統合心理学 [ケン・ウィルバー]

2024年1月 7日 (日)

〝直観〟は〝タイプ論〟! ~アニメで見ようね 🎵~


最近、何か、変わったことは、ありましたか?

特記することは、色々あるような、ないような・・・。


活動… という切り口では、2023年の後半に、できることを、わずかに やりました。

イベントには、多少、行きました。


さて。


インテグラル理論 〔自我と無我 → 進化の構造 、で、2006年 の出会い〕 も、私の中で、かなり長く接しております。


最近、〝タイプ論〟を、学びました。

これまで、本格的に、読んだことがない、AQALの要素〝タイプ〟です。


AQALは、全象限 全レベル アプローチ のことで、象限、レベル、ライン、ステート、タイプ、のメタ5要素。

私的には、未生の〝潜在価値=ポテンシャル〟を、深度を補う形で 加えて、メタ6要素!


タイプ論には、AQALが よく取り上げると思われるもので、ユング式 〔その発展のひとつは MBTI〕、エニアグラム 〔叡智の伝統が系譜〕 があります。


ケン・ウィルバー〔インテグラル心理学〕では、心理学がいつ始まったのか? という問いで、序章がスタートし、ボールドウィンの〝構造主義的手法〟ゾーン2 と ゾーン4 で展開する〝外側からの発達論的眺め〟が、そのカギであると、〝インテグラル スピリチュアリティ〟も含めて、わかります。


この〝心理学〟というのは、〝直観の現象学 から〟という、視点らしいのです。

現象学〔Q/1〕は、内観、内省、主観、などの、ゾーン1の領域です。

みんなの内観〔Q/2〕、は、ゾーン3 です。


つまり、ユングのタイプ論 とは、ボールドウィンに強い源流〔のひとつ〕がある〝心理学〟を〝実践する形で〟展開したものだと、ひらめきませんか?


と、いうことは、現在、心理学的ジャンルとして、多くの研究に支えられて、世によく知られた 〔タイプ論〕 は、〝直観の現象学 から〟〝直観の研究 へ〟ということに、なるのです。


現代社会では、直観〔N〕というものは、世論的にも、常識的にも、抑圧され、周辺化されていると感じます。

例えば、直観は、最近の〝やっかいごと〟と、どう関係するのでしょうか? という問いに、私たちは、どう答えることが、できるでしょうか。


クリシュナムルティは、基底に採用された〝洞察〟と言いそうです。


また、どの馬が勝つのか? 公営競技との関係は? テレビゲームに共時性は起きるのですか? など、挙げると きりがないのですよね。


タイプ論をはじめとする、心理学の研究に、無くてはならない要素として〝正直であること〟が、あります。

例えば、直観は、〝真実に誠実〟であることで、実用的・実践的となるのではないか? と、問えるのです。


そうやって、ユングをはじめとした、心理学者は、トランスパーソナル心理学 というジャンルを含めて、〝正直であることによる 直観とは何か?〟のテーマ、希望に ハートを寄せて、情熱を持ち、幾多もの研究を、みんなと、行ってきたのです。


そんな〝奮闘史〟のある 学術・研究が〝タイプ論〟であり、〝直観の近未来常識〟とも、言えるように、なりそうですよね。

私が最近思うのは、―― 直観というものは、あいまいだから、気味が悪くて、起こっていることを、誰かのせいにしてしまえるだろう ――、と、世間で、不合理な空気〔転嫁〕になっているのではないか? ということです。


少し、視点をシフトしますが、タイプ論を、私が、これまで、学んでこなかったのは、オーソドックスな〝男性性・女性性 のタイプも 自分なりのタイプ論も、タイプ論だから〟でもありますが、やはり、私が〝決められてしまう〟気がしたからです。

その年月を経て、優れたタイプ論というのが〝直観の真実を 構成する研究〟だと、私が思うようになったのは、ケン・ウィルバーの〔インテグラル心理学〕を 読んだからでもありますが、他に、〝直観は 私の生活 そして 興味の かなりコアなところにあったんだ〟と 気づいたからです。


つまり、タイプ論は、〝直観〟のことなのです。


と、いうわけで、AQALの〝レベル・ライン・象限・ステート〟は〝直観の成長を説明しうるメタ要素〟ではありますが〝直観の正体〟に 直接迫れるものでは、ないかもしれないです。

ライン〔ストリーム〕を〝時間と空間のライン〟で読み込むと、近い視点が得られますし、ステートを〝微細・元因〟という風に 精妙にしていっても 時間を越えそうですけど、やはり〝近いところ〟と、なるでしょう。


タイプ論は、ある意味、安易に思え、その普及の仕方が〝商業的なのではないか?〟と、疑えてしまえる点でも、誰にでも当てはまるわけではないし、信頼に足るのだろうか? と、後に回したのは、私です。


それは、逆に、直観というジャンルへの〝常識的な抵抗〟を 受けずに〝かなり広範囲に 受け入れられた理論・実践〟として、成功したのだ、とも、見れます。

つまり、私は、機が熟したなら、聞く耳を 広く持ちなさい、と 言われちゃった 流れです。


アニメ、も、優れていれば、この〝広範囲に受け入れられた〟ジャンルですよね。

特に、ポテンシャルの要素で〝子ども〟に!


さて。


直観というものが、ビッグバンを起こし、電話を発明し、戦争をやめさせて 近未来に超えていく流れならば、それは、わたしたちが、知っておいた方が、いいでしょう。

私は、インテグラル理論家 なので、〝AQALを もって、直観〔N〕と読み込む〟とは、言います。

それでも、タイプ論を注目して見ることと、それに インテグラル理論の要素を 加えて見てみる、2つの視点を順に展開しても、とても 有益だと思います。


AQALを知ること、それに波乗りすることは、長い目で見て、タイプ論を学ぶことだと、言えます。

タイプ論は、心理学としての〝広義のAQALを見たもの〟だからです!


そして、わたしは、タイプ論を 自分なりに シーズンに 熟考しながら、その経緯と近況に、まとめました。


エニアグラム♡ 【 応用編 ♪ 】 ☆ タイプのホロンと インテグラル ☆


思うのは、タイプ論を中途半端に学んで 後悔した人、は、直観についても 同じ道筋を通ります。

先ほども 言いましたように、同じものだからです。


芸術の場合ならば、〝お金を稼ぐこと〟を〝意味がなくても 稼げればよいこと〟だとすると、〝読者反応理論は 芸術が無価値だと 結論させること〟で、タイプ論を 否定します。

政治でも、国際外交でも、通貨・金融でも、様々な仕事・会社でも、経済や金融商品でも、あらゆるジャンルで、同じです。

心圏の通らない、人間の活動、というのは、無いからです。


直観を、〝ないはずのもの〟〝あってはならない!ことに しなければならないもの〟にする人は、まず、手順を、おろそかにしています。

これは、自転車の乗り方で分かるような〝手順〟です。


私たちが生きていく基本であり、王道であるはずのものが〝直観である〟と、タイプ論は、長い目で見て、主張します。

それが、現代の営みを〝意味のある形〟で 発展させた運動だからです。


基底の運動、ですよね!


タイプ論を 機が熟すとともに 正しく学んでいく手順、それが、広義には〝生きる基本〟なのです。


この流れをふまえて、今、私ができる〝おもしろいこと〟は、さきほどの〝私のタイプ論のまとめ〟の他に、アニメのことかなぁ、と思います。

現在、私は、まだ、アニメを愛でる 機会が ありますので。


そして、アニメは、ここ数十年の日本で、信頼されてきた〝直観としてのタイプ論の 系譜としての 芸術〟です。


 


エニアグラム で見る〝アニメのキャラクター〟


 

以下に、さらっと 書いちゃうのは、アニメの登場人物の関連 です。

タイプ論のアルファベットは、ユング式〔MBTI〕のものや、エニアグラム〔9つのタイプ・サブタイプのウィングで18の・例外あり〕の記述です。

私は、エニアグラムは〝心圏〔ハート〕の能力〟と見ているため、それぞれのキャラクターや視点は〝あてはまるか?〟ではなく〝発揮するスキルの ヒントになりそうか?〟という 発想です。

色々な解釈が、深さの根拠も 文脈も 持って、あるでしょう。

私が、アニメによって、タイプ論で見るのは、直観が描きやすい 現代に独特だから、と、子ども含めて 多くの人に 分かりやすいから です。

なので、子どもの視点から外れた マイナーなものは、その範疇にならない意味でも、記述することは、ありません。

そして、私的な近況も含めて、数作品中心に、なるべく、勢力中立的に、主人公も含めて、記述します。

エニアグラムのタイプを中心にして、代表的な方々を、順に、その後、私の視点として、より多くのキャラクターを。

このコーナーを書こうと思ったのは、〝直観について タイプ論について 優れたアニメの仕事が偉大であると言えることについて 分かってほしいと思ったから〟です!

どうしてこうなったのですか? という問いの答えは〝いま 私が直観的に こうしておいた方が 決定的にいい ! と思ったから〟と、答えさせてください♪



〔タイプ 1〕

ゼニガタの〝とっつぁん〟


〔タイプ 2〕

ジゲン ・ ゴン=フリークス ・ とおる


〔タイプ 3〕

鳴子くん ・ くるりんちゃん (ハムちゃん なの〜!)


〔タイプ 4〕

坂道 ・ 名探偵コナンくん


〔タイプ 5〕

ゴエモン ・ キルア ・ 翔くん ・ はなちゃん


〔タイプ 6〕

手嶋さん


〔タイプ 7〕

ルパン ・ 真波くん


〔タイプ 8〕

しろくま さん ・ うおちゃん


〔タイプ 9〕

ゆめちゃん ・ みね ふじこちゃん


〔タイプ1 : CCさくらちゃん (〔E / F‐N〕・ W ウィング) ・ コトコちゃん ・ 夢の女王様 (姉) ・ ビーンズ (1‐2) ・ 今泉くん ・ 小五郎の妻 ・ 高木けーじ の花嫁 ――― タイプ2 : ゴン (〔E / F‐S〕・ 2‐3) ・ トオル (〔I / N‐F〕・ 2‐3) ・ ポニーテールちゃん ・〝ラン〟ねぇちゃん ・ パームさん (2‐1) ・ コムギ (2‐1) ・ センリツ (2‐1) ・ ピトー (2‐1) ・ チードル (2‐1) ――― タイプ3 : ミリア ・ 小五郎のおっちゃん ・ レオリオ ・ モラウさん (3‐4) ・ ネオン 〔E / N‐F〕 ・ パリストン (〔E / F‐S〕・ 3‐2) ――― タイプ4 : あかりちゃん ・ 坂道 (4‐5) ・ パンダくん (4‐3) ・ コナンくん (4‐5) ・ キョウくん (4‐3) ・ ナックル (4‐3) ・ シュート (4‐5) ・ コルト ――― タイプ5 : サラ (5‐6) ・ ペンギンさん (5‐6) ・ はなちゃん (〔I / F‐N〕・ 5‐6) ・ 翔くん (5‐6) ・ キルア 〔E / T‐N〕 ・ プフ (5‐4) ―― タイプ6 : 手嶋さん (6‐7) ・ クラピカ ・ コアラさん (アント) ・ ウェルフィン ・ しぐれ ・ リツ ――― タイプ7 : ハム太郎 (7‐6) ・ みゅーちゃん (7‐6) ・ 夢の女王様 (妹) ・ ラマさん (〔I / N‐T〕・ 7‐6) ・ ナマケモノくん (ディーパー) ・ 真波くん (7‐6) ・ 高木 けーじ ・ ルパン (W ウイング ・ ディーパー4) ・ ジン=フリークス ( フロンタル4 ) ・ バショウ (7‐8) ――― タイプ8 : うおちゃん (8‐7) ・ しろくまさん (8‐9) ・ グリズリーさん (8‐7) ・ ユピー (〔E / N‐T〕・ 8‐7) ――― タイプ9 : ゆめちゃん (〔E / N‐F〕・ 9‐1) ・ ゆきくん (〔E / T‐N〕・ 9‐8) ・ みね ふじこちゃん (W ウイング) ・ ロコちゃん ・ 青八木さん (9‐8) ・ ネテロ (9‐1) ・ ヒソカ (9‐8) ・ メルエム ・ ヒナ (キメラ) 〕




と、いうわけで、こういう タイプ論も、おもしろいでしょ?

活用・考察・発想は、おまかせします。


キャラは、主人公クラス (〔〕内の タイプ4 は 4名とも そっちですが分かれば、誰だか、判別つくと思いますが、マイナーなキャラは、該当の作品に 詳しくないと、誰だか わからないと思います。


タイプ論を学んだあと、〝直観〟を、私なりに提示するにあたって、こんな方法が、良いんじゃないかなぁ…と、思ったのです。



 

 

 

 

2022年10月23日 (日)

KOBE 海上花火大会 2022 ☀♡♪ ~はじまり。~

自転車を、もう乗らないと決めて、夏が来ました。

開かれるイベント、花火大会を きっかけにして、グリーンシティライナー (ままちゃり) を、数か月ぶりに 引っ張り出してきて、ビーナスブリッジに向かったことが きっかけで、もう一周期、自転車に 挑戦してみようと思い、今まで行ったことのなかった、未知の角度から、ルビーエンジェラバイク (まほうのホウキ号・・・クロスバイク) で、やり残した ロングライドを含めて、パン屋巡りを しました。


そういえば、まほうのホウキ号に 出会ったのは、2016年の秋で、夏ごろから、ギターを弾こうかなと思いながら、やることがなくて、なぜか、自転車に興味を持ち、赤(RED)色の ルビーエンジェラバイクに、乗ることになったのです。

オレンジが似合う私ですが、夏に、その、お目当てのバイクが売れて、紅なる、REDの車両を、秋に またがったわけですよ。


私は、ちょうど、3年周期で、メインの経験(表層構造)を極め、次の3年で、新たな経験(次の表層構造)を見出し、それが続いていくようです

そして、メインの経験は、前半と後半の、6年続き、その後は、ベース(深層構造)になって、保存されます。


音楽は、2007年の夏~2010年を経て、2013年秋まで、本格的に行っていたと思います。

インテグラルな芸術家として、自分の道を行くと 決めたのは、2004年の夏を きっかけとして、2010年まで、修行期間のように とらえて、暮らしていました。


そして、アーティストとして、音楽作品を、セルフで広げたのは、2010年~2013年を経て、―― 普遍性としての、インターネットでの活動、2014年 初頭 ~2019年 始め頃まで ―― につなぐ形で、配信として、2016年には、基礎ができていたと思います。


自転車は、2016年の夏に、突如現れ、続いていきます。

実際は、グリーンシティライナー初代0号 (いたずらで籠を斬られ、サドルも 諸事情により、ことごとく取られた時代でしたね。 1万2千円くらいで、6段変速、オートライトが特徴的でした。) のクランクが、寿命を全うしつつあったことで、有馬温泉までの道が、険しく、坂が上れる 新型が欲しい、と、弱虫ペダルを見ながら、思い始めていたとか、いなかったとかω

そして、実際に探してみると、今まで扱ったことのない軽さで、ロードバイク扱いで 乗るようになってしまったので、別の目的、地平が広がった、ということになりますね。


で、どうして、自転車を極めることで、メリットができたのかというと、免許持ちのあなたが考える通り(より真逆)の事実です。

社会は、大混乱していると、クリシュナムルティは、根源的に主張し続けましたが、自転車で、不可能と言われ続けてきた (※本当は誰も そんなことは 言っていないんですけどω) 停止線で止まって信号待ちする類の、クルマと同じルール・規格で運転する〝自転車走行〟を行っていくことで、〝正しい社会を発見できる〟と、私は、気づきます。

クルマだけでは、難しいです。

ルールを守らない自転車の気持ちは、自転車に乗り続けないと、分からないからです。


私は、当時、路上駐車が邪魔なことから、バイクの間違った運転、すり抜けを まねて、結果、クルマに幅寄せされて、ボロクソ言われたことが トラウマになり、ルールを守れる運転を 開発すると 決めました。

そこで、初めて、インターネットがあるので、クルマも知らないような、細かいルールも含めて、標識や通行のルールを、覚えていきます。

ルビーエンジェラバイクが ありますから、クルマばかりの郊外 (裏道) で、同じように運転して、実践していきます。

自転車とクルマの違いは、実際、速度だけ で、その程度の差異でも、都市部で あまりに走行が違う (自転車は皆歩道を走るか、すり抜けする、信号無視をする) のは、クルマが、1.5メートル以上開けて追い越せず、自転車に 脅威を与えるからです。


クルマが、バイクを車列に入れない、路上駐車で、二輪に不利な状況を作る、こういった伝統の累積から、バイクのすり抜けが横行し、自転車が間違ったルールを覚え、歩行者が逆ギレして 信号を無視するまでに至り・・・。

今、クルマが発車してから 安全確認をして 青信号を直進しようとするときに 突如歩行者が横断してくるという状況に 直面している、自転車走行の、私が、居ます。

(このタイミングを、ほとんどの歩行者自転車が、想定できていないです。 音が無いから。 ―― つまり、他の自転車はルールを守っていないのです。)


すこし、自転車の話が長くなりましたが、私が、もう、自転車には乗らない、と、決めた理由が、お判りいただけたのではないでしょうか?

乗れるけど、乗れない、そして、乗らない、ということです。

しかし、7月から状況が変わって、グリーンシティライナー(ままちゃり)で、時々運用することになる、ような… 気がします。


少しだけ、ルビーエンジェラバイクでの近況を、述べておくと、ハイパー早出、長岡京市を 淀川から入って、逢坂峠 (Osaka Pass)、清阪峠、忍頂寺、安威川、淀川、さらに、酒蔵(さかぐら)通り~芦屋沿い(ローゲンマイヤーがあるところ) を、ラッシュの夕方6時台に貫通、という、秋のファイナルを修めてきました。

夏から体力が戻ったこともあって、ここまでやりましたが、阪神の道路に嫌気がさし、春に断念したコースです。


酒蔵通り(芦屋含む)は、往復2回、運用しましたが、(1回目は 周回で安威川・箕面・初の猪名川CR) ―― 海上ルートは歩道のアップダウンでしんどいし、2号や43号は、自転車をクルマ規格で走るのが不可能なことを、2016年~2017年で、証明したので、海上ルート以外を通るなら、選択肢は、出来るかどうかとして、見えてきます。 (つまり、クルマばかりが 入り乱れる道は、逆に、クルマ規格で 自転車が走行できない。)

酒蔵通り(芦屋含む)は、かなり早朝に走ると、どういう道か分かって、楽しいのですが、阪神の激辛の難易度を感じるならば、帰りのラッシュに、慎重に、クルマ規格(速度以外)で、走ってみればいいです。

片側1車線の破線なので、クルマに追い越される時など、クルマがいるとき、以外は、歩行者自転車の位置を把握して、気をつけて運転します。

歩道に行きたくないので、信号待ちの時、車道を、貫通するには、車列に入って、すり抜けのバイクに注意を払うか、より後方に待機するか、いくつか、経験により、選択する必要があります。

基本は、西ルートの、瀬戸川~加古川・高砂~姫路 の応用ですが、郊外の山側の クルマ社会のエリアを 数多く走った経験も 生かせます。

私は、基本、信号待ちで 車列に入らず、先頭の停止線か、後方で待機するので (ままちゃりでも)、交通量の少ない道と比べて、酒蔵通りの難易度は、跳ね上がります。

(後方なら、原付をブロックできるけど、車列なら、発車したタイミングで左に寄ったときに、非常に危ないです。 端に寄らずに 信号を貫通しようとしても、後続や対向右折などが迫って 左端に寄る必要が出てくることが多いので。)

めったに使いたくない 酒蔵通りのラッシュですが、東側のヒルクライムの後に、楽に帰れるので、重宝しました。

6年で、3万キロくらい、ルビーエンジェラバイクで走り修めると、車道を継続して貫通する方が、歩道を挟む走行の10倍楽です。 (もちろん、すり抜けなしです。)

簡単な状況把握で、前後左右、対策できるからです。

対応できるということは、スピードを出せる条件が 整ってくるということです。

都市部では、クルマどころか、自転車でも、満足に加速できません。

自転車で十分です。

ただし、車道規格で。


ここまで、読み飛ばしてください、とは書いていませんから、何の内容やねん、と思いますよね。

今回は、神戸と、花火大会の内容 なんですが…ω

 

❀ 夜空を彩る4日間!! 私のサイクルダイヤ!


18(火)・・・ [新快速] KOBE海上花火大会1号 [メリケンパーク行]

19(水)・・・ [特別快速] KOBE海上花火大会2号 [ビーナスブリッジ ✧SOUTH EREA✧ 行]

20(木)・・・ [特別快速] KOBE海上花火大会3号 [神戸大橋直通・ポートアイランド しおさい公園行]

21(金)・・・ [新快速] KOBE海上花火大会✧FINAL✧4号 [メリケンパーク行]


公共交通機関を一切使わないので、近況としての、分散型の花火大会でも、無理なく ダイヤに組めます。

去年に開催されていた場合、ライドスケジュールから、ワクチンを打てていなかったので、強気なプランは、組めなかったのです。

ファイナル以外は、ホームで、てぃんくる☆を見て、ゆっくりお茶して、夕方に、直行直帰です。

メリケンパーク以外は、余裕で、空いていました。

 

❀ 3年ぶり KOBE花火の〝3日間〟 [ホーム・1号・2号]


2020年、2021年は、開催されず、今年、芦屋の花火を ビーナスブリッジで小野の花火を 川沿い・ルビーエンジェラバイクで、見て、私の誕生日ライドは、マイナポイントと、パン屋巡りを含んで、この秋まで続いたと言えます。


1日目、月曜日は、ほぼ、家で、レコーダー内のフルーツバスケットを、カットしていました。 (さらに下記を参照。)

夏のあの日に、小野の花火でも 縁があった、雨。 夕方になっても、雨。 花火は、ちゃっっかり見れていて、確かに、3年ぶりに、10分間、きれいな花火が上がっていて、これは、見に行く方がいいな、1回でいいかな、ビーナスブリッジにも 行く方がいいかな… と、中央区までの移動が、億劫な私。


2日目、火曜日は ――― 緩やかな糖質・脂質制限 (基礎代謝分食べる) と、16時間ダイエットを、ラフに続ける日々の中 ――― お気に入りのパン屋のパン (食パン・バケット系) をカットして 冷凍保存したものを 焼いて、いつものように、ホットコーヒーと。

ワンコインレベルのものが、てぃんくる☆を見ながら、こうした形で、安く いただけるのは、インドアならでは♡

コーヒーが 高くなっているとはいえ、食べたいものを 食べる 工夫をすることで、まだ、我慢する段階じゃないです。


最近は、食べたいものしか食べてません。

小麦粉と卵と冷やした紅茶を混ぜて、砂糖と脂質を抑え、効率微妙なるも 小麦粉の たんぱく質をも 取る作戦。

イチョウ型に、フライパン、そして、カリッと1000Wトースターで焼くも、焦げる部分を食べてしまっていることがあり、そこだけは、何とかしなくてはね。

プレーンに飽きたら、まとめて作って冷凍してある、豆腐ハンバーグに、ケチャップとソース、あるいは、とろけるハヤシ0.5皿分のルウを溶かして+ケチャップ、に、カリッとした上記のホットケーキベースの焼き立てパンで、いただく。

今回は、ハンバーグの前に、ポテトフライ形に切って、素焼きした、皮つきサツマイモと、ホットケーキベースのプレーンで、おいしく。

後発組のプレーンには、スライスチーズを 分散して乗せると、味が一変して、さらに おいしいのです。

他にも、8枚切りくらいの 少し焼いた食パンに、マーガリンを溶かして 砂糖と混ぜ、ピーナッツクリームを少量塗って焼く、アーモンドトースト。 焼き立てバケットに、少量のチョコクリームを塗った、チョコフランス。

いろいろ、できるのです。

キャベツは重宝して、おなかが空いている朝に、おいしく感じるうちに、適量食べます。

芯も食べちゃいます。

にぼしも、余計な脂質とかが入っていない たんぱく源なので、重宝します。


そうこうしているうちに、時間が来たので、メリケンパークへ。

さすがに、まだ、定着していないイベントという感じで、大量の自転車がいる ということもなく、すんなり、いつものエリアに停めて、奥へ向かいます。

わりとすぐに、夜になり、花火が、空いっぱいに 広がります。


ああ・・・。

この近さ。

これを、2019年も、見ていたんだな…。 と思いました。


もう、見れないんじゃないかな、と思っていた、メリケンパークの、花火。

自然に、簡単に、日常的に、こうして、特大のロケーションで、花火を見れていることに、驚きよりも、ふわっと、軽く、時が流れていく感じ。 それは、私に、私たちに、何かをもたらしたでしょう。


何より、こうして、みんなで、この雰囲気で、花火を見ることが、懐かしかった。

まわりには、多くの子どもたちがいて、気温もよくて、家でも ゆっくりできて、帰りも 割と早くて、この3年、闘ってきたなって、道中楽しむことも 試みて来たな、って。


10分間とはいえ、3年ぶりに見た、なつかしい、特別な思いのある、メリケンパークの花火は、30分を越える 時間にも 感じました。

もはや、恋人ですね。


そして、水曜日。

連日自転車を 走らせる気はなく、もう一度、メリケンパークに行きたいけど、ビーナスブリッジへ行ける 絶好の機会なので、夕方でいいから、出発しよう、と、決めます。

夏以降、ハイパー早起きを 自転車と組み合わせ、当日まで、予定を決めない、という方式を とってきたので、今日も、そのノリで。

朝に、冷凍用の、おいしいパン(食パン・バケット系)を、お気に入りのパン屋へ、グリーンシティライナー(ままちゃり)で、買いに行きます。

昼は、家でゆっくりして、夕方前に出発。

明るいうちに、ビーナスブリッジまで、中継点から 徒歩電源に切り替えて、到達。

ビーナスブリッジ、入れるのかな?

そうこう思っていると、工事で ブリッジへの道が 閉鎖。

な・・・るほど。

無心で、奥に回って、展望広場まで 行くと、見れそう。

大型の海上花火大会の場合、車道は 規制されていると 聞いた気がするけど、今回は、そういうのはなかった、ってことかな?

5日間も広がるという点で、動員数は 多くなると思うけど、色々な場所で見れるから、メリケンパークエリアでの交通整理とかは、大型の花火大会より、楽だろうな。

昨日も、そんなに、地面とか、散らかってなかったし。


そして。


ちょうどよい大きさで、花火が上がり始めます。

ちょっと肌寒い、10月の今日。

芦屋の花火を見たブリッジエリアは、今回は 立ち入れないけど、用は、なし。

展望エリア、三脚の立たない場所で、クルマに乗ってきたのかな?子どもも含む 10人程度と一緒に、まるで日常風景の花火を、楽しむ 私。

すでに、3日目だからね。


この前まで、ビーナスブリッジの夜景は 見たことがなくて、花火が上がるという モチベーションで、2回も観れたよ。

 

❀ KOBEの〝すてき〟な Kosmos 彩る 4TH DAY! ✧キラキラ✧


今日は、少し日も高くなった朝。

少し強気に、炭水化物で満たして、さらに、お気に入りのパン屋へ。

夏からのライド、パン屋巡りで、お気に入りの、地元のパン屋を、最近、見つけています。

つまり、ルビーエンジェラバイクでの 郊外のパン屋巡りよりも 遠い場所に、グリーンシティライナーでの、地元の良きパン屋 は あるのです。 (※地元です。)

昨日まだ 焼きあがっていなかったバケットと、まだ食べていなかった 菓子パン2つを買って、おいしいコーヒーを いただき、そして、ちょっとした山を 越え 登っていきます。


火曜日から、連日晴れて、特に昨日の水曜日は、パン屋への お出かけだけでなく、本来やりたかった、山ライド。

グリーンシティライナーで、今日、やります。


本日は、五月晴れの大快晴。

申し分のない気温で、去年に初訪問した、コスモスの丘。

地元です。


晴天の中、色とりどりの コスモスを見て、癒されます。


実は、結構 疲れていて、以前も言いましたように、ここ3年程、見えない感情的な疲労が、私をむしばみ、ちょっとした花火を 見るくらいでは、とても、心は、晴れない気がしています。

でも、メリケンパークで、みんなと見た花火。

あの雰囲気は、確かに、私を癒していく兆候が ありました。


自我の区別、他者というものが 幻想である以上、自意識によって 生きていかねばならない この3年、私たちが 幸せなはずがありません。

見えない〝奴ら〟が、どこから来たかは、ひとまず置いとくとして、その手のニュースを 必死に見ないようにしたりと、長い時を、自転車とともに、インドアとともに、重ねてきたと思います。

花火を見ていると、他者との区別が 無くなる気がして、幸せなのです。


というわけで、さすがに、ちょっと、疲れている私は、今日あたりから、底をついた資金を緩め、グルメライドを試みます。


コスモスの丘には、お昼を ひとまわり過ぎた、ある意味 いい時間に 着いており、滞在は、1時間限度でしょうか。

平日ですし、ハウル気分で、階段の端に座り、少し、瞑想モードで、静かにすることにしました。


この、中央区っぽくない感じが、いいんですよね。

特に、座りながらは。


距離は伸びますが、阪神の激辛区間から、一度、ルートを外すと、モチベーションが 復活しやすいのです。

そして、コスモスって、いい匂いが、しますね。



コスモスの丘~メリケンパーク まで、移動します。

どういう組み合わせでも、コスモスと花火を 1日で見ると、片道で この距離を 走ることになるのです。


生野~奈良、という風なノリですが、途中にカフェではなく、ホームを持ってくることで、終点ではなく、中継扱いにできます。

もう一度、急ぎですが、甘みも入れた紅茶で、補給をして、再び、出発です。


そして、メリケンパークの辺りへ行くと、すでに、暗くなりつつあり、人が多く、すべての人が、南に向かっている気がします。

なんか、迷った空気感を 感じる私は、強引に、東へ、予定通り、迂回します。

そのまま、神戸大橋を通り、1度くらいしか 行ったことのない、ポートアイランドへ。

そのまま、自転車を押す区間を経て、直進。


あれ?


ちょっと、話を戻しますが、高速道路なのに、一部 歩行者専用通路があって 車が通れない区間が あったら、不自然ですよね?

この たとえ は 分かりにくいので、(存在しないだろうから・・・。) クルマが、目的地までのルートを読み込んで、そこを通る必要があるのに、通ることのできない道があったら…。


何が言いたいかというと、〝自転車〟という 立場で、神戸大橋の先を、一部、通ることができないというのは、自転車で貫通して通れる道が、ない、ということです。

これは、自転車を排除しているとしか思えず、自転車で貫通して通れる道を 用意すべきと感じました。

これをしないことは、高速道路の一部が 歩行者用通路になって 通行止めとなっている クルマ走行での高速道路、と、大差ないでしょう。


と言おうと 思いましたが、神戸大橋は、自転車、歩道なので、高速走行をしてはいけません!

それは前提です。


今回、言いたいのは、つまり、自転車を押す指定の区間に、信号を設け、自転車が乗って走れる時間を、作ればいいのです。


① 信号を作って運用するコスト...。

② 階段のスローブで劇坂だと思えば どうせ押すでしょう!」


これらから、信号待ちより、押した方が早い と思いました。


つまり、一部押し歩きは、〝たとえクルマのせいで 走れる道路が 奪われているとしても〟十分譲歩できる、と言えます。

歩行者は自転車の上位互換、徒歩は自転車走行を含む、この意味が、真に分かる ひとつの例です。

(どんな道でも、我が物顔で 走行権利を主張する、クルマには、得難い体験ですよね。)


自転車走行でも、歩行者並みに、それ以上に、周りにやさしい移動ができれば、こういったスローブこそ、望んで押せる気がします。

下りでは、後ろに 気をつけなければなりませんが。


そして、ポートアイランドを、歩道沿いに、南へ向かって、公園の端まで行っている つもりになると…。


いつのまにか、橋を いくつも渡っていることに 気づきます。

既に夜なので、直進を 意識しすぎました。


実は、最初の押し歩き区間の後、ダートエリアを、平たん左の方に 直進して抜けて、東西に走る道路に出る、ここが、正しい、公園の終点でした。


あまりにも 行き過ぎていたので、すこし、西側の道を、北へリターンして、海側へ行けそうな道を、探します。

確か、西に向かう中で、両方とも、大きな道が交差する、交差点を、2つ経るんだけどな…。


なんとか、正しい場所で、左折できたらしく、ピンポイントで公園へ。

奥へ行って、そのまま、そう待たずに、きれいな花火が上がります。


間に合ってよかった。


急ぐ気はありませんが、未知のエリアに来た感じが、よかったのです。

今日は、少しゆっくりします。

花火大会直後の、メリケンパーク周辺の歩道は 地獄なので、ちょっと時間を置いてから、車道メインで走れば、楽なのです。


きれいな景色に、観覧車の光。

ビーナスブリッジと対照的に、六甲山方面へ向けて、景色を見る 夜景は、また、レアな感じがして、新鮮でした。

元々は 海だったのだから、船に乗らないと、見えない景色だったんですよね。

 

❀ スイーツに中華街! KOBE花火 ✧FINAL✧ の奇跡♡


いろいろ、意見はあると思いますけど。

でも、去年、開こうとして 開けなかったのだから、今年、こうして、たくさんの人と、花火大会を 成功させることができるのは、奇跡でしょう!


私の誕生日のシーズン、8月上旬に、10年以上、1日の特別な日として、花火を見てきた私。

そういう気持ちで、音楽や芸術を やれればいいな。

例えば、ライブをやったり、見たり、ね。

KOBEは、そういうところだ、と 感じて、私は、花火を見てきたのです。


今日は、1日だけの、特別な日にしたい。

というわけで、グルメを取り入れて、花火大会を 迎えます。


すでに、みんな、同じことを 感じているというか、明日と一緒に 連休にできるというか、人が多いです。

火曜日とは 比較にならないほど。


木曜日の ポートアイランドに向かうときの、メリケンパークへ行く人も、多かった気がします。


火曜日に見た花火が、とてもよかったので、もう一度見たい、と思った人は、半数以上でしょう。

花火が好きで、来ているわけですからね。


月曜日の時点では、ホントに上がるのかな? どんな感じのなのかな? 去年は 開かれなかったしなぁ、と思っていて、火曜日に見て、この流れだと、金曜日のファイナルに、倍以上、人が来ることは、さすがの私も、あり得るとは、思っていました。


意外と 空いていたと 情報が巡れば、有料席メインだった芦屋の花火をはじめ、三木や小野、明石や西宮、北区や西区、いろいろなところから、人が集まるのは、必然でしょう。

神戸の花火、メリケンパーク5日間は、〝ぜひ お越しになっては いかがでしょうか?〟という風なフレーズが 印象に残りました。

これは、直観的に、半径40キロくらいの来訪者 (例えば 北区の道場エリア) を想定している風に 思えます。

同じ半径40キロなら、小野や、加古川、大阪の塚本辺りでしょうか。


そして、確かに、ファイナルは、通常の大型花火大会と、変わらない雰囲気に 満たされていたのです。


去年に、見たかったと 思っていた人たちが、集まってきたのならば、今年にこそ開かれて、大成功でしょう。

動員数と規模によって、この事実を見るなら、ベストのタイミングです。


私も、最初は、人数を減らす目的で開催するために、分散するのかと 思っていましたが、スムーズに入退場したい人が 行き来できれば、問題ないところまで、ワクチン接種は 広がっており、公共交通機関を日々使っている神戸の人たちにとっては、このくらいは日常です。

いまさら、厳格な制限をしても、イベントコストが無駄です。


神戸は、そういう非効率なことを やらない街なので、好きです。

去年の分の花火も、状況を見て、今年に上げればよいので、応用が利きます。


この花火大会は、都会でしか、できないので、条件が揃えば、郊外からも 来てほしい そんなイベントです。

そして、平日ならではの、スイーツや、様々なグルメ、観光も 楽しんでいってほしいのです。


お昼ごろに、メリケンパークに。

修学旅行を思わせる学生と、遠足と思われる、かわいい制服の 小さな子どもたち。

すでに、手加減なく、メリケンパークは、にぎわいまくっています。

そして、ほとんどの人は、中央区の外から来ていて、公共交通機関を使っています。


ライドのモチベーションを兼ねて、新たに見つけた、おいしいケーキの店が、午前中に ある程度 売り切れるので、まず、お気に入りの チョコのロールケーキを 買いに行きます。

今回は持って帰らずに、冷凍庫に確保していた コーヒーのペットボトル入り 保冷パックで、ケーキを保存します。


パン屋さんで、ちょっとしたパンを買って、コーヒーをいただき、しばらく、ゆったりとします。

その後、駅中心部を 歩きます。

酒蔵通りと 関係があるのか、山田錦と 関係するのか、酒のイベントを やっているエリアが にぎわっていました。

阪急ビルの辺りから、思い出の センター街と並行する 屋内を 通って、新快速とか見ながら、色々なことを 思い出します。

適当なところで、保冷パックのアイスコーヒーと、買ったケーキも 食べて、中華街へ。


ロウショウキは、人が並んでいるので、先に、まだ見ぬケーキ屋さんへ。

すてきな内装の店で、持って帰るのも あれ なので、チーズタルトを、いただきます。

チーズは たんぱく源なので、甘いスイーツより 先に食べた方が おいしいです。

徒歩で、たんぱく質が 欲しいところなので、重宝します。


久しぶりに ナイフとフォークを使いました。

食器の構成は、ホットケーキを食べている感じかな。

サクサクしている パイ生地がまた、ハマりますね。


おいしいなぁーーーーー(*´ω`*)


神戸に限らず、三木など、チーズケーキが おいしいエリアは、広がっているんですよね。

自転車だと、交通費分を 足せますので、神戸のチーズケーキは、安く食べられます!

初めて行くと、値段に 面食らいますけど、ひとつの基準は、250円、もう一つの基準は、500円で、中央区は、後者が多いですよね。

このチーズケーキも、後者です。

ホテルのデザート みたいな!


元町ケーキのロールケーキは、すてきな庶民価格で、250円クラスだったかな?


さて。


ここで、軽食が欲しくなる…と、もはや、言ってみます。


横浜の中華街で感動した、焼きシャオロンポウ。

今や、YUNYUN があるので、久しぶりに、食べに行きます。


ぶたまんの ふわふわのまんも 食べたいですが、今は、カリッとしたのに ハマっていますからね。

迷いましたが、今回は、シャオロンポウに、縁がありました。


ダイエットの基準からは、完全アウトな ジュースですが、焼きシャオロンポウ 3個400円、これに、ファーストフード・クオリティーの、セット、かわいらしい、カステラのような、生パインケーキ、メロンソーダ、で、計600円!!

ケーキは、アーモンドも入っていて、おいしい!!

メロンソーダは、自販機では買わないし、1.5Lでも 見ないし、カラオケ時代に、結構 懐かしい味。

さりげに好きで、10年くらい、飲んでいない気がする。

小さめの氷も いい感じで、量も、いい感じ。

氷を バリバリ食べながら 飲むと、かき氷で、お祭り気分♪


既に 辺りは夜で、ワクワクが、止まりまへん。


焼きシャオロンポウの、柔らかいところを、箸で割って、パクっと、汁を 吸い出します。

後は、たれを 内部に入れたり、そのまま味わって、後で たれを味わったり、おいしい中華に、心躍ります。


横浜の中華街で、以前、飲茶を食べ放題したので、その時のことを、思い出します。

おいしいと感じるためには、少量がベストで、その時の瞬間の味こそが、食べ放題の時の おいしさ なのです。


例えば、ロングライドの後の 静養のインターバルなら、飲茶食べ放題は、アリでしょう。

すべては、工夫と、知恵です。


スイーツから中華、これだけ、色々と食べても、飲んでも、交通費込みで、飲茶食べ放題の半額!!

そして、花火大会、ファイナル!!


神戸って、いいところでしょ?


30分前がベストだけど、すでに、海のそばは、すべて 人で いっぱいなので、火曜日に 見てよかった、打ち上げ場所に 近いエリアで、待機。

やっぱり、ビーナスブリッジより、ポートアイランドより、断然、花火が、大きいね!!


見上げなきゃ見れない っていうくらい、大きくて、近い!!

以前の花火は、特大のものがあって、耳を ふさぎたくなる 爆音が出るんだけど、今回は、そういうのがないのに、結局、特大!!


そして、ファイナルの、いっぱい上がる、すてきな、オーソドックス色の花火!!



まだまだ、上がるよ!!


たくさん上がるよ!!


いっぱい、上がるよ!!


すてきに、上がるよ!!!!



よかったぁぁぁーーーーー(≧▽≦)



そこかしこで、拍手が、ハートを満たしていくね。

そして、今日の日が、そう、今の時が、はじまる。


はじまる。


かがやく。


KOBE 花火 2022 ファイナル❀ ~ はじまり。 ~

 

 

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❀ スペシャル・エピソード ~KOBEの意味・予知・近況~


4日目の ポートアイランドの頃から、私の心は、晴れ始めてきました。


永遠というものは、無いし、〝いらない〟ということを、深く感じて、花火を見て、私の弱さは、何なんだろう? と。


野外で、簡易ライブをすることが、できるんじゃないか?

私自身が、そう判断することができるかもしれない、一番最初の時期が、今。


最初で最後の 時期かもしれないけれど、ここは、重要な転換点 だと思います。

ワクチンを重ね掛けしたことも、その記憶を無くしていないことも、この機会のために積んできた、と言えるかもしれません。


もう、数年、人前で歌っていない私は、音楽家を、絶版扱いで、自分が何者であるか 証明しようとすることなど、もはや、贅沢な、ゆえの、冷笑感ある、諦めをも、漂わせているくらいです。

無感覚・・・の?


永遠は〝いらない〟


もし、私が、そのことを〝わかったなら〟―― きっと・・・・・・・。


私は、野外ライブが永続すること、自転車に いたずらされず、盗られないこと、数ある未来の あらゆることに、面倒ごとが起きないように、願っています。

この、願い方、は、自分勝手で、人が不幸になってもいい、このご時世の中、人に かまっていられない、という種類の、感情です。


今年の夏、自転車でパン屋巡りをし、ハイパー早出と 短いインターバルで、やり残したライドを していて、少し、分かったことがあります。

心配事のコストを軽くして、これは無茶だとか言う 思考プロセスなる時間を飛ばして、目的を直観していくと、絞られて、集中できるということを。

そして、自転車に もう乗らない、この基礎の上に、今回のライドも、生まれ立ったであろうこと。


この、複雑なメカニズムに、糸口があるとすれば、何らかのバランスが、新たに創発しているのではないか? ということで、これが、垂直の発達段階(Y)で言う、ヴァイオレットとか、ウルトラヴァイオレットの、構造なのかもしれません。

クリシュナムルティは、これを、思考の終焉、時間の終焉、ボーム博士との対話、学童レベルへの潜在的翻訳 (歩行者は、自転車・バイク・クルマの上位互換、と関係する) など、〝Y〟と違った方法で、生きた経験の中で 私たちに もたらしてくれました。


宇宙 (Kosmos; 基底) には、意味がある

けれど、私たちが、この間違った社会の外に立つ すべ がないなら、意味が崩壊したまま 手遅れな 癌なら、あまりに寂しい…(*´Д`)。。と。


クリシュナムルティは、言うんですよね。


寂しい・・・(´゚д゚`)。。 と!


〝Y〟というのが どうであれ、〝永遠は いらない〟というのを、私が理解できれば、社会は、私の中で、自然に輝く気がします。

今、私の中で、絡まっている、いくつかの問題は、いずれも、この〝永遠〟と関係していて、寿命とか、病気とか、直面したくないものの不安で、構成され、社会は、それを欲望として、稼ぎに利用します。

私は、それと かかわりたくないと思っている、けれど、まだ、その方法を、理解しているとは、言えないんですよ。


中央区に向かっているとき、JR高架沿いで、外国人3人が、自転車で、ゆっくりと、併進して、ぶつからずに、うまい運転を していました。


彼らは、歩行者の立場で 移動した方が いいのではないか、と思います。

その方が、日本では、有利です。

しかし、ぶつからずに 走行できるのなら、これで、悪いわけではありません。

おもしろいことに、クルマが後ろから来ても、3台は、既に 左に避けており、クルマは、クラクションを鳴らしません。

言葉が通じないだろうから、トラブルになるのを 怖がっているのでしょう。

いずれにしても、クルマが、ゆえに、日本の自転車が、ルールを守らないから、間違ったルールで、この人たちは、併進しているのでしょう。

すでに、世界は、大混乱しており、誰も 聞く耳を持つ余地がないなら、まず、小さなミスから、波紋が広がっていくことも、否めません。


私は、それに 巻き込まれたくない。

だから、もう、自転車には乗らない。


しかし、歩行者は自転車を含んでいるので、実際、より、クルマを停止線で止めることができる権利=卑猥なクルマにひき殺される危険性 が高く、何の解決にもなっていません。

直観を鍛えたうえで、すべてを回避できるとしたうえで、それでも、何が起こっても、文句を言わない、動じない、と出来てこその、スーパー歩行者でしょう。


お気に入りのパン屋からの帰り道に、平たん、民家沿いの道路で、小さな男の子を遊ばせている 父親がいました。

私は、親に、ろくな思い出がないけれど、今は、それが大きく関係するわけではないので・・・。


で。

その道は、歩行者・自転車のルートに なり得る、奥が山手の道で、クルマは、直通ルートとしては、抜けてこれないのですが・・・。

この年の子どもは、いきなりダッシュしたり、動きが予測できないということだけは、サイクリングロードなどで、いろいろ経験しているので、距離を置いて、パスしようとしたけれど、念のために、なんとなく、停まると…。


とある父親 「ちゃりんこ、はよ行けよ! (ぼそっ)」

なんか、ちゃりんこって、ちゃらんこ♡ みたいだよね。 ( ※「武術の大会」 )


私 「そこは、子どもいるから〝止まれ〟やろうがぃ! 自転車は、歩行者がおったら、停まらなあかんのやぁーーっΣ(゚Д゚)クワァァっ!!」

※マジ話ですω


で。

家族のトラウマのせいで、私が、こんな切り返しをしたのか、お気に入りのパン屋に寄った、ウキウキの帰りだったことの方こそが、関係したのか、つまりは、神戸は、子どもの街なので・・・

(あまり知られていないけれど、神戸は、子どもが神聖な存在 なんですよね。 K(O=)BE だから。。)


ちなみに、その後。


とある父親 「ありがとうΣ(゚Д゚)♡!!」

(オババの試験で、ドッキドキ💝 ?)


。。


吹き出す読者が いるかもしれませんが、このパパは、クルマに乗る人だとは、思うんですよね。

歩行者メインなら、自転車は、同族グループで、歩道側を行く仲間だから、一旦停止しているくらいで、ツッコミは、入れない!!

・・・と思います。


クルマなら、チャリ=邪魔 という構図が完成しておいて、しかも、自転車に配慮する運転をしていないので、〝1.5メートル空けて 追い越してよ!〟と 伝えたいのだけれどね!!


なぜか、数日、このことも含めて、無駄に落ち込んでいた気がする、私ですが、要は、ガレージでもない、道路、つまり、公道において、子どもを遊ばせておく=道を占有する 行為は、基本的に、違法であり、信号無視と同じでしょう。

(実は、目の前に、公園もあるんですけど…。)

この場合、イレギュラーなことが起きがちなので、クルマでも、自転車でも、一旦停止をして、子どもが向かってこないことを確認、その後、距離を離して、ゆっくりと出発。

それができないなら、免許は、返上した方がいいです。

(※ 自転車の免許は、ハート!)


落ち込んだ一つの理由として、――〝止まらなあかん〟のところは、厳密には、〝止まって、押し歩かなあかん〟って私は、言ったかな? ―― 子どもの前を通過する前に、押し歩くのが最善なんだけど、酒蔵通りを走って帰ってくるとき、歩道に上がらない運転≒自転車を降りて歩行者にならない運転 を試みていた関係もあり、あるいは、ポートアイランドのところの、自転車は押し歩きのような、権利の関係を考えていくと、不用意に歩行者になることは、〝一般車両としての感覚(と義務)を 一時的に解除することになる〟点で、長期的には 望ましくない気もして、今回は、押し歩かない選択をしました。

或いは、武庫川を渡る、例の橋のラッシュ時が、あまりに地獄で、自転車を降りて押す 自由も なかったので、激辛の阪神のラッシュを受けた 翌日だったことも関係します。


どうしても、パンが 欲しかったんですよね。

家で、ゆっくり、お茶して、ファイナルライドの成功を、お祝いしたかった…。


押し歩いておけば、そこで 何も言われることはなかったけど、あるいは、降りるタイミングで、別の切り出し方をされる場合も…。


こういう風に、微妙に、社会のルールは、病んでいっていて、それがさらに、多数派になって、日本人は周りに合わせるので、積極的に、免許保持者の親が、ルールを無視する、という、笑えない事態が、現実に起こっている わけです。

こういうことは、学校で、教えるべきでしょう!

お巡りさんたちも、ぜひ、小学校に行ったときに、教えてあげてください!!


先の例は、私が、〝永遠は いらない〟を、理解していないこと、その面で、いつまでも変われなくて、無駄なことで、落ち込み続けている、という点を、強調したかったから、そして、そこに、歪んだ社会のルールも 並在していること、それをも 知ってほしかったから、述べました。


KOBEは、子どもを愛する街であり、交通戦争が深刻な都会において、それを風刺したマンガは、〝フルーツバスケット〟だということも、以前、触れましたね。

レコーダーが普及した現在、テレビアニメというジャンルは、市販の円盤を見るのではなく、デジタル録画したファイルならば、いくらかバックアップした後、消去せず、カットできます。 (まさに、フルーツのように!)


ミュークルドリーミーで、いかにも、変身シーンをカットしたくなるように 制作していることもヒントで、深夜枠規格のフルーツバスケットを、子どもが見ることもできる、くらいに、シーンをカットしていく。 また、そのメリット。 これは、ひとつの大冒険でした。

ここで、この点に触れる理由に、私の子ども時代が 関係するのですが、もう少し、後に触れます。


フルーツバスケットを、1度だけ、1話ずつ見ていっても、深いところの、3割程度しか、分からないと思います。

印象に残るシーンが、次のシーンにつながるほど、すべてのシーンを要約して 理解できていないからです。


フルーツバスケットは、単なる、交通戦争に反対するような マンガ・アニメ だったわけではなく、それも含めて、私の近況を 貫通しています。

(ミュークルドリーミーも、そう主張するように、です。)


私が試みた要約版で、スイーツを食べながら 見ることができるくらいに、シーンを軽くした フルーツバスケットを見返して、ラストが すごくいいこと、一番グッとくるのが〝十二支と ねこ の話〟だということが、わかりました。


社会に臆病な、神さま (ほぼ 私) は、ねこ (ほぼ ゆきちゃん) の意志で、おそばに来てもらって、寿命を全うするときに〝永遠は いらない〟と言います。 (※ 「君と重ねたモノローグ」の意味 )

ここで、十二支は、空間予知を使える 有名サイド (尾田っち、桜井さん、まいまい様・・・) 、神さまと ねこ は、時間予知を使える 無名サイド (私と ゆきちゃん) で、りんごとみかん=「3D2Y」 ですけど、有名サイドは、未来をテーマに読んで、永遠を作品にして、そこに群がるスポンサーは、〝お金=BELL・Y〟つまり、興行収入のための大衆娯楽に、これを、歪めて、利用するわけです。

ちょうど、社会のルール、道路交通に、直結する通りです。


有名サイドは、みらいのことばを、色々な形で、主張 (リンキング) していきますよね。 (「ナミヤ雑貨店の奇蹟」では〝ハートの海賊団としての ベイビーちゃん〟―― フルーツバスケットでは 先の例で、入間くんは まいまい様を経由して、他にも数えきれないくらい、有名サイドは、おらんげ的な〝リンキング〟を通じて、みらいのことばと その内容における、コスモスのアドレスを、主張しています。)

問題は、私と、ゆきちゃん、に、依存している、という点です。


これは、証拠として、十分に、挙がっているでしょう。 (花火のように。)

未来が具体的に わかると、世界線の修正が、容易に 効かなくなります。

時間予知を正しく扱うことを、除いて。


しかし、クリシュナムルティが言うように、基底、そして、時間の終焉 (=永遠は いらない) は、時間予知 (私と ゆきちゃん) を、社会(有名サイド)が、もはや、正しく活用できていないために、明るい展望が、無いようなのです!

交通戦争も、世界のわだかまりも、心理的な知識としての 思考と時間の終焉によって 正しく、今、解決できる、そんな希望が、持てないのです。


私の時間予知の主観では、興行収入とか言っている時点で、交通戦争を永続させて、私たちを ひき殺したい、と主張しているようにしか、思えません。

ということは、こうは、スポンサーは見えていないか、わかって、わざと行っているか、です。

冗談は、言いません。


有名サイドは、皆、ひとりの人間ですから、それぞれ、考え方が、違います。

全員が、同じ目的に合意できるわけでは、ありませんよね。


ということは、遠くないうちに、悪意を持って、みらいのことばに、そのリンキングに、破壊行為を厭わない者が、現れるでしょう。

そして、みらいのことば (正しく扱えば、交通戦争などを簡単に解決できるもの) を、完膚なきまでに 崩壊させていきます。

それは、2011年に、起こりましたよね?

(たぶん、フルーツバスケットの作者も、合意する、と言っているように。)


自転車に私が乗った共時性も含める形で、時間予知の性質が分かるような 一面を、説明しましょう。


〝KOBE〟は、HEAVEN’S GATE ですから、空に浮かんだ ジャヤ です。

空に、ベル (BELL) が、あるわけですよね。 (ディーノ意志 とも言えます。)

〝Y〟は、高度を表し、インテグラル理論では、垂直の発達段階の Y軸として使います。


円安で おなじみだと思いますが、日本円は、〝JPY〟と表記されることがあり、つまりは、日本の〝円(=Y)〟です。

垂直の(天空の)羅針盤が、フラットランドに倒壊することで、〝Y〟は、興行収入に、ぶっ壊されます。

(BELL・Y が、イーブル=悪 になる。)


神戸は、国際都市ですから、地球の芸術 (アート) の中心地です。

神戸だけが そうとは言いません。 私の立場で、主張することによって…です。

内容というより、みらいのことばによって、ということです。


KOBEには、共時性によって、人が集まってくるようです。

というより、予知を使える人が、集まりやすい、と言えます。

(これは、神戸と似て、〝ゆず〟を生み出した、横浜にも、言えるかもしれません。)


さらに進んで、神戸に引き寄せられることは、自ら、予知能力 (時間と空間のモード) のラインを、開発することになるのでしょう。


ここで、私が、家庭・学校ともに崩壊寸前まで追い込まれた、小学校高学年の時代の 話をする価値が、出てきます。

私が、時間予知を使うならば、それは、時間をぶっ飛ばすような、非時間によって特徴づけられるので、生まれる前(未生)の時点で、時間の外で、この出来事は、包括されていた、と言える可能性があります。

それが、神戸へと向かわせた、ひとつの流れなのかもしれません。


ポイントは、私は、子どもであった、ということです。

神戸は、子どもを、神として、愛する街です。


ゆきちゃんが、姉妹の話を しているので、私も、かたくなにスルーするのも デメリットが大きいと感じ、少し、触れることにします。

私たち兄妹は、当時、南大阪から、神戸に やってきました。

(その南大阪には、2019年に、ルビーエンジェラバイクで、貫通することになります。 そして、この6年で、唯一、パンクしたライドです。 原因は、たぶん、釣り針でした。)


きっかけは、いとこが、神戸に住んでいたからで、そこに あこがれていた節がありました。

私は、小6の春、ひとりで、電車に乗って、いとこの家に行き、それが、大阪を出る きっかけとなります。

詳しくは 述べませんが、神戸が、子どもを愛する街であったことは、私たち兄妹を 受け入れるということに、容易であった、と言えます。

今でも、私たちが、神戸に住み着いているのは、この理由と、切り離せないでしょう。

そして、ルビーエンジェラバイクで、神戸を拠点として 走ったことも、偶然ではないのです。


神戸に来て、しばらく経った頃、上の妹が、フルーツバスケットに、ハマっていました。

私が大人になった頃、妹は、〝おにぃは、何か すごいことを やりそうな気がする〟と言っていたらしいです。

また、私の 社会に臆病な生き方を見て、〝損をしている〟とも、言っていました。

(当時の、オレンジレンジ、HY、神戸なら、ロードオブメジャーや、175R のような、〝Y〟はどうであれ、神戸のティーンエイジャーらしい生き方、が できていない私に対して、そう言ったようです。)


今の私が、この〝おにぃ が やらかす、すごいこと〟を証明できている、かは、わからないし、する必要すら、無いのかもしれませんが、ゆきちゃんには、知っていてほしいかなぁ。


ただ、〝すごいこと やりそうな気がする〟という 着眼点は、共時性の KOBEで、フルーツバスケットを見ていたのなら、私としては、分かる気がします。

設定だけは、なんとなく、知っていましたが、私は、2019年のアニメから、フルーツバスケットを見たので、これは、私が音楽の道に走っていくことと、兄妹と神戸と、フルーツバスケットの、ユニークなシンクロニシティ (ふしぎな偶然) と言えるでしょう。


自転車(ルビーエンジェラバイク)で、6年、ライドをして、大阪でも姫路でもなく、なぜ神戸だったのかは、分かる気がしました。

当時と随分変わり、自転車でも、前より走りにくくなった かもしれませんが、神戸は、海側が、クルマ社会でない点で、子どもが後ろ向きに生きなくて良い条件が、さりげに揃っています。

そして、それに気づいていない人たちは、交通ルールを、平気で無視しています。


フルーツバスケットの、神さまと、ねこ、の話は、〝私は、今、キリストに生まれ変わっている = 統合的生まれ変わり〟の視点で、包括できます。

神さま の、統合的生まれ変わりは、どんな性格か? ねこ の、統合的生まれ変わりは、どんなハートか?

主人公は、誰の 統合的生まれ変わりが、強いだろうか? 複数の性質は あるだろうか?

表面の設定に近接していない、コスモスのアドレスとしての、コスモスの性格による、神さまと ねこ の 今としての、生まれ変わりは、誰と誰に、生起して 輝いているのでしょうか?


この、設定に凝って、家柄に凝って、会社に閉じこもって、名前にこだわって、Yを〝カネ〟のような 無意味な 独裁的権力 にしてしまった者たち、彼らにとって、人生とは、何の価値もない、空っぽの箱であり、その本人のコスモスのアドレスは、社会に、悪害をバラまき続ける、ホロンの癌です。


K(O=)BE

それは、K(キー・合鍵)が、在ること(BE) であり、ビーナスブリッジでも、輝いています。

BE(永遠の無いこと=今)=新たに生まれる命(=時間の外に立っても変わらないもの)!

カギは、ベイビーちゃん なのです。


ゆきちゃんは、その名前を 授かっているけれど、そこに、意味 (→ 権力) は、無いでしょう。

価値は、〝永遠は いらない〟と、みつめるところ (= 時間の外) にあります。


有名サイドは、〝Y〟を、興行収入の形で取り出すために、(娯楽作品という) 核分裂の手段にします。

太陽へ、エネルギーとしての、悪用 (いやがらせ) です。


私 (神さま) と、ゆきちゃん (ねこ) は、無名サイドで、何の権力も持っていない (誰にも社会的に知られていない) ので、その私たちの力 (時間予知) を、有名サイドは、その力 (空間予知) で 切り分け、〝権力を持たない主人公が登場する、根拠を持った作品〟にして〝売ります(Y)!〟

それが、今の、大混乱した、交通戦争の社会の、別名です。


その時、世に知られるのは、空間予知の有名サイドと、何の力 (愛情) もないスポンサーだけなので、バランスは、さらに、壊れていきます。

有名サイド(空間予知)によれば、〝私と ゆきちゃん (神さまと ねこ) のテストさえ通過していれば 何をやってもよい〟ことになっているらしく、私たちの未来のシーンを歌ってさえいれば、描いてさえいれば、どんな売り方をして権力を持ってもOKだと、その〝設定=欲望〟が正しいということにしないと、気が狂って、どんな嫌がらせをも厭いません。 (これが、機能不全という病気であることは、インテグラル理論を用いれば、簡単に わかるでしょう。)

なんせ、有名サイドと空間予知は、バランスを失っている今、〝永遠だけが欲しい〟と言っているからです。

フルーツバスケットのアニメのゆがみは、原作者も含まれるかもしれませんが、私がカットしたくなるシーンの数々に言えます。 (当然、これも、有名サイドの作品ですね。)


この、バラバラの考え方、価値観を持っている 個々の有名サイド、しかも予知能力を 持っている者たちを、まとめろと言われても、無名な神さまと ねこ、には、無理な話です(*´Д`)

ゆきちゃんの、苦労を、お察しするよ。


有名サイドは、必ず、わたしたちを、取り入れ、リンキングしなければ 気が済まないか、それしか手段がないらしく、結局、コロナショックすら、防げていません。

そうして、作品にすることで、病んだスポンサーが 興行に飛びつき、世界は 大混乱に見舞われます。


(フラットランドによって 歪んだバージョンの興行を 否定している ワンピースフィルムが、興行収入を語るのは、スポンサーが病んでいるからに 他ならず、これ以外に 選択肢がないそうです。

クリシュナムルティが言うには、私や ゆきちゃん のような、神さま (=のらねこ) の、ある意味での〝覚者〟を、彼らが相手にする場合、聞く耳を持たないので、〝崇拝するか、無視するか、殺すか〟になるそうです。

(ボーム博士との対話にて。)


今回の場合、生殺しになるので、③でしょう。 ( ② だと 思っているかもしれませんが。 )


本来、予知能力 (時間と空間のモードのラインの高次のレベル) を、本当に正しく活用すれば、社会がそれを積極的に取り入れれば、コロナショックから、独裁者問題、交通戦争から、食糧問題まで、あらゆることが、解決に向かうでしょう。

〝Y〟の問題は、問いにすらならず、時間の外側で、次の子どもたち (あかりちゃん♡) が、不当な歪みを受けず、輝く時代に なるのです。


ある種、神さまで、のらねこ、の私が、夢の世界で、そして、ここで、行うことができる、すべては、こうして、書くこと、問題を指摘することだけ です。

それは、金にならないし、ほとんど、社会に知られることは ありませんが、皆が 聞く耳を持って、有名サイドと空間予知を縛れれば、社会は、これほど、混乱しなかった、と、私は、思います。


私は、有名サイドから、結局、①崇拝されている立場 なので、今まで、大きなことを言えず、こうして切り出すことも難しかったのですが、無名サイドから入った、ケン・ウィルバーも、ワン・テイストで〝有名になることは、自分を悪にする人身供犠だ〟という風に言っていますから、その後がどうであれ、真実は、そうでしょう。

残念ながら、私と ゆきちゃん (神さま と ねこ) に、光を求めても、私たちが、この人身供犠に参加しているのが事実になるんだから、私たちが、それを明確に否定しない限り、手が汚れているのは、明白で、したがって、その作品の真実性 (光の実話) には、何の根拠も意味もなくて、ただ、闇の実話 だけが、遊離している、ということになるのです。


よって、今の有名サイドは、一度、終わるべき (社会的にホロンとして死ぬべき) で、その時、おそらくは、全く新しい創発によって、完全自動運転のように、サブホロンとして包括されて、時代は、変わるのでしょう。


しかし、ワンピースで、これが、テーマにできるのでしょうか?

スポンサーは、必死に抵抗するでしょう。


途中で、書き忘れたので、今言いますが、有名サイドのリンキングは、TPPの一部でもおなじみの〝著作権関連を ある種の権力者に一任すること〟と切り離せない問題です。

ゆきちゃんは、アニメーターとして、これに反対だそうで、私も、長い目では、同意します。 (同じ気持ちです。)

理由は、フルーツバスケットの録画のカットが、この文章を書くのに、避けられなかった(必須だった)ように、ある程度の自由で、悲惨なシーンを拒絶できる〝余地〟―― これをも、上記は、壊すからです。

(新聞の切り抜きから、インターネットの検索に至るまで、成長のために、この時代に 通じますよね? ―― これの規制は、もはや、嘘のニュースと同じ、情報操作なのです。)


この事情を 根源的に理解している アニメーターは、てぃんくる☆のように、編集する必要のないアニメを、作るでしょう。

今の時代は、そう できないでしょうが。


 

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とにかく、神戸は、ふしぎな偶然を育てる、やさしい街で、それが、私たちを、ひきよせ、この花火大会にも つながっていったんだ、って、思います。


今、私は、有名サイドを、否定する立場ですが、万が一、私が有名になってしまったら、その後、どうなるか、分かりません。

良き高度(Y)における、優れた多様性 (ワンピースやミスチルなどの世界・内容) それ自体は、私も推しているように、素晴らしいものだと思います。

私は、今、変わろうとする時代に、私自身に、問いかけているのです。


そして、今は、この言葉で、ハートで、今日を終わらせ、また、あしたに、つないでいきましょう♪


KOBEに生きる皆さん。 本当に ありがとう。

そして、地球に生きる 僕らに、今日も、ありがとう。


ファン♡ K(O=)BE ♪  ファン♡ K(O=)BE ♪ ファン♡ K(O=)BE ♪ ☆彡

(⋈◍>◡<◍)。✧♡ FINE ☀


~連日晴れ☀の 今日この頃の 秋の時より!~

 

 

2020年8月 5日 (水)

My Birthday 2020 !! ~ [シーン] と [タイム] の〝INTEGRAL〟~

今日 書く ストーリーは、僕の、すてきなすてきな、誕生日のお話だ

――――――――――――――――――――――――――――✧


頑張って、人生の目標を、直観の通りに進めても、ある時突然、すべてを無意味にする、そんなことは、起きうるだろうか?

そのことを心配して心配して、やがて、なぜ辛いのか分からなくなって、きっと、もう 時間切れなんだ…と思って、決めつける。

あとほんの少し、直観を働かせて、注意をしていれば、ごく簡単な一手で、〝あれ?〟と、うまくいく〝シーン〟が存在する

分かったことは、直観を信じること。 自分の感覚を信頼すること。 それができないとき、未来を見ると、すべてが無意味になると気付く。

たった一歩。

無数の選択肢の中に、自分がこれまでやってきたことの、多次元グリッドからの 存在の多世界空間の内に、たったこれだけで、進める明日が存在する。


だから、あきらめなければ、未来に辿り着ける

終わった証明は、証明できない。


僕は、今日を、今、迎えた。


――――――――――――――――☆彡


今日は、僕の誕生日。

心がウキウキするような、とっておきの一日を探したい。


〝INTEGRAL MEDITATION〟(インテグラル理論を体感する 統合的成長のためのマインドフルネス論)に、この前 出会った。

ケン・ウィルバーは、私よりも 先代の時代を生きているけど、とてつもなくヤングだ。

以前よりも、さらに テキストが進化している。

インテグラル・スピリチュアリティ時代の、派生?

いやいや。 新作です!!


なんか、新しい本の匂いと共に、彼の新しいテキストを読みながら、色々と思い出しつつ、忘れていたような、贅沢でドキドキな気持ちになった。


この新作は、余っていた図書カード消化と共に、なじみの店でゲットした。

年末のことを書いた〝☆ Lovely! - 大切な音楽・すてきなアニメと 瑠璃色の世界の 明日を抱きしめて〟の頃には、まだ並んでいない。


神戸中心部の高架電車を見ながら、前の花火大会以来 来ていなかった場所で、色々と思い出していた。

そして、この12年間は、僕にとって、とてつもなく、稀有で 絶妙な、驚愕するような奇跡が ひとつひとつ極まって、僕の中に、層として、多重的領域として、非-空間的に、包容されていたことに、気付いた。


今まで、あえて、こういったことを見れなかったのは、具体的な目標があったからだ。

それを峠を越えていくまで、全体を包含するような気付きを見ることを、内側のエネルギー的な領域保存則的に控えているので、最近まで、ほとんど、このようなことをしていなかったと思う。


彼のテキストは、例えば、僕の12年が、もう一度あっても、在りえないことではないと、言っている。

なぜなら、彼は、僕の今の12年を、もっとたくさん持っているからだ


僕は、もう、何かが終わりかけており、すべてがもうすぐ、幕引きになると感じている。

だから、必死に自転車に乗って、できるだけ遠くに行ってみた。

都市に住みながら、ローカルを走ることが、何かを、僕に、見つけるような気がして。


でも、本当に、終わる必要は、あるのだろうか?

ちょっと、考えてみた。


そして、とりあえず、まだやっていないことに気付いた。

それは、僕の誕生日を祝うこと


自分にできる、全ての奇跡を、技法を、使うということならば、そういう意味で、誕生日を祝ってもらおう。

僕は、誕生日当日に、ミスチルの〝バースデイ〟を 〝挙げてもらう〟ことにした♪  [←分かる?――(笑)]


ひとつのグリッド、ふたつのグリッド、みっつのグリッド、でもダメだったら、N次元のグリッドで、ハイパースペース・バースデイにすればいい。

たぶん、次のグリッドの ハイパー・チェス盤で、心が晴れたりするのだろう☀

[ここでは、グリッド=次元 の 意味=文脈 で使用している。 グラフにて、Xのグリッド(次元)=Xのチェス盤、に、Yのグリッド(次元)=Yのチェス盤、を重ねると、XとYのグリッド(次元)=XとYのチェス盤、ができる。 多次元グラフで 次元が一つ増えるということを意味する。 グリッドは、次元の比喩を兼ねており、あえてそう言いたかったので使用した。 XとYのチェス盤、とは、グラフならば〝(N+1)次元〟になる ということだが、チェス盤の場合は、〝XとYのチェス盤=全く新しいハイパースペースのXとYの統合的チェス盤〟が現れる、と思ってほしい。――要は、N次元のグリッドは、(N+1)次元のグリッド、の視点から、色々な方向に さらに平面移動が可能である。 四角形と 四角柱(立方体) の関係である。 また、ここで言う 各グリッドは、発達ラインに近い〝習得世界空間=分野〟の意味で、水平重心での多次元の意味となる。―――たとえ を兼ねたので やや  ややこしくなる。]


最近の、ケン・ウィルバーをはじめ、インテグラル・サイドには、〝より高次の、特に第3層(サード・ティアー)の維持には、膨大な 気にならなくてもよかったようなことにコストを支払い続けなければならない、いきあたりばったり、的な状況が存在するのだ〟と、ひそかに言われている 近況がある。

ここは、今になって、重要なところであると、気付いた。

状態-段階(ステート・ステージ)なら 前例がある歴史の中で、〝構造-段階(ストラクチャー・ステージ)〟の方は、近年まで 前者と混同されがちであっただけでなく、発見の歴史自体が浅い(心理学であるフロイトの領域が源流である)ので、どこまで行っても、単純な〝終わり〟というものが無い。

特に、第3層(サード・ティアー / ホワイト)の段階は、対応する[コミュニオン]が あまりに稀有稀有なので、人と話していようとも、〝誰とも会っていない〟ような状態になる。

これも 修行なのかもしれないが、ホロンとして、危うい。


空間予知のラインが、オレンジから第2層(ティールあたり)でダイナミックを迎えた人は、未来を見た上で、〝時間予知のラインが 第3層(サード・ティアー)の、インディゴ(ホワイトの4つの内の最初の段階)か ヴァイオレット(ホワイトの4つの内の2つ目の段階)〟付近で、ダイナミックを迎える人の〝大立ち回り〟が、最終的な糸口、僅かな希望の、雲をつかむよりは、かなりの可能性に満ちた〝出口〟であると、ぽそっ・・・(・ω・)と叫んでいたのが、たぶん80年代から。

その頃は、日本でも、トランスパーソナル心理学が輸入され、サイキック[心霊]的な、つまりは、予知が存在することと その立証への興味が、さりげに 爆発的に広がった時代だと思う。

この時点で、空間予知のラインを持って探求した人々が、第2層の意識の併用の可能性と共に、時間予知のラインの可能性をも、未来を見ていたのだが、その、時間予知の発達ラインは、第3層(サード・ティアー)で初めてダイナミックを 迎え始めるというか、第2層(ティールなど)では、ほとんど 構造的に発見できる役割-観測的証拠を見せないことから、21世紀になっても、具体的なことは、仮設以上 分からなかった。


最近、様々な〝空間予知のラインを使った人〟たちが、これまでの経緯の証拠を、立派に取ってくれている。 実質と共に。

その意味で、もう、〝ティール組織〟によって、〝検証することができる〟〝構造であることが分かる〟ところまできているのだが、僕と ゆきちゃん、しか、その中継になる人物を、僕たちは まだ知らない。

キリストが権力司祭に 歪めて祭り上げられるような心境である。

[カミハナンジノウチニアリ♪]


僕のコミュニオンでは、2018年末頃から、急速に、この事実を構造化する きっかけが、連発した。

その、プレ事項として、僕の共時性を、リアルタイムで提示することが、空間予知を使う人との出会いにつながっていったという点があり、今言っていることを掴む 重要な手掛かりになるだろう。

[その共時性は、 〝みかん〟と〝りんご〟に、包括/要約されました(・∀・)!]


ケン・ウィルバーは、今回のテキストで、〝自分の どのラインが どこにあるのかを 構造的に直観的に 近いところまで把握できるようになる〟的なことを、割と大きな声で言っている。

つまり、時間と空間の予知のラインのレベル(第1層~第3層)が〝どこにあるのか〟を〝ある程度まで 内観計測できる〟ということだ。

結局は、コミュニオンにて、反証されない〝証拠〟を挙げることである。

ただし、時間予知のラインは、第3層(サード・ティアー)にならない限り、証拠として見えるようなものは、ほぼ得られない。

なぜなら、時間予知は、共時性によってしか、証拠を捕捉できない らしいからだ。

空間予知の〝みらいのことば〟の行きつく先 (例えば、〝みかん〟と〝りんご〟) を、〝共時性にて紡いでいく〟のが〝時間予知の根源能力〟なので、その証拠は、〝第3層の視点で、空間予知のシーンを、約30年に渡って 詳細に研究・関連付けし、あらゆる空間=シーンに対して、時間を越えて 言い当てて紡がれていく 何か〟を〝発見〟することでしか、分野(差異)化できない。

注意すべきは、〝空間[シーン]〟ではなく〝時間[タイム]〟であるという点だ。

〝時をかける=時間を戻す/進める〟というのは、〝自分の時間・直観は、戻ったり進んだり していない = 体内の時計の 時間の矢に従って 一秒ごとに 秒針を きざみ続けている〟ことを意味する。

考えてほしい。

これは、〝時間[タイム]〟が 正常に進んでいる、のであり、戻って進んで戻って進んでいるのは〝空間[シーン]〟である。

ここを かなりみんな勘違いしているが、時間が戻ったり進んだりしているような描写 とは、〝内的な 空間[シーン]が 巻き戻ったり早送りになったりする〟現象学的な現象なので、〝空間予知のライン〟に関係する。

〝時は かけていない〟!

駆けているのは〝空間[シーン]〟であり、欠けているのは〝時間[タイム]〟に対しての理解力 である (爆)


↑ ここ、マジ(MAG ・ I)で、〝核(コア)〟


例えば、〝1光年のハイパースペース・タイム〟トラベルは、〝1光年の同一世界線の通常ワープ〟〝1年前後の過去や未来の別世界線[パラレルワールド]にタイムトラベル〟の、どちらの〝タイム〟とも、等価のエネルギー・グラデーションのようだ。[過去に議論・参考。]

つまり、ワープとタイムトラベルの両方に〝タイム〟を振り分ける〝技術〟(時を溜めるマシン) が、第3層(サード・ティアー)の技術だろう、ということで、〝ウィルバー・コムス の格子〟にて、適用可能となった 新たな視野だ。

(状態と段階、ステートとステージの違いによって、第3層の視点がアップデートされたため。)


ドラクエ7の〝バロックさん〟は、〝空間[シーン]がループしている現象に対して、空間[シーン]とは異なった何か、時間[タイム]に関する 捕捉能力〟――つまりは、違和感からの差異化を、生み出さんとする。

これは、〝みらいのことば、に、似たシーン[主張]が 繰り返し現れている〟と置き換えれば、〝空間予知[シーン]に対しての 時間予知[タイム]の知性[ライン]〟の〝発達的内容〟を現していく、と読める。

望むなら、これを〝真のリベラル〟と呼んでも良い。


もう一度繰り返すと、タイムトラベルは、別の〝時代〟へ行く技術なので、それ自体は、〝時間が戻って進んで戻って進む[シーン]〟ではなく、〝多世界線のワープ[タイム]〟だ。

ということは、〝空間予知[シーン]〟を〝紡ぐ能力/知性〟は、〝時間[タイム]〟の領域にある、と言え、共時性がその代表であろう。

空間予知[シーン]が、超時間的に統合されていく [非時間的なスピリットを 進化の構造的に体現していく] ので、〝みらいのことばのシーン〟が、〝ふしぎな偶然のタイム〟となって、〝出力される〟と、ネットワーク・ロジック(第2層・ティール)的に説明できる。

しかし、第2層的に『体験は』できない。


つまりつまり、〝超時間的なスケールで、空間[シーン]を相対化する能力、さらには、それと距離を置き、統合していく能力こそが、時間[タイム]の予知のラインの、性質であり真骨頂である〟と言わざるを得ない💛


ここまで、お話が長くなったが、ほとんどの〝時空的読み物〟は、〝空間[シーン]にばかり 目が行って、時間[タイム]の性質に対する問いかけや理解や その絶大な貢献点なる潜在力 を、おろそかにしている〟あるいは〝中途半端である〟と言わざるを得ない

あげくには、非常に魔術的(歪んだマジェンタ的)に退行する。


今回、ケン・ウィルバーは、こういったことも、日本からのアメリカ事情をも踏まえた上で、〝言いたいんだろう〟――(ということを、重力と呼吸の桜井さんω  と話してみたい。)


空間[ストーリー]ではなく、その悲惨さでもなく、そういった〝欺瞞〟をチャラにするような、本当の深き共時性の根拠[つながり・非時間=タイム] が、〝時間予知の天職〟なので、〝権力の乱用[ひどいシーン]に タイムリープを使うような物語[ストーリー]は、一切、時間的予知[タイムと統合的リンキング]に近づいてもいないし、真実を述べてもおらず、理解すらしていない〟!

つまり、空間的予知[みらいのことば]を〝つないで[リンキングして]〟いない。


空間[シーン]にとらわれない、時間[タイム]、こそが、本当の〝時間のストーリー〟であり、それは、〝第3層(サード・ティアー)〟にて、最初の〝他者への大規模な 外在価値的に有意義となる、能力開花〟を果たす。

簡単な道では ないのである。


以上のことから、〝すべてがチャラになる〟という 出来事的視点は、〝超次元的には、構造-段階 (ストラクチャー・ステージ) にて、反証される〟と考える。

絶望の未来に思えたとしても、何らかの〝実際的な希望〟があるものだ!

空間予知人たちは、それを、ここ何十年に渡って、声を、書き残してきたんだ。


――――――――――――――――☆彡☆彡☆彡


そういうわけで、僕は、当日を迎えて、この主張を紡ぐに至る。


僕の12年と、ケン・ウィルバーの若さ。

そこから、今日の、僕の誕生日、明日への一歩が、始まる。



僕は、さすがに無一文ではまずいと思い始めたので、これまで、ほとんど、貯金に無頓着でいることにした近況を、僅かに変えることにした。

なぜ、無頓着にしたかというと、それが、〝時間予知のライン〟を 活性化・発達 させる 触媒ないしダイモーンになったから らしい。

この辺は、インテグラル・ライフの〝魂の旅〟的なのにて、〝自分が何者なのか分かる〟ような〝状態-段階(ステート・ステージ)〟としての、暗夜[あんや]を越える 道なき道、にて、何らかのタイプが〝体験〟できよう。


たぶん、時間予知のラインの謎、おそらく僕らの使命、が、ひとまず合格ライン(今までの区間からのゴール)に達したので、生き方がわずかに変わったに違いない。


とは言っても、「お金」のモジュールを 少しいじっただけだ。

ロードバイクが買えるくらいの額は、持っていない。


なので、買いたいものをポンポン買うことを控えている。

神戸の中心部に、買い物に行くこと自体が〝かなり久しぶりの体験〟であったことが、〝既に自分の中で、忘れている級に意外〟であった。


これまで通り、ピンポイントで、多次元的な〝イベント〟を〝直観による計画として実行〟する。

そして、今日、僕は、お気に入りの中華街の店にいる。


北東旅行20132016はまなすファイナル)にて、横浜の中華街で 私的に好評だった あの「焼きシャオロンポウ」のジャンルの本格店舗が、神戸に!

現在では、ピックアップして扱う 件数が広がり かなりのブームと見える。


焼きシャオロンポウは、〝焼小龍包(笑)〟なので、〝バーニング(炎)!!な、精鋭洗練されたインテグラルなスパンの、空在るドラゴンが、光によって 全てを包み込む〟という、未来の潜在価値を〝宣言する〟手加減を知らない〝ありがたい 〟特産もの、である !!!!! ――きっと、昔は、ドラゴンへの おそなえ物だったんだろうωωωω☀

(※ 言ってみたかった (・∀・) )

≪厳密には、こっち →


こうして、ゆったりと店内で食事すること自体、とてつもなく久しぶりである。

あまりにも色々なことを思い出すような心持ちになるので、もはや、手段を選んでいられない。

そして、空いた店内は、しっかりとお客が付いていて、時折別の話題は在れど、エレガントな音楽と、楽しいオーラ声が、匂いに伝わってきて、イイ感じだ。

花火大会で感じるあれを、今年も浸っていたいので。


そういえば、お空に生まれた、白輝のドラゴン (愛称 ダイアナちゃん) は、〝クリアーライトな 純白ホワイト〟なんだよねー。 サード・ティア―だねー♪♪♪♪♪ ≪※ ゆきちゃんに はいってる ☀ ≫

――――――*


ほどよく、中華街をぶらぶらしたら、ロールケーキを買って、ホームへ直行。

快速、新快速、直通特急、ラビット、アクティー、ホームライナー、お好きでどうぞ♪

(※ サイクルの、グリーンシティライナーですω)


ロールケーキは、残りが1本だったので、すぐに買って、冷蔵庫へ。

1時間くらいで ちょうどよい。

もちろん、信号を全て守って、徒歩込みで、クイック・アーリィな〝1時間〟で!!


ロールケーキは、甘い(・∀・)

つまり、トマトとオニオンが効いている、軽食のパスタ、ベーコンにチーズも加えて、パスタに地元のウエイパーを使い、同様のトーストのピザも。


これが、最高!


ロールケーキは、甘いので、うまいけど、やはり、味に鈍感になる 砂糖菓子ゆえに、軽食と合う合う。


久しぶりに、熟睡的な理由で控えている、コーヒーを一杯。 アイスの。

紅茶も。


これがまた、パスタ系の軽食に、ハマる!


これにて、〝食べ放題のグリッド〟が、〝本格派スイーツお持ち帰りのグリッド〟と〝極まりし中華の本格ランチ〟と共に、ハイパースペース・グリッドとして〝統合〟され、ロールケーキ単体では 見えなかった〝宇宙が〟堪能できちゃう。


ミスチルの、ハッピーバースデイ。

そして、セカンド・ソング。


2曲目の、ラストは、まるで、KOBEの街の心を包むようで、まさに〝明日へ進もう!〟で、ミスチルが、小さなライブハウスで、かなりのいい雰囲気をくれて、おいしいものを食べている、そんな、コスモスができた


(どういう感じで、どんなシチュエーションで、どういう意味なのかは、あるいは 読み返してね。)


☆彡☆彡☆彡


ルフィが、すごいことを始めそうだけれど、ポッと出てきた〝エキサイのクイーン〟が、あれ、絶対、ヤなやつでヤバいやつだろ、と思ったら、第一声は外さずに、意外と、ツボに はまる キャラだった(笑)

今後、どうなるこっちゃ…。


過去と未来に関して、私たちの、ちょっと見つけにくい扉(メカニズム)で述べると、〝一人一人の中に、トキサカ(時逆) と トキジュン(時順) が いる〟のです。


そういえば、2005年に、僕の運命を変えたCDもまた〝シングル〟だったよなぁ・・・。

まいの、You look at me~one)


~♢~♢~♢~♢~♢~


僕は、まいの手を、絶対に離さない。

そして、僕は、ゆきちゃんのコトバに、耳を傾け続けるだろう。


掴んでみよう・・・。 僕の いちばん大切な〝すてき〟を、〝ともし火〟を。

ひとつじゃ足りない――。 なら、学んだ分だけ、グリッドを有効にして、ハイパースペースを生きればいい。

そう・・・


偶然なんてない!


🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻


そして、明日は、続いてく !!!!!

 


3D2Yの2020年――僕のHAPPY BIRTHDAY ☆彡

 

 

 

2020年1月 8日 (水)

☆ Lovely! - 大切な音楽・すてきなアニメと 瑠璃色の世界の 明日を抱きしめて

明日へ進もう――配信限定AL「ゆうきのうた」収録――セルフプロデュース

 

11月 (私の[]マス) が過ぎて、せっかくなのでと、年末に向けての音楽番組をいくつか見た。

年が明ける。

ヒーローアカデミアには、「サーナイトアイ」と 「ルミリオン」 が出てくる。

そして、朝方となった私が 「世界仰天ニュース」を久々に見て、今回のテーマを記しておこうと思った。

 

実は、ラブラの誕生日は12月27日。 アルマ・ゆうま(ツイン・フェアリー)に重なる。

確かに…。 ラブラは生まれてる。

 

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配信で最も聴かれた私の曲:「I so lovely be future in the sky」✧ ――【インスト】

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空の中で〝未来に在る〟♪――4thSo Lovely」収録――セルフプロデュース

君の待つ夢に~♪ 近づいてゆくよ~♪ ―― (⋈◍>◡<◍)。✧♡

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ゆずが 樹 に始まる「空と大地」のうたを歌い、ケミストリーは「君をさがしてた」のマジカルスノーを降らし、いろとりどりの「キラキラ」に染まった、そんな ウィンター・シーン。

いきものがかり「SING!」がすごい。 てらてら(*´▽*)☀大好き――「!」がミソ♪

NYで歌う ミーシャに驚く(≧▽≦)♡♡♡♡♡

 

テレビ東京系の音楽番組はユニークだ。

「明日の〝So Lovely〟」に 届けられた、その構成は、静かで、落ち着き、対話的に人間的で、ラストもよく考えられていた。

まいが どこよりもリラックスし、その様子が分かった人も多い。

WANDSに驚いた(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

ちなみに、TVOで再放送された スラムダンクに「ちゅど~ん」♡ がある。

テニスの王子様も、見れる人はぜひ。

 

こういった、音楽番組のシーン (音楽界を音楽業界と呼ぶかどうかの 文化的な境界のようなもの) に気付く時、堂本剛さんの「しすてむ」を思い出す。

インスピレーションは、想いと繋がり

売るという行為は「それ・それら――システムの象限(Q/3とQ/4)」を語る真実であり、インテグラルには、志向性と文化・意図とコミュニケーションをつなぐ必要がある

システムだけでは、どのような意図でも「売上しか気にならない」ので、ダーク・マーケットに、力を与える結果となる。

核保有と世界大戦の歴史を考えて、この流れに反対しよう。

 

つまり、音楽番組を保つために、〝ユニークな企画〟を 「ひとつの象限絶対化(I、We、It[]、どれかの独裁)」として成り立たせる時に、実際の出演者に違和感が生まれるということであり、どのような企業のトップなどの行いにも通ずる、責任のストーリーである。

 

ケン・ウィルバー「統合心理学への道(原題:THE EYE OF SPIRIT)―は、今回のテーマに最初からラストまで〝大きく〟響いてくるので、読める人は、ゆっくりでもいいので、ぜひ読解してほしい。


統合心理学への道―「知」の眼から「観想」の眼へ

 

全ての奥義は、「ホロンである」ということ。

全体だけでも部分だけでもなく、「全体/部分」であり、歪みを識別するためには、「より全体を無視して 部分であることを放棄し 全体にのみなろうとする――その裏では 部分となって切り離される闇と 表裏一体である――」 ゆがみ (I、We、It[]、健全にそれぞれを持つホロン、の病理) を識別・解体するための特効薬となる。

特に、「統合的な芸術と文学の理論」の章は、「芸術はどこにあるのか?」・「視覚芸術の意図の解釈のデリケートさ」 などを主題とし、現代アートにおいて、長期的には〝必読の視点〟である、といえる。

なお、2004年頃までに出た ウィルバーの理論モデルは、2005年ないし2008年「インテグラル・スピリチュアリティ」以降の論理モデルの特徴 高度9以降・第3層の構造-段階にも≪粗大・微細・元因・非二元≫4つの神秘主義(状態-段階)があり、相関はするが、≪第3層・構造-段階≫と≪粗大,微細,元因,(非二元)・状態≫の呼び名とは直接関係がない――第1層の3つの状態・第2層の3つの状態・第3層の3つの状態、―非二元も含めると4つの状態― それぞれがある≫――ウィルバー・コムスの格子」 にて アップデートして 読解する必要がある点 を付記する。

 

音楽は「合理主義・形式主義」の「外面・システム絶対化-Q/3、Q/4、It()、の独裁」 ヒットメロディなどの形のみに価値を持たせる「解釈」が 勝ちを おさめがちであり、アニメは、「読者・反応理論」「聴衆の文化的価値の絶対化-Q/2、We、の独裁」 配信・閲覧数と話題性にのみ価値を主張する「解釈」が 他を一掃する、アイドルもアニメの現状「読者(視聴者)・反応」の解釈に近いが、いずれも、「意図・最初のインスピレーションの系譜的・直覚的な実質・その膨大な 現象学的証拠と重要な真実」を〝無視・周辺化〟していることに、お気づきだと思う。

私の展開する文章・アートなどは、意図を含めて、それを インテグラルな象限で 補足・付記・拡張・説得・定立させているので、多くのアーティストが、その有名力にもかかわらず、私を参照(リンキング)するようになったのは、上記の、〝業界シーンは、意図を無視する〟という点が大きい。

漫画がテーマの「バクマン。」では、作家である「アーティスト」が 出版社に対してボイコット(協力しての休載)を行うシーンがある。 理由は多岐に渡れど、傾向として、なんらかのホロンの歪みは、規模に相関して、このような「主張・反証」の形をとる

 

今回の音楽シーンにおいては、「令和――虹の輪」「ラブラ――てぃんくる☆」として、私も参照しながら、ある場所 ≪文化的な芸術の形態形成場の微細なモード≫ にて、強力な≪意図≫として、≪It化≫されることに 反対・表現する運動、として見て取れる。

最大の理由は、ダークマーケット含む世界情勢にも言えるが、子どもを〝ポテンシャルを無視した――稚拙な金づる〟と捉えている〝業界至上主義〟に 対して、正しい意図でつながる〝アーティストの総体〟が、断固として〝嫌悪・大反対〟しているからで、何度も言うが、意図・繋がりの想い・その本当の源流と洗練が 「無視」されているからに他ならない。

これは、少数の子どもを 業界に引っ張り込むことでは「当然解決せず」、むしろ、市民参加型のお祭りと 「音楽番組が (インテグラルに) コラボする」 ような展望にて、前進すると、私は思う。

 

世界仰天ニュースを見て、驚いたのは、【故意に 共時性(時間予知・その言葉)・予知(一般に知られる予知形態・空間予知)を悪用して社会に ばら撒けば、世界中でとんでもないことが起きてしまう】ことが、裏付けられてしまったからだ。

後に述べる〝ティール組織の方々〟には、〝音楽シーンの声明と合わせて〟この〝仰天ニュース・2つの事件〟を、特に念入りに研究・熟考してほしい。

そこが元締めではなく、核保有にもダークマーケットにも言えるが、どんどん浸食・派生してくる、という見方が重要

――ドラゴン校長もお怒り。――

 

私は2010年の2月12日に 「タイムマシンとパラレルワールド」を 手書きで大部分書き終えて、その後、ジュエルペット初代の大部分のソウルを引き継いで 「てぃんくる☆」が誕生する(そこで強調される〝ラブラ〟が〝誕生日として公式に〟生まれるのは、その年の手前、クリスマスの少し後の〝あのシーン〟)

あかりちゃんは、2010年7月22日に〝12歳〟になり、「てぃんくる☆」のシナリオのメインは〝島田満〟さん

この時点で、上記の 共時性含む〝みらいのことば〟が、形を成して繋がって いくのが分かる。

 

私たちが嫌いなのは、良い意図を無視(矮小化)される (多様性に溺れる 非視点的な狂気含む) 業界至上主義なのであり、【 「てぃんくる☆」(アート・意図・想い) を〝入れ子(ホロン)になった「嘘」(ダシ)〟にして、その共時的実質含む〝名前(名称・印象)の乗っ取り〟を 独裁悪用する 】 ような〝支配〟が横行すると、社会全体がとんでもないことになる。

しかも、特に上層部の実態は、〝見えない〟――。

自動車と交通にも言える。

上記に対しては、特に、アートのメイン分野外の (芸術界と関連が薄い) 企業のトップや上層部に〝理解が軟弱〟で、〝強い責任が掛かっている〟ことは 〝身をもって知るべき〟だ。

放映アニメシーンでは、その〝乗っ取り―悪用〟的風潮が、次第に濃くなっていき、2013年にピークに達した。

モラルの感性がマヒする 文化的毒であり、ホロンとして見て、社会全体、事情を全て知らない〝アート外の分野の企業とその上層部〟に〝海外〟まで、その悪影響が広がり、事件にまで発展する〝狂気〟が、アウシュビッツとヒトラーの件で 大規模に知られたように、実際に後になって 膨大な証拠として提示されるわけだが、どの事件(もくろみ)も〝全体であると同時に部分 (闇でもホロン)〟なので、その外側に問題があるのだと 誰も〝責任を取ろうとせず〟核がのさばっているように、現状がこうだ。

音楽シーンに特に言えるが、意図の無視の独裁支配は、上記を助長させられることになるので、アーティストと そのソウルにとって あまりにも〝おぞましい〟!

〝みらいのことば〟に対しても、――大昔の人々に 製薬技術によって開発したワクチンを施せば〝神に見なされる〟のに同じく、悪の科学者の悪用ならば〝昔の人々ならば気づかない〟同様、―― 認知だけ第3層の悪用を (例えばダークマーケット込みで定立) されれば、それを信じる人の少なさと カルト教に還元するバージョンの多様さなどにより、より とんでもない混沌が生じるのは、私たちにとっては、至極明らかである。

その〝内面-意図〟を、トランプ大統領の母体でもある〝保守派-共和党〟に任せてきたのは、〝あまりに無謀〟であり、〝保守派も 産業化のオレンジの波を信奉〟しているため、歪みの影響を強く受け、意図を無視する業界至上主義的支配に対しては、リベラル以上に 知恵の面で無防備であるがゆえに、そのカルト化は、近年、かなり まずいところまで来ている と、私は思う。

 

てぃんくる☆は、上記が 子どもの心の正体なのではない――〝全く別のことだ〟と根拠を持って主張‐定立しているので、そのテストを行ったミュージシャンたちが、バックに付いた。

愛犬クルも、勇敢なまなざしで、マイマイを待ちながら、〝全面的に賛同する〟!!

 

アニメの制作世界にとって、現実に何が起こっているのかを 付け加えさせていただくならば、私の信頼するアニメーターの挙げる現状は、〝無謀な業界至上主義的 独裁展開により、まず作画監督が制作を降り、次に 総監督が辞めざるを得ず〟で、―― 結局、意図の無視と 売れ線至上主義 (お金【円】が欲しい) の堕天を信奉 する、加担させるに都合のいい存在だけが残され、タイトル数だけ肥大化したアニメが大量に残り、社会と世界に与える影響を考えられず、闇のスパイラルに加担させられながら 悪いカルマを増やし続けて、音楽界側のアーティストが〝アニメ側のアーティストと繋がるすべ〟を見送ってしまう、といったことも起きてきた。

てぃんくる☆は、大学の講義にも耐え(実質が立証され)音楽界側とアニメ側が繋がるための〝意図としての主張〟を成功させ、結果的にも、今、多数のミュージシャンが、その声を挙げている。

芸術の〝解釈〟をするにあたって、これから決して無視できないのは、この〝意図・声明・気持ち〟だ!

 

少し視点を変えると、非アニメ的な、アニメのダーク・スパイラルは、音楽界にも影響を与え、私ないし てぃんくる☆を〝応援しているメインアーティスト〟のまね【an imitation】にて〝応援〟をした気 (みせかけ) になって、みらいのことばの矮小化にも言えるが、そこで有名になることで〝悪用している〟ことに気付かず、私と てぃんくる☆ が 示しているような〝領域・コミュニオン〟を 音楽界側で ひどく歪めてしまう、といったことも 起きうる。

メロディと統合的リンキング〟でも示したが、ミュージシャンならば、10年は〝正しく有名〟であって、〝有名サイド側で 具体的な強いメッセージを送れる〟と私は思う。

(例えば、私や てぃんくる☆の 主張・コトバ・意図への返信として、具体的に分かるほどのメッセージを 有名を伴って 権力をも伴って 込める場合。)

もちろん、こちらが ふんぞり返る意図はない(*ω)

 

ヒーローアカデミアで 「過去を変える(同一の世界線で過去を変える、未来は変わらなくとも過去は変えられる) という名主張があり、普通は 「過去は変えられないが 未来は変えられる」 となる所が 逆説的なのは、〝理知の眼ではなく スピリットの眼〟で見ているから。

「過去の過ち・後悔・カルマ」を〝インテグラルに清算する〟という意味で、それが〝多次元的に過去を変える〟ことになると認識できるのは、〝スピリットの眼による 実践として意味を成した〟から。

この、芸術の真の深みは〝感覚の眼でも 理知の眼でもなく スピリットの眼で見る〟という主張こそ、「統合心理学への道」のメインテーマのひとつであり、音楽側でも、アートあるいは私を〝スピリットの眼ではなく 理知の眼(のみ)で〟見ている人がいると思う。

特に、一般になじみの薄い〝システム的な通常のパラレルワールド〟のビューに関しては、ニューサイエンス的な方面へ行くと、色々と滑走して 手におえなくなるので、理知の眼で分かった気になって 歌詞に詰め込み過ぎない方がきっといい。

ミスチルも ほぼやっていないし、私が意図して【スピリットの眼で】行ったのは、「マジカルエマージェンス」と「明日へ進もう」の2曲だけだ。

もう一つ断っておきたいのは、私の存在を「ティール組織の ひとつのテスト」と見て頂いても良いが()――ILPの「実践 インテグラル・ライフ」で、〝ソウルのモジュール(魂の旅)は、必ずしも富に直結するものではない〟と 主張されていることからも分かる通り、「名が売れても核兵器を無くせなかった」経験で構成された〝有名サイド〟の方々と、〝私が繋がっている〟のは、ふしぎなことでもなんでもない。

ここは、該当領域を 信じられない人 (興味のない人) が多い中で、〝嫉妬する人〟がいる場合、〝そんなことが本当に可能なのかどうか〟だけは、よく考えてほしい。 何か、見落としている重要なことはないだろうか?――カルマ? 思い込み? スピリット?

 

パラレルワールドを スピリットの眼で 芸術的に 読み解くにあたって、「統合心理学への道」では、もうひとつ、「運命と自由意志」の非二元性についても言及されている。

時間芸術である、音楽やアニメにとっては、特に、〝運命は決まっているのか?〟という問いに〝理知の眼ではなくスピリットの眼で答える〟つまり〝実践する〟という〝解答〟は、とても〝明快で素晴らしい〟と思う!

 

このように、今、(もしくはここ数年で) 大規模に変わりつつある 音楽シーンは、〝新たな指示は 新たなデータを生み出す(実践と確認-広義のパラダイム) という、真剣な〝証明・実務的な対話〟に基づいている点を、明確にする必要がある。

これは、アーティスト分野のスポンサーや投資家が 【アーティストとアートと対話を 理解する為に】 特に重要なポイントだ。

芸術は、ただ売るだけでは、 アーティストを引きずり回しただけの上に、核保有を助長させてしまう。 (一線を越えることによって。)

 

現在の音楽シーンは、私と てぃんくる☆ が示した 【指示】の領域を参照した 【主に有名サイドの】アーティストが、実際に〝みらいのことばのコミュニケーション〟を スピリットの眼で実践し、その確認を、例えば、ラブラと一緒に行った、ということである。

ラブラのポテンシャルは・・・・・・大宇宙パワー!!!!!(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

――― ミーシャのCDとか、緑のシティに 今にも 来そうだし()

 

近況に戻ろう。

―――――――――――

去年の冬初めに「しろくまカフェ」も観た。

私は「DJシロクマ」が〝好き〟なのだが―――地球温暖化ァっ~!♪!

実は、登場人物に「ヤマアラシ」も出てくる。

 

ちなみに、ジュエルペットのラルド(エメラルド)のジュエルパワーは〝夫婦円満〟

(※初代参照)

 

愛犬クルも〝興味津々〟だと〝お察し〟にて、〝てぃんくる☆の 1話に出てくる はっぴー!はっぴー!言ってる 青いねこ〟は ―――【解-answer : ドラえもん】!!♪ ✧近年の映画の宝島も ぜひ参照✧

タイムアートもメインのテーマ であることが明かされている、という意図としての解釈 も有効。

(こうやって、芸術を見ると、インテグラルに すてき♡ )

 

「重力と呼吸」の「singles」は、〝守るべきものがある→強くなりたい→簡単にできれば苦労はない(簡単じゃない)と 読解可能 【推奨‐定立】。

 

まいのブログの「cat walkが すてきすぎて、いつもそこから リンクするようになる、謎の手続き()

 

ジュエルペットシリーズで さりげに多く 聴くセリフ。

どうしてわかってくれないの〟――()()()()()(-∀-)gg

 

今回のメインイベントとして、身近な、実際の「ティール組織」を挙げておこう。

――――――

実際に提示するにあたって、いくつかの安易な「難関」が存在すると思われるが、以下に挙げるのは 「具体的な組織名(個人名含む)」ではない!

これらの〝組織―構造〟から〝連想―リンキング〟される、〝意図や想い・活動記録や統合的な対話・その総合的な共同財産を共有する あらゆるタイプの インテグラルな視点(主張―定立)〟を 強調するので、この名前がないとか、そんな表面的な リストではない。

――――――

(2020 07 追記: 少しそれるが、どこに書けばいいのか わからなかったので ここに載せる。 以下に挙げた〝googleマップ〟のストリートビューは、自転車視点から 命を救うことになる技術なので 挙げているが、口コミを表示する建物のアイコンが〝とてつもなくジャマ〟なので、ストリートビューを高度に実践的に活用するために、情報アイコンの半永久的な非表示設定ができる 簡単な方法を!!)

――――――

また、これは、ケン・ウィルバー「インテグラル・スピリチュアリティ」で提示された〝ポスト形而上学〟そのもの。

全ては〝視点〟であり〝主張―定立〟で、モノでもプロセスでも組織でもない。

音楽シーンで言うならば、マインド(理知)の眼 でのみ より精妙なアートを見る〝形而上学 (所与の神話・独白的)〟が 売れ線に主流の解釈(定立)であるのに対しての、「ポスト形而上学」で見る。

 

【ティール組織】 -私の身近な ヴァージョン-

ケン・ウィルバー(インテグラル・ビュー)、サンリオ視点、TVO・テレビ東京系 視点(ジュエルペット・ワンパンマン[バトル漫画のルーツと知恵の視点]・弱虫ペダル[フジTV系 2期まで 合同 視点]etc.)、ワンピース、  ドラゴンボール、日テレ系 視点(仰天ニュース・ヒーローアカデミア・鉄腕DASH)、SMAP、ディズニー映画 視点(ズートピア・モンスターズユニバーシティ)、ジブリ視点(ハウルの動く城 [紅の豚・コクリコ・マーニーの意図])、ドラクエの深層の主張 (Ⅴのシナリオのコア・Ⅶの真の意図)、googleマップ、バクマン、池上さん、ミスチル、ケミストリー、ゆきちゃん、まい、私。

 

以上で、2019年を くるんで、言いたいことは 達成した。

そこそこ 前から、こういった視点として 提示したいと思っていたが、決定的に〝私が、広域のフレンドに説得できる カード が揃わないことによる 見送り〟により、年内ではなく、年初めの〝ご報告〟となった次第。

2020年は、非常にきれいな年なので、12枚のアルバム(正12面体)のように、正20面体のように、ダイアモンドのように、いいことが、たくさん起こってほしいな♪

 

というわけで、私のラブリーな音楽を、枠ごと どうぞ(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡

 

配信で最も聴かれた私の曲:「I so lovely be future in the sky」✧ ――【インスト】

 

明日へ進もう――配信限定AL「ゆうきのうた」収録――セルフプロデュース

 

2018年11月 8日 (木)

僕のMr.Children ♡ ~orange (→t) の テイスト♪ロード☆~

ファンタジーとヒマワリね。(≧▽≦){!)。なのでね。書きましょうね。ね。かっこも付けちゃおうね♡♡ 一般向けにしましょうね☆彡


というわけで、ミスチルさんを 僕の夢の大陸へ招待することができました。

むしろ、虹の橋を渡ってね。あの大陸へね。行きましょうね。 [(意味深な)RAPID]モードね。


[ (an imitation) blood orange ]


オランゲ星人 [りんこ] さんね。りりしいよね。ポップなルビーも忘れないでね!

アルバムは、きらデコの頃だよね。

桜を包む Sakuraiさんだからね。なんか よく見たら すごいよね(笑)

和寿 = ハッピー てぃんくる☆ だしさ♪♪

365日を経て、ファンファーレできたんだよね。センスで2010年へ つないだんだよね。

[僕の詞のリンクは 参考!ね。多くは 2009年以前に歌を作って 2011年春にネットにアップしたのが多いよ。]

高画質版は こっちから ダウンロードできるよ♡ [AL5まで ALL FREE☆彡] (Kenji Kishimoto)

↓ ☆ ミスチルのアルバムへ☆

1.hypnosis
深海が出てくるよね。ワンピースが魚人島編の頃だよね。

2.Marshmallow day
Honey feeling for me だね。ふわふわでおいしいよね。 ―― 僕が歌えるハッピーソング♡ [↓]

[ ほら! 鐘が鳴るよ! 君と僕の秘密の場所 どんなに時間がかかっても 夢はここにあるからね! ―― ねぇ君に聴こえてる? 僕はここにいるよ! あの日出会った時から 変わることなく for you ―― ねぇ君に聴こえてる? ↓ 曲はこちらがイチオシ ]

ねぇ君に聴こえてる? = 大好き! Ver ☆彡 【ハートにミラクル配信♪】 ☆SPECIAL FREE☆
( Kenji Kishimoto 2008 2018 )

[ いつだって 君はここから 広がる雲 眺めてたね 眩しい日差しで オープニング Today is start like heaven ―― 鐘が響く 国境を越えて 手を取り合って世界はひとつに 美しい緑広がるour future Earth いつまでも 受け継いでゆこ! ―― オレンジに染まる大地に 歴史の歩みを味わって 今日は昨日より平和だった? The World is going to heaven ―― heaven ]

[ 君といるだけで幸せ そばにいるだけで幸せ 溜め込んだ想いも 流れの中に溶けてゆくよ 君と 生きている喜び 一緒に手を繋ぐ喜び! すべては 愛となって 天空に 翔け昇ってく ―― 天空 ]

3.End of the day
ゼロから始められていないこともね。かなりあるワね。

4.常套句
会いたくて(笑) 2006年夏 花火。 頑張ろうって決断した。魔法掛かりまくっていた頃!

5.pieces
P.S♡ MY SUNSHINE に出てくる 僕のダイアリー(これ)。 ちょっと自転車も入っているかな?

[ 君のパズル イヤイヤイヤ! 解けない日々 イヤイヤイヤ! ふいにできた ほころびから 生まれ堕ちた イヤイヤイヤ! ―― ほころび ]

[ So そこにあった You まぶしかった 夢を見てた Yes I know... 導きにそっと手を添える ―― Now 滞【とどこお】った Me カレンダーに 背丈 重ね But I know... ハートビートに 答え 探して ―― Cry... 瞳に宿る ハイエナジー ―― Yes, I... Wo Wo Wo... 世界中が響きわたるよ But, I... could tight midnight all the way プレゼント 届けよう ―― Yes, I... Wo Wo Wo... 街の片隅 ささやく声 But, I... could tight midnight all the way 足音は それぞれの道 ―― Yes, I... Wo Wo Wo... ちっぽけと 思えたけど But, I... could tight midnight all the way それでも 今は ありがとう ―― could tight midnight all the way ]

6.イミテーションの木
fuseね。―― 緑のシティにビルが建ったんだよね♪ 張りぼて・・・実質が伴わないこと。まいの恋人という肩書きの割りに何もできていないω ―― 本物・・・周りの解釈・印象・偏見による。[素直な自信を歌ってる。]

[ 君と日々 サンキュー! 君といる日々 サンキュー! 僕といた日々 サンキュー! もう二度と戻れない場所 迷わずに サンキュー! いつどこででも サンキュー ふり返らずに サンキュー! これもいいよね・・・ !! ―― ほころび ]

[ ぎゅっと 抱きしめたい! 邪魔な現実ぶち壊したい なのに1%もできてない 僕を赦して!!! ―― ねぇ…君は僕が好きなのですか? それとも想うふりしているだけですか? 世界中が釘付けの美しさで 僕だけを見つめてよ!  たとえ全部叶ってたって うまくいかない! 満たされはしない… 恐い!君を失った世界で 生きてゆくことなんてできない!―― ねぇ…僕の生き方褒めてくれますか? 君もまた同じように苦しい 二人…今分かちあえてること それだけは分かってる ―― 何か“印”刻まなくては… そう思い焦りゆく この日々よ たとえ何も残らなくても… 生きていてくれてありがとう!!! ―― La La La…君に歌を歌うよ La La La…何も考えずにね… Sha La La…もし心軽くなれば 一緒に踊ろう!! Ru Ru Ru…いつか君に言えるといいな Du Du Du…もっと楽になって… Sha La La…明日も昇る 命の光に向かって叫ぼう!! ―― 〝印〟(生きていてくれてありがとう!!!) ]

7.かぞえうた
この頃、サンリオに すてきな和解があったんですよね。(また別に) その後、まいまい↓ が 登場するんだよね。

8.インマイタウン
まい、まいまい、がいっぱい(笑) ―― 最近、おもてなし大使 やってるんだよね。僕も 食べ歩きライナーを走らせたんだよね。So Lovely とシンクロ(共時)してるよね。

[ 愛情いっぱい 空を越えて 君の待つ夢に 近づいてゆくよ Yes ! I so lovely be future in the sky キラキラ照らされて 輝いてゆく Dream come true ―― まわる日常 無限のループ あっちかこっちか baby We so hurry up ! ―― 右を見て上も見て 前だけ見てないぜ ding-a-ling life ―― 今日もまた こぼれてく ヤングなビターに 乾杯! ―― 旅情いっぱい 荒野を越えて 誰かの住む街も 二人で駆け抜けよう Yes ! We so lovely be future in the sky 流れゆくままに ときめいてゆく day and night ―― I so lovely be future in the sky ]

[ねー 僕らは どこまで きただろ 不思議な 魅力に 惹かれて 導かれているんだ そー 僕らは 迷い子 ひつじさ かわいい 毛皮が もこもこ これがチャームポイント ―― タッ タッ 華麗な足さばきで タッ タッ 踊って みたり しても トッ トッ かんじんなコトに つまずいて いたりして ―― ゼッタイ ダイ ダイ 大丈夫 シッタイ イタイ しまったことも カッサイ 歓声の心 響こー イッタイ イタイケな 瞳の ゼンカイ どこに そんなパワーが ソンザイ 君は とても すてきさー ―― 大丈夫 ]

9.過去と未来と交信する男
未来と過去が同列なので、記憶の未来と過去ではなく、パラレルワールド。(未来の記憶は自然にない)。――現代科学で示されつつある 多次元・並行世界のより正しい(インテグラルな)解釈を 色々書きました。(「タイムマシンとパラレルワールド」は 2010年2月中旬に記述・アップ。 ―― そして↓)

10.Happy Song
空にラクガキ♪ ルビーのしっぽはポップコーン って記事も。ハッピーポップ作りました [2018年制作・配信限定・配信先複数 (アーティスト; Kenji Kishimoto ) ] ―― こちらは、ほっかほか☀ [2008年] ↓

[ 緑いっぱいに すいこんで 地球の心になってみる たくさんの夢がつまっていて ポップコーンみたいにはじけるよ ―― 理想の国には ほど遠いけれど 花園の芽を大切にしなきゃ ビルの間【あいま】に光るタイムマシン 月 あかりに乗ってどこへ行こう? ―― やきたての 君のほほえみで 僕の心は ほっかほか たどりついたその先に太陽があって とても不思議 ―― 歩いてくと君がいて とても不思議なんだけど てれくさい 幸せなの この愛の光 誰がゆずれる? Wo Wo Wo…!! ―― 時に けんか するけれど 君が笑顔になるとうれしい ふくれっつらの 君が僕の口に “ごめんなさい” “ありがとう” を灯す ―― そっと 君のハートにキス 素直でいられた 天国のような時間に そっと大切にキス Wo Wo Wo…!! ―― もう戻らない ゆずらない すてない あきらめない Wo Wo Wo !! ―― シュークリームのようにふわふわの 甘い雲に乗って 今 もう一度言うよ〝大好き〟 そしていつもの日常が また始まる ――光にみちびかれたその先には ありふれた幸せがあったのです 今日は何に骨を折ろう?―― ほっかほか☀ ]

11.祈り 〜涙の軌道
輝く奇跡にドッキドキ! 、 through the River 、 北を探索 [エメラルドの時空・しろうさぎ♡]

[ 雨が止んで 虹がかかる 差した光 ひとすじ希望の道 ―― ほら 羽根が生えた 七色に光った世界 僕は今ここにいるよ 宙を舞い飛び立つ ―― 輝く地球【ほし】の光に祈る 君を見つけてあげるからね ハートに落ちた愛の雫 体中にみなぎって ―― 大切な何かを守るため 心強くなってゆく すばらしい出会いを信じて! 世界は美しい!!! ―― 光 (ひかり) ]

[ 街の灯りが君のほおに きらめき告げるイルミネーション 僕らに輝くエナジーは Today is special Day ずっとずっとひたむきに僕のコト信じてくれたね 3年前の約束を まだ大切に包んでた ―― 離れてる方が二人にとって幸せで 想うたびいつも はりさけそうで近づけなかった ―― でもあの角のケーキ屋さんに光る七色のクリスマスツリー 幸せそうな恋人達の瞳 ねぇ君はきれいだよ 誰もが夢を見て特別になる Christmas Night もう何も恐れないよね ずっとこうしていよう ―― かじかんだ君の手を僕があたためてあげるね あのベンチに座ろう My heart is very very warmly マッチ売りの少女はどんな気持ちでいたのだろう ちらちらと雪が舞う 聖なる White Christmas ―― いつまでも僕と一緒に はかない夢を見ていよう 君がふるえてたら すべてで包んであげられるように生きたい 僕にやさしい笑みを教えてくれて ありがとう 君のふわふわのコートが風で揺れた ―― Christmas ]


~ONE MORE~ [(リンキング) 慣性系] (→t)


・「メロディと統合的リンキング」も書いたんだよっ♪

・曲順(→t)は大事だよね☆彡

・弱者ではなく、無名サイドを歌ったアルバムだヨ(*^▽^*){きぼうのうた)

・トラック6,7,8で、まいができるでしょう(笑)(笑)(笑)

・ねこまむしの旦那に会いに行きたくなるね。[世界にちゅっ♡のワンシーンもω]

・ロードムービー ; 光はパラレルワールドなので、内面的(微視的)に多次元を内に含み 2秒後の今‐時間(未来)は内に存在する。 2秒後(→t)に、その未来(と同じ形の世界)へ行く。未解決の内面的シャドーも付いてくる。つまり (微視的な=普通に生きている瞬間瞬間の) タイムトラベルでも 巨視的な(目に見える)タイムマシーンの使用でも 影は付いてくる。どこの次元とも対話という当たり前のことが必要! ―― [(対話) 乗り物] (→t) バイクもタイムマシンも 全く同じ多次元ライド感が生じる。(自転車も[慣性系の・微視的]タイムマシンだ。) [パラレルワールドカテゴリ:アップデートサイド]

・本人が ロードムービーのこの箇所を気に入っていると伝えてくれたのは驚くほどうれしい。[小説;英雄(え~ゆ~)の旅]に[Q=Question]を使うようになったのは テーマそして何となくというのもあるけれど、小説後期に 昔のMDとか引き出していたら、アルバム名は知っていたけど 当時あまりパッとしなかったので聴かずに置いてた「Q」の中に「ロードムービー」という題名の曲があることに気付いて(聴いてて)、そのフレーズに 近況上やたら気になっていたので、やっぱり [(コミュニオン) エイジェンシー] (→t) だよね(笑)

[ 道路標識 ココロの加速 オーバーエナジー baby We're shining star ! ―― おそろいのオランジェット 食べながら 走るよ talking about 明日【あす】もまた やってくる フレンドテイストに 乾杯! ―― 純情いっぱい 風を越えて 誰も行ったことのない 世界の果てを見よう Yes ! We so lovely be future in the sky 時の魔法で二人 の仲深まる day by day ―― 愛情いっぱい 空を越えて 君が住む夢の街で 朝まではしゃごう Yes ! I so lovely be future in the sky 君の待つ夢に 近づいてゆくよ 誰かの住む街も 二人で駆け抜けよう 誰も行ったことのない 世界の果てを見よう Tu ru ru ru tu tu tu ru Tu ru ru ru tu tu tu ru ... … ―― I so lovely be future in the sky ]

みんなみんな あかりちゃん っていう ヴィジョンも書いたよ

リフレクション(=思想)(・∀・):「フロム:聴くということ」についても書きました。

ワンピースとジュエルペットの関係を見ているときに「健全性(≒ポテンシャル)」の存在に気付きました。

(「himawari」と結びつけた時の共時性を扱った記事はこちら。)

世界にちゅっ♡」のプロローグは このページのテーマをうまく表現していて おもしろいですよ♪


というわけで、年末とかに きっと書くよ(笑)

365日のあかりちゃん


~人恋しくなって 色々と あかりを灯したくなった日~



ふり返らずに / みんなで一緒に… 【LIVE 2009年春】

2018年5月 3日 (木)

未来へ手を繋ぐ地球 ☆彡 ~ みんな みんな あかりちゃん♡♡ ~

♢ 僕には 夢がある


僕には、夢がある。 すてき描く世界、そう 争いの無くなった世界を〝見る〟ことだ。


これまでは〝保守派〟に 〝ややこしいこと〟があると思われていた。

けれど、〝子ども〟と〝おとな〟は、どうも違う。

つまり、成長できない〝理由〟があり、歪んでしまうということらしい。


おとなの社会は 基本、フラットランド、つまり〝内面(こころ・きもち)〟を無視した世界だった。

そこでは、〝すてきなこと〟が無い。

それはつまり、〝歪んだこころ〟に無頓着だ。

そうだ。それが、原因なんだ。


心の闇(シャドー)は、セラピー(シャドー・ワーク)で〝友達〟にできる。

僕は、〝前言語的なシャドー・ワーク〟の領域が ほとんど手つかず であることに気付いた。

こころの無い世界において、〝ドロドロの感情も無視〟される。

誰も率先して、ここに〝ヒミツがある〟とは言わない。気付かない。

いや、保守派だけが、それに気づいていたんだって?

でもさ。彼らは大人だけど、〝こころの闇(シャドー)〟を正確に把握できる〝ノウハウ〟は持っていないんじゃあない?


彼らより〝心理的(道徳的)に大人〟と言えそうな〝リベラル・ポストモダン〟の人々は、じゃあ、どう?

さっきも言ったように、〝こころを無視〟してたんだよね?

こころの議論自体、行われないよね?

すてきの失われた世界、おもしろみのない世界・・・

それって、一部の、歪んでしまった人々、特に大人にとって、投げやりな世界になるんじゃない?

誰もが傷ついていくのが〝そそる〟とか

僕たちが無視して、抑えてきたものが、追いやってきたものが、独裁者なんだよ。


見てよ! かんたん。

歪んでいる何かが、争いなんだ。

それさえ分かれば、夢ができる。

究極的には、独裁者の詐欺師(ないし 良いものも悪いものも無いという極端な脱構築主義)に至らせている〝人の心も含む、負の原因〟こそが、気付かなきゃならないポイントだったんだ。


保守派が悪いわけじゃない。ただし、児童に影響を与える大人は、責任がある

だから、大人の保守派は、子どもに責任がある。

この場合、大人の保守派は、上記の〝詐欺師(的な原因)〟に耳を貸してはいけないってことなんだ。

一方、リベラルな大人は、心の議論をしないので、〝詐欺師(的な原因)〟に気付くことができない。

カラクリさえ分かれば、簡単なことなのに。


僕は自転車に乗るから分かる。

危ないのは、〝イライラ〟しながら乗ること。

子どももまた、自転車に乗る。

最近の番組は極端になっていて、わざとそういった気持ちを誘発するものがある。

さっき挙げた〝誰もが傷ついていくのが楽しい〟という自暴自棄(崩壊)だ。

子どもや保守派だって、〝大切な人〟がいるよね?

〝誰もが傷ついて〟いくのって、楽しい?


世界は、確かに混乱してる。

学童も保守派も、健全だというのならば〝誰かを傷つけたくはない〟はずだ。

昔の世界の争いは、自己中心的な(権力)衝動のシャドー、あるいは もっと〝前言語的な領域のシャドー〟を当てつけた、〝独裁者(的な指導者)〟によって、〝誰かを傷つけたくない〟という気持ちが〝壊された(マヒさせられた)〟 。

そう、まさに〝よわいこころ〟によって、幾多の混沌がもたらされたんだ。

それは単なる〝幼い人〟ではなくて、各宗教で描かれてきた〝悪魔〟なんだよ。

保守派の人々なら わかってくれると思うけど、これって、どんな宗教にも共通していないかい


つまりね。

混沌なる詐欺師は、〝保守派〟とか〝子ども〟とかを フェイクにして、〝うやむやなる実行〟をするんだ。

もう一度言うよ。

子どもは歩く。そこに何かがあるとする。むしゃくしゃしているとする。

〝見てショックな(混沌なる)お話〟を子ども、あるいは僕ら(内なる子どもを含む存在)に普及させたら、道行く僕らは、子どもたちは、どうなるかな?

保守派もリベラルも、クラクションは〝法律を犯すために鳴らす〟?


セラピーがいい。

特に〝前言語的な領域のセラピー〟に注目してほしい。

それは (人生を)歩く僕ら(そして子どもたち)に対しての そういう〝当てつけ〟であってはならない。

セラピーを〝医者〟 シャドーを〝病気〟とするなら

保守派でもリベラルでも 病気を治す医者は〝ヒーロー〟だ。 (保守派にもリベラルにも感謝されるだろう。)

〝すてきなこころ〟と〝専門的な実質〟が伴いさえすれば、保守派もリベラルも、同じ


そう。

世界の抗争は、もはや〝保守派 対 リベラル〟とかじゃあ なくって

〝混沌(の詐欺師[的動因]) vs 気付かぬ世界(僕ら)〟だ。

だって、闇は僕らの中にあり、僕らの文化やシステムの中にあり、単純に幼い誰かや何かにあるわけではないから。

そして、リーダー(責任ある情報発信者)が〝幼い〟ならば、混沌に付け込まれるので、〝翻訳だからという言い訳は通じそうにない〟と思える。

例えば、第二次世界大戦がそうだ。

あの、闇詐欺師、ヒットラー(を動かした、心を含む動因)によって、僕らは〝保守派が…あの国が…あの団体が…〟今にもホロコースト(魔女狩り)をするんだと 思いこまされるようになってしまった。

誰もがやさしい、〝人を傷つけたくはない〟という心があることを〝忘れて〟しまった。

人が人であるために 決定的に必要な ハートからくる〝自信〟を失ってしまった。

それは、拷問が心地いいんだというような逃避(エコ陣営の間違った 神秘だと思い込んだシャドー)を、或いは 敵はすべて焼き尽くせというような強迫的防衛(エゴ陣営の間違った 神秘が悪魔だと誤信したシャドー)を伝染させた。

現代社会は、この中世以上の流行り病から、抜け出す自信はあるか?

ヒトラーに憧れず、自分の中のヒトラーを突き落とさず、僕らは僕らと、真に〝友だち〟になることは、できるだろうか?

いや、できる。



♢ モラル リベラル チルドレン


先進国の世界には、おかしな用語がある。

大人という意味のアダルトは、なぜか普通の意味では使われない。

18歳を表す〝18〟には、意識の年齢を表す意味はまったく無い

禁止の意味を表す〝禁〟という言葉には、どこか〝ある種 購買意欲的な=覆われたベールを取ってやろうとする邪な〟ジブンをイメージさせる

子どもって、ハズカシイ?

大人って、もっと ハズカシイ??

現代社会のフラットランドは、〝こころ〟〝やさしさ〟〝寄り添い合って笑うこと〟を忘れ、へんてこなものに逃げている。

いわゆる〝性〟が強迫観念になったこの時代、その原因はと問われると、混沌の〝魔女狩り-世界大戦(独裁主義)〟が、モダン(啓蒙主義)以降(ないしもっと昔から同様)に与えたショックだ。

それを面白がって混ぜっ返す輩(動因)が現れるが、騙されずに〝人間の直観(ハート)〟を意識し続けよう

それらはすべて、(前言語的な領域を含む広域の)シャドー・ワークで治癒できる。

やり方は、〝あなたに合った恥ずかしくない実践 (宗教)〟を見つけること。

そのためには、〝ボディ・マインド・スピリット・シャドー〟を網羅して、闇の動因にデリケートである必要がある。


そうだよ。

つまりね。

より広域 (保守派やリベラルを含む 多数の日常) に適用できる世界宗教 (皆ができる共通の認識と実践)〟があればいい。

ホロンという考え方で言えば、〝リベラル憲法は保持〟されたまま〝国際連合が地球市民社会へ僕らが国を超えて繋がる

この〝保持〟〝保存〟は〝基本構造〟と言う。〝各種の(ふつうの)宗教〟の構造も壊さず(保持して)、別のテレビ番組を見る(別の本を読む)ような感じで 明確な意図と方向を持って〝適用〟できるもの、〝より こころかがやく〟深いものになっていく。 それがいい。

これは〝適当に選ぶ〟のではなく、〝混沌(シャドー)〟の (こころよく 公正に フレンドリーにして 意地っ張りを手放す) セラピーが〝地球を変える〟ことを〝実践によって理解する〟ということ。

今までは、こういった明確な〝原因〟が分かっていなかったから、各コミュニティ(保守派・リベラル など)による より正確な(最大数を包含できる)〝合意〟が 満足に得られなかった というわけだ。

これからは・・・ できる。



♢ 世界宗教(仮)


ちょっとテレビを見ると、お好みで「世界宗教(仮)」にできる〝真剣なおつまみ〟が ちゃんとある。

僕は、時折 「世界仰天ニュース」を見る。 リベラル(ポストモダン)の色気のある番組だとしても、内面をサポートしているので、「健康(ボディ)」「心理(マインド・シャドー)」「つながり(スピリット)」等を身近に関連付けることで、〝他者を思いやることができる人〟なら 誰にでも何らかの〝得るもの〟があるはずだ。

保守派が苦労するのは、リベラルな社会のシステムで ブラック企業の(使い捨てまがいでの)上司となったときだろう。 部下がリベラル(特にゆとり世代)なら、大体想像ができる。 こういった多視点を「具体的な日常世界の例」を交えて 自分なりに咀嚼してみるのがいい。 そのための「時間」が無い場合は、「混沌(シャドー)」と向き合う大チャンスだということだが、私は別に〝賢い(繰り返し使えるものを重点的に購入する)節約〟をお勧めする。

池上彰さんの(メイントーク)番組は、世界(の構図とその課題[シャドー])を理解する〝明快な鍵〟になるだろう。彼はテレビ局や番組と視聴者を含んで 「その空気 (レベルないし世界空間) に合ったお話」 を展開するので、誰にでもアクセスするチャンスがある。 僕はリベラル(ポストモダン・インテグラル)派なので、それらが重心の局が好きだ。経済と内面(霊性)を含むバランスの良いユニークな(彼との)議論なら、「テレビ東京(系)」の番組にて最も輝くようなので、興味のある方は 一見すべし。

世界ナゼそこに?日本人」は、時々 とても深い動機を持った人々が出てくる。 狭い日本から離れて広い、いや〝深い〟視点から〝世界の子どもたち、世界と僕たち、システム、文化、地球の未来〟を直覚理解し、具体的活動(と成果)を伴って 文字通り〝世界を変えて〟いる。 これは大きな 〝世界(或いはシャドーとセラピー)の理解〟のヒント(きっかけやリンク)となり 狭い日本から 広い日本、つまりは〝深い日常〟を 自分(自他)の中に生起させる〝実践〟となるはずだ。 また、保守派(的な動機の人)も出てくるはずなので、誰でも身近に感じる例にアクセスできるチャンスがある、〝より良き世界への羅針盤を見失わずに見れる〟番組だ。


日本の文化として、世界に紹介されたのがアニメーションだ。

アニメの良点は、繰り返し見れるところ

アニメの深さ(こころやさしさ)が 海外の国から見た日本の文化レベルを表すと言っても過言ではないので、私たちは アニメにも こういった〝展望(的な視点)〟を広げていく必要がある。


最近のアニメは〝バトル漫画〟が主流で、僕もそこで育った。

これからの時代は、多様性を 方向を伴って より 含んでいくことになるので、男性は女性と、女性は男性と その世界とより身近になる。 (共感理解していく必要がある。)

バトル漫画は〝女性の視点(多様な深さの各種リンキング)〟を包含するには不十分となりつつある。

一番の障壁は、「バトルシーン」が 私たちの「こころ」の価値観と「一致しなくなってきている」というところ。

単なる〝アクションの多用〟は〝エンターテイメントのみの追求〟で終わってしまいかねない。

また、どうしても 自分の中の「荒くれ」をシャドーに残したまま大人になってしまいがちだ。


アニメは 俳優が居なくても〝概ね何でも映像にできてしまう〟ので、この「バトル(要素に影響された種々)漫画・アニメ等」は 年々肥大傾向にあり、これまでに挙げたような 「独裁者・詐欺師・非視点的な狂気・各種シャドー(割と健全なシャドーも含む)」 の雰囲気(病気・動因)として 「(ある種) 意図した上でヒットさせていく」 伝染のスパイラルを作っているように思えるのは、これまでの議論でも挙げた〝上記のシャドー・ワーク(理解)〟が無視されすぎているから。

そういったシャドーに圧倒されたり正当化したり 或いは気付かず大人になった人々が、もっと自他を〝思いやりの心がマヒした=傷つける〟ように作り、それがまた 次世代のそういった人々を引き付けてしまう点は、先代には読み切れなかった〝先端的視点(インテグラルなど)の矮小化〟が関与している。

僕は、バトル漫画自体の「王道思想(ストーリー)」は好きでも、最近 自転車に乗っている兼ね合いもあり 全体的に「見づらく」なった。

だからと言って、そういった表現は、「どんな漫画・アニメ・(関連小説)」にも文化として取り込まれて(伝搬して)いっているので、もう「バトル漫画だから」とか そういう単純な構図ではなくなっている


ちょっと待とう。

議論が黒くなっている。

今日は、こんな話をしようとは思っていないんだ

そうそう。

シャドー、シャドー、(ワーク)、って言っているけど、普通は 「健康な気持ち」の「無意識ちゃん」を〝そう呼んでいる〟んだ。

かわいいものなんだ。

僕が、そういう雰囲気を持っている、好きなアニメを、今日はみんなに紹介するんだったよ


「こころ」「おもいやり」が明確に「世界を繋げる」意図で現れている とても優秀なアニメ。



♢ ジュエルペット てぃんくる☆


ジュエルペット てぃんくる」 ☆彡 ―――(テレビ東京での第1作。前作はテレビ大阪。――以下 てぃんくる☆)


保守派・リベラル・ポストモダン、現代陣営の3者 (社会の接着剤と言われる) が〝なかよく〟している。

よく考えてみると、てぃんくる☆は 「スピリチュアリティの発達ライン」を強調していると言えて しかも重心の高度はポストモダン「AQALで高度6」だ。

現代世界にしかないものを使っているので、後続のレディ ジュエルペットと比べると 〝インテグラルな居場所(未来の想定)〟という不確かな〝社会的表層構造〟に影響されない分、〝この世界の誰もが見れるお話〟となっている。

キリストが2000年くらい前に〝今より未来の地球のシステムと文化〟を夢で見たとして、それを〝当時の時代で表現しよう〟とすると、どうなるかな??

僕は、これを ひとつの定義での 〝ポテンシャル〟のある作品と言っていて、〝未来になるほど (普遍的そして思いがけないような) 評価が高まる〟(だろう)ことに気付いた。 (もちろん、真似できない意味で言っている。)


あかりちゃん(主人公)は、まず リベラルが言うように 「社会システム」を本気で吟味して〝成り立つ〟魅力を備えている。

ルビー(ジュエルペットの主人公)は、常にかわいい


つまり、良い社会とは、スピリチュアリティの発達ラインのコンヴェアベルト(発達を助ける社会文化)を健全に強調する社会であり、僕が (統合的な生まれ変わり等で) あかりちゃんになろうとするとき〝うまくいかない〟理由は〝社会システム(そして内面的な文化)がそれに追いついていないから〟となる。 (社会システムの兼ね合い等から シャドー化した動因は その否定[否認]に走る。)


――― 3者と良い社会の「てぃんくる☆」ワールドを〝そのまま 〟私たちの世界に実現する方法は?


てぃんくる☆は、そういった理由の他に「オタ(ヲタ)」向けという〝所与の誤解釈〟(水平的なタイプ論にすべてを還元するだけの極端な脱構築陣営[的シャドー]により――) が伴い、(現代・近代の視点から) 中世のキリスト教のような扱いも受けたが、「ジュエルペット初代 と (ピュアな僕☆ちゅっ♡) インテグラル(理論)の合いの子」の〝アニメの中のアニメ (キングオブアニメ、ロイヤルアニメ)〟であり、アニメの定義を〝真善美の美である きれいな(内的な)世界(としてのアニメ描写)〟とするなら、その意味でアルティメットだ。

つまり僕は、〝インテグラルっぽいアニメしか認めない〟などとは言っていない。 (作品間の流れはまた別の次元。)


てぃんくる☆が打ち出す〝要求 (霊的・道徳的な実践・確認)〟は 根源的な変容を明確に意図した〝修行(訓練・実践)〟なので、音を上げて帰って(シャドーに身を任せる)者が出てくるわけだ。 作品がとても優秀だから

あかりちゃんになってみるといい。 (あかりちゃんのような優しいこころを社会で発揮してみようとしてほしい。)

社会システムをはじめとした課題も山のように見えてくるけれど、内的・現象学的にも〝自分の中の弱いというか狡猾な部分を沈黙させて 本気で世界にお祈りできるような 強くて安定しかつ流動的な心(エネルギー)〟を 確実に発揮していくことは、かなりハードだ


一言で言うなら、てぃんくる☆ ちょ~好き♡


というわけで、てぃんくる☆は、世界宗教 (深さと汎用性のバランスの取れたユニバーサルに多元的な実践)ヴァージョンを示し、世界を平和にする道において〝決定的に重要なこと〟を言っている。

ケン・ウィルバーが〝産湯と一緒に赤ん坊を捨てた〟と言いながら〝ブーメリティス(ベビーブーム世代・ポストモダンの欠点・僕はその部分は前保守派的[というよりシャドー的]に分類している)〟の議論まで十分にしていた時代を経たのだけれど、まだ 本気の てぃんくる☆ ソウルは、多くの人々に根源的だと言われるのを待っている。(気付かれぬ。)


アニメでなくとも、なんらかの僕らなりの〝世界宗教(ユニバーサルな実践)〟がしっかりと出てくれば、1作品、1アーティスト、1陣営などに〝具体的責任〟を押し付けなくてもよくなるけれど、アニメが日本の文化だというのなら、海外の人(特にアジア圏内)全員に見てほしいのは、てぃんくる☆ !!

そして、日本の社会的事情は、決定的にかけ離れている!と彼らに言われたら、日本の未来(創発課題)が見えてくる(笑)


テレビ番組かつアニメーション作品という〝形式〟はあれど、リンキングか 語らいか、ふれあいか、単純に〝見る〟イメージにこだわらずとも。 (この文章を見るつながりでも。)


レオンの〝世界を平和にしたい〟は、獅子もはっちゃけ ハートの現実♡



- 世界のリベラル憲法が ひとつにつながる 夢の日と描いて♪ - (2018 04 24) [5月3日掲載♪]



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「未来へ手を繋ぐ地球」 (本文) 公開記念♪

《 more freedom 》 ~憲法記念日☆ばーじょん~ 堂々 「大公開」 (≧▽≦)♪



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2015年1月20日 (火)

ウィルバー5と永遠の哲学 ~魂は真の統合へ!!~

ケン・ウィルバーは、著書「インテグラル・スピリチュアリティ」で、極めて衝撃的なことを言った。

〝トランスパーソナルの段階は、誰でも獲得可能な状態だ〟

前者の〝段階〟とは、そう見なしていたもの

後者の〝状態〟とは、これからそう見なせるもの、である。


ウィルバーは、23歳の時に、処女作「意識のスペクトル」を発表して以来

自分の書いたものに対して、無駄な議論をしない道を歩んできたという。

そうして、「進化の構造」が書かれた。

この著作は、恋人の死、つまり、海よりも深い愛から来たものでもあることは、多くの人が知っている。

彼の著作の良いところは

〝女性性〟〝恋や愛〟〝やさしさ〟〝少数派の意見を尊重するところ〟〝知識は体験的〟〝いいとこどりの統合的実践〟

様々な、私も親しめる〝ユニークな〟視点にある!!

私は、そんな彼の哲学にちなんで、トランスパーソナルという定義を〝リンキングサイエンス〟とした。

ウィルバー哲学の根底そのものだ。


「進化の構造」のまずいところは、それがあまりにも〝包括的〟すぎて、読まない人と、まぁ読んだ人に、きっぱり分かれてしまったこと。

彼の故郷のアメリカでは〝800ページもの本を(笑)〟と「ワン・テイスト」で触れられている。

で、読まない人は、読めば真理が分かるのだろうと期待し、読んだ人は、あまり理解できない潜在的な部分が意識を支配し〝これは魂についてのおっかな正しい本だ!〟と、ひとまず鵜呑みにしてしまう。

だがしかし、彼は、全くミスでないという意味で〝一つのミス〟を犯したことになる。


ウィルバーは、何度も言っている。

〝究極的には[]である!〟と(笑)


読まない人は、その程度か・・・ と思わせる意味にしかならず

読んだ人は、え???・・・ と思わせてしまうややこしいメッセージだが

その理由は、ウィルバー哲学が〝リンキング〟を使っているからなのだ。

現代では〝コンテキスト理論〟たるものがあり〝リアリティはあらかじめ与えられているのではなく、我々が随時解釈している。間主観的・社会的な対話の文脈の中にこそ、滑走する意味を見いだせる!〟ことを立証してみせた。

これは〝リンキング〟の基礎である。

リンキングとは、異なる様々な意見や理論を、志向的一般化、つまり統合的抽象化とでもいうべき視点化することで、その最大数を折り合わせる。「統合心理学への道」序文に説明がある♪


そう。我々は〝ウィルバー哲学〟を〝理解〟せねばならないのだ。

解釈こそ、我々から生まれる〝真実〟であり、彼が本当に望む〝スピリットの前での嘘〟という名の奇跡なのである。

この真意に気付いた時、ウィルバー哲学は、我々にとてつもない洞察をもたらしてくれることだろう。


話を戻そう。

「進化の構造」以降、我々は、政治・経済・社会学・心理学・その他もろもろの上に、高次で崇高な〝魂〟がいると思っていた。

ところが、実際私たちができるのは、ふしぎな体験に対して〝成長度を測る〟という試験だけだった。

ふしぎな体験は、何をもたらしてくれるのか??

人によっては、その体験のみを追い求めるため、芸術活動や恋愛に没頭することもあっただろう。

構造的成長と、それを取り巻く〝聖なる高鳴り〟は、必ずしも、満足のいく位置に来てはいなかったのだ。


そして、ウィルバーは「インテグラル・スピリチュアリティ」を発表する。


それを緻密に具体的体系化した本「実践インテグラル・ライフ」は、特におすすめの本である。

理由は、今まで、男性的象徴である理論体系化という〝マインド〟にとどまっていた〝ウィルバー世界〟が、待望の〝女性向け〟となって、ここに降りてきたからだ。

実際、そのインテグラル実践(ILP)をウィルバーとともに洗練させた仲間は男性だけでなく、女性なくして成り立たなかった。

ウィルバーは、男性的な側面を〝感覚〟女性的な側面を〝神〟としばしば呼んで、ある本を書いた。

〝感覚と神の統合〟通称「科学と宗教の統合」である!!


「科学と宗教の統合」は、統合的スピリチュアリティ、ウィルバー5モデルを創出するための直接の〝鍵〟であったが、それを理解するものは、多くない・・・と思う。

第一に、この本は、一般の科学者、宗教にいそしむ人に向けて書かれているからであり、コアなファンとの相性は「進化の構造」「万物の歴史」の反復になる為、イマイチ、という印象が大半だろう。もちろん、ちゃんと読んだ人は、絶賛する名著である。後半が特に面白い。

この著作で、彼はあることに気付いた。

一般科学とは、知恵の伝統・本物の宗教の〝部分〟ではなく〝外面〟なのだ・・・、と。

これは、本書の読者に多くをもたらす。

実は、ウィルバーは「進化の構造」で外面にそこまでの〝知性〟を認めていない。表面!だからだ。

例えば〝インターネット〟は、使う者次第で、差別・イデオロギーに使われる。

が、「進化の構造」からほどなくして、確かに彼は〝自動車にはそれに見合った技術者の心(深度)が反映されている〟などと認めるようになった。彼自身が、このモデルをまだ持て余していた。分かち合う者がいなかったのだ!


もし、一般科学が、かけがえのないコスモスの〝外面〟を担っているのだとすると、同じく、スパイラルダイナミクス等の構造主義は〝内面〟を担っていることになる。そして、両者は〝2つ編み〟になって、ホロン階層、ホラーキーをなしていることになる。

ウィルバーは言う。「物理学等は、いつもやることをやっているだけだ♪」


そう。「科学と宗教の統合」では、〝永遠の哲学〟という存在の大いなる連鎖の別名〝存在の大いなる入れ子〟と一般の科学の統合を試みていた!

が、これが、事態を急変させる!!

永遠の哲学は、物質・生命・心・魂・スピリット という入れ子階層を主張するが

実際のところ、物質は心の下位部分だと言っている。科学は宗教の部分ではない!ことを、さっき見た。


というわけで、物質圏、生物圏、心圏、神圏 には、いくつかの定義が存在することになる。

そして、もっともポピュラーなのは、〝視点化〟するというものだ。

特に、肉の眼で世界を見渡すと、最良の場合、上記、進化の構造モデルになる。経験主義の神秘家がいれば、そう思うのではないだろうか??

理知の眼で見ると、物質圏、生物圏、心圏、3つの世界が、平等に外面・内面・個体・社会・文化などを担って、コスモスを構造的に構成していることが分かる。

そうすると、「進化の構造」は、一般の科学者に合わせて書かれた傾向を見て取れる。私もウィルバーも、元はこういった方向から入ったので、その意味でベストな本である。

では、観想の眼は? 神圏とはどこなのか?

ここまで来て、「科学と宗教の統合」は新たな錬金の沸点という、まさに新淵に立った。

神圏(テオスフィア)とは、 物質圏、生物圏、心圏、すべてに浸透しているものなのだ!! と。


勿論(笑) 永遠の哲学は、最初からそう主張していた。

私は知恵の伝統と一緒に論じることが多いが、たとえそれが〝心の眼〟による形而上学でも、直接体験の〝神秘主義〟でも、概ね同じである。

〝心(理知)の眼〟で、外面と内面は2つ編みであることを見れたのだから

残る〝スピリチュアリティ〟は、外面でも内面でも持っている単純な位置を持っていない

そう。ウィルバーは、戻った。洗練という形で。


・〝肉の眼〟〝心の眼〟〝スピリットの眼〟


通常、ものを見るためには、3種類の色眼鏡が必要である。

肉の眼は外面、心の眼(〝理知の眼〟とも呼ぶ) は内面、観想(スピリット)の眼は神秘主義が主張するバラエティ豊かな領域。

そして、はじめ、永遠の哲学は〝観想の眼〟でしか見れないことを語っており、ウィルバーはずっと知っていた。

が、形而上学というものがあまりにも〝心の眼〟で観想領域(神圏)を見ようとしたので、ウィルバーも、研究を重ねるうち、僅かながらも〝永遠の哲学の構造的性質〟に引き寄せられてしまった。

実際のところ、この〝存在の大いなる入れ子〟は、構造を語っており、しかも、コンテキスト理論が使われていないので、脱構築したくてしょうがなくなる(笑)

それをちゃんと行った後、ついに出てきたのが

永遠の哲学、存在の大いなる入れ子とは〝観想の眼〟で見なければならず、その上、微妙に〝構造主義〟が隠れ住んでいる!!

この〝構造主義〟は当然〝肉の眼〟と〝理知の眼〟で見るべきものであって

物質と霊を結び付けたから、という安易なニューサイエンティストの主張(空像としての世界でウィルバーが批判している。もちろん、みな超優秀で部分的だった) のように、永遠の哲学も、〝物質から身体・心〟という部分については〝構造主義〟(しかもコンテキスト理論を通していないので不完全) で、神圏の観想と結び付けたから♪ の完結になってしまっていた。

「科学と宗教の統合」の後、彼は無事、この結論にたどり着くことになる。


・進化の構造で示した外面と内面の構造モデルは〝肉の眼〟と〝心の眼〟で協力して見る。

・本来の永遠の哲学は、上記を引いた〝観想の眼〟で見る。上記に浸透している!


・心圏⊃生物圏⊃物質圏 か!? ~いくつかの視点~


永遠の哲学を尊重するなら、進化の構造モデルこそ最適である。

神圏だけは、上記3つに浸透している、という補正が必要だが。


ではなぜ、心圏=生物圏=物質圏 とならないのだろうか!?

「科学と宗教の統合」では、生物学、心理学、物理学、神学・・・あらゆる学問をどうにかして〝平等化〟しようとしていたのだから。

以下の図を見てほしい。


  | 物| 命| 心| 魂| 霊|
1|1 |  |  |  |  |
2|2 |1 |  |  |  |
3|3 |2 |1 |  |  |
4|4 |3 |2 |1 |  |
5|5 |4 |3 |2 |1 |

これは、至高体験の安定度と悟りの器をレベル化した左端列から、存在の大いなる入れ子の浸透をイメージ化したものである。

左端列は、構造ではなく、観想の眼に関係するファクターである。(数値は意識レベルと相関するが関係はない。)

まず、構造的成長は、ある程度〝観想の眼〟を使いこなす条件になる。(例;慣習段階で神聖神秘主義が流行る。)

次に、低位と見られる左の方(物質寄り)が、粗く広く、高位と見られる右の方(霊寄り)が、深く精妙に、至高体験でき、スピリットが流入する順序や質に関係している。(物質を中心に、入れ子状に波紋が広がっていくイメージで、観想の眼的には、物質は何やら小さいもの、スピリットは何やら広大なもの、という風に概ね経験できる。身体表現が緻密な動作を必要とするのに対してインスピレーションは無限に広がっている、という風な視野観が一例としてよい? 要は、肉の眼と逆のようなスパン(幅)になる。有形と無形の神秘哲学。)

例えば赤ん坊でも至高体験できるが、観想の眼は物理身体を通じて、物質的な領域にのみ安定してのアクセス・エナジーチャージが有効、ということ。ここでのエナジーは、物理的なものではなく、観想的伝統が言う〝低次のチャクラ〟にあたるもの。

身体の方が、強烈にエネルギーを具体化し、精神の方が、精妙化する。

状態‐段階である、観想の眼の発達により、例えば、レベル1の赤ん坊が経験した〝身体活性〟を、より、腹が熱くなる的な〝バイオフィードバック〟等として、レベル5の熟達者が経験可能。

遍在する〝一者〟により近いものほど〝ただありのまま〟で、物質に近いほど〝有形・変化に強烈〟という、上昇と下降を表す、ダイナミックなスピリットの経験として、観想の眼で感じられるこれが、純粋な〝永遠の哲学〟である!

なお

抑圧・・・ レベル>魂  至高体験・・・ レベル<魂

として、成長構造と観想的状態‐段階の相関はある程度独立的になる。

観想の眼で連鎖・入れ子に見える・感じるものは、肉の眼・理知の眼と一緒に見れば、おおよそ、進化の構造的に見える。


〝観想の眼〟は 心圏=生物圏=物質圏 に遍在するスピリットを補足可能!

〝3つの眼を同時に使用した場合は 心圏⊃生物圏⊃物質圏 の形でスピリットを直観!

(包含⊃は、遍在するスピリットの運動を表す記号となる。)


・象限×方向×領域(ドメイン) のヴァリエーション


① グラフの視点化


統合数学と呼ばれるそれは、ウィルバーが上記の形で「インテグラル・スピリチュアリティ」内で紹介している。


あらゆる関数グラフは、たとえ2次、3次関数であろうとも〝2次元グラフ〟と見なせる。(世界線ないし世界総体積と捉えるなら4次元グラフとも言える。)

まず、3次元空間の現象の概念化を行う。(落下式のストロボスコープの映像など)

次に、それに方向を持たせる。(主に時間軸t )

これを〝方向×領域〟として表すことが出来る。

上記をグラフ化したら、現実に〝論理図として書く〟出力行為になるので

象限〟と記述する。コスモスの活動・経験のことである。


合わせると〝象限×方向×領域〟と書ける。

尚、それをさらに概念化してグラフを書くと、上記を領域化して、繰り返すことが可能。コンテキスト理論でおなじみである。


② 総領域(メインドメイン)[n]=象限×方向×履歴領域(サブドメイン)[n-1]


前回の視点を、変数で表したもの。

n=a n=a+1 の2つを入れてみると、メインドメインがサブドメインになって、視点が滑走するのが分かる♪


③ 現実×時間×記憶


何やら、よく分からない式ばかり出して(笑)申し訳ないが、ウィルバー5は、統合数学と呼ばれる〝視点化〟を、今までの洞察の集大成としている。

本人は、5つに自分の仕事の時期を分けていて


1・・・ロマン期 ・赤ちゃんは聖人

2・・・レベル+悟り期 ・赤ちゃんは無知

3・・・レベル&ライン&タイプ+悟り期 ・意外と知られていないが発達領域は、著作が日本で手に入りにくいこの時期に展開。

4・・・レベル&象限&ライン&タイプ+悟り期 ・日本では、実質、象限が進化の構造の3、ラインを組み込んだ統合心理学への道等が4、という知られ方だと思う。正しくは、象限がウィルバー4。

5・・・AQAL ・レベル・象限・ライン・タイプ・状態。この状態こそ、紛れもなく、科学と宗教の統合で気づいた、永遠の哲学の観想の眼による統合的差異化。統合的実践により本当の統合(インテグラル・ヴィジョン)を主張!!


ウィルバー5は、悟ろうという強迫観念が無くなっており、よりワンテイスト、より悟りに興味のない人が〝常に既に〟悟れる余地を体現している。

その理由は、前に見たとおりである。

そして、この〝統合〟を成し遂げたものこそ〝ウィルバー哲学〟であり、リンキングフィロソフィー〝視点化=リンキング〟によって成り立っていることの最終的な表現〝統合数学〟というわけである。

血と汗と涙の、ウィルバー哲学、記念すべき完成形態、なのである。

なお、私は、ポテンシャル(多世界を通じた人権)と並行世界の構造を付け加えたモデルを、必要に応じて追加している。

決して、完成系というわけではないウィルバー5だとしても、進化の構造時に宣言した続編である〝第2巻〟と〝第3巻〟を超えて完成している、超体系である!

多世界解釈すると、本来、第2巻と第3巻が書かれる運命だったが、時代が創発して、この世界線では、ウィルバーは、リアルアップデートワールド曰くの〝インテグラル・スピリチュアリティ〟を書いた。

進化の構造とさほど時期の変わらない「ワン・テイスト」では〝優秀な書き手があと数人現れたら仕事を降りよう♪〟と言っている。本人もまた、運命に感受性が高く、流動的なのだ。

その理由は、愛するトレヤとの出会いや幾度の試練から生じた、共時性である。私が体験したことのない〝思考感情の共有〟まで体験しているので、パラレルワールドよりある種不思議な現象に既に彼は触れていると言える。

ちなみに、統合数学を使って、ウィルバー哲学そのものを見立てた視点化をすることが出来る。スピリットへ向かうスピリットを方向にして考える。興味のある方は是非(笑)


という風に、横道展開するのだが

今回の〝現実×時間×記憶〟とは

パラレルワールドの考察に便利なものである。


ケン・ウィルバーは「空像としての世界」で、多世界解釈を仮説候補として出し、ホログラフィックパラダイムという〝私たちはコスモスの周波数を解釈して世界を知覚している〟現代物理学・不確定性原理の洞察を、精妙に批判しながら統合的モデルに組み込もうとしていた。

私が言いたいのは、神秘家であった物理学者たちの提唱することになった、誰でも理解可能な専門科学という名の〝ニューサイエンス〟(素晴らしい試み) 自体は、ウィルバー3モデルで解釈された〝内面の象限絶対化傾向のある並行世界を仮説として含む物質志向の宇宙観〟だったのであり、現在のニセのパラダイム・ニセの芸術作品の多くに浸透してしまった、ということである。

その意味するところが、バーチャルパラレルワールド(分岐世界)であり、ウィルバーは、時代的に、多世界解釈を考えなかったので、並行世界ではなく分岐世界のモデルで多世界解釈やタイムマシンを解釈する。

要は、主観的に、世界を改変でき、なおかつ、心は物質の部分、という風なおそろしく還元的で暴力的な風潮である(笑)

これが存在したなら、進化の構造程の精密でデリケートな創発は現実に描けないだろう(笑)

ポイントは、ウィルバー5でないと、当時では、より高度文明にこのタイプの多世界解釈を持ち込むことは、不可能と言えた。

ウィルバー本人が内的な領域にしか最終的に理論を展開できない以上、存在の大いなる入れ子と構造主義の混同(共に現象学的)からでは、マクロなタイムトラベルとミクロなそれも仮定できない。

タイムマシンのタイムとは、時代という意味である。


現実×時間×記憶〟の3項目

記憶、これは、当然4象限で考えねばならず

ウィルバーが自分の哲学を発展させる運命と自由意思にも、当然この4象限の影響がかかわってくる。

もし、記憶まで改変されるならば、改変者の記憶もなくなるのだから、改変は不可能。(並行モデルでないと世界は改変可能な遂行矛盾過程を背負う)

2項目の時間は、どの時代に飛ぼうとも、すべての存在が、スピリットがスピリットへ向かう、という運動である〝時間〟を共有できる。そうでなければ、我々の運動は停止する。

そもそも、分子運動や熱が我々の世界や思考にどれほど大きな影響を与えているか…。これらが時間の矢として逆流すると、物理現象自体がおかしくなってしまう。たとえ時間を戻せても、微視的に、似た時代に無限にフレーム戻しする方法になる。

こうして、2項3項を矛盾なく入力すると、1項の〝現実〟が出てくる。

実際行ける多世界とは、予知夢やデジャヴ、ウィルバーの経験した共時的導き、巨視的なタイムトラベル、等、ホログラフィックに世界を解釈した結果規定されるものである。

なお、ここでのホログラフィ的とは、コンテキスト理論と同じ意味で使える。

ちなみに、シュレディンガーの猫はちゃんと遂行矛盾している。いずれ語ることになると思う。


統合数学(統合的視点)は、ウィルバー理論の〝要約〟そのもの。

多世界解釈は統合数学(ウィルバー5)と相性が良い!


☆結論☆ 「インテグラル・スピリチュアリティ」が明快でないワケ


逆に〝明快〟。


ウィルバーは、スピリットについて語る時等に、肯定的(+)、否定的(-)、かのように(詩的)の3つを挙げている。

今回は、2つ目の(-)を使っているのだと思われる。

なんせ、タイトルが〝インテグラル・スピリチュアリティ〟だから(笑)


では、進化の構造を読みほどくことは、もう無意味なのだろうか?? 他の著作は?????


これについては、読みたくなる人は、読むしかない(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)

要は、ウィルバー5とは〝ウィルバー1~4の統合〟なのである!!

1~4から、実は5を導くことが出来る。

とは言え、これは、ウィルバー哲学という〝創発を指摘する〟反則並のものだからできたことであって

本来、ウィルバー5は〝創発した〟と言わねばならない。


要点は単純で、すべてを視点化、統合的抽象化していくことによって、いずれ、意識に深みが増し、より正しいことを組み込むことが出来、それを結論化したのが〝統合数学〟である、ということだ。

逆に、意識のスペクトルですら、この〝統合数学〟は理解に使えるのだから

すべての著作は、ありのままに〝最高のごちそう〟であろう♪

私的に不満なのは、ウィルバーでなければ、あれだけの学術論に高度な見解を示しがたいし、統合数学という出力帰結を 論理的直観とはいえ、誰もが出来そうにないことをやってのけるあたり、彼がいなくなってしまったら、我々は路頭に迷うのではないか、ということだ。

そして、これこそ公案であり、そして逆説であり

ウィルバーがやったことは何一つとして〝奇抜なこと〟ではなく、世界一丁寧な〝統合的リンキング〟だったというだけの話なのである。


もう一度思い出してみよう。

冒頭のあの言葉を。

そう。

スピリットの前では、すべてが抱擁される。

究極的に、すべては真実の前の〝嘘〟であり

空だけがある。

それは、たとえ どこの次元に揺らいでいても、変わらない ―――


~内在する〝ケン・ウィルバー〟と向き合う日の〝まとめ論〟~ (2015 01 20)


[この議論よりさらに詳しく説明を求む方は、概ね〝統合数学論考〟以降の記事を参照してほしい。ここで省略されている視点・根拠の多くが提示されているので、組み合わせてより良く理解できると思う。なお、この議論のウィルバー史に関しては、私的でやや強引な〝解釈〟を有するかもしれない。科学と宗教の統合の背景等、情報不足ゆえ多少脚色している可能性があるので、不安な方はお調べいただきたい。ケン・ウィルバーを知らない・興味のない方でも、新しく興味を持ってもらえる意図で記述したしだいである。]


2014年1月28日 (火)

魂は平等! ~未来の前世・過去のカルマ~

子供たちは、未来からの生まれ変わりの記憶はないのだろうか?

統合的カルマによれば、我々の魂は、決して、過去生の罪を不当に背負っているわけではなく、ほかならぬ、生まれ育ったあなたとその周りの社会、文化についての関わり方の、最適化のための考え方だ。

慣習的カルマは、ポストモダニズムによって、否定される。魂の平等性を損なっているからだ。ポストモダンの考え方は、文化を考慮することであり、あなたの外側にある、シャドー以外の動員は、大抵、文化的な要因だという。

例えば、キリストのイメージは、アメリカと韓国で違う。アメリカは、完全。韓国は、罪を背負った、というイメージだ。

キリストと一体化したという人物も然り。これは、キリスト教圏の外部では起こらなかった。この一体化は、生まれ変わりと似てはいないだろうか?

また、我々は、夢で、互いの意識を共有しているらしい。夢は、微細な意識なので、粗大な日常世界でも、少しはその影響があり、いつでも、我々の意識は、共有されている。

同時に発明がなされるなどの共時性がそうだ。生まれ変わりは、文化的な要因と、意識の共有による線が強そうだ。

しかも、最近は、パラレルワールド(並行世界)も指摘されている。

あなたは予知夢をご存知だろうか。

未来に起こる出来事を当てるのだ。

これは、並行世界をのぞき見ている、という解釈ができ、これまで考慮に入れると、生まれ変わりを記憶するとは、多次元で実在する人物を、文化的要因に従って意識共有する、と言えるのだ。

ともすれば、家族が、亡くなったおじいさんのことについて、日常でも、夢でも、一定量思い煩っていたなら、お腹の中の赤ん坊が、別次元の彼と意識共有しやすくなって、私はおじいさんの生まれ変わりだ!と思うようになるかもしれないのである!

注目して欲しいのは、慣習カルマという考え方が発明された時代には、パラレルワールドはおろか、ポストモダンの考え方すら無かったのである。

私たちは、ポストモダンの見地に立って、もう一度、このカルマ論というのが何であるのかを、考える必要がある。

慣習カルマの否定は、生まれ変わりの否定であり、過去生の根拠になっているものは、新しい光を充てて考慮されねばならない。

例えば、あなたの好きなこと、使命とは、前世ではなく、超意識によって影響を受けた、多次元の誰かの心持ちだったり、ソウルメイトは、未来の彼との夢の交信によって、多次元的に培われてきたものかも知れないのである。


・なぜ私たちは 過去世ばかり記憶しているのだろうか?

我々は、記憶を持つ。後ろ向きになりやすいのだ。

並行世界においては、後ろ向きという思い込みより、前向きという今を生きる能力を培ったほうが、不思議なことが起こりやすいとされる。理由は、多次元、つまり、未来に感受性が強くなるからである。

正しい選択がしやすくなる、と言い換えて良い。

過去の過ちばかり気にし、過去に後悔ばかりしているので、必然的に、過去の意識ばかり引き寄せるということ。

これは、多次元的に見るなら進歩である。

過去の世界ほど、潜在的な価値が高いからだ。

私たちが自由に多次元を飛び回れるようになるまでは、反省は、最も有益な、進歩の手段だ。ただ、多次元も考慮しようということ。

こうして、過去を反省できたとき、我々は、未来の世界、予知に関する超意識の扉を開くことになる。

この先、未来を記憶する子供たちが現れるかもしれない!


・魂が平等だということ

そもそも、魂自体は、意識だ。昔の人が勝手に考えだしたものだが、今では、永続するものとしてではなく、愛とか夢とか未来とか、そんな素敵なものの象徴だ。

魂とは、微細な意識を表すはずだったが、微細な意識、サトル領域は、夢の領域なのだが、微細身(サトルボディ)というエネルギー体と、内面意識で構成される。

外面が存在するので、至高体験などの状態だけでなく、思考などの、構造も存在する。

まぁ、夢で、明晰夢とか見れるから、当たり前と言えば当たり前なのだが・・・。

なので、幽体離脱自体は、微細身だけでも、構造を保てる。理性を保てるのだ。

植物状態の人は、粗大身が元に戻れば意識は復活するが、そうでなくとも、微細身と同一化すれば、理性を保てる。

体は、自分を保つ入れ物、乗り物だからだ。

魂の殺人とか言うが、狼少年は、ただ、構造的成長が不十分で、成長能力も失ってしまった、獣なのである。

とすると、次に出てくるのが、潜在性(ポテンシャル)という考え方だ。

一体、どのようにポテンシャルを振れば良いのか?

ここで、並行世界が登場する。

彼が人間として生きている可能性のある世界が仮定できれば、彼は、人間としてのポテンシャルを持つ。

なんだか、結局思考実験になるのだが、並行世界が見つかったら、やはり、コペルニクス的転回で考えられよう。

ワンピースに出てくるヒトデ、パッパグが分かりやすい。彼も、喋れてるから、ポテンシャルは人だ。

牛とかも、1億年経てば、喋るかも知れない。

常識とはそんなものだ。

ポテンシャルは流動的に考えよう。

並行世界で考えるときは、個体判別ということで、今生きている牛は、まず喋らないということが分かる。

忠犬ハチ公のように、最大のポテンシャルを付与してあげよう。

マギのマグノシュタット学院長は、魔法使い以外の人間のポテンシャルを十分に認めていない。奴隷と言い換えて良い。たとえ彼らが成長した立派な人間であっても、ポテンシャルの正常性が破綻した社会だと、人として認められない。

付け加えたいのは、ポテンシャルは、並行世界を根拠にできる。覚えておいて欲しい。

さて、ではいよいよ魂に移ろう。

もう読者はお分かりだと思うが、魂とは、現代では、ポテンシャルのことである。

人権であり、動物愛護であり、世のバランスを保とうとする統合的運動である。

もしあなたの子供が、恐ろしい切り裂きジャックの生まれ変わりだとしたらどうだろう?

分かりたくはない。

ご心配なく。遺伝子でそんなものはわからない。

分かるのは、彼が、おそらく現在生きているであろう過去のジャックのオンラインゲームで遊んでいるのだろう・・・ということだ。主に夢で(笑)

つまり、暴力的な子が魂の性質だと感ずれば、どこかのジャック性の人の影響を受けていると。

要は、愛情を注いであげれば良い。

呪われた子なんていない。

呪われた魂なんてない。

その子の好きなことを伸ばしてあげる理由に、前世は必要ない。

魂は平等である。そしていつか、いろんな時代の彼に会える日が来るだろう。


・魂の考察・備考

私たちが成長しなければ、どちらにせよ、新しい時代はやってこない。生まれ変わりにより、魂のポテンシャルが深度や愛に変わりやすい・・という加速度的考えも、十分な根拠がない。むしろ、共時性は、その外側で起こっている。自分をちゃんと見つめよう。マギのカシムのように、不平等という運命は、たいてい社会だ。過去生は関係ない。

生まれ変わりがないというより、いくらでも私たちは多次元的に生まれ変わり続けている。要は、自分の自体が潜在エネルギーなので、多次元的に宝物というわけだ。命を大切にしよう。

生まれ変わりは、内面(1p)をサポートするが、文化(2p)と科学(3p)をサポートしない。特に科学は、第3層の並行世界を根拠にするべきだ。

ちなみに、現在でも、素粒子が何らかの異次元に行っていることは証明された。

霊魂については、構造と状態を伴う微細領域の幽体離脱現象、あの世は並行世界として脱構築すれば、あの世を描いた作品に科学的根拠の源流を得ることが出来る。

お花畑にしても、文化的な影響がある。ただし、超意識により、誰の意識も共有している可能性は十分にあり、現象としては、微細心身を伴う夢体験であると言える。

並行世界をのぞき見ている予知夢は、夢の世界で互いに出会っていると考えた方がわかり易いかもしれない。記憶を共有している、とか、だれかの記憶で作られた世界が夢の一部となって出てくるとか、超意識に関しては、実在の証拠から予測し、研究を待たねばなるまい。

予知夢だと分かるものを見る人はかなり少数なので、未来の生まれ変わりの記憶を持った子供の言葉は、力を持たないと考えられる。なぜって、並行世界を行き来できない限り、未来の知人は赤の他人なのだから。

(2014.01.28)

2013年9月26日 (木)

魂は個性 ~個の生まれ変わりの脱構築~

♢ 私達は 人にのみ生まれ変わるのだろうか? ~生まれ変わりの現象・論理的仮説~

私達は生まれ変わるのだろうか? 生まれ変わりとは何なのだろうか?

犬や猫だった人は? 牛や馬になる人は?

考えてみれば、この世は不思議である。生命だらけなのだ。

微生物から、昆虫、鳥や動物まで、生物界には様々な生物がいる。

エコロジー哲学の極端な考え方のひとつに、すべての命は(ウィルスさえも?)完全に平等というものがある。

つまり、彼らが生まれ変わりを想定すると、人は何にでも生まれ変わることになってしまう。

一般には、哺乳類程度に限定されている。彼らには、私達の原初の共通の感覚・感情があるからだ。

だが、同時に、生まれ変わりは、人にしか起こらない、少なくとも人に生まれた後の魂は人にしか生まれ変わらないという考え方が、主流のように思う。

今日は、生まれ変わり自体を、新しい角度からとらえてみようと思う。


・生まれ変わりの魂の記憶と深い心霊の集合的つながり

霊性(スピリチュアリティ)の定義はいくつかある。主に4つのうちのひとつに、霊性は、ライン(発達領域・発達ライン)とするものがあり、独立して発達する。一般には、究極の関心のラインということになっているが、深い心霊(ディーパーサイキック)として定義することもできる。(参考;ケン・ウィルバー ワンテイスト)

これら2つは、同じものととらえてもよいが、今回はあえて別物とする。(同じものとしても議論には全くさしつかえない)

深い心霊は、生まれてきた赤ん坊においても、比較的初期から発達しているという推測がある。生まれ変わりを肯定するためである。

前世を記憶する子どもたち という本などで、こういう証拠が上がっており、チベット仏教では、古くから、生まれ変わりのバルド領域を通るという、内化の現象哲学がある。

これをポストモダンに照らし合わせると、バルド領域自体が、文化的に構築された概念である可能性もあるので、ここでは正しいとはしない。ただ、そういう記憶がある場合があるということは肯定できる。

さて。生まれ変わりにおける記憶が意味するものとは何なのだろうか?

人は、基本的に、ひとつの前世しか記憶しない。思い出さないのである。

退行療法、主に前世療法を行った人々は、前世の人物・記憶と同一化する。またこれは、精神病患者にも見られるもので、私はキリストだなどという取り付きもこれに含まれる可能性がある。

いくつかの事実をたどっていくと、これら記憶についてもあいまいな点が多い。

まず、前世の記憶は、自我が芽生えると、うすれていく。これは、生まれ変わった時間から、隔っていくから、と考えられるが、それだと、後者の、取り付きの例の説明が不十分だ。彼は、精神病により弱い自我によって、これを経験する。つまり、生まれ変わりの記憶は、時間ではなく、自我との関連性であるという説も浮上する。

私は、自我の発達により、魂との親和性が高まり、前世の記憶にたよらなくても、健全で高度なパフォーマンスが発揮できると考える。

前世の記憶は、成熟した自我ほど、原初的な意味を持たず、魂は、より自我構造に従った、自己実現的な意味を与えるという風に。

自己実現的な人は、サトルボディ、考え方、態度など、色々と総合的にエネルギッシュである。魂のエネルギーが成長と親和・熟練してあふれているのだ。

つまり、魂とは、本質的には今世的なもので、前世はあまり考慮する必要が無い。自己実現的な人にとっては。

次章は、この、魂が自己実現の動機、根拠になるのかということについて、集合的な象限から考えてみる。


・深い心霊は構造である

霊性の定義のひとつを思い出していただきたい。深い心霊とは発達ラインである。

ラインである以上、これは自我構造なので、4象限を持つ。ゆえに、われわれの魂、左下の、文化・集合的な象限の存在が浮かび上がってくる。

つまり、バルド領域を、ポストモダニズムの文化視点に置き換えることができる、ということだ。

これはかなりの驚きではないだろうか?

バルド領域を通るという魂の正体は、実は、私達の集合的霊(スピリット・ソウル)であるかもしれないのだ。

ここで注意だが、4象限は互いに還元してはいけないので、左下(集合)は、左上(個)を保存することを覚えておこう。

アウトラインはこうだ。

私達は、昔から今まで、原子から、動物、類人猿から現代まで、多くの生まれ変わりを経験して、その集合的記憶を魂の遺伝子とも呼べるような形で記憶してきた。同時多発的な創発もこの例が説明する。

特に、生命体となってからは、魂は、生と死をくり返して、その記憶を刻んだ。生まれ変わりとして。

ライオンに食べられたこと、戦争したこと、あらゆる生と死のドラマが、魂に記憶されていく。

個人は後悔する。もっと恋人を愛せばよかった。もっと、広い世界に金銭を使いたかった。夢を叶えたかった。真実を知りたかった。

色々な夢・欲望は、集合的意識を通じて、かき集められ、たばねられる。

ここで4象限を再度おさらいしておきたい。個的意識が存在するということは、そのまわりに、集合的意識も存在しなければならない。個人が生まれかわるのなら、その記憶を宿すための集合的な図書館のコミュニティーのようなものがあるべきだと考える。それなしでは、記憶は記憶として存在し得ないだろう。

魂には不思議な力があって、個を保存しながらも、集合体となって生まれ変わりに寄与する。

そして、生まれ変わる。

ここからがポイント。

今までなら、命に魂がつくと考えていた。

しかしいつからなのか?

受精卵? 生後3ヵ月?

自己実現の話を思い出せば、魂が真に意識と親和するのは もっと後である。

この例によれば、魂は、まだ大した存在感ではない。

魂の定義、これが てっていてきに重要である。

集合的側面を考えると、魂は、私達の内部に常に存在する私達とはスピリットである。それは、赤ん坊の小さな前自我にではない。

赤ん坊が認識できるようになるはずの魂とは、もっと深い所にある。赤ん坊が深い心霊を発達させることによって、その魂は、個的な魂として感ぜられ、以後発達してゆく。

ここで、再び、深い心霊の初期の発達にふれたい。

今までは、生まれ変わりを説明するために、深い心霊、つまり、前世の記憶を運ぶために存在するラインに、初期の発達を仮定した。しかし、ここで明らかなように、集合的魂を考慮すれば、それは不要となる。幼児が発達することで、深い心霊も発達し、やがて、集合的魂と接触できるようになる。

スピリットは、個人として現前し、認識することを思い出そう。

魂もまた、前世の記憶をひっぱり出すにしても、自我は、ひとつの意識にしか同一化できないので子どもは、ひとつの自我から、ひとつの前世の記憶を集合的魂から認識し、その記憶を語るのだ。

つまり、犬も猫も赤ん坊も、別にひとつの魂を持っているわけではなく、深い心霊の成長によって、その子に合った魂の記憶が現前する、というわけ。

これで、魂の殺人という言葉はふさわしくなくなる。

母の愛。みんなの愛。

赤ん坊に愛情をそそがないと死んでしまうというのは、有名な話だろう。

つまり、そうやって、サトルな魂と交流し、集合的魂にひたり、夢を見て、赤ん坊は、深い心霊を発達させていく

もっと簡単に言うと、すべては一なるスピリット、魂は、それよりは、地球的、意志的、個性的に感じられる事象なので、要は、私達地球人のスピリット、ということだ。

さて。これで、アウトラインは分かった。

では次章で、宇宙人やパラレルワールド、生まれ変わりの、現代・近未来的な意識構造の変化についてのアップデートをしたい。


・生まれ変わりのアップデート

もし生まれ変わりがあるのなら、私達は、宇宙人に生まれ変わるのではないだろうか?

原始の時代差の世界線にタイムトラベルした場合、原始の魂が赤ん坊に宿るのか? 深い心霊はどうなるのか??

これらどちらとも、もう深い心霊の先行発達も、魂の記憶の個体的継承も、仮定する必要が無くなったことがお分かりだと思う。

後者については、パラレルワールド自体が、現代物理学で言う、宇宙は10次元 そのものだとすると、べつに、どこの世界に、どういう魂が宿ってもおかしくない。創発の法則は働くだろうから、原始の世界においては、故郷の集合的魂が宿るのではないだろうか。たとえ宿らなかったとしても、基本的に魂はまっさらなので、正しい愛情と教育で、自我とともに成長してゆくと思われる。

別の視点をとると、集合的なサトル(バルド)領域には、未練など、個的な記憶も宿るのだと言え、それは主に、同次元の宇宙の同惑星の同文化のいわゆる故郷に向かうのだと。

それでも、基本、魂は、決してひとりぼっちの個的なものではなく、個人を通じてそうとも認識され、前世の記憶と感じられる、ということだ。


・魂の記憶は多元的に取り込まれ 成長する

とは言え、偉大な魂は解放されるもので、最初から何らかの霊的ゲージがたまっている場合があると、知恵の伝統は回答している。例えば、赤ん坊のクリシュナムルティに、聖者は、〝あぁ、なんという霊性だ〟などと言ったらしい。

まぁ、これは、特殊な例だけれども、べつだん、状態は構造のように濃密になることを考えると、聖者の魂意識成分が、たまたまクリシュナムルティに色濃く宿ったとしてもおかしくはない。聖者の魂意識は、ときどき、ある個体に、偶然に早期の霊性に対する感受、変容、その他のラインの変容をも促すことがあるのかもしれない。彼は、結局、真理の種子を強調し、生まれ変わりや、偉大なヨーギ的なものについては、考えすぎないようにと教えている。

要は、赤ん坊でも至高体験を持つ。至高体験(状態)といえども、濃密な状態(状態-段階)としての至高体験もありうる、ということだ。

至高体験がなぜ起こるのかについては、あまりわかっていない。ただ、昔から、偉大な霊との交流 と言われていたように、集合的魂がかかわっているのだと言える。

ケン・ウィルバー「グレース&グリット」の夫婦の意識の共有など、誰でも、集合的魂(サトル領域)を通じて、意識を交換しているのだという。また、至高体験についての感受も体質などがあるらしい。サトルエネルギー(右側・外面)の感受に たけたタイプ(水平的な区分)があるということだ。

さあ!では、深い心霊の発達心理学 (&現象学) に移ろう。

子どもは、深い心霊を発達させ、ときには前世の記憶を語る。とはいえ、一定の自我構造に達すると、そういう記憶も薄れる。ロマン主義者は、これを喪失だと考えるが、こういうできごとは、たいてい良い方向(創発)として考えた方がうまくいく。

つまり、自我(基本的には深い心霊)が発達すると、他の魂の意識にも敏感になる、他の魂の立場(他者)につくこともできるようになる。そうして、多者としてたくさんの魂の立場に立てるようになると、魂は構造的に透明度を増してくる。至高体験が増大し、ダイモン(守護霊)も下りてくる。〝僕は歌手になりたい〟そういう直感がおりてくる。これは、宇宙意識(集合的魂)の中から、自我(全ライン・タイプ含むAQAL的な)に適切な霊感(魂)を深い心霊が探し当てているということで、最初から運命が決まっていたわけでも、その逆でもない。まぁ、魂は、自己実現には協力的だ。ロロ・メイ「愛と意志」などが、参考になる。

結論は、子どもは、やがて、ひとつではなく、多くの人の生まれ変わりを、成長時に経験し続ける。同時に他者の立場に立てるので、自分は○○だ などとは言わなくなる。

そう考えると、前世を語る子どもたちは、支点3、ライン/深い心霊 であり、ちょうど言葉を覚える。それ以降、支点4で、他者、支点5で多者、支点6~8で、実存的なダイモンが目覚める、ということだ。

ケンウィルバーが、状態を実存構造の上に積み上げたのもこういう洞察のおかげと言え、それが誤りだと分かったのは、彼の理論(左上)よりも、当時ほとんどの人は彼に耳を傾けなかった(左下)の方に原因があると言えるのではないだろうか。(彼は、状態と構造、ラインとタイプの区別を、1980年代前半ですでに分かっていた。進化の構造以降、きちんと議論していけば、やがて分かることだったはずだ。)


・きっと 生まれ変わりはすばらしい

もう、古い考えに、地獄に堕ちるなどがあるが、そういう当時の文化・イデオロギー的な因習にとらわれなくとも、生まれ変わり自体は、たくさんの魂が、スピリットとともに、スピリットとして、私達の前にいつも現前し、ときには創発を助け、暖かく世界を包んでいる。 つまり、生まれ変わりは、実際に生まれ変わるのではなく、これまでのすべての魂の、深い心霊で関係できる、あらゆる英知を、感じ、同一化し、現世で使用できる、ということである。

そこにマイナスなことは何ひとつない。

ソウルメイトは、遠い個体でも、魂でつながっている、ということを示す。

前世よりも何よりも、そういうツインソウル的な記憶を現前させたカップルは、引き合う不思議な力を持つ、ということなのだ。

私には、そういう記憶はないが、ソウルメイトの前世記憶は ねつ造でなく、実際の生まれ変わりでもなく、その生まれ変わりという偉大な集合スピリットのダンスなのだ。

現に、大恋愛に過去世は関係ない。だが、前世に存在した二つの偉大な魂が、互いに引き合うことの大切さを伝えたのだと分かると、嫉妬することも無く、ソウルメイトが私達の偉大な遺産であることが分かる。

魂は苦しむのか? 動物には魂があるのか?

魂自体が、私達が慣習的に創りだした概念であり、偉大な賢者が、スピリットのみ!と言っている。

そう。私達は、魂が有限で、世界を憂鬱にするものであってはならないと考える。魂がゆがむというのも いささか違う。実態のないものに怯える日々。それはもう終わった。

あるよりない方がいいものは排他性であり、それが慣習的魂の概念なら、私達はそれを放棄しよう。 そのかわり、偉大なスピリット、エロスとアガペーに 乗ると誓おう。 私達が魂だ! だがそれは、そう認識するだけの 愛の実践を必要とする。でも心配しないで。愛はいつもここにある。そう。あなたの前に。ずっと…。


[補足1] 倫理と魂の関係

魂は、左下から胎児に現前して、左上として表れていく。

自我構造が強くないうちは、まだ、彼に、左上としての構築力はない

また、強いディーパーサイキック(ライン)は、サトルボディを活性化し、より多くのサトルエネルギー(チャクラ・右上)を活性化するに至るだろう。スポーツ選手などは、そういう、精力にあふれた社会(右下)を構築する。教会なども同様。

さて。 アニメ・コミックにまで 度々登場する あの〝クローン〟について、魂と倫理の側面から話を進めてみる。

クローンは、身体(脳)の発達、認知構造の発達、という2つの先行ライン(必要だが十分でないの必要部分の2つ)のみの急速成長と なりがちであり、クローンは短命だという印象まである。

私が言いたいのは、この時点で、クローンの人権が侵されている、ということである。人権が認められない、すなわち奴隷であり、これは、農耕以前のどの文化でも、存在した。つまり、問題は、魂の殺人、ということになる。

同様に、大脳新皮質を猫や豚に移植して、上記の急速成長が成功すれば、つまりは、大量の魂が、後からつぎ足されるのか?ということになる。どちらにしても、今回の結論において、仮に、動物が、魂を現前させても、最初からあったということにはならない。

結局、魂は、自らが引き寄せる霊感(深い心霊の構造に依存)であり、魂が宿る、と考えるべきだ。

この考え方なら、もしかすると、ドラえもんのように、ロボットでありながら、霊感を持つことのできる存在もあり得るかもしれない。

私としては、魂の殺人という概念はなく、魂との交流、魂との結びつき、だと思う。

その方が平等だし、あってないような心配をすることはない。

現に、ここ数百年の産業化、科学技術の進歩がつきつけているのは、魂がどうのではなく、人権だとか、自由だとか、権利だとか、兵器保持の危険性だとか。

どう考えても、合理的な世界空間の内部で起こっていることについて、統合的な解決策が求められている。私は、魂は、それをよりそって行える中核を成すものだと思う。

すべてはスピリットとひとつ。考えることは他にも山ほどある。


[補足2] ポテンシャルと魂の関係

深度とポテンシャルで議論したアップデートだが、ポテンシャルは、魂に付属するが前回の結論だった。

全く結論が逆になったようにも思えるが、ポテンシャル自体は、パラレルワールドを根拠にできる。

例えば、クリシュナムルティが生まれる、ここと、歴史の変わらぬ未来の過去(世界線)に訪れ、彼を殺害したとする。すると、その世界線の損失ははなはだしく大きい。

彼にはポテンシャルがあるからだ。世界を変えていく見込みという。

このポテンシャルは、とかく、4象限を必要とする。左下(文化)、右下(社会)は特に重要で、歴史を変えなければ、それが彼をつくる母体になる。(別の世界線に彼を連れていけば、ポテンシャルは、変化する。)

一般に、自由権などと同じく、未来の平等権を拡張して考えると、偶発事象である(右側)だけでなく、意識(左側)も当然保証されるという意味で、誰もが、同ポテンシャル(潜在力)を持つことになる。

というわけで、以前の結論は変わらないが、魂の殺人は考慮に入れる必要が無くなった。以上。

大切なのは、人権自体を保障すること。


[補足3] 教育における魂の概要

教育にも適用できる。

教育(左下→左上+右側)は、子どもの魂を個性として成長できる。この、個性として、が最も重要である。

今までなら、放任主義というか、独自のその子の魂を尊重…などと、パンダみたいなことを言っていた親も多かったわけだが、現在のポストモダンの教育経験と学術(社会・文化がその子をつくる)に集中してゆくと、やはり、魂は個性と見るべきだろう。前者はあってないようなもので、個性すら否定する今までの日本の風潮を考えると、魂はもはや、放任主義に言いわけにしかなっていない。

事態は逆である。

音楽がしたい。歌いたい。作りたい。習いたい…。

まず、養育者が、彼のきっかけを提供し、選びとっていく中で芽生えた個性(霊感)を大切にしてあげる、ということ。

結局、深い心霊も、他の発達ライン同様、時系列的に成長していく、魂の感能性の発達ライン、というわけだ。


今回の一連の議論の目的は、あまりあっても意味が無く、マイナスにすらなっているだけの、魂についての排他性を認識し、必要ないなら取っていこうという趣旨を、現象学的、論理的に体系化したものである、と とらえてほしい。

2013年1月12日 (土)

ポテンシャルの流動性[ストリーム] ~ポテンシャルエネルギーのアップデート~

ウィルバーは、モデル4あたりで、意識構造には流れ[ストリーム]があるというような概念を提唱していた。波である意識が構造に同一化する と。今回は、流動する意識深度を、ポテンシャルの面から考えてみたい。

・統合芸術とポテンシャル

偉大なピアニストは、その空間に、高次の構造を創発させる。ひさしぶりにギターを弾いた人は、濃いプレイをする。長年離れ離れだった恋人は、お互い愛に満ちた濃密な世界を創る。これらに共通するのは、ある特定の時間のみ、いつもとはちがう特別なことをする、ということだ。その代表は芸術で、形の残るものや残らないもの、多種多様だが、そこには微細に、創発と補充(休息)が行われ続けている。

補充で得られるエネルギー(創造性)は、ポテンシャルエネルギーの外在化したものだ。(右側象限の微細なエネルギー。) これは、魂の、内在価値が心圏の生(人間)に還元(変換)されるとき、環境によって、多かれ少なかれ出てくる。潜在性(魂)を変換(昇華)するとは、外在性(存在性,エネルギー)を伴わせるということなのだ! 潜在性→深度+愛だから、微細な、ポテンシャルエネルギーは、高次の構造的作風(作品)と、熱い活力になる。ギターの例は、まさにそれにぴったりで、時間を経てたまった創造ポテンシャルが、コード等の構造的(外在的)要素、志向性(ひさしぶり!)が 状態的(内在的)要素を思わせる。これが外在化を伴った、意識の流動的側面である。

・作品に込められる深度

要は、潜在性[ポテンシャル]を変換するとき、彼の意識は構造的になったように見える。これは深度[レベル]と呼ばれる。また、ラインについても、別々にポテンシャルエネルギーがたまる。ゲームのポイントのふり分けのように、生に還元されるポテンシャルを、魂(深い心霊[ディーパーサイキック])もしくは自分(意志)が、特定の必要な、お気に入りのライン中心に、自由にふり分けている。同じパラレルワールドの人間でも、成長が異なるのはそのためである。(現実には観測されていないが。発達心理学的に、同じ魂を持ったクローン現実にはない指示対象であることに注意】と考えれば思考実験レベルで分かる。) あなたは今日何をしようか迷う。音楽か、本か、旅行か。その選択によって、創造に使われるエネルギーの向かう先は大きくちがい、どれを行っても、時空間的に、他のことはもう行えない。休息が必要である。しかし、そうした経験は深い心霊に上書きされ、内化する。深度の正体は経験的意識(魂のもの含む)の流れだったので、このような緻密な(マイナーな?)経験でさえも、深度に関係してしまう。そもそも、経験主義的(ミーム論とか)には、差異化の時点ですでに成長していても、統合後でしか、そのふるまいを観測できない。レベルと言っても、そこまで大きな仕切りはない!(ウィルバーが再三言っている。) 行うすべてが変容と言える。(正しく行えば。)

それをふまえて芸術作品を見てみる。作品は見るだけで一定のレベル(ミーム)の人を引きつけてしまう性質、つまりレベル(構造的熟達性)を持っている。技術と同じく人々を豊かにする、文化となり得るため、それ自体が深度を持っていると言ってほぼ間違いない!(ただし、個人とちがい、外側からのみ観測されるが。) つまり、私達のポテンシャルエネルギーは、作品として後世にまで結晶化できるのである。作品には深度を込められる。自分の好きなラインへ、そして、その分野の領域に、流動させて、作品と経験として出力される。一生で100作品創った人は、その分のポテンシャルエネルギーは使われてしまった。そして、経験(作品)として深度化している。これを深い心霊は引き継がせる。転生した人もまた、100作品創るだけのポテンシャルエネルギーを持つ。

私達は心身体なので、ポテンシャルをこの世界で発揮できるように外在化するためには、それだけ時間を生きねばならない。また、生きてゆけば、エネルギーがたまり、経験(作品)は、来世でも経験として使える。それはストリームだから、深度でもある。道徳段階は結果であり、そうなるように支えているこれら諸要素の方がはるかに重要である、と思う今日この頃である。

エネルギーが大きければ大きいほど、それを経験で深く圧縮することができれば、より統合的な作品ができる。より大きな経験になる。時間を無駄にするな!は、エネルギーのことであり、潜在力の開花である。逆に量多くつくれば、深度は減り、経験に還元(深化)される価値も薄くなる。あと たぶん、ゲームばっかりやってても創造性は減らない。不安なら、発揮した後の一定期間めたばまりすれば良い。

マズローの言っていた、自己実現的な人々、とは、このように、与えられた創造性[ポテンシャルエネルギー]をうまく使った人たちなのだ。また彼らは愛にあふれていたとも言っていた。それがこれから述べる、深度のとなりにある、あの、〝愛〟である。これは、構造[ロジック]的色合いが濃い深度に対して、より共感的[エモ-ショナル]な状態的なものだ。

・ワールドソウルをかけめぐってゆく成長愛

電車が止まるとき、電線に電力が還元される。そんな風に、僕らのポテンシャルが、互いのコミュ二オンで、愛に変わるとき、それは私達の世界、このワールドソウルに流入する!!

もちろん、この愛の経験も、深度同様有効である。外在化する変わりに、世界内在化するのだ。それは私達を魂規模で活性化させる。偉大なステージを見たとき、あなたと愛の交流をしたとき、聖人や少女でさえも、この営みには全くプロでいることができる!

特に、深度が小さいうちは、魂はこの愛の力で存在を発揮する。よく本で、10歳で死んだ子どもが、われわれ以上に深いものを持っていたと語られたりするが、これも愛への創造ポテンシャルの成せる業だ。病気は、内なる時間を加速させ、変換できるポテンシャルの量を多くする。たった10年で数十年分の潜在力[パワー]を発揮したその子は、私達以上に偉大と言えるのではなかろうか!それは今も、の力となり、私達の愛の活力となっているのである。

・流れ、深度、愛、創造性

魂の潜在エネルギーは、愛になる。それは僕を道徳的にし、芸術や論理の経験を増大させる。そうやって流れて、あなたは僕を見て、統合的だと言ってくれる。流れは、構造的な経験を通じて、あなたに観察される。すべては流れだ。深度も愛も、これらすべては経験によって理解され、創造によって共感される、そう魂の存在のつながりの流れだったんだ。

~ポテンシャルエネルギーのアップデート~ (1・12)

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【インテグラル】 参考文献♡

  • インテグラル理論 (AQAL)      統合的実践 (ILP)
    「インテグラル・スピリチュアリティ」
    ケン・ウィルバー 著

    「実践インテグラル・ライフ ― 自己成長の設計図」
    ケン・ウィルバー 監修