので、まず、お気に入りの チョコのロールケーキを 買いに行きます。

今回は持って帰らずに、冷凍庫に確保していた コーヒーのペットボトル入り 保冷パックで、ケーキを保存します。


パン屋さんで、ちょっとしたパンを買って、コーヒーをいただき、しばらく、ゆったりとします。

その後、駅中心部を 歩きます。

酒蔵通りと 関係があるのか、山田錦と 関係するのか、酒のイベントを やっているエリアが にぎわっていました。

阪急ビルの辺りから、思い出の センター街と並行する 屋内を 通って、新快速とか見ながら、色々なことを 思い出します。

適当なところで、保冷パックのアイスコーヒーと、買ったケーキも 食べて、中華街へ。


ロウショウキは、人が並んでいるので、先に、まだ見ぬケーキ屋さんへ。

すてきな内装の店で、持って帰るのも あれ なので、チーズタルトを、いただきます。

チーズは たんぱく源なので、甘いスイーツより 先に食べた方が おいしいです。

徒歩で、たんぱく質が 欲しいところなので、重宝します。


久しぶりに ナイフとフォークを使いました。

食器の構成は、ホットケーキを食べている感じかな。

サクサクしている パイ生地がまた、ハマりますね。


おいしいなぁーーーーー(*´ω`*)


神戸に限らず、三木など、チーズケーキが おいしいエリアは、広がっているんですよね。

自転車だと、交通費分を 足せますので、神戸のチーズケーキは、安く食べられます!

初めて行くと、値段に 面食らいますけど、ひとつの基準は、250円、もう一つの基準は、500円で、中央区は、後者が多いですよね。

このチーズケーキも、後者です。

ホテルのデザート みたいな!


元町ケーキのロールケーキは、すてきな庶民価格で、250円クラスだったかな?


さて。


ここで、軽食が欲しくなる…と、もはや、言ってみます。


横浜の中華街で感動した、焼きシャオロンポウ。

今や、YUNYUN があるので、久しぶりに、食べに行きます。


ぶたまんの ふわふわのまんも 食べたいですが、今は、カリッとしたのに ハマっていますからね。

迷いましたが、今回は、シャオロンポウに、縁がありました。


ダイエットの基準からは、完全アウトな ジュースですが、焼きシャオロンポウ 3個400円、これに、ファーストフード・クオリティーの、セット、かわいらしい、カステラのような、生パインケーキ、メロンソーダ、で、計600円!!

ケーキは、アーモンドも入っていて、おいしい!!

メロンソーダは、自販機では買わないし、1.5Lでも 見ないし、カラオケ時代に、結構 懐かしい味。

さりげに好きで、10年くらい、飲んでいない気がする。

小さめの氷も いい感じで、量も、いい感じ。

氷を バリバリ食べながら 飲むと、かき氷で、お祭り気分♪


既に 辺りは夜で、ワクワクが、止まりまへん。


焼きシャオロンポウの、柔らかいところを、箸で割って、パクっと、汁を 吸い出します。

後は、たれを 内部に入れたり、そのまま味わって、後で たれを味わったり、おいしい中華に、心躍ります。


横浜の中華街で、以前、飲茶を食べ放題したので、その時のことを、思い出します。

おいしいと感じるためには、少量がベストで、その時の瞬間の味こそが、食べ放題の時の おいしさ なのです。


例えば、ロングライドの後の 静養のインターバルなら、飲茶食べ放題は、アリでしょう。

すべては、工夫と、知恵です。


スイーツから中華、これだけ、色々と食べても、飲んでも、交通費込みで、飲茶食べ放題の半額!!

そして、花火大会、ファイナル!!


神戸って、いいところでしょ?


30分前がベストだけど、すでに、海のそばは、すべて 人で いっぱいなので、火曜日に 見てよかった、打ち上げ場所に 近いエリアで、待機。

やっぱり、ビーナスブリッジより、ポートアイランドより、断然、花火が、大きいね!!


見上げなきゃ見れない っていうくらい、大きくて、近い!!

以前の花火は、特大のものがあって、耳を ふさぎたくなる 爆音が出るんだけど、今回は、そういうのがないのに、結局、特大!!


そして、ファイナルの、いっぱい上がる、すてきな、オーソドックス色の花火!!



まだまだ、上がるよ!!


たくさん上がるよ!!


いっぱい、上がるよ!!


すてきに、上がるよ!!!!



よかったぁぁぁーーーーー(≧▽≦)



そこかしこで、拍手が、ハートを満たしていくね。

そして、今日の日が、そう、今の時が、はじまる。


はじまる。


かがやく。


KOBE 花火 2022 ファイナル❀ ~ はじまり。 ~

 

 

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❀ スペシャル・エピソード ~KOBEの意味・予知・近況~


4日目の ポートアイランドの頃から、私の心は、晴れ始めてきました。


永遠というものは、無いし、〝いらない〟ということを、深く感じて、花火を見て、私の弱さは、何なんだろう? と。


野外で、簡易ライブをすることが、できるんじゃないか?

私自身が、そう判断することができるかもしれない、一番最初の時期が、今。


最初で最後の 時期かもしれないけれど、ここは、重要な転換点 だと思います。

ワクチンを重ね掛けしたことも、その記憶を無くしていないことも、この機会のために積んできた、と言えるかもしれません。


もう、数年、人前で歌っていない私は、音楽家を、絶版扱いで、自分が何者であるか 証明しようとすることなど、もはや、贅沢な、ゆえの、冷笑感ある、諦めをも、漂わせているくらいです。

無感覚・・・の?


永遠は〝いらない〟


もし、私が、そのことを〝わかったなら〟―― きっと・・・・・・・。


私は、野外ライブが永続すること、自転車に いたずらされず、盗られないこと、数ある未来の あらゆることに、面倒ごとが起きないように、願っています。

この、願い方、は、自分勝手で、人が不幸になってもいい、このご時世の中、人に かまっていられない、という種類の、感情です。


今年の夏、自転車でパン屋巡りをし、ハイパー早出と 短いインターバルで、やり残したライドを していて、少し、分かったことがあります。

心配事のコストを軽くして、これは無茶だとか言う 思考プロセスなる時間を飛ばして、目的を直観していくと、絞られて、集中できるということを。

そして、自転車に もう乗らない、この基礎の上に、今回のライドも、生まれ立ったであろうこと。


この、複雑なメカニズムに、糸口があるとすれば、何らかのバランスが、新たに創発しているのではないか? ということで、これが、垂直の発達段階(Y)で言う、ヴァイオレットとか、ウルトラヴァイオレットの、構造なのかもしれません。

クリシュナムルティは、これを、思考の終焉、時間の終焉、ボーム博士との対話、学童レベルへの潜在的翻訳 (歩行者は、自転車・バイク・クルマの上位互換、と関係する) など、〝Y〟と違った方法で、生きた経験の中で 私たちに もたらしてくれました。


宇宙 (Kosmos; 基底) には、意味がある

けれど、私たちが、この間違った社会の外に立つ すべ がないなら、意味が崩壊したまま 手遅れな 癌なら、あまりに寂しい…(*´Д`)。。と。


クリシュナムルティは、言うんですよね。


寂しい・・・(´゚д゚`)。。 と!


〝Y〟というのが どうであれ、〝永遠は いらない〟というのを、私が理解できれば、社会は、私の中で、自然に輝く気がします。

今、私の中で、絡まっている、いくつかの問題は、いずれも、この〝永遠〟と関係していて、寿命とか、病気とか、直面したくないものの不安で、構成され、社会は、それを欲望として、稼ぎに利用します。

私は、それと かかわりたくないと思っている、けれど、まだ、その方法を、理解しているとは、言えないんですよ。


中央区に向かっているとき、JR高架沿いで、外国人3人が、自転車で、ゆっくりと、併進して、ぶつからずに、うまい運転を していました。


彼らは、歩行者の立場で 移動した方が いいのではないか、と思います。

その方が、日本では、有利です。

しかし、ぶつからずに 走行できるのなら、これで、悪いわけではありません。

おもしろいことに、クルマが後ろから来ても、3台は、既に 左に避けており、クルマは、クラクションを鳴らしません。

言葉が通じないだろうから、トラブルになるのを 怖がっているのでしょう。

いずれにしても、クルマが、ゆえに、日本の自転車が、ルールを守らないから、間違ったルールで、この人たちは、併進しているのでしょう。

すでに、世界は、大混乱しており、誰も 聞く耳を持つ余地がないなら、まず、小さなミスから、波紋が広がっていくことも、否めません。


私は、それに 巻き込まれたくない。

だから、もう、自転車には乗らない。


しかし、歩行者は自転車を含んでいるので、実際、より、クルマを停止線で止めることができる権利=卑猥なクルマにひき殺される危険性 が高く、何の解決にもなっていません。

直観を鍛えたうえで、すべてを回避できるとしたうえで、それでも、何が起こっても、文句を言わない、動じない、と出来てこその、スーパー歩行者でしょう。


お気に入りのパン屋からの帰り道に、平たん、民家沿いの道路で、小さな男の子を遊ばせている 父親がいました。

私は、親に、ろくな思い出がないけれど、今は、それが大きく関係するわけではないので・・・。


で。

その道は、歩行者・自転車のルートに なり得る、奥が山手の道で、クルマは、直通ルートとしては、抜けてこれないのですが・・・。

この年の子どもは、いきなりダッシュしたり、動きが予測できないということだけは、サイクリングロードなどで、いろいろ経験しているので、距離を置いて、パスしようとしたけれど、念のために、なんとなく、停まると…。


とある父親 「ちゃりんこ、はよ行けよ! (ぼそっ)」

なんか、ちゃりんこって、ちゃらんこ♡ みたいだよね。 ( ※「武術の大会」 )


私 「そこは、子どもいるから〝止まれ〟やろうがぃ! 自転車は、歩行者がおったら、停まらなあかんのやぁーーっΣ(゚Д゚)クワァァっ!!」

※マジ話ですω


で。

家族のトラウマのせいで、私が、こんな切り返しをしたのか、お気に入りのパン屋に寄った、ウキウキの帰りだったことの方こそが、関係したのか、つまりは、神戸は、子どもの街なので・・・

(あまり知られていないけれど、神戸は、子どもが神聖な存在 なんですよね。 K(O=)BE だから。。)


ちなみに、その後。


とある父親 「ありがとうΣ(゚Д゚)♡!!」

(オババの試験で、ドッキドキ💝 ?)


。。


吹き出す読者が いるかもしれませんが、このパパは、クルマに乗る人だとは、思うんですよね。

歩行者メインなら、自転車は、同族グループで、歩道側を行く仲間だから、一旦停止しているくらいで、ツッコミは、入れない!!

・・・と思います。


クルマなら、チャリ=邪魔 という構図が完成しておいて、しかも、自転車に配慮する運転をしていないので、〝1.5メートル空けて 追い越してよ!〟と 伝えたいのだけれどね!!


なぜか、数日、このことも含めて、無駄に落ち込んでいた気がする、私ですが、要は、ガレージでもない、道路、つまり、公道において、子どもを遊ばせておく=道を占有する 行為は、基本的に、違法であり、信号無視と同じでしょう。

(実は、目の前に、公園もあるんですけど…。)

この場合、イレギュラーなことが起きがちなので、クルマでも、自転車でも、一旦停止をして、子どもが向かってこないことを確認、その後、距離を離して、ゆっくりと出発。

それができないなら、免許は、返上した方がいいです。

(※ 自転車の免許は、ハート!)


落ち込んだ一つの理由として、――〝止まらなあかん〟のところは、厳密には、〝止まって、押し歩かなあかん〟って私は、言ったかな? ―― 子どもの前を通過する前に、押し歩くのが最善なんだけど、酒蔵通りを走って帰ってくるとき、歩道に上がらない運転≒自転車を降りて歩行者にならない運転 を試みていた関係もあり、あるいは、ポートアイランドのところの、自転車は押し歩きのような、権利の関係を考えていくと、不用意に歩行者になることは、〝一般車両としての感覚(と義務)を 一時的に解除することになる〟点で、長期的には 望ましくない気もして、今回は、押し歩かない選択をしました。

或いは、武庫川を渡る、例の橋のラッシュ時が、あまりに地獄で、自転車を降りて押す 自由も なかったので、激辛の阪神のラッシュを受けた 翌日だったことも関係します。


どうしても、パンが 欲しかったんですよね。

家で、ゆっくり、お茶して、ファイナルライドの成功を、お祝いしたかった…。


押し歩いておけば、そこで 何も言われることはなかったけど、あるいは、降りるタイミングで、別の切り出し方をされる場合も…。


こういう風に、微妙に、社会のルールは、病んでいっていて、それがさらに、多数派になって、日本人は周りに合わせるので、積極的に、免許保持者の親が、ルールを無視する、という、笑えない事態が、現実に起こっている わけです。

こういうことは、学校で、教えるべきでしょう!

お巡りさんたちも、ぜひ、小学校に行ったときに、教えてあげてください!!


先の例は、私が、〝永遠は いらない〟を、理解していないこと、その面で、いつまでも変われなくて、無駄なことで、落ち込み続けている、という点を、強調したかったから、そして、そこに、歪んだ社会のルールも 並在していること、それをも 知ってほしかったから、述べました。


KOBEは、子どもを愛する街であり、交通戦争が深刻な都会において、それを風刺したマンガは、〝フルーツバスケット〟だということも、以前、触れましたね。

レコーダーが普及した現在、テレビアニメというジャンルは、市販の円盤を見るのではなく、デジタル録画したファイルならば、いくらかバックアップした後、消去せず、カットできます。 (まさに、フルーツのように!)


ミュークルドリーミーで、いかにも、変身シーンをカットしたくなるように 制作していることもヒントで、深夜枠規格のフルーツバスケットを、子どもが見ることもできる、くらいに、シーンをカットしていく。 また、そのメリット。 これは、ひとつの大冒険でした。

ここで、この点に触れる理由に、私の子ども時代が 関係するのですが、もう少し、後に触れます。


フルーツバスケットを、1度だけ、1話ずつ見ていっても、深いところの、3割程度しか、分からないと思います。

印象に残るシーンが、次のシーンにつながるほど、すべてのシーンを要約して 理解できていないからです。


フルーツバスケットは、単なる、交通戦争に反対するような マンガ・アニメ だったわけではなく、それも含めて、私の近況を 貫通しています。

(ミュークルドリーミーも、そう主張するように、です。)


私が試みた要約版で、スイーツを食べながら 見ることができるくらいに、シーンを軽くした フルーツバスケットを見返して、ラストが すごくいいこと、一番グッとくるのが〝十二支と ねこ の話〟だということが、わかりました。


社会に臆病な、神さま (ほぼ 私) は、ねこ (ほぼ ゆきちゃん) の意志で、おそばに来てもらって、寿命を全うするときに〝永遠は いらない〟と言います。 (※ 「君と重ねたモノローグ」の意味 )

ここで、十二支は、空間予知を使える 有名サイド (尾田っち、桜井さん、まいまい様・・・) 、神さまと ねこ は、時間予知を使える 無名サイド (私と ゆきちゃん) で、りんごとみかん=「3D2Y」 ですけど、有名サイドは、未来をテーマに読んで、永遠を作品にして、そこに群がるスポンサーは、〝お金=BELL・Y〟つまり、興行収入のための大衆娯楽に、これを、歪めて、利用するわけです。

ちょうど、社会のルール、道路交通に、直結する通りです。


有名サイドは、みらいのことばを、色々な形で、主張 (リンキング) していきますよね。 (「ナミヤ雑貨店の奇蹟」では〝ハートの海賊団としての ベイビーちゃん〟―― フルーツバスケットでは 先の例で、入間くんは まいまい様を経由して、他にも数えきれないくらい、有名サイドは、おらんげ的な〝リンキング〟を通じて、みらいのことばと その内容における、コスモスのアドレスを、主張しています。)

問題は、私と、ゆきちゃん、に、依存している、という点です。


これは、証拠として、十分に、挙がっているでしょう。 (花火のように。)

未来が具体的に わかると、世界線の修正が、容易に 効かなくなります。

時間予知を正しく扱うことを、除いて。


しかし、クリシュナムルティが言うように、基底、そして、時間の終焉 (=永遠は いらない) は、時間予知 (私と ゆきちゃん) を、社会(有名サイド)が、もはや、正しく活用できていないために、明るい展望が、無いようなのです!

交通戦争も、世界のわだかまりも、心理的な知識としての 思考と時間の終焉によって 正しく、今、解決できる、そんな希望が、持てないのです。


私の時間予知の主観では、興行収入とか言っている時点で、交通戦争を永続させて、私たちを ひき殺したい、と主張しているようにしか、思えません。

ということは、こうは、スポンサーは見えていないか、わかって、わざと行っているか、です。

冗談は、言いません。


有名サイドは、皆、ひとりの人間ですから、それぞれ、考え方が、違います。

全員が、同じ目的に合意できるわけでは、ありませんよね。


ということは、遠くないうちに、悪意を持って、みらいのことばに、そのリンキングに、破壊行為を厭わない者が、現れるでしょう。

そして、みらいのことば (正しく扱えば、交通戦争などを簡単に解決できるもの) を、完膚なきまでに 崩壊させていきます。

それは、2011年に、起こりましたよね?

(たぶん、フルーツバスケットの作者も、合意する、と言っているように。)


自転車に私が乗った共時性も含める形で、時間予知の性質が分かるような 一面を、説明しましょう。


〝KOBE〟は、HEAVEN’S GATE ですから、空に浮かんだ ジャヤ です。

空に、ベル (BELL) が、あるわけですよね。 (ディーノ意志 とも言えます。)

〝Y〟は、高度を表し、インテグラル理論では、垂直の発達段階の Y軸として使います。


円安で おなじみだと思いますが、日本円は、〝JPY〟と表記されることがあり、つまりは、日本の〝円(=Y)〟です。

垂直の(天空の)羅針盤が、フラットランドに倒壊することで、〝Y〟は、興行収入に、ぶっ壊されます。

(BELL・Y が、イーブル=悪 になる。)


神戸は、国際都市ですから、地球の芸術 (アート) の中心地です。

神戸だけが そうとは言いません。 私の立場で、主張することによって…です。

内容というより、みらいのことばによって、ということです。


KOBEには、共時性によって、人が集まってくるようです。

というより、予知を使える人が、集まりやすい、と言えます。

(これは、神戸と似て、〝ゆず〟を生み出した、横浜にも、言えるかもしれません。)


さらに進んで、神戸に引き寄せられることは、自ら、予知能力 (時間と空間のモード) のラインを、開発することになるのでしょう。


ここで、私が、家庭・学校ともに崩壊寸前まで追い込まれた、小学校高学年の時代の 話をする価値が、出てきます。

私が、時間予知を使うならば、それは、時間をぶっ飛ばすような、非時間によって特徴づけられるので、生まれる前(未生)の時点で、時間の外で、この出来事は、包括されていた、と言える可能性があります。

それが、神戸へと向かわせた、ひとつの流れなのかもしれません。


ポイントは、私は、子どもであった、ということです。

神戸は、子どもを、神として、愛する街です。


ゆきちゃんが、姉妹の話を しているので、私も、かたくなにスルーするのも デメリットが大きいと感じ、少し、触れることにします。

私たち兄妹は、当時、南大阪から、神戸に やってきました。

(その南大阪には、2019年に、ルビーエンジェラバイクで、貫通することになります。 そして、この6年で、唯一、パンクしたライドです。 原因は、たぶん、釣り針でした。)


きっかけは、いとこが、神戸に住んでいたからで、そこに あこがれていた節がありました。

私は、小6の春、ひとりで、電車に乗って、いとこの家に行き、それが、大阪を出る きっかけとなります。

詳しくは 述べませんが、神戸が、子どもを愛する街であったことは、私たち兄妹を 受け入れるということに、容易であった、と言えます。

今でも、私たちが、神戸に住み着いているのは、この理由と、切り離せないでしょう。

そして、ルビーエンジェラバイクで、神戸を拠点として 走ったことも、偶然ではないのです。


神戸に来て、しばらく経った頃、上の妹が、フルーツバスケットに、ハマっていました。

私が大人になった頃、妹は、〝おにぃは、何か すごいことを やりそうな気がする〟と言っていたらしいです。

また、私の 社会に臆病な生き方を見て、〝損をしている〟とも、言っていました。

(当時の、オレンジレンジ、HY、神戸なら、ロードオブメジャーや、175R のような、〝Y〟はどうであれ、神戸のティーンエイジャーらしい生き方、が できていない私に対して、そう言ったようです。)


今の私が、この〝おにぃ が やらかす、すごいこと〟を証明できている、かは、わからないし、する必要すら、無いのかもしれませんが、ゆきちゃんには、知っていてほしいかなぁ。


ただ、〝すごいこと やりそうな気がする〟という 着眼点は、共時性の KOBEで、フルーツバスケットを見ていたのなら、私としては、分かる気がします。

設定だけは、なんとなく、知っていましたが、私は、2019年のアニメから、フルーツバスケットを見たので、これは、私が音楽の道に走っていくことと、兄妹と神戸と、フルーツバスケットの、ユニークなシンクロニシティ (ふしぎな偶然) と言えるでしょう。


自転車(ルビーエンジェラバイク)で、6年、ライドをして、大阪でも姫路でもなく、なぜ神戸だったのかは、分かる気がしました。

当時と随分変わり、自転車でも、前より走りにくくなった かもしれませんが、神戸は、海側が、クルマ社会でない点で、子どもが後ろ向きに生きなくて良い条件が、さりげに揃っています。

そして、それに気づいていない人たちは、交通ルールを、平気で無視しています。


フルーツバスケットの、神さまと、ねこ、の話は、〝私は、今、キリストに生まれ変わっている = 統合的生まれ変わり〟の視点で、包括できます。

神さま の、統合的生まれ変わりは、どんな性格か? ねこ の、統合的生まれ変わりは、どんなハートか?

主人公は、誰の 統合的生まれ変わりが、強いだろうか? 複数の性質は あるだろうか?

表面の設定に近接していない、コスモスのアドレスとしての、コスモスの性格による、神さまと ねこ の 今としての、生まれ変わりは、誰と誰に、生起して 輝いているのでしょうか?


この、設定に凝って、家柄に凝って、会社に閉じこもって、名前にこだわって、Yを〝カネ〟のような 無意味な 独裁的権力 にしてしまった者たち、彼らにとって、人生とは、何の価値もない、空っぽの箱であり、その本人のコスモスのアドレスは、社会に、悪害をバラまき続ける、ホロンの癌です。


K(O=)BE

それは、K(キー・合鍵)が、在ること(BE) であり、ビーナスブリッジでも、輝いています。

BE(永遠の無いこと=今)=新たに生まれる命(=時間の外に立っても変わらないもの)!

カギは、ベイビーちゃん なのです。


ゆきちゃんは、その名前を 授かっているけれど、そこに、意味 (→ 権力) は、無いでしょう。

価値は、〝永遠は いらない〟と、みつめるところ (= 時間の外) にあります。


有名サイドは、〝Y〟を、興行収入の形で取り出すために、(娯楽作品という) 核分裂の手段にします。

太陽へ、エネルギーとしての、悪用 (いやがらせ) です。


私 (神さま) と、ゆきちゃん (ねこ) は、無名サイドで、何の権力も持っていない (誰にも社会的に知られていない) ので、その私たちの力 (時間予知) を、有名サイドは、その力 (空間予知) で 切り分け、〝権力を持たない主人公が登場する、根拠を持った作品〟にして〝売ります(Y)!〟

それが、今の、大混乱した、交通戦争の社会の、別名です。


その時、世に知られるのは、空間予知の有名サイドと、何の力 (愛情) もないスポンサーだけなので、バランスは、さらに、壊れていきます。

有名サイド(空間予知)によれば、〝私と ゆきちゃん (神さまと ねこ) のテストさえ通過していれば 何をやってもよい〟ことになっているらしく、私たちの未来のシーンを歌ってさえいれば、描いてさえいれば、どんな売り方をして権力を持ってもOKだと、その〝設定=欲望〟が正しいということにしないと、気が狂って、どんな嫌がらせをも厭いません。 (これが、機能不全という病気であることは、インテグラル理論を用いれば、簡単に わかるでしょう。)

なんせ、有名サイドと空間予知は、バランスを失っている今、〝永遠だけが欲しい〟と言っているからです。

フルーツバスケットのアニメのゆがみは、原作者も含まれるかもしれませんが、私がカットしたくなるシーンの数々に言えます。 (当然、これも、有名サイドの作品ですね。)


この、バラバラの考え方、価値観を持っている 個々の有名サイド、しかも予知能力を 持っている者たちを、まとめろと言われても、無名な神さまと ねこ、には、無理な話です(*´Д`)

ゆきちゃんの、苦労を、お察しするよ。


有名サイドは、必ず、わたしたちを、取り入れ、リンキングしなければ 気が済まないか、それしか手段がないらしく、結局、コロナショックすら、防げていません。

そうして、作品にすることで、病んだスポンサーが 興行に飛びつき、世界は 大混乱に見舞われます。


(フラットランドによって 歪んだバージョンの興行を 否定している ワンピースフィルムが、興行収入を語るのは、スポンサーが病んでいるからに 他ならず、これ以外に 選択肢がないそうです。

クリシュナムルティが言うには、私や ゆきちゃん のような、神さま (=のらねこ) の、ある意味での〝覚者〟を、彼らが相手にする場合、聞く耳を持たないので、〝崇拝するか、無視するか、殺すか〟になるそうです。

(ボーム博士との対話にて。)


今回の場合、生殺しになるので、③でしょう。 ( ② だと 思っているかもしれませんが。 )


本来、予知能力 (時間と空間のモードのラインの高次のレベル) を、本当に正しく活用すれば、社会がそれを積極的に取り入れれば、コロナショックから、独裁者問題、交通戦争から、食糧問題まで、あらゆることが、解決に向かうでしょう。

〝Y〟の問題は、問いにすらならず、時間の外側で、次の子どもたち (あかりちゃん♡) が、不当な歪みを受けず、輝く時代に なるのです。


ある種、神さまで、のらねこ、の私が、夢の世界で、そして、ここで、行うことができる、すべては、こうして、書くこと、問題を指摘することだけ です。

それは、金にならないし、ほとんど、社会に知られることは ありませんが、皆が 聞く耳を持って、有名サイドと空間予知を縛れれば、社会は、これほど、混乱しなかった、と、私は、思います。


私は、有名サイドから、結局、①崇拝されている立場 なので、今まで、大きなことを言えず、こうして切り出すことも難しかったのですが、無名サイドから入った、ケン・ウィルバーも、ワン・テイストで〝有名になることは、自分を悪にする人身供犠だ〟という風に言っていますから、その後がどうであれ、真実は、そうでしょう。

残念ながら、私と ゆきちゃん (神さま と ねこ) に、光を求めても、私たちが、この人身供犠に参加しているのが事実になるんだから、私たちが、それを明確に否定しない限り、手が汚れているのは、明白で、したがって、その作品の真実性 (光の実話) には、何の根拠も意味もなくて、ただ、闇の実話 だけが、遊離している、ということになるのです。


よって、今の有名サイドは、一度、終わるべき (社会的にホロンとして死ぬべき) で、その時、おそらくは、全く新しい創発によって、完全自動運転のように、サブホロンとして包括されて、時代は、変わるのでしょう。


しかし、ワンピースで、これが、テーマにできるのでしょうか?

スポンサーは、必死に抵抗するでしょう。


途中で、書き忘れたので、今言いますが、有名サイドのリンキングは、TPPの一部でもおなじみの〝著作権関連を ある種の権力者に一任すること〟と切り離せない問題です。

ゆきちゃんは、アニメーターとして、これに反対だそうで、私も、長い目では、同意します。 (同じ気持ちです。)

理由は、フルーツバスケットの録画のカットが、この文章を書くのに、避けられなかった(必須だった)ように、ある程度の自由で、悲惨なシーンを拒絶できる〝余地〟―― これをも、上記は、壊すからです。

(新聞の切り抜きから、インターネットの検索に至るまで、成長のために、この時代に 通じますよね? ―― これの規制は、もはや、嘘のニュースと同じ、情報操作なのです。)


この事情を 根源的に理解している アニメーターは、てぃんくる☆のように、編集する必要のないアニメを、作るでしょう。

今の時代は、そう できないでしょうが。


 

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とにかく、神戸は、ふしぎな偶然を育てる、やさしい街で、それが、私たちを、ひきよせ、この花火大会にも つながっていったんだ、って、思います。


今、私は、有名サイドを、否定する立場ですが、万が一、私が有名になってしまったら、その後、どうなるか、分かりません。

良き高度(Y)における、優れた多様性 (ワンピースやミスチルなどの世界・内容) それ自体は、私も推しているように、素晴らしいものだと思います。

私は、今、変わろうとする時代に、私自身に、問いかけているのです。


そして、今は、この言葉で、ハートで、今日を終わらせ、また、あしたに、つないでいきましょう♪


KOBEに生きる皆さん。 本当に ありがとう。

そして、地球に生きる 僕らに、今日も、ありがとう。


ファン♡ K(O=)BE ♪  ファン♡ K(O=)BE ♪ ファン♡ K(O=)BE ♪ ☆彡

(⋈◍>◡<◍)。✧♡ FINE ☀


~連日晴れ☀の 今日この頃の 秋の時より!~

 

 

2022年7月25日 (月)

KOBE☆彡 ビーナスブリッジ♡ 夏の花火と1000万ドルのイルミネーション✧

ワンピースを 日に1枚ずつ 見ていると、〝GOD〟そして〝ナミの軌跡〟・・・!

今日は、あかりちゃんの誕生日でしたか。


てぃんくる☆のファンBD。

虹のシュートと、スノーナイトを見て、ホットケーキと、久しぶりに、コーヒーをつくって、3か月ぶりに、自転車に乗ってみようかなという気持ちになりました。


ここ最近、自転車で出かける気は、全くありませんでした。

25度を超える強い日差しの日中に、とても遠い場所に行きたくなかった、すでに過密ダイヤだった、というのもありますが、3週間のインターバル、軽いタイヤも買ったにもかかわらず、動けず、タイムオーバー、終了宣言をするほどで、時期的に、目も当てられなくも、もう、徒歩だけで生きたいと考えていました。


色々な理由から、インドアな生活に向かい、そして、ライド後から4日間続く すがすがしい体調が 崩壊してきたので、ウォーキングという名の、ダイエットに向かいます。

2か月ほど、涼しい時間に、1日1時間くらい、広い公園を歩き回って、有酸素運動+糖質ダイエットを行っていましたが、足の先が痛くなり、16時間ダイエットに切り替えました。


徒歩では、年に1回ほどの、貴重なイベント、機会を 体験することが難しく、中央区まで往復で歩いたり、一定区間を電車に乗ったり、ということも考えましたが、足に無理をさせられないので、自転車を復活するのが、一番いいと思いました。

有酸素運動のダイエットをするにおいて、自転車を活用することは、最強だと、日々思っていましたが、そのエネルギーを持てないまま、長い日中を見送り、まだ見ぬルートを 後悔を含んで断念しながら、微妙な状況が続きます。


ママチャリ(グリーンシティライナー1号) は、中央区までなら活用してもいい、とは思っていましたが、完全に乗らない方向で、3か月固めておりました。

そんなこの頃、バックアップも十分にできたので 2期のワンパンマンを、見やすいようにカットして、チェックしながら、ストーリーを楽しんでおりましたところ…。


戦い(=交通戦争と奮闘して 上手くルートをこなし 遠くまで到達しようとすること) の中に、充実感を見出すのは、本質的に間違っている

ということを、かなり核心的に、実感しました。


徒歩としてとらえていた状態とは、交通戦争の中の歩行者なのではなく、真に、音楽から生活の営み、色々なベースとなる、〝コミュニケーションの主体〟としての ヒーロー なのです。

息がつまるようなバトル要素は、一歩一歩 進む 主体 (ヒーロー) にとって、自発性をそぎ落とす、毒だということです。

自転車に乗りたくない(=交通戦争とかかわりたくない・見たくない) というのは、戦いに身を置くことの裏返しなので、自由が はく奪されている状態です。

事実、ウォーキング時に、信号を無視する対象に、一度ならず、声を上げたほどです。

周りの〝いい加減さ〟に 振り回されているようでは、戦い(=交通戦争) から自由になったとは、とても言えないのです。


てぃんくる☆を見た この日、ココロが、浮き始めました。

自転車に乗らないという状態が、抵抗だと感じられ、それが重みになったのです。



ダイエットは、ハイパー早寝と並行せざるを得なかった近況も伴い、カフェイン系である、紅茶とコーヒーを、3か月間、完全に控えておりました。

仰天ニュースを見て、依存が〝無駄な戦い=ヒーローで無くなる 破壊的な生活習慣〟であることを よくわかっていたので、依存を取り除くことから、始めたというわけです。


5月、6月という、最強のロングライドシーズンに、自転車に頼らないこと、それが本当に後悔なく出来て、始めて、自転車依存から抜け出せていると言えると思った、というのは、こじつけでしょうか?

あるいは、行き詰まっているこの時、6年間、一度も行ったことのないシチュエーションに身を置くしか、可能性を見いだせなかった、ということでしょう。


コーヒーと紅茶、自転車、ある種のセクシュアルな自我中心性、TVゲームを無計画に行うこと、そして、飽食。

こういった〝依存〟を、全的に 離して、主体を軽くしたい、と思ったのです。


自転車でロングライドをしている状態は、天候を気に日々緊張している、たくさん食べてしまう、ハイパー早型になれない、など、依存を脱ぐことの、枷になってしまっていたのです。

それは、体重の増加にも、現れておりました。



漠然とでも、痩せること、ココロを軽くすること、が、必要であるのだろうと、ここ3か月、行動していました。

そして、自転車で、久しぶりに出かけることになるわけですが、その時の カスタマイズの話を、少ししましょう。


自転車をやめたいと思い至っての、ハードルは、夜にぐっすり寝られるための、日々継続できる 屋外での運動でした。

それも、2か月で 歩きの限界に当たり、使いどころを よく見なければならないものだと学びます。


クロスバイク (ルビーエンジェラバイク・まほうのホウキ号) は、ホイール、タイヤ、メンテナンス用品、工具、色々あるのに、漠然と、壊したくない、乗れるインテリアとして居てほしい、使わないのはココロが痛む、と、感じました。

ママチャリ (グリーンシティライナー1号) は、雨がそこそこ凌げはするものの、屋外で放置状態になり、無駄に2台の自転車があることに、焦りを感じていたほどです。


つまり、不自然に執着心 (=戦い) が繰り広げられていたので、現時点での目的を、ココロを兼ねたダイエット、と 焦点をつないで、苦しむなら 自転車を活用するほうがいいんじゃないだろうか、と思ったわけです。

ウォーキング時に、運動目的の行動範囲の狭さ・マンネリさに すでにうんざりし、結局、行き帰り道でのクルマが うっとおしいので、徒歩で遠出するというのも、発想に終わりそうな予感がしました。

おもしろいのは、自由であること (=最高のヒーロー) とは、自分でも、何をしでかすか分からない、予感でしか 先をとらえられない、心理的な時間がない何か、であることです。


そして、どうせ、自転車とそのパーツを、もう使わないと決めてしまったのなら、それが重い枷なら、大切に取っておいた、執着という名の 新品のコンポーネントを、おしみなく、使っていって、自転車に乗りたくなる機会とすればいいのだと、思いました。

そこで、緑のシティ号を、いつものグリスでチェーンメンテナンスしつつ、後輪の空気が入らなくなったので、〝虫ゴム 空気が入らない〟で調べて、ドンピシャだったので、緑のシティ0号時代に 相性問題で使いきれなかった 虫ゴム不要のスペシャルバルブを、前後に付けて、丸5年の虫ゴムを バルブごと取り替えました。


さらに、まほうのホウキ号のビンディングの予備にとっておいた 三ヶ島の金属ペダルを、緑のシティ号に取りつけて、ママチャリをグレードアップしてライドする、というのが心をよぎったので、15mmの やや短いスパナを持って、固いに決まっているペダルのボルトを、体重をかけながら、両手を使って、何とか動かしました。

プラペダルしか経験していないであろうママチャリライフに、このようなカスタマイズをするとはね。

ママチャリといえど、ダンシングはするので、そして、プラペダルでも1000キロ近く走っていると思うので、7000キロ持つと思うけど、予備ペダルとして取っておけばいいんだし、ふつうの靴で 中央区とかブラブラしたいので、ビンディングを付ける予定もないし、ちょうどいいか、と。

痩せられる状態として、短い距離のみを活用し、クロスバイクを使わないシチュエーションも、ママチャリもやがて使わない 鉄道中心の生活をも 想定するなら、予備の金属ペダルを大切に取っておく=コンポを宝物として のみ しまっておく、ことで一生使わず終わるのも もったいないと思ったので、思い切って取り付けてみたというわけです。


まず、 ペダルが取れないだろうと思ったのですが、クロスバイクと共通のメンテナンス部位なんだし、やってみてもいいんじゃないか、と。

屋外の方が、多少、荷重を大胆にかけられるからね。


中央区と仲良くなって、クロスバイクで ロングライドしない分、色々なところを見れたら、徒歩の使いどころが素晴らしくなり、見た感じ、メタル色の塗装のプラペダルに見えないこともないので、誰も気にしないだろう、と。

ビンディングは、軸に荷重を固定するので、回転が安定するのですが、ママチャリの場合は、ブレるプラペダルより、ビンディングに近くするなら、軸まで硬い、金属ペダルが、おそらく、最強なのでしょう。

そして、体重が落ちれば、斜度8%くらいまで、シッティングで走れるかも。


さらに、安い、ワイヤレスのサイコンを付ければ、新型シティ車になるね。



ダイエットライフで、ピザをつくってみました。

これが、なかなか、おいしいのです。


たんぱく質を取ることが重要で、糖質制限において、セルフファージを狙います。

ワポルの、自分へのバクバクファクトリーは、ゼフもうなづく、真実でした。


厳密な理屈は分かりませんが、腹などに付いた皮下脂肪は、ロングライドでは 次第に燃えず、脂肪酸として血中に分解されると、摂取した脂質の代わりに、細胞を作る材料となります。

さらに、糖質、炭水化物は、筋肉等に、グリコーゲンとして蓄えられるので、その量が多いと、数日後、使いきれない分は、皮下脂肪などに変わります。

グリコーゲンが不足すると、皮下脂肪などが エネルギーとして使われるようです。

そして、基礎代謝が重要で、インドアのみ、1200kcalほど、1日を見ていればいいので、16時間ダイエットと組み合わせるなら、炭水化物1食200g~300g~400g上限、で、2食、1000kcalの、+セルフファージを目指せばいいのです。


たんぱく質は、糖質制限の有無にかかわらず、1日50gを取るべきで、ダイエット時にデザートのように進む、270gの煮干しを10日に分けて食べたとして、約500gのとうふと、さらにそれと同等の かつおぶし+油揚げ+味噌 のみそ汁を、冷蔵庫で3日に分けて食べたら、そして、チーズや卵、納豆を食べたら、たんぱく質のメインの量は、適量です。

ロングライドをしていたころは、たんぱく質が不足していたくらいかもしれません。

米が安上がりで太らないと思っていましたからね。


べジファーストだから、まず、細かく切りすぎないキャベツをよく噛んで食べ、場合によっては、スライス玉ねぎも加えます。

次にたんぱく質を食べ、最後に、炭水化物を取ります。

それで足らなければ、煮干しをバクバク食べて、調整し、最後に、荒く切った玉ねぎを、デザート代わりに食べます。

炭水化物を取りすぎない、体と相談する、私なりの方法です。

とにかく、時間をかけて、よく噛んで食べるのがコツです。

そして、体内のカロリー時計を、身に着けていきます。


納豆は、スライス玉ねぎと、あるいは酢飯と、もしくはそのまま、いずれにしても、たれとからしは付けずに、食べます。

袋を洗って取っておいた からしとたれ。

半年が期限らしいですが、きっちり管理して、5合の炊き込みご飯に 醤油の代替でたれを、サンドイッチにからしを、使います。


炊き込みご飯は、脂溶性ビタミンを取るための炒めた人参、そして、やや多めの鶏肉をカット、油揚げを加えて、5合のごはんと 大さじ6杯のしょうゆ、大さじ3杯のみりんで、場合によっては 沸騰したお湯を加えて、炊き込み、十分に蒸らします。

その後、2日分を取って、残りを20個ほどに小分けして冷凍すれば、便利です。

多少、大きさをばらつかせると、応用が利きます。


野菜は、ほとんど、水溶性ビタミンがメインで、人参とピーマン以外は、炒めないほうがいいことが多いです。


ジャガイモは炭水化物ですが、食物繊維とビタミンが豊富で、太らない範囲なら、キャベツと混ぜて、サラダとして活用していいです。

皮に栄養が豊富なので、土を落として活用すると、皮をむかなくていいので、楽です。

まず、ジャガイモの芽などを取り、水を入れたボールで、ジャガイモ同士を よくこすり合わせて、水を変えながら、よく洗います。

それでも泥は落ち切らないので、ポットで沸騰させたお湯を鍋に移して、洗ったジャガイモを入れ、10分くらい、沸騰状態で泥を落とします。

ここで、皮の栄養素は2割程落ちてしまうと思いますが、誤差範囲でしょう。

その後、ポットで再度沸騰させたお湯を、もう一方の鍋に移して、ジャガイモも移して、さらに10分、柔らかくなるまでゆがきます。

古い方のお湯は捨てます。

その後、ジャガイモを取り出して、水気を切り、つぶして、冷蔵し、サラダの元にします。

サラダは、基本、何もつけないか、塩コショウを振ります。

ジャガイモを取り出した後の新しいお湯は、みそ汁にします。

ここで、サラダ用のジャガイモを、卵・大さじ山盛り2~3杯の小麦粉・キャベツで混ぜて冷蔵庫でよく冷やした種にさらに加えて、お好み焼き、チーズや青のりと鰹節、場合によって醤油で食べると、うまいです。


ピザの話が、ここで登場です。

大さじ山盛り3杯ほどの小麦粉を水っぽく研いで、マーガリンを溶かして洗浄して拭いたフライパンに加えて、平べったく、生焼けにならないように、パリパリに両面焼きします。

さらに、具材を乗せない外側に、水溶き小麦粉を加えて、固まったら、トースターの金属トレイに移して、サラダ用のジャガイモ、スライス玉ねぎを乗せて、塩コショウ、薄く塗ったケチャップを加えて、焼きます。

途中で、スライスチーズ1枚を乗せます。


ホットケーキは、大さじ山盛り2~3杯の小麦粉と卵1個だけで、砂糖とマーガリンを加えないのが理想なので、つくったコーヒーや紅茶、場合によっては、クッキーなどを砕いて入れて、味を付けます。

少量の甘めのパンと一緒に食べてもいいです。


ややマンネリになりますが、これらの食事はおいしく、洗い物も出にくいので、便利です。


さらに!


サンドイッチは、はずせません。

レタスか、キュウリがあれば、タマゴやチーズを加えて、少量のドレッシングや塩コショウ、からしやレモン汁で味付け。

場合によって、トマト、スライス玉ねぎを加えて、すばらしい!

使う食パンは、4枚切り[2/3]枚=6枚切り1枚 を、さらに薄く2つに切って、ホットサンドにします。



最近、アフターコロナというフレーズが、トレンドです。

公共、イベント主催の行政が、その言葉を使っています。


近頃、色々なイベントが、復活しています。

神戸まつりは、めりけんぱぁくで、代替イベント。

みなとまつりも、めりけんぱぁくで、開催されていました。

いずれも、後になって気づきました。

みなとまつりの存在は、最近 初めて知ったのですが、去年も開催されていたというのです。

2021年は、イベントに飢えていたので、知っていたら、行きました。


花見シーズンの屋台並ぶ 日岡山公園を見ても、こういった兆候は、ありました。


3年間。

残り続ける しつこさと、新しい展開。

どちらの声が、新鮮な真実をもたらすのでしょうか?


また、海岸まで歩けば、徒歩圏内で、12キロ強で小さいとはいえ、明石海峡公園の花火が見れたはずです。

が、これもまた、見落としていたといいますか、以前も、音を夏に聴いていたので、地元で挙がっているのかと思い、気に留めていませんでした。

欲張るのもアレなので、今回は、イベントが開かれたという点を、喜びます。


神戸の花火が毎年見れた環境では、10キロも離れた花火に興味はありませんでしたが、今となっては、どこでいつ、どのような花火が挙がるのか、知っておいた方がよかったですね。

このように、調べる気が起きないというのも、自粛ムードのダメージです。



私が、自転車に乗る 元になるエネルギーは、希望です。

最近、そのことに気づきました。


これは、おもしろくない労働はできない体質である点からも、学べます。

人とかかわることが すてきだと感じたいという意味では、周りの人々と、ズートピアが言うように 違いを認め合いながらも、自分の中心を持たず、そして、営み楽しいと思える 魅力的な仲間が必要です。


ここ3年で、私は、絶望していると認識できないくらい、ココロが荒廃していたと思います。

皆さんも経験している通りです。


私は、自転車でのロングライド、オンラインでの著作活動、インドアなライフに 小旅行とグルメ、と、スポーツ・アート・ライフの面で、うまくやることができ、自粛の直接的影響を 受けていません。

それでも、周りの人々が、希望を失っていくのを、直観的に感じており、それが耐えられないのです。

そこが、ワンパンマンの言う、最高のヒーロー、というところにつながる 深く考えさせられるところなのでしょう。


さらに、自粛としての社会の混乱を 情報的に無視したいという、ある種立派な 私の方法は、自転車と交通戦争の話と一緒で、それに捕われて 遠ざけようとしていれば、影響の渦中にあるのと同じことです。

ライブができないと思うと、臆病になり、音楽を作る意義も失われ、その糧となる花火大会などのイベントで みんなと一緒に 言葉を交わさず 声を上げるような機会を、忘れることで、うんざりするのです。

特に、働いている人々が 楽しくないだろうと思うことで、ますます、社会を愛せなくなります。

個人の中心などというものはなく、そのヒーローは、全体に分かちがたく、主体と互換して、存在しているのです。



自転車は、少し遠くに行くことも含めて 始めて、ママチャリ (緑のシティ0号) で、大阪中心部のグルメや、有馬温泉の湯治など、いくつかのバージョンを開発した後、2016年の秋に初めて、クロスバイク (まほうのホウキ号) で、ロングライドを試み始めました。

太めのタイヤと、プラペダル時代の、2017年に、泉大橋まで走ったくらい、ライドを強化一新していったわけですが、2018年秋にビンディングに慣れて、ライドの次元が進化したのは、3年の飛躍を経た、2019年だったと思います。

危ない道を避けながらも、恐怖することなく、走ったことのないエリアを進もうとする自由なライドは、この年に より強く身に着けたようです。

それが、2020年で、極端な方向に、強化することになるのです。

走ったことのない道を重点的に走る、さらに、体力を落とさない、そのために、距離が長くなることに慣れすぎ、丸1日走って、何とか保ったモチベーションも、つらさとともに あったと思います。

それも忘れつつ、ライドを要約して、グルメを楽しんだり、ママチャリも活用して、温泉へ行ったり、バランスを保つも、ハイパーロングライドを重ねた ここ3年は、それ以外、長いインターバルを取って インドアするしかなく、溢れたストレスが、皮下脂肪に変わっていました。

いつしか、タイヤは細く軽くなりましたが、体とココロは重くなり、自転車と足には、相応の負担がかかっていたでしょう。


自転車を手放す点での、執着を理解する勇気。

これこそが、これから、見極めなければならない、自由の光を縛るものとの 試練だと思います。


自転車という財産を活用するには、箱に収めておこう、では、ダメなのです。

パーツにも、劣化という期限があります。

結果的に、この3か月、無理を越えて もがかなかったことで、アフターコロナという実感が、ありありと見えてきました。

去年の今頃は、ワクチンの希望がありましたが、国は、それを強制するかのようなムードを作り出し、一向にイベントは開かれず、ワクチンが普及しても、型を変える脅威ばかり 報道され、見えないところで 終息に向かっている面が、嘘のように思われておりました。

これは、2020年初頭の反応と、表裏一体な意味で、真逆です。


現在、開かれているイベントの数と質から、希望の信頼は、真実だと みなされ始めているのでしょう。

この3か月、もし私が生き残れていなかったら、これを垣間見ることも、ありませんでしたね。


そんなわけで、今回、その後の冒険を、てぃんくる☆と ともに 発見した希望で、綴ります。



時は7月。

入らなかったショートズボンを活用できることに気づいて、夏に重宝する 服装の選択肢が増えます。


3か月ぶりに、自転車に乗ることができるのだと、いつもと違った、ふしぎな感じがします。

新しいメタル色のペダルに、上等なバルブ。

メンテナンスされたチェーンに、なじみのある車体。


今日は、きっと、花火大会。

3年ぶりの、きれいな花火が、打ちあがる夏。


中央区に行くのは、やはり、3か月ぶり。

夜に向かって、涼しくなる、その道を。


リスキーの冒険〟を描き記した、今日この頃。

神戸まつりより、ライドより、このストーリーが、今の私のカラーだから。


道中に、大道芸人の手品師がいました。

芸1本で生きて、17か月か、パフォーマンスを自粛してきたという彼は、テレビ出演の経験もあるらしく、有名サイドでしょうか?

何か1本で生きることが、金銭に執着することだとしたら、それは、イベントを誤解しています。

私が花火を見るのは、それが、自由を感じるからです。

いかなる理由であっても、パフォーマンスを商売にするのは、有名サイドの形式であり、無名サイドは、ライブでお金をとろうとしません。

それは、無用のトラブルを引き起こす元となり、創造活動に余計なものを持ち込むからです。

お客さんは、生活費を集めようとするパフォーマンスに 興味を持てません。

この時代だから、特に、うんざりさせる現状を見るのは、つらいのです。

私の今日は、別の目的。

1000万ドルの夜景に向かって、まだ見ぬ道を、突き進みます。


徒歩は、自転車の上位互換だと いいましたね。

徒歩で遠くに行けないことは、ずっと昔から、2本足の人類に宿命です。

そのことを学ぶことができるがゆえの、2本足なのですから。


歩きは、中央区において、最強の切り札です。

ここで、使わない手はありません。


ということは、中央区までの道のりを、徒歩で行くのは、もったいないのです。

交通戦争を うまくかわすことに充実感を見出すのは、無意味なことです。

そうではなく、車両の義務という自我を中心に置かずに、コミュニケーションとしての感受性を、自信にするのです。

そして、ハートにおいて、中央区までおさんぽするという〝意義〟を、自転車にまとめること が、可能だと気づきます。

クルマの上位互換である自転車、徒歩と似た人力で 自由な移動であるがゆえに、です。

自転車は、時に押し歩きに変わります。

自転車と徒歩のどちらも〝歩き〟が活用されるので、ウォーキングを高強度で日々実践することは、有益です。

この〝歩き〟が、自転車・徒歩、どちらにも活用できることも、徒歩が上位互換であるという理由です。

クルマは、押し歩きできないので、車両を徒歩にすることができないわけです。

中央区の駐車場が高いのは、そういうことですよね。


景色を見る、周りに立ち寄る、その必要のない区間では、徒歩は、自転車で まとめることができるので、中央区まで歩く、中央区から歩く、という2つを、違和感なく実現 できます。

そのために、自転車走行を、徒歩に近づける必要があり、段階3の走行方法 (クルマに埋もれて走らない〝時に待つ〟判断) が、必須になると、私は感じます。

それができない、バイクやクルマは、徒歩に近くならないため、歩きが上位互換であることを主張できません。

歩きが最強の切り札であることは、中央区において事実である以上、それを無視したクルマが、ストレスを感じないわけありませんよね。


そして、ヒーローとは、そんなストレスに充実感を得ようとする性向に、おさらばする 知恵です。



海側から、山側へ、道を北へ向かいます。

そして、階段もある、急な坂道を登り、イイ感じの神社を抜けて、さらに、山を登っていくのです。


始めて、自転車を持たずに、ビーナスブリッジ✧


日が暮れ行く中、空いたベンチで、冷えた薄めの粉ポカリを一口。

6枚切りの食パン2枚を12枚切りサイズにして重ね、縦に半分に切り、ラップで包んだ、特製のサンドイッチ。

凍らせたお茶に括り付けた、冷えたサンドイッチは、焼きチーズに、きゅうり、ドレッシングに少量のからし。

久しぶりに、基礎代謝分1枚と、有酸素運動分1枚、計2枚の食パンのサンドイッチ!!

景色を見ながら座って食べる、涼しく、おいしい、手作りサンド。


自転車やウォーキングのような有酸素運動は、最初の1時間、半分くらいが皮下脂肪、半分くらいが糖質の消費によって、エネルギーを活用するのです。

連続1時間を大きく超えない 軽めの有酸素運動の場合、計3時間、600kcal の消費だとすると、半分の300kcal が、糖質から使われたことになるので、食パン6枚切り1枚分のサンドイッチの糖質、200kcal を、補給食、残り1枚は、いつもの基礎代謝分と計算して、就寝3、4時間前には、食べ終わっているのが望ましいのでした。



あたりは、夜になってきます。

少しずつ、夜景を見に、集まってくる、友達同士、カップルなどが、増えていきます。

人は少なく、まだまだ、落ち着いた雰囲気です。


ビーナスブリッジで、夜景を見るのは、初めてです。

その機会が得られ難いことは分かっていましたから、何らかの理由で、夜に居られる機会を探しておりました。


そして、夜景がきれいに見えたところで、ベンチを後にし、スローブまで下ります。

夜景の中に、六甲アイランドより東、武庫川方面へのお馴染みの 海上ルートのエリアから、かわいらしい花火が、見えました。


特に、赤色のものが目立ち、音もなく、12キロ以上離れた、夜景の中のあかりは、音楽とマッチし、コラボレーションして、とても新鮮で、未体験の何かを生じます。

高いところを飛んで、夜景を包んでいる鳥のような、自らが花火になったかのような、動かないロングライドのような、ライブのような、森林浴のような、山の駅のような、お祭りのような、デートのような、そんな、幸せに包まれた静寂の中、神戸の街から見た、たくさんの花火は、兵庫の市民の南の海を彩る、イカシた パッション。


3年ぶりに見た花火は、7割の夜景、3割の花火として、貴重な全景画を奏で、そのココロの音は、ビーナスブリッジに響き渡っていたのです。

イルミネーションのジュエルとともに!



赤き提燈で彩られた神社で、くろねこが ぽたぽた♡ しておりました。

うおぉ~(*'▽')(*´ω`*)! ですね♪


ワンパンマンのキングのシーンに、くろねこが おさんぽしています。

新たな希望というヒーローは、きっと、もう、そこにいるのです。



電池式の自転車ヘッドライト1丁で、階段もある山道を 歩いて下るには十分です。

完成車時の シティ号タイヤの側面を セメダインで塞いでいるため、ダイナモライトを点けがたく、電池式のヘッドライト・リアライトで、夜に運用しており、おさんぽ時にもライトを活用できます。

 

そして、めりけんぱぁく発!

いつもの〝特快〟ルートで、ゆったり、夜の道を、帰りゆきました♪


☆彡

 

 

2022年1月 9日 (日)

ハートのねこ♡さん (≧▽≦)✧

 

ハートのねこ♡ 読んでね(・∀・)

 

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2021年4月10日 (土)

Laugh Tale !! ~アートと時間の物語~

私の社会的なグロースヒエラルキー(Q/4)は、低い。

数千年のスパンにおいて、キリスト、エジソン、アインシュタイン、など、社会システムに、革命的な影響を与えた偉人たち (Q/1, L/n) が、健全的・潜在的(9)に、進化の構造のシステムの、いまのところの最高地点に 居て、夢の異世界より、大きな影響を 私たちに与え続けている。 (第3層、あるいは、ホワイト!)

次に、有名サイドの、権力や地位や財力を持った人たちだ。

音楽やアニメの分野、芸術ホロンでは もちろんのこと、政府や大統領、代表取締役から 有名ブロガー、重要な特許を持った人たち、その多くが、予知能力があることを知っており、システムの象限で、第2層(7)の平均高度として、社会の歴史を、選び取っている。

これらのシステムの影響を受けるのが、無名サイドの一般人だ。 その代表が、ある意味で、わたしと、ゆきちゃん、である。

無名サイド全体のシステム的な平均高度は、第1層、リベラルなオレンジ(5)であり、お給料から、暮らし、食べ物や価値観、日常生活の選択肢など、上記からの、その影響は膨大だ。 生活世界の植民地化を 強く受けるシステム層でもある。

そして、子どもたち。

彼ら、彼女らこそ、システム的な制度、法律、人権などの、権利と生活の分野において、最も弱く、基礎的な存在である。

上記すべてのシステムの影響を受け、途上国では、目も当てられない。

あらゆる潜在力を持って生まれながら、権力者たちの、間違った貧富の差を生じる社会において、打ち捨てられてもいるのだ。

システム的な平均高度は、プレモダン的な意識段階(4)であり、大人の政治や経済活動の大部分には参加できない。

もし戦争やテロが起これば、それが、いかなる形であったとしても、無防備に損害を受け、経済力も無いので、保険会社も助けてくれない。 親の保護なしでは。


ここで、今回の最初の主題を発表しよう。

私が言いたいことの序論は、〝システム(Q/4)は、機能適合を絶対化し、芸術家の意図(Q/1)、文化(Q/2)、子どもたちの潜在性(L/n)を、丸ごと、なかったことにしている〟ということだ。

芸術家は、差別されている。


ここからは、芸術家と芸術のホロンに焦点を当て、ここ数十年の新興芸術、―――システム主義者たちに〝娯楽〟ひどい時は〝し好物〟と呼ばれて嫌えんされる・・・―――

意図を表現する ポピュラー音楽・テレビアニメ を代表とするホロンを見ていこう。


予知能力(s)は、例えば、[A・B・・・・・・・Z・・・] のシーンがあると、次の瞬間、どれが起こるのか? と問う。

そして、[A]が正解ならば、[B・・・・・・・Z・・・] は、他界的な次元と見なされる。

これを繰り返し、鍛えていくと、どのシーンが、おそらく、遠い未来に、やってくるのかが、分かる。

その決定的な瞬間に向かって、リアルアップデートワールドを、つくっていくのだ。


というわけで、予知(s)は、芸術ホロンにおいて、ここ数十年のリアルアップデートを、共同選択してきた。


しかし、予知(s)が、第3層 (インディゴ、ないし、ここでは、簡単に、ホワイト) にあっても、彼らの 予知(t)は、第2層である。

しかも、シーンの成分で解釈するので、いつごろ何が起こるのかに 長けた能力でもない。

しかし、100%に近い的中率を持つのは、〝コスモスに存在が刻まれる場所(9)〟という、夢の異世界ないし、空のアドレスに、リアルアップデート共創造された、〝シーンのアーカイブ〟が、日々、蓄積され続けているからである。

例えば、タイムマシン(L/9・Q/4)によって、このリアルアップデートワールドの歴史を、意図して変えることができる。

別の世界線となるけれど。


そして。

要は、ホワイトの、予知(t)の方を、照準に使えばいい。

そうして、予知(s)は、数十年前から、探索を始める。

予知(s) [A・B・・・・・・・Z・・・] を極めて、予知(t)を、見つけるのだ。


しかし、世界のどこにも、芸術のホロンにおける、第3層、ホワイトの、予知(t)のラインないしタイプは、無かった。

その前任者はいるものの、事実は小説より・・・というものの、与えられた未来は 自ら作っていかなければならない。

有名サイドの芸術家となった者たちは、探した。

いや、まだ存在していないこの世界で、生み育てたのである。


それは、ゆきちゃんと、わたし。


ここで、芸術のホロン、その、現在のトレンドの、深層構造の、グロースヒエラルキー(9)を、見てみよう。


まず、頂点に、権力を持っていないことで 3段目のスポンサーサイドに認識されず、2段目の有名芸術家サイドに 予知(s)で 見える、わたしと ゆきちゃんが、いるらしい。 (これは、私たちの主張ではない。 有名サイドの芸術家たちの主張である。)

この、資本金に影響されない 類まれなる?ホワイトなアーティストたち(L/9, Q/2, S/nd, アートのライン)は、当然、時の人であるが、ゆえに、―――予知(s)に頼り、それゆえに、予知(t)を照準に、早めに評価されて名声を得るようになる、有名サイドの芸術家―――に対して、影響を与える。  直接、企業に影響を与えることは、めったにない。

つまり、前者の時空間的ラグ(IOU)は、30年超(笑)、後者のラグ(IOU)は、平均10年くらいのスパンである。

3段目のスポンサーや提供関連の一般企業になると、さらに、そのラグ(IOU)は、短くなる。 (製造からパッケージ販売まで 1ヶ月?)

ここで、私がこのコーナーを書く意図を挙げておくが、未来に、予知の悪用を防いで戦争を止めるために、私たちとは全く違った責任を伴っていることに気付いた 大多数の英雄たちに、役立ててもらうために、より広い文脈のために、提供する

私たちは、あくまで、芸術のホロンにおいて、その AQALまでが、サポート範囲だからだ。


さて。

有名サイドの芸術家は、スポンサー関連の一般企業に影響を与える。 これが3段目だ。

この企業関連は、1段目(平均高度 第3層)、2段目(平均高度 第2層)、に対して、その波や営みにも強力に反対する、第1層の平均的な意図の主張を持つ。

彼ら企業のメンバーは、私たちスポンサーこそが、最強であり、芸術家は おまけだと 思っている。

資本金、テレビ局、著作権管理あっての、商業芸術である。

芸術家と そのホロンを 差別している、やや病理的な この3段目こそ、芸術ホロンを 病んだものにする 悪しき意図の侵入を許してしまった 脆弱な免疫でもあると、私は、主張したい。


有名サイドの芸術家たちの予知(s)の、リアルアップデートワールド[A・B・・・・・・・Z・・・] は、別に、資本金に影響を与えない、と 彼らは 思いたい。

株価に、影響を与えて たまるだろうか?


しかし、実際には、ラグ(IOU)こそあれど、影響を受けている。

認めたくないだけである。


社会は・・・文化に負ける!


芸術のホロンで見れば。


私の眺めが、有名サイドの芸術家に影響を与えるのは、つまり、私が彼らに いつもリンキングされていくのは、こういうことを、架けるからである。

有名サイドは、スポンサーに依存しているために、音楽やアニメなどの〝芸術ホロン〟に、その内容を 込めて、組み創らなければならない。

ゆえに、その制約を受けていない私は、後にも説明すると思うが、なぜか、有名サイドに影響を与える。

もう少し言うと、ホワイトの芸術家は、有名サイドでも、芸術ホロンの1段目にいる。 ただし、それには、最近整ったような 条件が必要だった。


最後の段は、平均高度プレモダンの 大衆的な聴衆(4) だ。

3段目までの、芸術ホロンを鵜呑みにして、どんなものでも、無思慮に受け取る傾向が強く、芸術ホロンが歪んでしまうと、大衆文化も歪んでいく。

3段目のスポンサー同義として有名サイドを認識し、選ばれた者というカテゴリーで、娯楽や消費程度に、受け止める。

そこには、特に、ディープな責任は発生せず、皆、金儲けや名声の為だけに、営んでいると信じ込んでしまう。

わたしも、ここから、アニメを見て、次第に、上段の解釈を発見した。

確かに。

ここ、4段目では、予知(s)の規則は、発見できない。


芸術家の、有名サイドに話を移そう。


彼らは、予知(s)の照準のために、予知(t)を、生み育てた。

予知(t)の発見のためには、リアルアップデート[A・B・・・・・・・Z・・・] の強化とともに、予知(t)のホワイトの約束(30年超のスパンのIOU) が、必ず潜在的に起こるための、シーン(未来の歴史)が必要だ。

私が、30年越えで、必ず、ホワイトの予知(t)を発見する、という約束を、なぜか していたから、必ずするらしいから、私は、彼らにリンキングされて来た。

そして、すべての健全なアニメは、わたしと ゆきちゃんを、育てるために、つくられたのである!!


ショートコント 入れてね(・∀・)☆彡



そう。 私たちは、このことを、知らない。

とは言え、予知(t)の 第1層時代でも、なんらかの、ファンタジー・チャイルド(ふしぎちゃん?)であったことは、確かなのだろう。

私の説だが、予知(t)は、社会の気持ちが よく分かるので、第1層の段階にとどまって、良き社会に溶け込む人が多いのではないだろうか?

何らかの不調和が無ければ、芸術の道へと入ろうとは 思うまい。


有名サイドの芸術家たちは、シーンに長けるものの、同じく、人の感情を 強く感じることができる。


私と ゆきちゃんは、たぶん、大勢の感情や心を、合理的に、強く感じる。

そこには、トレンドを含む、生きた情報がいる。

ゆえに、情報を厳選しなければ、キャパシティオーバーする。


有名サイドの芸術家の予知は、1人称の内面を、隅々まで、見ることができる。

非時間(S/nd)から、時空間が生まれる(S/c)時に、私たちは、直覚(t)する。

彼らは、私たちの、多世界での〝シーン〟を、そこ(S/c)で、見ることができる。

そこ(S/c)は、一瞬ですべてが生起する、空の時空間なので、一瞬で、わたしと ゆきちゃんの、一生を、私たちの1人称の内面から、見ることができる。

つまり、(S/c)を 非時間的に直覚しているのは、私たちの方である。

(S/c)は、まだ、時空間が生まれ始める点であり、ビッグバンの時であり、生まれる最初の時であり、X年前に変わらずある時の時である。

(S/c)は、予知(s)が 起動を開始する点であり、夢の異世界(S/s)、レアレア界(S/g) の順で、具体的なシーンの時空間を見る。

私たちの 予知(t)は、ホワイトにおいて 〝コスモスに存在が刻まれる場所(9)〟の、非時間的な直覚(S/nd) なので、そこに、空間は発生しない。


つまり、デジャヴ(s)は、〝何度も、シーンを 巻き戻した (S/c)〟と感じるのに対して、私たちは、そう感じない。

デジャヴ(t)は、〝非時間(S/nd)を感じる〟のだ。


この2つの既視感は、似ているようで違う。


空鏡の迷宮(S/c)において、〝果てしない空〟を感じるのは、予知(s)の特徴だ。

予知(s)は、リアルアップデート[A・B・・・・・・・Z・・・] の強化によって、やがて、デジャヴ(s)を 感じる必要が無くなる。


誰もが、既視感において、違和感を感じるのは、これが理由。


デジャヴ(s)は、〝何度も時をやり直す〟――さらに、デジャヴ(t)という全く別の〝直覚〟もある。

これらの直観をターゲットにする、最近のSFブームの大衆文化。 その影に隠れた、ヒット戦略の脚色の種、これである。


いずれにしても、デジャヴ(t)は、デジャヴ(s)によって、余計に見えなくなっているから、その違和感を解決しようとして、安易な 脚色に引っかかることも、近況と言える。


有名サイドの芸術家たちの、予知(s) [A・B・・・・・・・Z・・・] も、行きすぎると、わたしと ゆきちゃん を、該当者は誰でも 簡単に探し当てられるようになるので、名前を さかさまにして、悪用すれば、あらふしぎ。

大ヒットは、確約である!!!!!


何度も通用するものではないが。


つまり、有名サイドの芸術家の予知(s)は、リアルアップデート[A・B・・・・・・・Z・・・] という 歴史の選択の10年スパンの1本化は、悪用のXホロン を、赦しているように、わたしには、見えた。

ということは、有名サイドの芸術家たちは、全員そろって、悪用Xを、意図[it]したのか?

私には、すぐには、分からなかった。


最近思うことは、わたしと ゆきちゃんの [視野(t)] に 頼らなければ、ヒットすることのできない、芸術ホロン、アニメが、あからさまに、見て取れるということと、その多くは、第3層、ホワイトの領域にはない、という点。

悪用を知ったスポンサーたちが、有名サイドの芸術家たちに、事情を聴いて (引き出して)、私たちに 合うように、[視野(t)] をチューニングしようとしている、ということかもしれない。


ならば、私の見たものは、権力を持つ。

権力を持たせたくないものは、予知(t)を使って合理的に判断し、見なければいい。

そうすれば、すてきなアートが、世界に普及するだろう。


また、有名サイドの芸術家たちは、一定の過去にさかのぼれば さかのぼるほど、私がこのことを書くことを、確かに分かっている

明確に、そう、意図もしている。

そのために、悪用Xを、容認したわけではない。

私が、必ず、悪用Xを否定し、壮麗に逆襲し、ホワイトなホールネスを示す、だから、最初から負けているそれは、一度も彼らに容認されてはいなかった。

それは、予知(s)にとって、取るに足らないことだったのかもしれない。


けれど。


悪用Xが、より大きな 芸術だけではないホロンにおいて、均衡を崩すテロとして、独裁者の鼓舞に利用されることは、分かりきっている。

私たちが責任を主張できる 芸術のホロン、の外側においては、すでに、世界の異変が確認されており、芸術ホロンにて、悪用Xが成り立った、この、リアルアップデートワールド[A・B・・・・・・・Z・・・] とは、芸術ホロンの方が原因というよりはむしろ、その差別をした、社会ホロンの何段目かの方に、大きな原因がある。

というより、内面を締め出す システム主義が、予知(s)を、新興芸術サイドに追いやり、独裁者によるテロ行為やそれに準ずる何らかの影響は、すでに世界を覆っていると感じる。

予知(s)を、世界平和のために、使わせる、つまり、リンキングするのが、予知(t)であって、デジャヴ(t)なのだが、肝心の、予知(s)が、芸術ホロンとして締め出されているために、社会システム等含む より大きな地球ホロンが 予知(s)を、世界平和に適用できない。


世界の異変 (芸術ホロンとは限らない より大きな地球のホロンの原因の対象) は、芸術家サイドにも関係することから、予知(s)にも関係している。

しかし、芸術家サイド以外に、地球上のすべてのメンバーに、もっと、大きな損害として、降りかかる。

芸術ホロンでは、悪用Xは許容できても、地球ホロンとしては、無理だろう。

それが、最近の私の 考え事のひとつ。


わたしと ゆきちゃんは、天空の大樹 (しあわせの花) を、咲かせた。

すると、大魔王(X)は、少女たちを ひそかに、目も当てられないアニメ映像にして、次の時空間に 悪意と渡す。

それを、デジャヴ(s)のように繰り返し、何度も時を戻して、ある地点の我を永続させながら、損害 (幸せの開花) を 無かったことにするらしい。

このストーリーは、最終的に、大魔王(X)が、意味がなくて おかしな行為を、なぜか 繰り返しており、絶対に失敗する楽しみを見いだそうとした 矛盾した姿であるがゆえに、理解不能な次元で、その〝責任〟を 追求され続ける。

大魔王(X)は、その責任から逃れようと、何度も時を戻す はずなのだが、それを 自ら負おうともしている、なんとも、珍妙な光景が、見れる。

この、機能不全こそが、現代社会の強迫観念であり、自由からの逃走であって、芸術ホロンの乖離、芸術家と予知(s)の差別に、他ならない。


なんて・・・こったい(落ω)


悪用(X)が起こらなかった場合の歴史の... ではなく、悪用(X)が起こらなくても〝私たちのストーリーは完成できた〟ことを、主張-証明 しなければ、大魔王(X)の思うつぼだと 思えてならない。

それが、大魔王(X)の、罠であろう。


私が描いたシナリオは、結局は、予知(t)=空 、予知(s)=形 、単純に、これが実在することを、実用的に示すことだった。

それは、いくつかの世界線、その歴史においても、その玉を転がしても、成功していたように思う。

3D2Yのメンバーは、すでに、揃っていたのだから。


最初のグロースヒエラルキーに 話を進めると、歴代夢の偉人たちのシステムが影響を与え続けている、有名な権力者たちのシステム、ここの腐敗した部分から、力をぶんどろう、そのために、有名サイドの芸術家が、バランスをとるために 関わらざるを得ない 或いは 好んで関係が生まれる 無名サイドの私たちへと、不可逆的に権力を伝導してもらい、私たちは、性質上 権力を持たないし 持てないので、それを、次世代の子どもたちに伝わらせる

子どもたちの健全性の翻訳、潜在性の開示、その表現、子どもたちの自分たちのすごさへの、まったく新しい視点への理解の鼓舞。

いらんことをするだけだと、大人に言われてきたとして、そう、子どもに言う大人の方が、遥かに現実を間違った物差しで測っているのだということを、力説したい。

そうして、一方方向、アガペーの方向に、システム的な権利を放散、伝導させ、早めに、次世代が、病んだ社会システムを変えられるように手助けしたい、という風な感じ、を持ったのが、ここ数年の話。


ここが、ティール革命と、実は、ホワイト的には、大きく関係する、台風の目。

これに抵抗する、病んだ企業は、ひとつやふたつで ないだろう。

しかし、ビジネスマナーとは、病まないこと、健全性を保つこと、である!!


正しく、夢を見なさい。


私たちが、望んだことは、形になる。

なぜなら、皆が望むことを感じ取って、未来のことば として紡いでいる、他ならぬ、有名サイドの芸術家たちの予知(s)を、シンクロニシティないしデジャヴ(t)として、直覚するから。

皆が望んでいることは、皆が形にする。

私は、触媒(S/nd)だ。

ただし、そこには、わたしを通さなければ、絶対に実現しなかったであろう属性や内容も、確かにある。


しかし、そこには、大きな責任が伴うのでは ないだろうか?

だとすると、原理主義者は、引き返せというだろう。

私の中にある強迫観念は、内面を覗かれて、悪用(X)される。


はたから、外側から見ると、まるで、わたしが、すべてを思うがままに、つくっているようにしか見えない。

合理的に把握すると、そんな安易なことに なるわけがない。

全員が、自由を持っている。

しかし。

発達の波は、各自で違う。

自由意志という第2層の自律性を持った人でなければ 把握すらできない 未来のことばという夢がある。


ホワイト。

合理的に体験できないその夢は、外側から見ると、既存の決まりを打ち壊し、より包括的な真実こそ、皆が本当は望んでいることだと主張し、皆の方は、より包括的な真実に洗脳されているようにも感じる。

しかし、AQAL的な無意識は、追いやっても、存在しているために、洗脳とは言えず、事実を認識できないだけ。


誤解される、ホワイトな予知(t) とは、単なる 非時間的な直覚(S/nd)の、形の世界での表現、それだけなのかもしれない。

それは、合理的に説明できるため、恐れなければならない点は、無い。

悪用できるようなものでもなければ、第3層に無いと、基本的に把握できない。

しかし、有名サイドの芸術家たちの予知(s)にとっては、人気の力だ。


大魔王(X)は、わたしと ゆきちゃん を、主人公にした物語を書いた。

天空の大樹が、花開いて より平和になった世界では、私たちが絶望の淵に沈む描写を 強要することにした。

そして、大魔王(X)のもくろみが、成功した世界。

その時だけ、私たちは、英雄扱いされ、世界は、一度 バラバラになり、因果(縁)を書き換え、全く新しい 世界を、身勝手にも、創造することができる、神として扱うという、物語。

その時、現実の世界は、電車も止まり、アニメの制作も停止して、人類は、生き残ることができなかった。


大魔王(X)が恍惚する 創造神話 とは、すべてを崩壊させる、矛盾(=破壊)である。


🌸


私は、ゆきちゃん を見て、自分たちのことを思った。

私たちは、自分自身が、非常に無価値であると、たぶん、感じている。

大魔王(X)がいるとすると、そこを、突く。

そうだ。 無価値なのだ、と。


絶対無(S/nd)の直覚とは、形の世界と、決して、別物ではない。

つまり、意味しかない。 価値しかない。


私たちは、自分自身は、とても、ふわふわ、もふもふ、したいと思う。

けれど、きれいなものばかり見ようとすると、鏡のかなたに、どろどろのものばかり、生じる。

それは、私の注意をそらせ、バランスを鈍らせる。

そして、いつしか、そんな不完全な自分なのだから、こんな生活となって、当然だ、と、決めつけた。

強い体験を求めようとする、気晴らし。

そして、それも、見られている。

どうすれば、いいのだろう?

なんとなく、負の生活習慣というか、因習に はまってしまった自分に、気付いた気がした。

しかし、この境地を 他に感じている者は、ほぼいなかった。


私が苦しめば、皆が苦しむ。

私が悩めば、皆が悩む。


予知(t)のシャドーは、予知(s)を しょんぼりさせる。


まぁ、予知(t)のシャドーは、予知(t)の力を発揮しない、精度皆無のものだから、私たちを見ている 有名サイドの芸術家たちに、影響を与えるということだ。


とにかく。


自分では気づいていない、大きな力に対して、自分を追いやらない方法を考えるために、色々なAQALをマインドフルネスして、キラースルーする癖を 眺めまくって、脱同一化を繰り返して、客体化するしか、無いってわけね。


しかし、どう、落ち着けば、良いのだろう。

切り替えが下手なの。

バランスの話よ。


しかし、どこかに、そういう、正常な重心があると 意識しておくことで、どうせ自分なんて叶える資格ない・・・とか 言わないようにする 支えのような 画期的な 強化的余裕、が、もしかしたら、できるかもしれない。

いずれにしても、私たちは、自分の正常な重心を 軽視しているが、それが一番、重要なところなのかもしれない。

この視点は、最近、初めて、気付いた。


実は、このことを知っている誰かが、有名サイドの芸術家たちではなく、私たちにだけ分かるように、メッセージを送っている気が、最近、する。

予知(s)は、有名なので、芸術に主張されている〝その重さ〟だけれど、それとも、違うんだからね。

予知(s)の現象学的に言っていること、は、その点では、あてにならないんだよね。

そう気づくと悪いから、今まで気付かなかったけどω


本当は、もっと、居てもいいはずだ。

ホワイトの予知(t)を、使える人は。


新興芸術のホロンにて、私たちだけが、ホワイトの予知(t)を、達成したらしい。

もっと居ても、いいのにね。


しかし、この力。

全くと言って、データが、無い。


それは、まだ、ほとんど、実質が、現実に存在していない、ということに等しいだろう。


どちらにせよ、予知(s)という、信じられない力が、あって、そのことにすら気付けず 受け入れるだけの精力を持っていないかもしれない現代人に対して、それでも、なんとか、その所在を証明する役割が、予知(t)だとも、解釈できる。

では、予知(t)の、存在は???


なんというか、予知(s)の〝IOU〟は、かなり、アバウトである。

わたしたちが、本当に、ホワイトの予知(t)を、こうして実現する、なんて、どこを探したら、正確に分かるって言うんだよ(笑)

タイムマシンを世界の外から計算して使ったら、別の歴史を選べるんだし。


いや・・・。

これも、れっきとした、全く新しい〝創発〟として、私たちは、受け止めなければならない。


なるほど・・・。


いったい。


なんという・・・。


どうなっている、リアルアップデートワールド[A・B・・・・・・・Z・・・] なんだろう。


🌸


夜明けは、必ず、やってくる。


私の記す、この時(テキスト)は…。


本当に…

本当に…


なんという 〝 laugh tale 〟(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年1月 8日 (水)

☆ Lovely! - 大切な音楽・すてきなアニメと 瑠璃色の世界の 明日を抱きしめて

明日へ進もう――配信限定AL「ゆうきのうた」収録――セルフプロデュース

 

11月 (私の[]マス) が過ぎて、せっかくなのでと、年末に向けての音楽番組をいくつか見た。

年が明ける。

ヒーローアカデミアには、「サーナイトアイ」と 「ルミリオン」 が出てくる。

そして、朝方となった私が 「世界仰天ニュース」を久々に見て、今回のテーマを記しておこうと思った。

 

実は、ラブラの誕生日は12月27日。 アルマ・ゆうま(ツイン・フェアリー)に重なる。

確かに…。 ラブラは生まれてる。

 

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配信で最も聴かれた私の曲:「I so lovely be future in the sky」✧ ――【インスト】

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空の中で〝未来に在る〟♪――4thSo Lovely」収録――セルフプロデュース

君の待つ夢に~♪ 近づいてゆくよ~♪ ―― (⋈◍>◡<◍)。✧♡

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ゆずが 樹 に始まる「空と大地」のうたを歌い、ケミストリーは「君をさがしてた」のマジカルスノーを降らし、いろとりどりの「キラキラ」に染まった、そんな ウィンター・シーン。

いきものがかり「SING!」がすごい。 てらてら(*´▽*)☀大好き――「!」がミソ♪

NYで歌う ミーシャに驚く(≧▽≦)♡♡♡♡♡

 

テレビ東京系の音楽番組はユニークだ。

「明日の〝So Lovely〟」に 届けられた、その構成は、静かで、落ち着き、対話的に人間的で、ラストもよく考えられていた。

まいが どこよりもリラックスし、その様子が分かった人も多い。

WANDSに驚いた(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

ちなみに、TVOで再放送された スラムダンクに「ちゅど~ん」♡ がある。

テニスの王子様も、見れる人はぜひ。

 

こういった、音楽番組のシーン (音楽界を音楽業界と呼ぶかどうかの 文化的な境界のようなもの) に気付く時、堂本剛さんの「しすてむ」を思い出す。

インスピレーションは、想いと繋がり

売るという行為は「それ・それら――システムの象限(Q/3とQ/4)」を語る真実であり、インテグラルには、志向性と文化・意図とコミュニケーションをつなぐ必要がある

システムだけでは、どのような意図でも「売上しか気にならない」ので、ダーク・マーケットに、力を与える結果となる。

核保有と世界大戦の歴史を考えて、この流れに反対しよう。

 

つまり、音楽番組を保つために、〝ユニークな企画〟を 「ひとつの象限絶対化(I、We、It[]、どれかの独裁)」として成り立たせる時に、実際の出演者に違和感が生まれるということであり、どのような企業のトップなどの行いにも通ずる、責任のストーリーである。

 

ケン・ウィルバー「統合心理学への道(原題:THE EYE OF SPIRIT)―は、今回のテーマに最初からラストまで〝大きく〟響いてくるので、読める人は、ゆっくりでもいいので、ぜひ読解してほしい。


統合心理学への道―「知」の眼から「観想」の眼へ

 

全ての奥義は、「ホロンである」ということ。

全体だけでも部分だけでもなく、「全体/部分」であり、歪みを識別するためには、「より全体を無視して 部分であることを放棄し 全体にのみなろうとする――その裏では 部分となって切り離される闇と 表裏一体である――」 ゆがみ (I、We、It[]、健全にそれぞれを持つホロン、の病理) を識別・解体するための特効薬となる。

特に、「統合的な芸術と文学の理論」の章は、「芸術はどこにあるのか?」・「視覚芸術の意図の解釈のデリケートさ」 などを主題とし、現代アートにおいて、長期的には〝必読の視点〟である、といえる。

なお、2004年頃までに出た ウィルバーの理論モデルは、2005年ないし2008年「インテグラル・スピリチュアリティ」以降の論理モデルの特徴 高度9以降・第3層の構造-段階にも≪粗大・微細・元因・非二元≫4つの神秘主義(状態-段階)があり、相関はするが、≪第3層・構造-段階≫と≪粗大,微細,元因,(非二元)・状態≫の呼び名とは直接関係がない――第1層の3つの状態・第2層の3つの状態・第3層の3つの状態、―非二元も含めると4つの状態― それぞれがある≫――ウィルバー・コムスの格子」 にて アップデートして 読解する必要がある点 を付記する。

 

音楽は「合理主義・形式主義」の「外面・システム絶対化-Q/3、Q/4、It()、の独裁」 ヒットメロディなどの形のみに価値を持たせる「解釈」が 勝ちを おさめがちであり、アニメは、「読者・反応理論」「聴衆の文化的価値の絶対化-Q/2、We、の独裁」 配信・閲覧数と話題性にのみ価値を主張する「解釈」が 他を一掃する、アイドルもアニメの現状「読者(視聴者)・反応」の解釈に近いが、いずれも、「意図・最初のインスピレーションの系譜的・直覚的な実質・その膨大な 現象学的証拠と重要な真実」を〝無視・周辺化〟していることに、お気づきだと思う。

私の展開する文章・アートなどは、意図を含めて、それを インテグラルな象限で 補足・付記・拡張・説得・定立させているので、多くのアーティストが、その有名力にもかかわらず、私を参照(リンキング)するようになったのは、上記の、〝業界シーンは、意図を無視する〟という点が大きい。

漫画がテーマの「バクマン。」では、作家である「アーティスト」が 出版社に対してボイコット(協力しての休載)を行うシーンがある。 理由は多岐に渡れど、傾向として、なんらかのホロンの歪みは、規模に相関して、このような「主張・反証」の形をとる

 

今回の音楽シーンにおいては、「令和――虹の輪」「ラブラ――てぃんくる☆」として、私も参照しながら、ある場所 ≪文化的な芸術の形態形成場の微細なモード≫ にて、強力な≪意図≫として、≪It化≫されることに 反対・表現する運動、として見て取れる。

最大の理由は、ダークマーケット含む世界情勢にも言えるが、子どもを〝ポテンシャルを無視した――稚拙な金づる〟と捉えている〝業界至上主義〟に 対して、正しい意図でつながる〝アーティストの総体〟が、断固として〝嫌悪・大反対〟しているからで、何度も言うが、意図・繋がりの想い・その本当の源流と洗練が 「無視」されているからに他ならない。

これは、少数の子どもを 業界に引っ張り込むことでは「当然解決せず」、むしろ、市民参加型のお祭りと 「音楽番組が (インテグラルに) コラボする」 ような展望にて、前進すると、私は思う。

 

世界仰天ニュースを見て、驚いたのは、【故意に 共時性(時間予知・その言葉)・予知(一般に知られる予知形態・空間予知)を悪用して社会に ばら撒けば、世界中でとんでもないことが起きてしまう】ことが、裏付けられてしまったからだ。

後に述べる〝ティール組織の方々〟には、〝音楽シーンの声明と合わせて〟この〝仰天ニュース・2つの事件〟を、特に念入りに研究・熟考してほしい。

そこが元締めではなく、核保有にもダークマーケットにも言えるが、どんどん浸食・派生してくる、という見方が重要

――ドラゴン校長もお怒り。――

 

私は2010年の2月12日に 「タイムマシンとパラレルワールド」を 手書きで大部分書き終えて、その後、ジュエルペット初代の大部分のソウルを引き継いで 「てぃんくる☆」が誕生する(そこで強調される〝ラブラ〟が〝誕生日として公式に〟生まれるのは、その年の手前、クリスマスの少し後の〝あのシーン〟)

あかりちゃんは、2010年7月22日に〝12歳〟になり、「てぃんくる☆」のシナリオのメインは〝島田満〟さん

この時点で、上記の 共時性含む〝みらいのことば〟が、形を成して繋がって いくのが分かる。

 

私たちが嫌いなのは、良い意図を無視(矮小化)される (多様性に溺れる 非視点的な狂気含む) 業界至上主義なのであり、【 「てぃんくる☆」(アート・意図・想い) を〝入れ子(ホロン)になった「嘘」(ダシ)〟にして、その共時的実質含む〝名前(名称・印象)の乗っ取り〟を 独裁悪用する 】 ような〝支配〟が横行すると、社会全体がとんでもないことになる。

しかも、特に上層部の実態は、〝見えない〟――。

自動車と交通にも言える。

上記に対しては、特に、アートのメイン分野外の (芸術界と関連が薄い) 企業のトップや上層部に〝理解が軟弱〟で、〝強い責任が掛かっている〟ことは 〝身をもって知るべき〟だ。

放映アニメシーンでは、その〝乗っ取り―悪用〟的風潮が、次第に濃くなっていき、2013年にピークに達した。

モラルの感性がマヒする 文化的毒であり、ホロンとして見て、社会全体、事情を全て知らない〝アート外の分野の企業とその上層部〟に〝海外〟まで、その悪影響が広がり、事件にまで発展する〝狂気〟が、アウシュビッツとヒトラーの件で 大規模に知られたように、実際に後になって 膨大な証拠として提示されるわけだが、どの事件(もくろみ)も〝全体であると同時に部分 (闇でもホロン)〟なので、その外側に問題があるのだと 誰も〝責任を取ろうとせず〟核がのさばっているように、現状がこうだ。

音楽シーンに特に言えるが、意図の無視の独裁支配は、上記を助長させられることになるので、アーティストと そのソウルにとって あまりにも〝おぞましい〟!

〝みらいのことば〟に対しても、――大昔の人々に 製薬技術によって開発したワクチンを施せば〝神に見なされる〟のに同じく、悪の科学者の悪用ならば〝昔の人々ならば気づかない〟同様、―― 認知だけ第3層の悪用を (例えばダークマーケット込みで定立) されれば、それを信じる人の少なさと カルト教に還元するバージョンの多様さなどにより、より とんでもない混沌が生じるのは、私たちにとっては、至極明らかである。

その〝内面-意図〟を、トランプ大統領の母体でもある〝保守派-共和党〟に任せてきたのは、〝あまりに無謀〟であり、〝保守派も 産業化のオレンジの波を信奉〟しているため、歪みの影響を強く受け、意図を無視する業界至上主義的支配に対しては、リベラル以上に 知恵の面で無防備であるがゆえに、そのカルト化は、近年、かなり まずいところまで来ている と、私は思う。

 

てぃんくる☆は、上記が 子どもの心の正体なのではない――〝全く別のことだ〟と根拠を持って主張‐定立しているので、そのテストを行ったミュージシャンたちが、バックに付いた。

愛犬クルも、勇敢なまなざしで、マイマイを待ちながら、〝全面的に賛同する〟!!

 

アニメの制作世界にとって、現実に何が起こっているのかを 付け加えさせていただくならば、私の信頼するアニメーターの挙げる現状は、〝無謀な業界至上主義的 独裁展開により、まず作画監督が制作を降り、次に 総監督が辞めざるを得ず〟で、―― 結局、意図の無視と 売れ線至上主義 (お金【円】が欲しい) の堕天を信奉 する、加担させるに都合のいい存在だけが残され、タイトル数だけ肥大化したアニメが大量に残り、社会と世界に与える影響を考えられず、闇のスパイラルに加担させられながら 悪いカルマを増やし続けて、音楽界側のアーティストが〝アニメ側のアーティストと繋がるすべ〟を見送ってしまう、といったことも起きてきた。

てぃんくる☆は、大学の講義にも耐え(実質が立証され)音楽界側とアニメ側が繋がるための〝意図としての主張〟を成功させ、結果的にも、今、多数のミュージシャンが、その声を挙げている。

芸術の〝解釈〟をするにあたって、これから決して無視できないのは、この〝意図・声明・気持ち〟だ!

 

少し視点を変えると、非アニメ的な、アニメのダーク・スパイラルは、音楽界にも影響を与え、私ないし てぃんくる☆を〝応援しているメインアーティスト〟のまね【an imitation】にて〝応援〟をした気 (みせかけ) になって、みらいのことばの矮小化にも言えるが、そこで有名になることで〝悪用している〟ことに気付かず、私と てぃんくる☆ が 示しているような〝領域・コミュニオン〟を 音楽界側で ひどく歪めてしまう、といったことも 起きうる。

メロディと統合的リンキング〟でも示したが、ミュージシャンならば、10年は〝正しく有名〟であって、〝有名サイド側で 具体的な強いメッセージを送れる〟と私は思う。

(例えば、私や てぃんくる☆の 主張・コトバ・意図への返信として、具体的に分かるほどのメッセージを 有名を伴って 権力をも伴って 込める場合。)

もちろん、こちらが ふんぞり返る意図はない(*ω)

 

ヒーローアカデミアで 「過去を変える(同一の世界線で過去を変える、未来は変わらなくとも過去は変えられる) という名主張があり、普通は 「過去は変えられないが 未来は変えられる」 となる所が 逆説的なのは、〝理知の眼ではなく スピリットの眼〟で見ているから。

「過去の過ち・後悔・カルマ」を〝インテグラルに清算する〟という意味で、それが〝多次元的に過去を変える〟ことになると認識できるのは、〝スピリットの眼による 実践として意味を成した〟から。

この、芸術の真の深みは〝感覚の眼でも 理知の眼でもなく スピリットの眼で見る〟という主張こそ、「統合心理学への道」のメインテーマのひとつであり、音楽側でも、アートあるいは私を〝スピリットの眼ではなく 理知の眼(のみ)で〟見ている人がいると思う。

特に、一般になじみの薄い〝システム的な通常のパラレルワールド〟のビューに関しては、ニューサイエンス的な方面へ行くと、色々と滑走して 手におえなくなるので、理知の眼で分かった気になって 歌詞に詰め込み過ぎない方がきっといい。

ミスチルも ほぼやっていないし、私が意図して【スピリットの眼で】行ったのは、「マジカルエマージェンス」と「明日へ進もう」の2曲だけだ。

もう一つ断っておきたいのは、私の存在を「ティール組織の ひとつのテスト」と見て頂いても良いが()――ILPの「実践 インテグラル・ライフ」で、〝ソウルのモジュール(魂の旅)は、必ずしも富に直結するものではない〟と 主張されていることからも分かる通り、「名が売れても核兵器を無くせなかった」経験で構成された〝有名サイド〟の方々と、〝私が繋がっている〟のは、ふしぎなことでもなんでもない。

ここは、該当領域を 信じられない人 (興味のない人) が多い中で、〝嫉妬する人〟がいる場合、〝そんなことが本当に可能なのかどうか〟だけは、よく考えてほしい。 何か、見落としている重要なことはないだろうか?――カルマ? 思い込み? スピリット?

 

パラレルワールドを スピリットの眼で 芸術的に 読み解くにあたって、「統合心理学への道」では、もうひとつ、「運命と自由意志」の非二元性についても言及されている。

時間芸術である、音楽やアニメにとっては、特に、〝運命は決まっているのか?〟という問いに〝理知の眼ではなくスピリットの眼で答える〟つまり〝実践する〟という〝解答〟は、とても〝明快で素晴らしい〟と思う!

 

このように、今、(もしくはここ数年で) 大規模に変わりつつある 音楽シーンは、〝新たな指示は 新たなデータを生み出す(実践と確認-広義のパラダイム) という、真剣な〝証明・実務的な対話〟に基づいている点を、明確にする必要がある。

これは、アーティスト分野のスポンサーや投資家が 【アーティストとアートと対話を 理解する為に】 特に重要なポイントだ。

芸術は、ただ売るだけでは、 アーティストを引きずり回しただけの上に、核保有を助長させてしまう。 (一線を越えることによって。)

 

現在の音楽シーンは、私と てぃんくる☆ が示した 【指示】の領域を参照した 【主に有名サイドの】アーティストが、実際に〝みらいのことばのコミュニケーション〟を スピリットの眼で実践し、その確認を、例えば、ラブラと一緒に行った、ということである。

ラブラのポテンシャルは・・・・・・大宇宙パワー!!!!!(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

――― ミーシャのCDとか、緑のシティに 今にも 来そうだし()

 

近況に戻ろう。

―――――――――――

去年の冬初めに「しろくまカフェ」も観た。

私は「DJシロクマ」が〝好き〟なのだが―――地球温暖化ァっ~!♪!

実は、登場人物に「ヤマアラシ」も出てくる。

 

ちなみに、ジュエルペットのラルド(エメラルド)のジュエルパワーは〝夫婦円満〟

(※初代参照)

 

愛犬クルも〝興味津々〟だと〝お察し〟にて、〝てぃんくる☆の 1話に出てくる はっぴー!はっぴー!言ってる 青いねこ〟は ―――【解-answer : ドラえもん】!!♪ ✧近年の映画の宝島も ぜひ参照✧

タイムアートもメインのテーマ であることが明かされている、という意図としての解釈 も有効。

(こうやって、芸術を見ると、インテグラルに すてき♡ )

 

「重力と呼吸」の「singles」は、〝守るべきものがある→強くなりたい→簡単にできれば苦労はない(簡単じゃない)と 読解可能 【推奨‐定立】。

 

まいのブログの「cat walkが すてきすぎて、いつもそこから リンクするようになる、謎の手続き()

 

ジュエルペットシリーズで さりげに多く 聴くセリフ。

どうしてわかってくれないの〟――()()()()()(-∀-)gg

 

今回のメインイベントとして、身近な、実際の「ティール組織」を挙げておこう。

――――――

実際に提示するにあたって、いくつかの安易な「難関」が存在すると思われるが、以下に挙げるのは 「具体的な組織名(個人名含む)」ではない!

これらの〝組織―構造〟から〝連想―リンキング〟される、〝意図や想い・活動記録や統合的な対話・その総合的な共同財産を共有する あらゆるタイプの インテグラルな視点(主張―定立)〟を 強調するので、この名前がないとか、そんな表面的な リストではない。

――――――

(2020 07 追記: 少しそれるが、どこに書けばいいのか わからなかったので ここに載せる。 以下に挙げた〝googleマップ〟のストリートビューは、自転車視点から 命を救うことになる技術なので 挙げているが、口コミを表示する建物のアイコンが〝とてつもなくジャマ〟なので、ストリートビューを高度に実践的に活用するために、情報アイコンの半永久的な非表示設定ができる 簡単な方法を!!)

――――――

また、これは、ケン・ウィルバー「インテグラル・スピリチュアリティ」で提示された〝ポスト形而上学〟そのもの。

全ては〝視点〟であり〝主張―定立〟で、モノでもプロセスでも組織でもない。

音楽シーンで言うならば、マインド(理知)の眼 でのみ より精妙なアートを見る〝形而上学 (所与の神話・独白的)〟が 売れ線に主流の解釈(定立)であるのに対しての、「ポスト形而上学」で見る。

 

【ティール組織】 -私の身近な ヴァージョン-

ケン・ウィルバー(インテグラル・ビュー)、サンリオ視点、TVO・テレビ東京系 視点(ジュエルペット・ワンパンマン[バトル漫画のルーツと知恵の視点]・弱虫ペダル[フジTV系 2期まで 合同 視点]etc.)、ワンピース、  ドラゴンボール、日テレ系 視点(仰天ニュース・ヒーローアカデミア・鉄腕DASH)、SMAP、ディズニー映画 視点(ズートピア・モンスターズユニバーシティ)、ジブリ視点(ハウルの動く城 [紅の豚・コクリコ・マーニーの意図])、ドラクエの深層の主張 (Ⅴのシナリオのコア・Ⅶの真の意図)、googleマップ、バクマン、池上さん、ミスチル、ケミストリー、ゆきちゃん、まい、私。

 

以上で、2019年を くるんで、言いたいことは 達成した。

そこそこ 前から、こういった視点として 提示したいと思っていたが、決定的に〝私が、広域のフレンドに説得できる カード が揃わないことによる 見送り〟により、年内ではなく、年初めの〝ご報告〟となった次第。

2020年は、非常にきれいな年なので、12枚のアルバム(正12面体)のように、正20面体のように、ダイアモンドのように、いいことが、たくさん起こってほしいな♪

 

というわけで、私のラブリーな音楽を、枠ごと どうぞ(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡

 

配信で最も聴かれた私の曲:「I so lovely be future in the sky」✧ ――【インスト】

 

明日へ進もう――配信限定AL「ゆうきのうた」収録――セルフプロデュース

 

2019年8月 5日 (月)

僕の 365 days ☆彡 ~虹と ゆうきの すてきロード!~

つゆの季節もすぎ、今年に ほとんど活用していなかった 緑のシティ号(グリーンシティライナー)を引っ張り出す。

ライドに必要な装備・システムが 去年の秋ごろから充実し、日の長い今年春より、ロングライドに重点を置き、まだ走ったことのない道を中心にして、まほうのホウキ号(ルビーエンジェラバイク)で フル冒険する目的に至った。

年末ごろに 少しヘビーな心持ちにもなる近況の後、ライドを慎重に続け、春へと受け継ぐことになる。

西側は姫路市の山側まで、かぼす もとい〝すだち〟ダムまで走ったという。 (※ すごう ダム、のこと。・・・読みが欠けてて、勘違いしたらしい。) 

色んなエリアに行った。 もう 数ヶ月でこれほどの冒険をすることは、ないと思えるほどに。

北側は、るり渓へ行ったおなじみのライドをはじめ、まだまだ バリエーションがある。

大阪方面は、平城京・木津川エリアをはじめ、大和川・南エリア、そして 京都・嵐山で ロングライドをファイナルする。 最大の3回の往復。

距離が長くなるにつれて、ふしぎな感覚になる。 そのエリアに長くとどまり続けながら、走り続けているという どの旅でも経験したことのないタイプの 時間的な内在感覚。

早い夕食に、朝かなり早く起きることに慣らすことから、春のロングライドシーズンは始まる。

そうして、真夏がやってきた。

 

緑のシティ号で、有馬温泉に行こう!―― と思ったきっかけは、まいの「春夏秋冬」とも関係する。 ロングライドを目的とした達成には 反動もあり、自動車についてあれこれ書きながら、落ち込み始めたタイミング。

実は、今年も「嵐山まいまい食べ歩きライナー(2019)」を走らせている。 古都芋本舗で おいしいおいしい 抹茶ソフトを食べながら、線路を見て、嵐山の風情あるエリアまで リヤカーとまざって ゆっくり走って楽しむ。

この1回のみが、観光グルメライドで、ロングライド・トライアルの〝重心内容〟をものがたっている。

私の経済状況は、「お玉」を しのぐかもしれない(爆)

今回の報告の目的の一つは、「最低限の資金であっても 時間と根気さえあれば 高価な企画単体よりも 代えの効かないカスタマイズ・ライフができる」ということ。

嵐山では、キティとマイメロの着物姿の ぬいぐるみが かわいかった。 けん玉とか、文化的なおもちゃや金平糖も並んでる。

嵐山と有馬は、似ている。

両方とも自転車で行った人は、自転車を使いこなしていると思う。

僕の観光グルメライドが 絶滅危惧種並みに少なくなっているので、観光グルメゲージを補おうという作戦である。

自転車で、神戸市から神戸市内を走る、シンプルなライドである。

もちろん、自動車が多い道は、基本全て迂回する。

緑のシティ号で行く。

二館券が便利なので、半額デーを狙っても良いが、余るかもしれないけど、ふつうの日に行く。

思い立ったが吉。

ふつうのシティライドと違う点は、坂が多すぎる。

シティライドで有馬温泉まで海側エリアから行くのは〝裏技〟である。

昔から、経験しているので、道の概要は分かっている。

新しく 拡張された区間もあり、以前より格段に選択肢が増えた。

まほうのホウキ号とも やや違うルートを取る。

コツの一つは、国道の旧道を流用すること。

鉄道沿いも使える。

有馬口から有馬温泉までの区間は、基本的に迂回不可能で、それほどの頻度で通らないとはいえ 前後の行程上の経由でも通過するルートに入れるべき 関所。 特に行きの登りは、もちろん帰りも、自動車用道路に見えるかもしれないが ふつうに 歩行者・自転車の為の道を兼ねているので 通過する自動車は 制限速度で走ってもいいのかもしれなくとも すぐに止まれるように走ること。

そうして、いつものように、有馬せんべいのかけらを買って、ゆっくり過ごす温泉の入り方を駆使して金泉を楽しみ、有馬サイダーとアイスを堪能する。

有馬せんべいのかけらは、金泉より坂を上った三ツ森のレアな「タンサンせんべの子」と 平野屋本舗が 特にオススメ。

確かに、真夏にシティライドで有馬に行くのは、少し変な気もする。

意外に、僕との歴史は深く、真夏に行った経験は最近のことではない。

最近は年間1回だけど、湯治で20往復位 しているんじゃないかな。

真夏は、ライド自体が困難なため、日中に休憩のバリエーションが広がる〝観光ライド〟が 高地中心に 生きてくる。

そして、嵐山と重ねる。

どちらも自走しているわけだから。

僕の夏が 今年も始まる。

 

緑のシティ号は、1km30円から大きく離れることのない運用だけど、まほうのホウキ号は 既に1万5千キロほど走行して、ひとつの節目を迎えている。 1km10円を切っているので、両者を合わせて、1km10円ほどに収まると思う。

そして、緑のシティ号で、今年も、午前発計画で 花火を見に出かける。

かなり久しぶりに、鉄道を眺めて センター街をぶらぶらしたり、実は思い出が長いエリアだと思う。

思い立ったが吉なので、中華街へ行き、ぶたまんとソフトクリーム、横浜の中華街でハマった 焼きシャオロンポウを食べて、雰囲気と楽しむ。

最近は直行直帰できるエリアを限定しているので、ここに来たのも1年前の夏以来だろう。

そして、お気に入りの場所へ。

――――――――

 

去年の末ごろ、てぃんくる☆彡のBD関連の検索で ツイッターの一言を見たことで、僕の人生が大きく変わった!

・・・のかも。

 

言わずと ファン(^_-)-☆の間では知れた 僕の「おはよう!」は、ZARDの坂井泉水さんに宛て・寄り添って作った曲だけど、気付いたときにまた、大切な人が 虹の向こうに行ってしまったようだ。

ふしぎなもので、その結果、余計にそばに感じる気がする。

年末に このことを知ってから、てぃんくる☆彡の本当の意味・成り立ちを理解しつつあった僕は、かなり動揺しながら ライドを的確に続ける。

この頃、僕は、症状が原型化した怒りを、自転車に表現することで、新システムと共に コントロールできないシチュエーションを緩める方向に向いていた。

今年は、そうして始まったと思う。

 

僕は、「ゆうきのうた」を そのツイッターを書いた ゆきちゃんに 贈った

まいの 「OVER THE RAINBOW」 (2012 01 11) は、彼女に宛てられ、「春夏秋冬」を この夏に 初めて聴いたとき、全く同じことを考えていたんだなと思った。

「明日へ進もう」の 1番の頭のフレーズは、「freedom」のメロディができていた2015年ないし2016年に既に 存在しており、ずいぶん長い時を歌っている気がした。

 

「BE KOBE」

アルティメットな けんちゃんパーク(・∀・)にて。

 

彼女の ある意味 最初の ニックネームは、「ベッキー」だろう。

同じことを言われると思うが、最近、共時性が 一体何なのか分からなくなるくらいに、今までの想定では理解できない「メッセージ」を魅せている。

実現の流れに乗る先に、運命を見ている本当の構造的何者かが、他ならぬ自分たちの始めた 光のRPG で あったことに 確かに、気付くことができる日は、人類全体として、来る。

運命の次元を超えた構造的正体を理解するための「言語」はある。 源流としての夢のイメージだけが言葉なのではなく、その アルティメット・テキスト、深い成熟によって洗練されるバージョンがある、運命のRPGの発達ラインが ゾーン3を重心に存在するということ。

 

私が 家族を つくっても、うまくいくかは わからない。 今の生活から、自分の外在価値を どうやって見いだすのか、その方法に見当もつかない。

つまり、誰とも結婚できる気がしない。

 

少し心配なのは、アニメが 健全で深い翻訳を 破壊するムードに呑まれることだ。

健全さの潜在的翻訳=作者の意図と深さ が成り立つようになるにつれて、成長を拒絶する 慰め翻訳原理主義者 (の過激派) が そのすべてを破滅させようとするのは、容易に想像できる。

アニメを ただいっしょくた にする風潮を 何らかの方法で加速させれば、アニメすべてが いかがわしくなってしまう 流れを決定してしまうだろう。 誰が、てぃんくる☆彡に 根源的な解釈を付与してくれるのかな。

 

ゆきちゃんは、次世代の漫画家とアニメーターのことを 強く心配している、すてきな人だ。

僕も、そう思う。

 

アニメの分野にだけ閉じこもる人たちと その先の領域へ繋がる人たちとの差は、歴然だ。

仮に アニメを 慰めの為のブラックボックスに主張しても、ポップス、舞台、絵画、ドラマ、種々芸術が この慰めの共通項に定立などできるだろうか?

 

まいとテレビ東京の関係は 実は僕もよく分かっていないのだけれど、近くなるのは かなりいいことだ。

最近、人との距離感が、まずます よくわからなくなってきた、ような気は 僕はする。

――――――――――

 

自作のサンドイッチと 冷たいお茶で、時を待つ。

海上から、懐かしい音がする。

虹が、夏の花で彩る。

この光景を見るために、確かに、来る日も走っていた。

「make new history」を 何度も何度も聴き返すように、僕がなぜここに来て、こうしているのか、もう一度、考えてみる。

よく見てみれば、僕がやっていることは、節約して自転車に乗り、思想を綴っていること くらいだ。

つまり、華やかすぎることは 何一つ できないわけだ。

だけど、それらしか していないのに、結局は、ふしぎなことは 起き続ける。

忘れていても、特別なことが無いように想定する 全ての時が、例外なく特別である という確信が、根拠を伴ってくる。

ただ、それを証明するために、花火を見に行くという方法は アリだ。

そのために、有馬に立ち寄ってくるというのは 大アリだ。

その結果、思い出されるのは、自転車で巡り、或いは準備し、休憩し、その日々の背景にある、もっとたくさんの、あまり意識しないインターバルだ。

ということで、時々 色濃く起こるような気がする 時を越えるような 「偶然なんてない照明」 は、やはり、どんな時でも定立できる。

これにもし構造的に確信できれば、命の不安に意味が無くなる。

単なる 思い込みの問題ではないのだ。

つまり、この なにげない全ては、狭い範囲ではない意味で、実践になっている。

僕は、自転車に乗ることで、結婚しているわけだ。

そのときの、ふとした洞察も、たしかに、心に残る。

 

「365日」と重ねる、フィナーレに、僕は、時のふしぎさに、言葉を失った。

2つほど分かるのは、この夏へと贈られた「春夏秋冬」に、みんなの夢と虹の「365D’s」感動のニュー・ロード。

僕の仲間たちは、このことを失うどころか、未来まで含んで、さらに離れることのない力強さを生きるようになった。

分かる人には、あきらかすぎることだと、そう分かる。

 

少し、孤高の旅が長かった。

今日は、みんな、一緒にいてくれて、ありがとうと言おう。

シティでは、人が身近であるのは 当たり前の光景だけど、今年の僕は、それが まぼろしである気がするほどの世界に居たと思う。

自由の行きつく先は、大衆と独特な距離で結ぶ。

それらは、決して減らない関係で、積み上がっていく。

 

センター街の氷のアートを さわる人々に つられる僕と、今日のトレンドを探そうとする意識。

常に音楽とありたいと感じながら、自分の世界を静かに強く持つための しつこいまでの工夫と情熱。

それを理解する仲間と、確かめ合うことのできる ふしぎな時間。

この日記を書き、あなたの心に届くまでの 言葉では表記できない 時刻ダイア。

 

僕のまだ知らないマイ・ロード、その真実は 今にあるのか?

全ては、どこに汲むものなのか。

直観的非判断と、悩んで答えを出す必然性の境界は?

すれ違いと意味の 多次元の完成系とは。

 

僕は、確かに、日々の色を失いつつあった、と思ってもいた。

目的が距離と量に帰結しがちなほどに、虹は そばに無く、結果的に焦りが生まれる。

それでも、何かを恐れて、その中に大切な人がいて、受け入れることが勇気なら、きっと、進むために、今日はある。

そこに、すてきすぎる 生きている が あるのなら、自然な流れは、生じる。

選ぶだろう。

 

昨日できなかったことは、今更 今日に選ばない。 明日も選ばないだろう。

今日選びたいものは、今日選ぶだろう。

明日の意味は、時空を超えていくだろう。

 

その心は、きっと、僕たちの 「365 days」 ☆彡

 

 

2016年1月13日 (水)

心身〝内部〟の〝状態〟と〝健康〟の〝インテグラル〟ビュー

現時点で、わが国では、いくつかの、差し迫った心身相関的事実が、混乱傾向にあり、手に負えない瀬戸際まで来ているのではと感じ、シャドーワーク(セラピー)とILP(経験)の兼ね合いから、学術視点で、真剣に、これらの核心について、語ろうと思う。 あまりディープな用語は控えたいが、避けては通れない議論と存ずるので、以下に、テーマを語る。

[日本思想に多大な影響を与えたトランスパーソナル源流の代表 スタニスラフ・グロフの研究テーマで切っては切り離せない 向精神薬物〝LSD〟は 毒性はないが 場合により有害 (現時点での私的な見解・当時グロフは〝LSDは何であるのか知られていない〟と言った・また 聖人の瞑想で同じ変性意識状態に入る・シャドーを含む一般人の変性意識を悪用して操れるので危険・カルトや詐欺 世界仰天ニュースにも挙げられているこういった視点の理解と対策に重要)。ノイマンも言う〝無意識の再集合化の危惧〟の視点で マスターベーションは〝心身内部の健康バランスからの逃げ〟に使われており (無意識含む 広義の)官能的 (西欧用語では ポルノ的)アニメや (当人の主観的意図が 無意識のイデオロギーに染まる 現代都合の) シンボル過多の制服を着たアイドルが 経済システムを含めて 社会的な闇を助長する結果となっている。インテグラル理論における〝個人と集合・外面と内面・外部と内部〟の3項視点における〝個体外面の内部(ゾーン5)〟における健全な理解が乏しいことから起こる種々不安定な自己システム(現代病)の傾向 & ビタミン・ホルモンなどのバランスの変化が インテグラルな毒薬学(毒性学の薬学的側面の意味・とどの造語)からは 切っても切り離せない関係になっている。 など]


・心身内部の健全度とは?


アニメ・ワンピースを見ていて、〝サンジの押さえ切れない鼻血現象〟〝ホルホルの実における心身騙しの後の後遺症〟〝パンクハザードの子どもたちが苦しんだ原因である毒〟と言った視点から、作者の、日本社会文化への危惧とインテグラルなメッセージが、ひしひし伝わって来る。

鼻血は、鬱積した性欲(シャドーは、性・権力・金が三強)の翻訳で、これを騙すことで〝詐欺や非視点的狂気の原動力〟になる。

ホルモンバランスは、変化することが〝人体改造〟であり、〝何かしらの生活習慣において変化した心身内部は 自己システムの安定性に影響を与える〟視点は、同じく仰天ニュースのダイエットでお馴染。

2番目の視点の発展として、〝慢性中毒になるほどのドラッグ〟の原因とは、〝LSDやマスターベーション・食生活〟などの〝表層的原因〟というより、〝それに応じて心身内部のバランスが変化する〟ことから来る〝自己システムの崩壊〟に関係が深い。 ゆえに、いわゆる過去に分裂病と言われた、〝なんかおかしい人〟の特徴でも有り得る。

グロフは、とどのDiaryの参考文献として過去に載せてもいる、〝魂の危機を超えて〟の中で、スピリチュアル・エマージェンシーとしての渇望が、アルコールやドラッグとして表れると言い、酒やたばこの方が、LSD(当時は合法的に研究として使えた)より毒性が強い(右側では事実)と主張している。

即ち、言い訳として、こういった逃避活動が〝毒でなければいい〟と主張されてしまう、ということで、官能芸術にしても、〝非合理的な権力の暴走を縛る〟ことを怠って〝奨励される〟と、社会道徳が崩壊するということだ。(ネットから現代日本を見ると…。)

問題は、〝左側の内面象限〟において、自己システムの崩壊こそが、〝毒である〟ということを〝見落としている〟点。 現代の内面次元の甘い理解の結果が反映されている点。

ワンピース魚人島編のテーマ〝ホーディの文化的に構成された闇〟で理解可能な〝有害な言葉・思想〟といった次元(Q/1・Q/2 の象限)も、毒薬学の〝毒〟に含まれてくる。そういった重要な要素を見逃してはならない。

アイドルの役割を〝しらほし姫〟に反映できるとすると、上記闇に意識的であることが最低条件であり、私的には、アイドルの役割・魅力は、〝制服(衣装)を着て舞台を行い ノイマン的な起源的無意識を活性化・理解しながら なお理性を失わないスリルを楽しめる存在・行為〟と思っている。 ゆえに、アイドルを人形扱いしたり、逆に 消費や逃避にしたりするのは、男尊女卑も含めて〝主体‐社会 のナルシシズムが反映されている〟ことになる。

即ち、健全なアイドルは、やり手も受け手も、インテグラルなシャドーワークを無視して存在できない、ということで、スピリチュアル・エマージェンシーの受け皿に、独自の形式で発展した漫画・アニメがあるとして、こういった投影の一種の形式に〝内部と内面の毒‐ホーディの闇〟を無視する形で、存在を許す通りはない、のである。

今回言いたいことは、〝何かしらの 内面外面次元問わない 原因により、心身内部のバランスが変化する、その排他性(悪い部分)を毒と捉えることができる〟点である。これにより、有害なものが、インテグラルな象限によって、種々判明するだろう。


・ホルモン管理と心身内部とコミュニケーション


インテグラル・ライフでは、心身バランスの、表面的なことだけでは不十分と、注意を呼び掛けている。

例えば、現代日本では、オナ禁という言葉と実践が流行っていて、〝官能から離れる〟という方法論もあるが、〝シャドーとしてため込んではならない〟という、ごく基本的な点が無視されがちなのは、ノイマンの〝再集合化の闇〟ウィルバーの〝ビッグ3とスピリチュアリティの分離〟があまりに現代先進国に根深く、インテグラル規模の実践なくしては、断絶を把握し 癒すことができないからだ。

前項の議論、〝心身内部の変化と健康〟の視点から、そもそも、性ホルモン・アドレナリン等 種々含む〝(広義の) 脳内麻薬 (正確には 心身内部のドラッグ)〟自体が〝心身内部の変化を前提として生まれ、その結果、心身内部が変化していく〟視点(現象)滑走であるので、生活習慣として知られた 生き方全般が、ドラッグとか毒といった視点と 変わらぬ領域にあると見れる。

即ち、内部で生成される物質なら安全だろうとか、皆食べているものなら無害だろうとか、〝社会文化的に偏見として構成された視点〟が種々存在する。

毒やドラッグは、こういった心身内部と生活習慣を理解する一つの要素なのであり、捉え方(視点)を変えれば、〝一酸化二水素(H₂O)の過剰摂取[即ち水太り(笑)]は毒〟のように、あらゆる角度からの偏見のない健全さへの探求の大切さが、見えてくるのである。

また、マスターベーションをしすぎないことで、コミュニケーション力が上がるという結果は、〝これまでに見た ノイマン的な無意識の暴走からの逃避に使われていたエネルギーの転換〟が主な理由で、〝同時に 隠れた気質が不安定になる〟点は、〝古代的無意識の領域(L/1~L/2)のシャドーワークの糸口になる〟ことから 対処していけばよい。

下側象限の、コミュニケーション向上の理由としては、自分の中の、アイドル・アニメ等に投影され 無意識であるがゆえに破壊的にも成り得た〝幼いアニマ(女性ならアニムス)〟が、現実の逃避より〝実際の異性との人間関係〟に喜びと意味を覚えて、創意工夫を凝らしたことによって、人として より統合されたから。


・芸術活動と 破壊衝動の表現の関係


今までに見た、〝乖離した幼い部分〟〝無意識の再集合化が危惧される部分〟は、現在の日本において、〝表現すればよい〟〝芸術にすればよい〟方向で、片づけようとする傾向にある。

実際、それは、シャドーワークと無意識を無視するだけでなく、〝自他の心身内部の毒〟の伝搬を加速させる。

こういった、破壊衝動として研究されてきた領域の 表現(アクティング・アウト)が 正当化される可能性として、ロロ・メイが、芸術家は芸術に昇華できた神経症者、といった主張があるが、ケン・ウィルバーのインテグラル理論を適用してから、その真偽を考えた方が良い。

まず、芸術家は、〝スピリチュアル・エマージェンシー〟〝自己実現〟〝究極の関心(ないし信仰)のラインの成長実践〟等に限って、狂気も作品化する。 (例;ミスターチルドレン)

最近のアニメでは、やたら〝銃〟が出てくるが、そもそも、ワンピースは〝暴力の連鎖の理解と対策〟の視点で明快だし、文化的源流の一つ〝ルパン三世〟は、最初〝人気が出なかった〟理由も含めて、まだ安保闘争に近かった 不当な暴力に怯えた当時(ヤング ブラック・ジャックによって描かれた)、そういった〝防衛的武器に過度に怯えず、性・権力・お金 から自由になろう〟というメッセージ性を込めることにより、世を明るくし、結果、国民に受け入れられていった経緯がある。

(2019 01 追記 : 数年を経た 筆者の捉え方・微細な見解の変遷。―「優しく強いアニメの未来 ~表現の意図は変化する~」)

ウィルバーが〝芸術には より良い解釈もあるし、悪い解釈もたくさんある〟と主張する通り、私が〝統合的リンキング〟として示したその領域(視点)をサポートする作者には〝良い作品と他の良い作品が 非‐排他的 に結びつくべき〟という 意図がある のだ。

そして、現代日本の、そういった〝モラルの崩壊・フラットな官能芸術の荒廃化〟の根底には〝総合的な、心身内部の毒の、視点の滑走とシャドーワークに対しての無知〟という、おなじみの病(無意識)がある。

以上より、正しい芸術(文学等)、より良い作品を見抜いて、情報を取捨選択していくことができるだろう。


・まとめ


今回の小論文の生まれた経緯は、上記風潮や解決的展望の可能性から、〝心身内部の生活習慣〟というごく単純な(内面・外面・社会・文化)システムが、〝依存性や異常性と 変化〟と同義で捉えることができる (何が毒なのか? 偏見も毒なのでは?) と気づき、それが、今までのわたしの体系(考え方)に含まれていなかったからだ。

(その意味で、ゾーン5と支点1・2のシャドーワークにおいて、体感‐実践として、こういった視点の滑走を理解することができたと言える。また、ヨーガなどで、ラマナ等が〝食生活の重要性〟を語る インテグラルな意味も、深まった気がする。)

或いは、生と死のダイナミズム (音楽家ブルックも語る 主体の恐れや痛みに対する 抵抗と認識と偏見) 自体の単純化(&インテグラル)が、総合的な〝毒リンゴ(笑)〟を遠ざける〝答え(鍵)〟なのだな、ということ。

重要な場面での緊張にしても、こういった執着(保身)があるし、恋人(パートナー)との関係のナルシシズムの反映度が、きっと〝距離〟なんだろうな、とも分かる。

そして、〝健康〟のインテグラル本来の意図(支点8の真実)が、どういうものだったのかを、初めて知って、もう少し、心身を大事に、(例えば、ニュースでやってる、紛争で飢餓する子供たちが、笑顔を浮かべてインタビューに答える姿を見て 圧倒され)、もっと、健全な心身意識を持って、自分 そして 周りに意識を払えるのではないかと、総合的な関心を覚えた。

〝強くいられる〟ことを、新たに気付かされて、新たに わたしらしい〝インテグラル・ライフ〟が深まっていく。


☆☆☆☆


以上より、あなたの、家族の、世の中の、〝健康の回復と発展〟の お役に立てれば、幸いである。


(2016 01 13)

2013年1月12日 (土)

ポテンシャルの流動性[ストリーム] ~ポテンシャルエネルギーのアップデート~

ウィルバーは、モデル4あたりで、意識構造には流れ[ストリーム]があるというような概念を提唱していた。波である意識が構造に同一化する と。今回は、流動する意識深度を、ポテンシャルの面から考えてみたい。

・統合芸術とポテンシャル

偉大なピアニストは、その空間に、高次の構造を創発させる。ひさしぶりにギターを弾いた人は、濃いプレイをする。長年離れ離れだった恋人は、お互い愛に満ちた濃密な世界を創る。これらに共通するのは、ある特定の時間のみ、いつもとはちがう特別なことをする、ということだ。その代表は芸術で、形の残るものや残らないもの、多種多様だが、そこには微細に、創発と補充(休息)が行われ続けている。

補充で得られるエネルギー(創造性)は、ポテンシャルエネルギーの外在化したものだ。(右側象限の微細なエネルギー。) これは、魂の、内在価値が心圏の生(人間)に還元(変換)されるとき、環境によって、多かれ少なかれ出てくる。潜在性(魂)を変換(昇華)するとは、外在性(存在性,エネルギー)を伴わせるということなのだ! 潜在性→深度+愛だから、微細な、ポテンシャルエネルギーは、高次の構造的作風(作品)と、熱い活力になる。ギターの例は、まさにそれにぴったりで、時間を経てたまった創造ポテンシャルが、コード等の構造的(外在的)要素、志向性(ひさしぶり!)が 状態的(内在的)要素を思わせる。これが外在化を伴った、意識の流動的側面である。

・作品に込められる深度

要は、潜在性[ポテンシャル]を変換するとき、彼の意識は構造的になったように見える。これは深度[レベル]と呼ばれる。また、ラインについても、別々にポテンシャルエネルギーがたまる。ゲームのポイントのふり分けのように、生に還元されるポテンシャルを、魂(深い心霊[ディーパーサイキック])もしくは自分(意志)が、特定の必要な、お気に入りのライン中心に、自由にふり分けている。同じパラレルワールドの人間でも、成長が異なるのはそのためである。(現実には観測されていないが。発達心理学的に、同じ魂を持ったクローン現実にはない指示対象であることに注意】と考えれば思考実験レベルで分かる。) あなたは今日何をしようか迷う。音楽か、本か、旅行か。その選択によって、創造に使われるエネルギーの向かう先は大きくちがい、どれを行っても、時空間的に、他のことはもう行えない。休息が必要である。しかし、そうした経験は深い心霊に上書きされ、内化する。深度の正体は経験的意識(魂のもの含む)の流れだったので、このような緻密な(マイナーな?)経験でさえも、深度に関係してしまう。そもそも、経験主義的(ミーム論とか)には、差異化の時点ですでに成長していても、統合後でしか、そのふるまいを観測できない。レベルと言っても、そこまで大きな仕切りはない!(ウィルバーが再三言っている。) 行うすべてが変容と言える。(正しく行えば。)

それをふまえて芸術作品を見てみる。作品は見るだけで一定のレベル(ミーム)の人を引きつけてしまう性質、つまりレベル(構造的熟達性)を持っている。技術と同じく人々を豊かにする、文化となり得るため、それ自体が深度を持っていると言ってほぼ間違いない!(ただし、個人とちがい、外側からのみ観測されるが。) つまり、私達のポテンシャルエネルギーは、作品として後世にまで結晶化できるのである。作品には深度を込められる。自分の好きなラインへ、そして、その分野の領域に、流動させて、作品と経験として出力される。一生で100作品創った人は、その分のポテンシャルエネルギーは使われてしまった。そして、経験(作品)として深度化している。これを深い心霊は引き継がせる。転生した人もまた、100作品創るだけのポテンシャルエネルギーを持つ。

私達は心身体なので、ポテンシャルをこの世界で発揮できるように外在化するためには、それだけ時間を生きねばならない。また、生きてゆけば、エネルギーがたまり、経験(作品)は、来世でも経験として使える。それはストリームだから、深度でもある。道徳段階は結果であり、そうなるように支えているこれら諸要素の方がはるかに重要である、と思う今日この頃である。

エネルギーが大きければ大きいほど、それを経験で深く圧縮することができれば、より統合的な作品ができる。より大きな経験になる。時間を無駄にするな!は、エネルギーのことであり、潜在力の開花である。逆に量多くつくれば、深度は減り、経験に還元(深化)される価値も薄くなる。あと たぶん、ゲームばっかりやってても創造性は減らない。不安なら、発揮した後の一定期間めたばまりすれば良い。

マズローの言っていた、自己実現的な人々、とは、このように、与えられた創造性[ポテンシャルエネルギー]をうまく使った人たちなのだ。また彼らは愛にあふれていたとも言っていた。それがこれから述べる、深度のとなりにある、あの、〝愛〟である。これは、構造[ロジック]的色合いが濃い深度に対して、より共感的[エモ-ショナル]な状態的なものだ。

・ワールドソウルをかけめぐってゆく成長愛

電車が止まるとき、電線に電力が還元される。そんな風に、僕らのポテンシャルが、互いのコミュ二オンで、愛に変わるとき、それは私達の世界、このワールドソウルに流入する!!

もちろん、この愛の経験も、深度同様有効である。外在化する変わりに、世界内在化するのだ。それは私達を魂規模で活性化させる。偉大なステージを見たとき、あなたと愛の交流をしたとき、聖人や少女でさえも、この営みには全くプロでいることができる!

特に、深度が小さいうちは、魂はこの愛の力で存在を発揮する。よく本で、10歳で死んだ子どもが、われわれ以上に深いものを持っていたと語られたりするが、これも愛への創造ポテンシャルの成せる業だ。病気は、内なる時間を加速させ、変換できるポテンシャルの量を多くする。たった10年で数十年分の潜在力[パワー]を発揮したその子は、私達以上に偉大と言えるのではなかろうか!それは今も、の力となり、私達の愛の活力となっているのである。

・流れ、深度、愛、創造性

魂の潜在エネルギーは、愛になる。それは僕を道徳的にし、芸術や論理の経験を増大させる。そうやって流れて、あなたは僕を見て、統合的だと言ってくれる。流れは、構造的な経験を通じて、あなたに観察される。すべては流れだ。深度も愛も、これらすべては経験によって理解され、創造によって共感される、そう魂の存在のつながりの流れだったんだ。

~ポテンシャルエネルギーのアップデート~ (1・12)

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【インテグラル】 参考文献♡

  • インテグラル理論 (AQAL)      統合的実践 (ILP)
    「インテグラル・スピリチュアリティ」
    ケン・ウィルバー 著

    「実践インテグラル・ライフ ― 自己成長の設計図」
    ケン・ウィルバー 監修